4話-5『天宮寺』

 クルミの案内を受けながら着いた場所は、予想通り倉庫街だった。日が完全に沈み、街灯たちが細々と舗道や海を照らしている。


 ユウトたちはその倉庫街が一望できる、ビルの屋上で一度停止した。


『そこから……ちょうど、ユウトさんから真南に300m先です』

「分かった。ありがとうクルミさん、いずれ何かの形でお礼するよ。……それじゃあ、切るね」


 ゴネられても困るため、一方的に通達してからユウトは通話を切った。スリープモードにしたスマホをバッグに突っ込むと、リョウヤの背中から降りる。


「っと、運んでくれてありがとう、リョウヤ」

「あいよ」


 魔術師ウィザードは身体強化によって人外レベルの速度で走ることが可能だが、あいにくユウトは例外だ。どれほど頑張っても人の域から出ないため、リョウヤに背負われて移動していたのである。


「コトネさんは、どうやら赤い屋根の倉庫にいるらしい」

「海寄りにあるヤツか」


 件の倉庫を見つけたリョウヤは、左耳のピアスに手を当てた。


「……フウカ、武装形態、開始オープン・アームズ

『りょーかいっ!』


 ピアスに嵌め込まれた緑色の魔石が微かに輝き、騎兵銃カービン型の武装形態アームズが姿を現す。あまりにスムーズで静かな武装の展開に、意識をしなければ気付かれることはないだろう。


 同じことを思ったのか、アリナがユウトへ語り掛けた。


『何度か見たときよりも静かな武装形態アームズの出し方ですね』

(あの派手な演出は実戦だと目立つだけだからね。上手いやつはあぁやって意識的に武装の出し方を切り替えられるんだよ)


 基本的に<魔術戦争マギ>でしか戦わない、スポーツ選手としての魔術師ウィザードは気にしなくても良い技術……というより、あっても無駄な技術である。


 なにせ<魔術戦争マギ>はスポーツとしての側面も持つが、見せ物としての側面もあるのだ。武装形態アームズの喚び出し方1つとっても、派手な方が観客から喜ばれる。


「【スコープ・テレスコピック】」


 騎兵銃を構えたリョウヤが呪文を呟けば、騎兵銃のフォルムが液体のように溶けながら変形していく。あっという間に騎兵銃に狙撃用のスコープが現れ、それをリョウヤは覗き込み左右に銃を揺らした。


「……思ったとおり、見張りが居るな。2人1組が3組。海に面していない方向をそれぞれ見張ってる。恐らく建物の影にあと1,2組はいるはずだ」

「けっこう多いね」


 高倍率のスコープから大凡おおよその敵の位置を把握したリョウヤの言葉に、ユウトは顎へ手を添える。予想以上の人数にどう攻めるべきか思考を回転させ始めた。


 魔術師攫いは、もし失敗しても最低限の被害で済むように少数で挑む習性がある。10人近くの人数を用意しているということは、それだけ失敗しづらい……周到に用意された誘拐であるということ。


魔術師ウィザードはどれだけ居る?」

「パッと見は居ねぇな。魔石を隠されてたら確認しようもねーけど」


 相対する人が魔術師ウィザードかどうかは魔石の有無で判断するのが基本だ。魔力などで感知しようにも、精霊が魔法を発現していなければ察知できないためである。


 <魔術戦争マギ>ならば隠す必要も無いので、堂々とアクセサリーとして身につけているが、兵士として運用されていた頃は、戦いを有利に進めるため隠す者が大半だったらしい。


(まぁ普通に考えれば、魔術師ウィザードは居ても1人か2人。とはいえ、だ)


 世界の暗部に所属する魔術師ウィザードは数が少ないとはいえ、端から居ないと踏んで行動するのもリスクが高すぎる。全員が魔術師ウィザードであると思いながら行動するしかないだろう。


「……仕方ない、か」


 諦めのため息を吐いて、ユウトは立ち上がった。懐からワイヤレスイヤホンを取り出し、片耳に装着する。


「俺が前に出るから、リョウヤはそこで狙撃を頼む。スマホで通話は常に繋げておいてくれ。相手は少数だから無いと思うけど、そっちに向かう素振りを見せたら俺との合流を最優先」

「あいよ。後ろに下がるより前に進んだほうが生き残るってヤツだな」


 ユウトは優しい笑みで頷くと、ひとつ深呼吸をして――髪を掻き上げた。瞬間、彼の纏う雰囲気が一気に反転する。


「当たり前だ。進んだ先に居るのは、俺なんだからな」


 彼はそう言って、不敵な笑みを浮かべた。


「”凡人”が幾ら固まろうと、”天才”に勝てる訳もない」

「あぁ、期待してるぜ。相棒」


 そうして、黒髪黒目の少年は闇夜に紛れて行動を開始する。大切な仲間を救い出すために。


 ――同じ黒髪黒目の少女が、見つめていることも知らず。



                  ◇



 海に面する倉庫街の一角。影に身を隠しながら防衛目標である倉庫を見つめる男は、焦れるように隣に立つ相棒へと声をかけた。


「なぁ、何時まで待つんだよ?」

「さてね。お客さんは気分次第ってとこだろ」


 長身痩躯でサングラスを掛けた男の答えに、ガタイの大きい大男は大きなため息をつく。


「おいおい、そりゃないぜ。裏仕事は時間厳守が掟だろ」

「ま、今回はかなり上客らしいし、確実に舐められてんだろうな」


 大男は苛立ちを隠さずに舌打ちをして、睨みつけるように倉庫の入り口を見た。


 そもそも今回の依頼は不可解な点が多すぎる。魔術師攫いなんて賭け事狂いギャンブラーでもなけりゃ受けない仕事を、なんで上は受けたのか。客についても、上客としか教えられていない。


「俺ら割と組でも上の立場だよな? なんで情報降りてこねぇんだよ」

「それは俺も一緒だ。……気味が悪い」

「あぁ。早く終わらせて――」


 風俗でも行こうぜ、と言い掛けた大男が口を噤む。愚痴を言い合いながら話しながらも見続けていた倉庫の入り口近くに、何者かの影が見えたからだ。


「…………」

「…………」


 チラリと視線を見合わせた2人はその影に向けて、さもちょっかいを掛けにきたチンピラを演じつつ近寄っていく。小さな街灯が映し出したのは、フードを目深にかぶる少年だった。


「よぉよぉ兄ちゃん。駄目だぜ、こんな所を子供が彷徨うろついてちゃよォ」

「……」


 ガタイが良く威圧感のある大男がまず話しかけて、相手を萎縮させに行く。これでビビれば一般人。ビビらなけりゃ――


「――ぁ?」


 瞬間、大男の視界が一気に地面へと向く。何もわからないままうつ伏せに倒れ込んで、一瞬で意識を失った。


「なッ!?」


 痩躯の男は突然起きた事態に動揺を隠せず、驚きの声を上げる。が、次の瞬間には襲撃と判断し声を張り上げようと口を開けた。


「敵襲ッ――」


 それは、あまりにも悪手。目の前の少年は音もなく刹那に近寄り、大きな隙を晒している相手の顎へ向けて、鋭い蹴りをお見舞いする。


「ガ……」


 短く言葉を吐いて、痩躯の男は白目を剥きながら仰向けに倒れた。2人をあっという間に制圧した少年だったが、一息つく暇はない。


 倒れた男が隙を承知で叫んだ声を聞きつけてか、少し離れたところから足音がまばらに聞こえてくる。すぐさま周囲にある倉庫の影から複数人の男たちが次々に姿を現した。


「――!? テメェら、囲えッ!」


 視線の先で倒れている仲間を見つけた一際ガタイの良い男が、周囲の男たちに叱咤を飛ばす。中々に統率された動きによって、男たちは少年を円で囲んだ。


 油断なく鋭い視線を飛ばす男たちの中から、叱咤を飛ばしたリーダーらしき男が一歩前に出る。


「おい兄ちゃん、よくもまぁやってくれたな? 何処のモンだ」

「…………」


 しかし男の問いに少年は答えずニヤリと笑みを浮かべると、右手を男へ伸ばして……手首を手前へ捻った。ピキッ、と音が鳴って男の額に血管が浮き出る。


「――上等だ。ヤッちまえ、テメェらッ!」

「うおぉぉっ!」


 男の号令と共に総勢10人の男たちが次々に少年へと飛びかかった。幾ら格闘技か何かで鍛えていようと、コレほどの人数を少年が相手にできるはずもない。


「なッ……!?」


 だが、次に起きた出来事は男の予想を軽く超えていた。


 襲いかかる10人もの男たちの間を、少年は何の苦労もなさそうにスルリとすり抜けたのだ。達人と呼ばれる人種ならばまだしも、年端も行かない少年が起こせるはずもない。


 ならば答えは簡単だ。ただの人間ではないということ。


「てめぇ、魔術師ウィザードか!」

「…………」


 少年は何も答えず、男も答えを期待していなかったのだろう。目の前の敵を見失い右往左往する手下たちへ、すぐさま声を張り上げた。


「おいテメェら、何してやがる! クソガキは後ろだ!」

「なっ!?」

「いつの間に!?」


 後ろを振り返って少年を発見した男たちは困惑を隠せずに声を漏らすが、すぐさま仕切り直したように再び襲いかかる。


「……!?」


 だが、当たらない。フワリフワリと寸前のところで攻撃を避けられ、まるで空を舞う紙へ攻撃しているかのように虚しさを男たちへ与えた。


「クソがぁッ!」


 当たる気配がないことに苛立ちを抑えきれず、ひとりの男が顔を真っ赤にして思い切り腕を振るう。助走をつけて放たれた拳は、当たれば格闘家でも洒落にならない。


 それは真っ直ぐ少年へと襲いかかり、


「ぶッ」


 殴りかかった男の顔面に、強烈な拳がカウンターとして突き刺さった。渾身の力で放ったパンチは前腕を軽く横から押されることで簡単に避けられ、相手の助走の勢いをそのまま利用されたのである。


「死に晒せぇッ!」


 と、背後から半ば狂ったような声が聞こえた。少年の死角にいたその男は、隠し持っていたバッドを振りかぶる。


(貰ったァ!)


 完全な不意の一撃。更に少年からしてみれば、武器を使われているとは思ってもいないはずだ。例え防御や回避してこようが、拳前提での動きならば武器の破壊力で押し通ることができる。


 勝ちを確信した男は、目をギラギラと輝かせながらバットを振り下ろした。


「……ぁ?」


 だが次の瞬間、男が感じたのはバットが人体を叩き壊す感触ではなく、何の抵抗もなく振り下ろされたバットが硬いコンクリートを叩く感触だった。


 目の前の現実に理解が追いつかず、困惑のまま顔を上げ……顎を下から強烈に蹴り上げられる。


「ごァ!?」


 脳に強い衝撃を加えられ、脳震盪を起こした男は泡を吹きながら地面に倒れ込んだ。


 瞬く間に2人を気絶させた少年に、男たちを思わず息を呑む。鉄火場を何度もくぐり抜けてきたはずの男たちの心に、恐怖が蝕んでいった。


 どれほど殴りかかろうとも、不意をつこうとも、目の前の少年はまるで未来を見ているかのように全てを避けている。ならばと何も考えずに突っ込めば、ドきついカウンターを喰らい一瞬でヤられるのだ。


(アイツは、やべぇ)


 それが、一連の流れを見ていたリーダーの男の感想だった。


(最初は驚いて魔術師ウィザードかと思ったが……あのガキはそうじゃねぇ。魔術を使ってもねぇし、動きはあくまで人間の範疇だ)


 魔術師ウィザードが相手だとしたら、どれほど鍛えていても一般人ならばそもそも勝ち目がない。


 あの連中は数mを軽く跳躍し、超常現象を巻き起こす連中だ。相手しようと思えば最低でも軍用銃がいる。現状そうなっていないということは、相手は魔術師ウィザードではないはず。


(ただの人間で大量の敵を相手取る。確かにそういうは何度も見てきた)


 多くの鉄火場を生き延びてきたリーダーの男は、様々な強者を見ている。鍛えに鍛え、更にドーピングを重ねた筋肉ダルマや、スタントマン顔負けの胆力と度胸で修羅場を掻い潜るバトルジャンキー。


(……だが、ありゃあその中でもだ)


 例に挙げた『やべぇヤツ』ならば、恐らくこの10人相手に勝つことも可能だろう。


 ならば、何故リーダーの男が目の前の少年を”異端”と思うのか。


(普通、10人も相手に戦えば多少は怪我を負うし疲れる)


 いかに筋肉ダルマだろうと、バトルジャンキーだろうと、人間である以上は疲れが溜まる。肉体的な意味でも、精神的な意味でもだ。


 だからリーダーの男はいつもヤバい相手をするとき、下っ端に戦わせて疲労させてからトドメを刺していた。だが今回の少年は違う。


(アイツ、欠片も疲労しちゃいねぇぞ……!?)


 常に戦いの最も中心に立って周りの敵を動かせ、更に受け手側の負荷をゼロで受け流すという神業により体力の消費を抑えきっていた。これでは20人……いや30人いても変わらない。


(ッチ! 使いたかぁ無かったがしゃーねぇ)


 リーダーの男は懐に手を入れると、自信のとっておきを強く握りしめる。


「ッ!」


 そうしている間に、少年は次々に男たちを倒していた。今もなお立っている男たちも、体力の限界なのか体中から汗を垂らして呼吸がかなり荒い。


「野郎ども、潰せッ!」

「うぉらァッ!」


 だがリーダーの男の号令と共に、疲れなど知ったことではないと咆哮を上げながら突撃した。対する少年は変わらず1人、2人と簡単に避けながら隙を突いて気絶させていく。


 そうして、最後の1人が顎を蹴りで撃ち抜かれた。白目を剥きながら脳震盪で倒れていく男を少年は見下ろして――


「――ようやく、隙を見せたなクソガキィッ!」


 戦っていてはじめて見せた少年の僅かな隙を、リーダーの男は見逃さない。


 ジリジリと距離を詰めていたところから一気に前へステップして距離を詰め、懐からとっておきを解き放つ。


武装形態、開始オープン・アームズッ‼」


 緑色の風が吹き荒れて、男の手に顕現するのはククリナイフ。精霊の力を得て人外レベルの身体能力を得た男は、高まる力のままに横を向いたままの少年へ刃を下段から振り上げた。


「ふッ……!」


 しかし、それさえも少年は読んでいた。半ば横っ飛びのようにジャンプして、振り上げられたククリナイフを避ける。目深に被っていたフードが刃に触れて切り裂かれた。


 少年は倒れ込むよりも先に手を地へ振り下ろし、跳ね返った反動で足から着地する。切り裂かれたフードが顔を隠すという役目を果たせなくなり、少年の顔が街灯に照らされた。


 避けられたとはいえ、初めて攻撃が当たったことにリーダーの男は鬼のような笑みを浮かべ……一瞬にして凍りつく。


「な……!?」


 黒髪黒目の少年が、ニヤリと不敵に笑った。


「――武装形態、開始オープン・アームズ


 一瞬の瞬きと共に少年の右手に握られていたのは、質素な片手剣。世界の誰よりも弱い精霊と契約したことを表すソレを持つのは、数いる魔術師ウィザードでもたった1人だ。


「……噂の”爆死”かよ。やっぱり魔術師ウィザードじゃねぇか、クソ」


 嫌な予感が的中したことに愚痴を溢しつつ、リーダーの男は油断なくククリナイフを構える。”爆死”と呼ばれた少年――ユウトも、攻めの構えを見せた。


「――――」

「――――」


 ジリジリとした殺意がぶつかり合う。


 そう、この戦いは<魔術戦争マギ>ではなかった。選手の身を守る結界値HPなぞ存在せず、刃が肌に触れれば出血し、切り裂かれれば内臓が漏れ出る。例えどのような相手でも、一瞬の隙を見せることは許されないのだ。


 故にリーダーの男はユウトから常に視点の中心に置き、相手の行動を何度も予測しては構えを微調整する。


 ユウトの構えは前に出て切り込む為のもの。先の大立ち回りで、技量と経験では勝ち目がないとリーダーの男はわかっていた。


 故に狙うのは一発逆転のカウンターのみ。


(……来い、来い。すれ違いざまに俺の持つ最大火力の魔術で仕留めてやる)


 緊張で掌に汗がにじむ。だがそれさえも気にする余裕はもう男には無かった。冴えた、まるで抜き身の刀のような威圧感を持つ少年を前に、他に思考を割くことなど出来ない。


「――ぁ?」


 故に、男は意識が飛ぶその瞬間まで気付かなかった。


「ナイス狙撃」


 敵は1人とは限らないことに。


(伏、兵……)


 水を圧縮した弾丸によって脳を強く揺さぶられた男は、白目を剥きながら気絶する。バタリと音を立てて倒れる男を尻目に、ユウトは目的の倉庫へと歩き始めた。


 結果、数多の修羅場を生き残ってきたリーダーの男を含めた総勢13名は、たった2人の少年によって敗北を喫したのだった。

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