3話-3『参加試験』

 コトネの特訓をリョウヤに任せて、ユウトはひとり別の自修室へと来ていた。


「…………」


 考えなければならないことはひとつだ。どうやって試験を合格するのか。檜山の猛攻を3分間も耐え切るという、普通の魔術師ウィザードでさえ難しいだろう試験を。


「マスター」


 思案顔で立ち尽くすユウトの前へ、不意にアリナが姿を現す。


「……どうしたんだい?」


 頭の中で張り巡らせていた考えを隅へ置き、ユウトは自らの精霊へと視線を向けた。


「どうしたんだい、ではありません。そのように思い詰めた表情をされては、声を掛けるしかないでしょう」

「あはは、そこまで顔に出てたんだ」


 表情を隠せていないことを指摘され、ユウトは取り繕うように乾いた笑みを浮かべる。しかしアリナの口元は緩むことなく、視線を向けたままユウトへ問いかけた。


「私が無能であること、それが思い悩む原因。……違いますか?」

「あぁ、そうだよ」


 その問いに、ユウトは即答する。


 参加するために必要なこの試験は、ある程度の精霊と契約できていれば、ユウトにとってそこまで難しくないものだった。真っ向から試験に赴けば学内でも合格できるのは限られるが、逆に言うなら、工夫を凝らせば試合経験のないコトネでも合格できるだろう。……だが、ユウトの契約した精霊は”Fランク”だ。


 だからこそ、本来ならば傷付かないように言い方を考えるべき言葉を、ユウトは率直に言い放つ。ユウトとアリナは、お互いを気遣うような柔らかい関係性ではない。互いが互いを嫌いなのだと、言い合った仲なのだから。


 故にアリナも遠慮はしない。


「ならば、ひとりで抱え込まずにその”無能”でも頼ったらどうですか? このボッチマスター」

「……はは。言い返す言葉もないね」


 話せば思考がまとまる、とはよく聞く話だ。少なくとも1人でああだこうだと考えていても仕方がない。大きな息をついて、ユウトは改めて状況を捉え直す。


「まず俺たちに何ができるか、だけど。人間の域を超えない身体能力に、片手剣。あと使える魔術は使い物にならない基礎魔術に、1日3回が限度の【局撃ストライク】のみ」


 一般的な魔術師ウィザードは戦略や戦い方をもとに自分なりの魔術を構築するが、アリナの能力ではそれすら不可能だ。


 魔術、というのは言ってしまえば精霊が発現した魔法にステ振りをするようなもの。


 例えば、火を操る平均的な精霊が発現する魔法の合計ステータスを100とする。発現した魔法をそのまま放てば【ストライク】となり、目の前で爆発が起きるだろう。それらに変化をつけるため、魔術師ウィザードが速度や数量に振り分けていくのだ。


 対して、アリナは合計ステータスそのものが低い。先程の例と比較するならば、こちらは5。そもそも振り分けるほどのパラメータが存在しないのだ。


「檜山先輩が試練で使ってくる魔術は、恐らく先ほど見せてくれた大量の火球。数はおよそ30。ネズミ1匹抜け出せない弾幕に晒されるだろうね」

「それだけ聞くと、どうしようもない気がしますが」


 実際のところは一撃がそこまで高くないため、普通の魔術師ウィザードなら策を用いれば多少はやりようがある。前衛の魔術師ウィザードなら1,2発受けることを覚悟して凌げば良いし、後衛の魔術師ウィザードなら最低限の火球を撃ち落として、作り上げた隙間に潜り抜ければ良い。


 その2つの作戦を、ユウトでは実践できない。1発を受けるどころか掠っただけでも終わりなのに、撃ち落とせる魔術も持たないからだ。


「正直に言うと、俺の力だけで1度なら凌げると思う」

「……本当なんですか?」


 驚愕を問いかけまでの空白でアリナは表す。ゴーグルで隠された瞳がこちらに向く気配を感じて、ユウトは「あぁ」と軽く頷いた。


 ”最強”になりたい。その願いを叶えるためには、どう足掻いてもチーム戦をこなしていく必要がある。だからこそ、元々ユウトは自らの技術だけで1対多を凌ぐ技を身につけてはいたのだ。


「けど問題は1度防ぐ、ではなくて3分間耐えること。檜山先輩なら、その間に恐らく5回は放ってくる」

「5回も……」


 ユウトのみの力で1度。【局撃ストライク】を用いても3度。――あと1手足りない。


(私が、私でなければ簡単だったのでしょうね)


 何度目かも分からない悔しさがアリナを襲う。


 実質、この檜山の怒涛の攻撃に対して対処法があるのはユウトだけだ。ほんの微々たる身体強化と、蚊が指したような火力の魔法しか発現できないアリナは、この試験において何も出来ていない。


(……いえ、今までも)


 ”白亜の騎士”を倒せたのも、試験に対してあと1手まで及んでいるのも、アリナの存在は欠片も介入していない。


 彼の精霊は、アリナで無くても良かったのだ。


「だからこそ、最後のひと押しをどうしようかって考えているんだ」


 ユウトが告げた結論に、アリナは目を伏せて熟考する。だが――。


「……っ」


 何も思い浮かばない。浮かぶわけもない。


 当然だ。なにせアリナは目覚めてまだ1ヶ月も経っていない。提言するための知識が、経験が、アリナには圧倒的に足りなかった。


「ま、ずっと悩んでいるだけじゃ駄目だろうし、まずは色々と試してみるよ」


 それを理解しているが故に、ユウトは押し黙るアリナへ何も言わない。アリナの弱さは契約当初から決まっていたものだが、足りない知識や経験は封印していた自身が悪いのだと、ユウトは誰よりも分かっていた。


 だからこそ。


「……マスター。別行動しても良いですか?」

「え?」


 アリナの言葉に、ユウトは心の底から驚いた。


「私は戦闘では役に立てません。出来る事と言えば、激痛に耐えることだけ」

「…………」


 激痛に耐えてくれているじゃないか。そう励まそうとした言葉を、ユウトは喉奥に押し込んだ。


 きっと、そんな事を言うべきじゃない。なにせ誰よりも機械的な見た目を持つ、このアリナという精霊は――


「知りたいのです。貴方に相応しくない私が、一体何を出来るのかを」


 ――誰よりも、機械的無能である自身を嫌っているのだから。


 ならばこそ、その決意に水を差すような無粋な真似はしない。


「わかった。それじゃあ、暫く放課後は別行動にしよう」

「ありがとうございます」


 それでは、と言い残してアリナは自修室を後にした。閉まった扉から目を離して、ユウトはため息をひとつ吐く。


「……模造武装、用意しよ」



                  ◇



 それから2時間ほど。アリナはひとり、机の板を拡張して現れたモニターの前で文章と格闘していた。


「…………」


 凄まじい集中力で、下から上へとスクロールしていく文字列を眺める彼女の肩を、不意に背後から誰かが叩く。


「何を見ているのかな?」

「えっ……?」


 アリナが驚きとともに振り返れば、視界に映ったのはポニーテールの女子生徒。何処かで会ったような気がして記憶を探るが、イマイチ引っかからない。


 珊瑚色の髪が特徴的で、切れ長の瞳や身長が高めのせいか、周りよりも幾分か大人びた雰囲気がある。制服の上からでも無駄なく鍛えられた体が見え、ひと目で実力を持った魔術師ウィザードであろうことが伺えた。


「貴女は……」

「あぁ、こうして顔を合わすのは初めてだよね」


 余裕ある笑みを浮かべた女子は、自らの胸に手を当てる。


「はじめまして。私は利辺カガベアカネだよ。気軽にアカネと呼んでね」

「……! この学園の、生徒会長の」


 意外なところで意外な人と出会い、アリナは驚きを隠せない。驚かれた本人であるアカネは、アリナに対する好奇の瞳を隠そうともせず微笑んだ。


「よろしく、アリナくん」

「……どうして、私の名前を?」


 初対面の相手に名前を知られていたことに、アリナは若干ながら警戒を顕にする。しかし、それも次のアカネの言葉で霧散した。


「当然じゃないか。”白亜の騎士”に勝利した魔術師ウィザード。その彼と契約した”Fランク”の精霊。この学園の生徒ならみんな知っているよ」

「…………」


 どうやら、アリナが思っていた以上に先の件は有名になっているらしい。それこそ初対面の相手から名前を覚えられているほどに。


「それで、アリナくん。キミは一体ここで何をしていたのかな?」

「……教本を読んでいました」

「教本?」


 意外そうに目を丸くするアカネに、アリナは頷く。


「ここは図書館です。何かおかしな所でも?」

「いや、別におかしくはないけどね。ただ、精霊がわざわざ本を……しかも教本を読みに来るなんて珍しいと思って」


 そういえば、とアカネは苦笑した。


「ここが図書館、というのが精霊にも分かるんだね」


 彼女の言葉に釣られるようにアリナは周りを見渡してみる。


 レンガで建造された壁に、埃ひとつない清潔な空間。しかしここはあまりにも図書館というには小さすぎた。


 所狭しと置かれているはずの本や棚は殆ど無く、逆に配置されているのは机と椅子ばかり。ここを利用している他の学生は、全て机に格納されていたモニタを映して文章を読んでいる。


「流石は国でも4校しかない魔術学園だよね。ここまで最先端のIT機器を取り入れてるなんて。私も最初は驚いたものさ」

「貴女の知る図書館は違ったのですか?」

「もちろん。電子機器で本を読むことも多くなったけど、今でも図書館といえば大量の紙の本だよ」


 昔を懐かしむように目を細めたアカネだったが、次の瞬間には郷愁の表情を打ち消すと再びアリナへと視線を向けた。


「それで、具体的に何を読んでいたのか教えてもらっても?」

「……これです」


 人半分ほどのスペースを空けたアリナは、アカネへ先ほどまで見ていたモニタを見せる。


「……へぇ。『精霊の基礎学』か」

「はい」


 軽く文章に目を通したアカネは、アリナに対して笑みを浮かべた。


「面白いものを読んでるね」


 読んでいたものを面白いと言われたことに疑念を感じつつ、アリナは言葉を返す。


「……これは一般向けな教本のはずですが」


 返された言葉に若干の棘があると感じ、アカネは慌てて「あぁ、ごめんね」と眉を八の字に変えた。


「面白いと思ったのはそういう意味じゃないんだ。ただその、うーん……。そう! 面白いと思ったのさ」

「……?」


 結局面白いという結論へ至ったらしいが、アリナは言葉の意味が全く理解できず首を傾げる。アカネはそれを見て僅かに目を細めると、目の前の機械人形に対して強い興味を込めて口を開いた。


「精霊のキミが、精霊自分のことを知ろうだなんて。――まるで人間みたいだ」

「……!」


 思わず、言葉を失う。


「本来、精霊は何かを知ろうとしない。知る必要がない。だって、精霊はだからね」


 この世界に契約という形で顕現する精霊は、その瞬間から存在を固定化されている。故に、どれほど筋トレしようとも身体能力が向上するわけでもないし、どれほど練習を重ねても発現する魔法が強くなることはない。


 努力をするのは人間の特権であり、人間の欠点だ。


「でもキミは今、努力をしている。自分に何が出来るのかを知るために。知識という形で、ね」

「……それは」


 精霊と人間の関係は少し歪である。なにせこの世界に留まるための供給源は人間でありながら、力は精霊のほうが上だ。魔術師ウィザードが超常的な力を行使できるのも、結局は精霊が有りきの話。


 人間が努力するのは、少しでも精霊を使いこなす為だ。契約した精霊はその人の素質そのもので、契約当初から十全に使いこなせる魔術師ウィザードなど普通は存在しない。


 その普通に当て嵌まらないのが自分たちだと、アリナは理解していた。


「私は、ユウトの足を引っ張っていますから」

「だからこそ、面白いと思ったんだよ」


 アカネはそう言いながらアリナの姿をじっくりと見つめて、最後にゴーグルで隠れた瞳を射貫く。


「アリナくん。キミは彼の……ユウトくんの何に成りたい?」

「何に、とは?」


 何に成りたい、とは曖昧な言葉だ。すでにアリナはユウトと契約した精霊であるし、それ以上でもそれ以下でもない。あと何かを言えるとすれば、それはアリナが圧倒的に無能であることのみ。


「なら言葉を変えようか」


 質問の意図がわからず困惑した様子のアリナに、アカネは再び問いかけた。


「――キミはいま彼の何処に立ってる? 彼の何処に立ちたい?」

「何処、に……」


 言葉を変えて放たれた問いは、今度こそ意図をアリナへ伝わる。そしてその問いは、鋭い刃となって彼女の心臓を貫いた。


だ。後ろに決まっている)


 そう、遥か後ろだ。自分に何かを為す力はなく、何かを出来る知識もなく、何かを変える経験もない。


 遥かな後ろに立ちながら、千切れない鎖で彼の歩みを邪魔する。自分はそういう立ち位置に居た。


(なら、私が立ちたいと願う場所。それは――)


 言葉は、無意識に零れ落ちて、


「――隣です」


 ストンと合点がいく。


 あぁ、そうだ。隣だ。彼の隣に立ち、彼の歩む道をともに歩きたい。不思議と、そう思えた。


(本当に、この精霊は面白い)


 確信を持って自身の願いを口にしたアリナを見て、心の中でアカネは呟く。


 人間の背中を追う精霊。それは精霊と人間の関係にしては、あまりに不自然で――この2人が目指した先に一体何が待っているのかを知りたくなった。


「……よし。それじゃあ、付いてきて」

「え?」


 アリナの言葉を聞いて、アカネは期待を込めた笑みを浮かべる。そのまま、図書館の出口へと歩を進み始めた。


「教えてあげよう。私が知る限りの、人間私たち精霊キミたちの関係を、ね」

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