4話-4『天宮寺』

 ――数分前。


 コトネは可愛らしい、ピンクのレースが入ったハンカチで手を拭きながら化粧室を出る。周囲を見ればまだエリーやクルミは出てきていないようだ。


「うぅ……また気を使わせちゃったなぁ」


 周りに誰も居ないことを確認してから、コトネは壁に背を預けて独りごちた。


『ありゃぁ、リョウヤの気遣いが凄いだけじゃろ』

「それは、そうなんだけど……」


 右腕のバングルに嵌め込まれた緑色の魔石が点滅して、コトネへと直接声を発する。そもそもの器が尾無しの狐であるクウコはどう足掻いても目立つため、途中から大人しく魔石に入っていたのだ。


「はぁ……。リョウヤ先輩もユウト先輩も凄いし、私やっていけるかなぁ」

『なに、お嬢はこれからじゃて。あの試験に合格したんじゃ、胸を張りんさい』


 クウコの言葉に頷きつつ、壁から背を離す。女性3人と精霊2体の大所帯だったため、モールの外にある化粧室を選んだので周囲は静かだ。


 喧騒の中に居たせいか静かなこの空間がヤケに貴重に思えて、コトネは時間潰しとして周囲を軽く散策してみる。


「にゃぁ」

「ん? 猫ちゃん?」


 と、視界を横切る黒猫にコトネは目を奪われた。結構な俊敏さで、その黒猫はモールの外郭とビルの間にある裏路地へ入り込む。


 何故かその猫が妙に気になって、コトネは黒猫が消えた裏路地へ小走りで向かい――


『お嬢! ありゃあ精霊じゃッ!』

「……ぇ?」


 ――瞬間、視界が真っ暗になった。


「きゃ――んぅッ!?」


 半ば反射で叫ぼうとした口をすかさず何かで塞がれ、良すぎる手際で両手をロープか何かで拘束される。事態を飲み込めず混乱するコトネは、あっという間に無力化され誰かに担がれた。


「へ、へへ。高ランクがガ、油断してちゃ駄目だぜゼゼ。嬢ちゃん」

「早く行きますよ。他の人に気付かれますから」

「あ、あいよ」


 2人分の男の声が聞こえて、コトネは担がれたまま移動していくのを感じる。どれだけ暴れようと身じろぎすら許されなかった。


 当然と言えば当然だろう。――精霊の力が無いコトネは、ただの非力な少女なのだから。


『お嬢、なんとか魔封帯チョーカーを外せんか!?』

(む、無理だよぉ)


 目や口、行動すら塞がれてコトネはもう為す術がない。突然に降って湧いた絶望に、涙が溢れてくる。


(ど、どうしようどうしようどうしよう!)

『落ち着けお嬢! ……そうじゃ、魔素を思いっきり手繰り寄せられんか!? 気づいてくれるやも知れん!』


 【魔力視センス】は元々持っている精霊の魔力感知能力を、ある種の領域まで到達したものだ。そこまで離れていない今ならば、エリーやクルミの精霊の感知能力で異常を察知してくれるかもしれない。


「んぅ……んんッ!」


 意識を集中させて、”外”にある魔素を強く感じ取る。そして扱いきれる限界の量を手繰り寄せると、魔力として周囲へ一気に放出した。


「ッチ、やってくれましたね!」

「んぅッ!?」


 どうやら同じ魔術師ウィザードらしい男がコトネの行動に気づいたらしい。強く鳩尾殴られて、コトネは一気に意識が遠くなっていくのを感じる。


(せん、ぱい……)

『グッ……お嬢、お嬢!』


 叫ぶクウコの声を聞きながら、コトネは意識を失った。



                  ◇



「本当にすまない、ユウト!」

「もう謝らなくて良いよ。逆によく気づいたね」


 深く頭を下げるエリーにユウトは励ましを込めて肩を叩くと、エリーはチームメイトであるクルミへ顔を向けた。


「クルミのお陰なんだ。彼女がコトネの魔力を感知してくれて」

「なるほど……。クルミさん。失礼を承知で聞かせてもらうけど、キミの精霊は感知型なのかな?」

「あ、は、はい!」


 ユウトの問いに、ポニーテールの少女――クルミが慌てたように何度も頷く。


 魔術師ウィザードの大半が戦いに秀でた力を持つが、契約した精霊によっては例外も稀に存在していた。例えば他者に支援効果などを与えたり、傷を癒やすタイプもいる。クルミはその中でも探知に特化したタイプなのだろう。


「じゃあ今もコトネは追えているかい?」

「はい。えっと……」


 ネックレスに付いている、エメラルド色の魔石を両手で包んだクルミは、意識を集中するためか顔を伏せた。少しの後、位置を特定できたのかゆっくりと目を開ける。


「モールから凄い速度で南下しています。多分、車で移動してるんじゃないかと」

「ここから南ってーと港だな」


 リョウヤの言うように、今ユウトたちが居るのは日本でも太平洋側に位置する場所だ。車で暫く走れば、恐らく港や倉庫街が見えてくるはず。ここまで分かれば、攫った犯人もどういう類なのか把握できる。


「相手は魔術師攫いだね。恐らくコトネさんを海外に売るつもりなんだろう」

「魔術師攫いって何すか……?」


 聞き慣れない単語に首を傾げるタイガへ、どう動くべきか思案しているユウトの代わりにエリーが説明した。


「名の通り、魔術師ウィザードを攫う魔術師ウィザードのことだよ。魔術師ウィザードは……特にランクの高い者は各国にとって貴重な血だからね。攫ってでも欲しがる国は幾らでもあるのさ」

「攫うって……攫って何するのさ? まさか<魔術戦争マギ>に出場させるってわけでも無いだろ?」


 タイガから問われたエリーは、あからさまに顔をしかめて口を閉ざす。それを見かねてか、ユウトはある程度纏まった考えを片隅に置いておいて答えた。


「子供を作らせるんだよ。魔術師ウィザードの才能は遺伝されるっていうのが、今の通説だからね」

「――――ッ!?」


 ユウトの説明を聞いて、この場にいる全員が言葉を失う。だがその中でも復帰が早かったリョウヤは、苦虫を噛み潰したような表情で疑問を投げた。


「でもそういうのが起きるならヨーロッパ諸国のほうだろ? なんでわざわざ日本で……」


 魔術師ウィザードというだけで国にとってはコレ以上無い金になるが、弱い魔術師ウィザードを攫ってもリスクのほうが大きい。それらの理由もあって、基本的に魔術師攫いが蔓延るのは世界の強豪国だ。目覚ましい成長を遂げてはいるものの、未だ日本が彼らの標的になるとは考えにくい。


 しかしこの問いに対してユウトは明確な答えを持っていた。


「十中八九、コトネさんが”転入生”だからだろうな」

「……ッチ。やっぱそういうことかよ」


 思わずと言った風にリョウヤが舌打ちを打つ。


 本来、魔術師攫いというのは非常にハイリスク・ハイリターンである。現代において高ランクの魔術師ウィザードは、総じて幼い頃から<魔術演習メイガス>を通して魔術の扱いや戦い方を学んでいるのだ。そんな彼らを殺さず、生かして攫うとなれば難易度は跳ね上がるだろう。


 一転、”転入生”ならば話は別だ。強い魔術師ウィザードとなる素質を持っていながら、戦い慣れておらず魔術の扱い方も不自由。魔術師攫いからすれば、これほど御しやすい仕事もない。


(問題はどうして今日、コトネさんが外に出ることを知っていたのか。……いや、これは今考えることじゃない)


 状況の整理も大事だが、これ以上チンタラする訳にもいかないだろう。港から海へ出られたら手の施しようがない。


「エリー、キミたちは急いで学園に連絡をとってくれ。連絡が取れたらすぐに学園へ戻るんだ」

「ユウトたちはどうするつもりだい?」


 そう言いつつ目を細めたエリーは、恐らくユウトたちが何をするのか。恐らく予測していて、その上で問いかけてきた。だから、ユウトは刹那も迷わずに即答する。


「俺とリョウヤは、コトネを助けに行く」

「えっ!?」


 ユウトの言葉に驚いたのはタイガとクルミだ。エリーはやっぱりと言わんばかりに睨みつけて、低い声音で忠告する。


「敢えて言うけど、危険だよ」


 今までの余裕すら感じる表情を打ち消した様子のエリーに、ユウトは1つため息をついて、後ろでオロオロしているタイガへと目を向けた。


「……タイガくん、悪いけど早く学園へ連絡をしてくれ」

「え、あっ、う、うっす!」


 慌ててスマホを操作して電話を掛け始めるタイガから、次にクルミへと視点を合わせる。


「クルミさんはコトネさんの位置を探知し続けて。連絡先を渡すから、通話して逐一俺に教えてほしい」

「は、はい!」


 強く意気込んだ様子のクルミに軽く頷くと、ユウトはずっと突き刺さるエリーの視線を真正面から受け止めた。


「時間がない。結論を言ってくれ」


 刺々しくなり始めた言葉から、ユウトも焦っているのだろう。エリーも例外ではなく、乾いた喉を潤すために唾を飲み込んだ。


「……せめてボクも一緒にいかせてくれないか」


 彼女にとって、コレ以上無いほどに真剣な頼み。それに対して、ユウトは大きく息を吐くと、グッと髪を掻き上げて――


「――お前、人に殺意を向けたことは?」

「ぇ?」


 率直な疑問を投げかけた。


 予想外な問いかけに、思わず困惑を隠しきれずにエリーは口を開閉させる。固まってしまったその姿こそ、問いかけに対する何よりの答えだった。


「これから行くのは<魔術戦争ごっこ遊び>じゃない。――本当の殺し合いだ」

「――――ッ」

「知らないなら来るな。邪魔だ」


 ゾクリと、エリーの体に悪寒が奔る。ユウトが髪を掻き上げた姿はすでに目の前で1度見ているし、幼い頃にはその状態で会話もしていた。


 だが、違う。いま、目の前に居るのは彼女の記憶にあるどの彼よりも――


「行くぞ、リョウヤ」

「おっけー。んじゃエリーちゃん、後は任せたぜ」


 魔石に巻かれた魔封帯を取り外して、ユウトとリョウヤは掛けていた封印を解く。精霊の力を受け取り、跳ね上がった身体能力を用いて2人はあっという間に小さな影へと消えていった。


 そんな中で、エリーは自らの手を見つめる。


「……ぐッ」


 震えていた。中等部に参加した世界大会、その決勝戦でもここまで震えたことはない。今までの人生で体験したことのない死の恐怖を、エリーは感じている。


(これが、ユウトの”殺意”)


 現代、魔術師ウィザードは軍事力から遠い存在となり、今やその要は戦闘機や戦車という軍事兵器だ。ただ集金力として圧倒的な価値がある彼らは、各国が全力を賭して育成へと励み健全に育まれている。


 だがそれは、あくまでの話だ。結局、裏では強力な魔術師ウィザードは”核兵器”と呼ばれ、外交の取引に使われ、結果として魔術師攫いが行われている。


 エリーはその現実を、今この身を持って感じた。そして、同時に知る。


(ユウト、リョウヤ。君たちは一体――)


 穏やかに笑い、ときに苛烈な性格を見せながらも”最強”を直向きに目指すユウト。ヘラヘラと軟派な笑みを浮かべつつも、人を気遣い優しいリョウヤ。


(――どんな過去を歩んできたんだい)


 そんな彼らは世界で最も治安の良い日本という国の中で――殺意を知っているのだと。

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