1話-5『”爆死”と”Fランク”』

『会場にお集まりの皆様、大変長らくお待たせいたしました! これより、”爆死”黒井悠隼VS”白亜の騎士”エリー・レンホルムの<魔術戦争マギ>を開催いたします!』


 ユウトが自らの精霊の封印を解いた次の日。<光来スタジアム>と名付けられた施設で、若い女子生徒の声がマイクを通して大ボリュームで流れる。


『実況はわたくし、2年の小宮コミヤスズが。そして解説には、ななな、なんとー! この学園の長、佐々木学園長がいらっしゃっております!』


 私闘で試合用のスタジアムを利用し、実況や解説がいて、更に学園長が出張ってくるなど本来ありえない事態だった。しかし、今回に限っては特例中の特例である。なにせ、


『よう、お疲れさん。学園長の佐々木だ。まずは、今回いきなりこんな催しをしちまって悪いな。入学したばっかの新入生は特によ』


 この<魔術戦争マギ>は学園長本人が仕組んだことだからだ。”爆死”と”白亜の騎士”という真逆の意味で有名な2人の対決を活かし、学園の宣伝に使ってしまおうという魂胆である。とはいえ、他にもちゃんとした目的があった。


『ま、わざわざ見に来た甲斐はぜってぇある。なにせお前たちがこれから目にする試合は恐らく、この魔術師ウィザードの界隈にとってでっけぇ転換期になるだろうからな』

『それは、あの”爆死”と噂されるユウト選手が関係しているのでしょうか!?』


 学園の生徒はもちろんのこと、入学式に参加した親族たちまでもがドームに集い観客席が埋める中で、空中に映し出される佐々木は「あぁ」と頷く。


『当然、”白亜の騎士”と呼ばれるエリー・レンホルムの試合を生で見られるのはスゲェことだ。なにせ、あの嬢ちゃんは”魔術先進国”揃いのヨーロッパ出身で、去年中等部の<魔術戦争メイガス>世界大会で準優勝したチームの一員だったからな。

 まさに言葉通り、世界クラスの選手だ。そいつの戦いを生で見られるってのは、今後に活かせるこれ以上ない機会だろうよ』

『確かに映像で見るのと生で見るのとでは、見え方が変わってきますからね!』


 身体能力が人を超える魔術師ウィザード同士の戦いは、基本的に人の目で追えない。当然、科学の力によって一般人でも見えるようにスローで映してはいるものの、カメラを通す時点で細かな動きを確認できなくなってしまう。対して実際に見る場合なら、同じ魔術師ウィザードならば自身の強化された動体視力で鮮明に動きを確認することができるのだ。


『ま、とは言えここいらの観客の興味は対決する方のユウトの坊主だろ』

『えぇ、そうですね。エリー選手の試合は映像記録で幾つも残っていますが、ユウト選手に関してはひとつも残っておりません。一体どのような精霊と契約しているのか、どのように戦うのか、気にならない人はいないでしょう!』


 なにせ精霊と契約してから今日に至るまで、ユウトはただの一度として公の場で戦闘をしていない。授業で必須のはずの実技の中でさえも、彼の精霊や武装形態アームズを見た者はいなかった。


『特に不思議なのが、入学してからの<魔術戦争マギ>の映像記録が1つもないのは良いとしても、<魔術演習メイガス>の記録すら残っていないことですね』

『ま、当然だ。黒井クロイ悠隼ユウトはあらゆる大会に出たことすら無いからな』


 小宮は佐々木の言葉に一瞬だけ引っ掛かるものを覚えながらも、実況の務めをこなすために言葉を続ける。


『私が知っている限りでは、ユウト選手の別名は”爆死”。なんでも前代未聞レベルにランクの低い精霊と契約したから付いた別名らしいですね』

『精霊との契約の儀式を”人生ガチャ”と呼ぶ流れから付いた呼び名ってわけだ。とはいえ――』


 一度、佐々木はここで言葉を切り、愉しげに頬を歪めた。


『――普通なら、爆死した時点で魔術師ウィザードの道を諦める。文字通り魔術師ウィザードとしての将来が訳だからな』

『ですが黒井選手は諦めなかった。つまり、諦められなかった理由がある、ということでしょうか!?』


 悠々と頷く佐々木に、小宮がキラキラと目を輝かせて――「はっ!」と何かに気付くと申し訳無さげにあたりを見渡す。


『あの、ここまで話をしていて気付いたんですが、この話ってユウト選手に許可は……?』

『ん? あぁ問題ねぇ。昨日、聞いたら即OK貰ったんでな』


 ホッと安堵の息をついた実況の姿を尻目に、佐々木はひとつ喉を震わせて再び話し始めた。


『っとその前に。小宮の嬢ちゃん、ひとつ別の話をしようか。嬢ちゃんは”神童”って呼ばれた奴らを知ってるかい?』

『あ、はい。知ってます! 少し前で世界を騒がしたおふたりですよね。未だ精霊を契約していない時期で、<魔術演習メイガス>にて破格の強さを持っていたとか。確か……今世界1位の座に立つ”最強”アーサー選手がそのうちの1人で、もう1人は……天宮寺テングウジ家のご子息だったはずです』


 小宮はそう語りながら、良く放送されていた”神童”の姿を思い返す。


『アーサー選手は本当に人気でしたね。強いし、イケメンだし、性格も良くて。あの頃からファンクラブがあったって話ですし』


 黄金の髪と透き通った青い瞳を持つイギリス人の少年で、俳優さえ唸らせるほどの美しさと、卓越した魔術の扱いが印象に強く残っている。


天宮寺テングウジのご子息は……なんというか、強烈でしたね』


 もうひとりの”神童”は、最近では少し珍しい黒髪黒目で、子供とは思えない切り詰めた鋭い顔つきの少年だった。割と顔は整っていたが、様々な理由からアーサーと対象的に好印象を持たれることが少なかったはずだ。


 ただ、剣を片手に戦う姿はまるで一種の舞のようで。<魔術演習メイガス>でも魔術は殆ど使わず、純粋な剣術のみで相手に圧勝する姿は魔術師ウィザードというより――そう、剣士という言葉が似合っていた。


『確かに凄い実力の持ち主だったんですけど、すっごく高圧的な態度で、自分を良く”天才”、周りを”凡人”って呼称していたのが印象的です』

『確かにあいつに関しちゃ周りの評価は凄かったな』


 遠くを見つめる佐々木は「だが」と言葉を続ける。


『その”神童”のひとりは――天宮寺の息子は、ある日を堺に姿を消した』

『当時は凄く騒がれましたよね。一体何があったのかって』


 彼が最後に姿を見せたのは中学3年、中等部最後の<魔術演習メイガス>の全国大会。そこで華々しい優勝をした後、姿を眩ませている。


 情報はそこから一切として流れず、「不慮の事故にあって植物人間状態」や「契約した精霊が望んだものではなかった」等々の噂が今でも流れていた。そこまで考えた小宮は不意にある考えへと思い至り、慌てたように佐々木へと視線を送る。


『あ、あの! この話の流れ的に、もしかして……!?』


 ニヤリ。佐々木は頬を釣り上げた。


『楽しみにしておきなよ。もしかすると、これから――』



『――伝説の再来に立ち会えるかもしれんぜ?』



                  ◇



「煽り過ぎだよ……」


 控室で実況と解説の声を聞いていたユウトは、スピーカーがある天井へ向けてため息をつく。横に佇んでいた彼の精霊――アリナが、ゴーグル越しに彼へと視線を向けた。


「随分とはっちゃけていらっしゃったようですね」

「あはは、黒歴史ってやつさ」


 恥ずかしそうに笑うユウトを見ながら、アリナはさきほど聞いた小宮の言葉を思い返してみる。


(すっごく高圧的な態度で、自分を良く”天才”、周りを”凡人”って呼称していたのが印象的……ですか)


 信じられない、というのが素直な感想だ。契約してからすぐに封印されたアリナにとって、今のユウトの姿が全てである。別人だと考えてしまうのも無理なかった。


『さぁ、いよいよ開始時刻が迫ってまいりました! 両選手の入場がそろそろ始まります!』

「……さて」


 座っていたベンチから立ち上がり、大きく伸びをしてから深呼吸を行う。一連の行動で体を縛りつける緊張を解して、ユウトは笑った。


「行こうか、アリナ」

「――――。はい、マスター」


 彼の浮かべた笑みを見て、一瞬だけアリナは言葉を失う。そして前を歩き始めた自らの契約主の背中を見ながら、思った。


(確かに黒歴史、ですね)


 勝負を前にした彼は、その頬を勝利への渇望に頬を歪め、その瞳は戦意で爛々と輝いていたから。



                  ◇



『さぁこれより選手入場となります! まずは東ゲートから、”白亜の騎士”エリー・レンホルム選手の登場――ッ!』


 わああああ、という歓声と共にエリーが姿を表す。堂々と歩く彼女の後ろには、白亜の女性が追従していた。


『おぉっと! エリー選手に追従するのは彼女が契約した精霊、レギンレイヴでしょうか!?』


 ハーフアップヘアの紫紺の髪と、同じ色の瞳を持つ絶世の美女。体のラインが浮き出るような純白の薄いドレスを身にまとい、両耳の上から白鳥の羽が飛び出ている。


『へぇ、レギンレイヴを表に出すとは珍しいな。嬢ちゃんなりの気概ってことか』


 空中に映し出される映像が、余裕すら感じる雰囲気で会場の中心へと向かっていくエリーの姿から切り替わり、彼女の顔写真とグラフが表示された。


『それでは、エリー・レンホルム選手の精霊評価ステータスを表示いたします!』


 空白だったグラフが中心から色づいていく。完成されたグラフは、このような結果を示していた。


[力:A 防:A 速:A 魔:A]


『こ、これは――!? さ、流石は”Sランク”精霊の契約者! 全項目A評価ですッ! 学生限定での評価とはいえ、あまりに破格だーッ‼』

『評価すべきは、その総合力の高さだな。基本的に魔術師ウィザードは得意分野を伸ばすが、嬢ちゃんは全てにおいて優秀だ』


 解説である佐々木の言葉に、会場がざわめく。


 魔術師ウィザードの身体能力は精霊の力によって数倍、数十倍に強化される。その倍率は基本的に精霊のランクによって左右されるが、強化は常に掛け算方式だ。どれほど強化倍率が高かろうと、もとの身体能力が低ければ強化される恩恵も低くなる。


 つまり、映し出された評価ステータスが示していたのは、


『嬢ちゃんは精霊の強さにかまけた無能じゃないってことだぁな』


 弛まず己を鍛え続けてきた、彼女のストイックさ。


『なるほど。世界クラスの実力は精霊のみではない、ということですね!』


 佐々木の解説を纏めた小宮は、軽く頷くと右手を大きく西へと向けた。


『さぁ、これに対するは”爆死”と噂される黒井悠隼選手! 入場です!』


 あれほど響いていた歓声が途端に消え失せ、観客たちは西ゲートを見つめる。歓迎していない訳では無い。ただ、現れる少年へと視線を向けていたかっただけ。


 コツコツ、という足音がスタジアム中に響いて、ユウトと――彼の精霊が姿を現した。


「――――」


 この場の誰もが、息を呑む。ユウトに追従する精霊はまるで機械人形。その無機質すぎる見た目だけで、契約した精霊のランクの低さを何よりも物語っていたから。


「あ、見てみて! ユウっちだよー!」

「わかってるわかってる」


 周りの視線を気にすることなく、歩き続けるユウトを見ながらリョウヤは小さく息を吐く。


(――1年ぶりだな)

『――1年ぶりだな』


 奇しくもそれは、佐々木も同じことを呟いていて。


『え?』

『精霊だよ。1年ぶりにあの坊主の精霊を見たって話さ』


 佐々木の声を聞いて、小宮は少し戸惑った。声から感じ取れる感情はあまりに複雑で、懐かしさ、喜び――何よりも期待。


(”Sランク”精霊の契約者である学園長が、”爆死”に期待しているんだ)


 一体、この試合は何が起こるのか。湧き上がる知への要求を抑えつつ、小宮は気を取り直すように喉を軽く鳴らしてから声を張り上げる。


『さぁ、それではユウト選手の学内評価ステータスになります!』


 画面が切り替わり、ユウトの顔写真とグラフが表示された。無色のそれは、先程と同じように中心から色づき始めて……すぐに止まる。


『……と、これ、は。噂以上、ですね』


 戸惑ったように小宮が声を震わせた。観客の誰もが、言葉を失って画面を見つめている。


[力:E 防:E 速:E 魔:E]


 それは、あまりに弱すぎた。先に見たのが”白亜の騎士”の凄まじいステータスというのもあるだろうが、それにしても酷い。あらゆる評価全てが、最低ラインであるE評価だと表示されていた。


「これ、勝負になるのか……?」


 観客の誰かが言葉を溢す。だがこう思ってしまうのも無理はない。あまりに、あまりに両者のステータスには差が開いていた。


 憐憫、疑惑、軽侮の視線をその身に受けながら、それでもユウトは堂々と会場の中心へと歩いていく。


「……来たんだね、ユウト」

「あぁ、お待たせ」


 そして、2人は邂逅した。


「この日をずっと待っていたんだ。キミがボクに勇気をくれた、あの日から」

「期待に答えられるよう、尽力するよ」


 互いに朗らかな笑みを浮かべた2人は、そこで会話を終える。これ以上の会話はいらない。後はただ……試合にて語らうのみ。


『それでは両者――構え!』


 エリーは後ろに控える美女――レギンレイヴへと視線を向け、左手を天高く伸ばす。


「行くよ、レギンレイヴ。武装形態、開始オープン・アームズ

「えぇ。貴方の憧れに別れの挨拶と行きましょう、エリー」


 視界を塗りつぶすほどの光の奔流が、”白亜の騎士”の精霊から発せられた。天上高く駆け昇った巨大な光は、天の雷として掲げた左手に衝突する。まばゆい光が収まれば、雷鳴嘶く騎士盾を持ったエリーがそこにいた。


 ”白亜の騎士”の名にふさわしい、穢れを知らぬ純白の大盾。右手を騎士盾の上部に飛び出ている突起を掴んで上へと引き抜けば、清らかな金属の音が鳴り響き、聖純な剣が姿を現した。


「う、美しい……」


 会場の誰かがそう呟く。まる一種の芸術品のような美しさに、誰もが息を呑み見惚れた。


 ――彼女に相対する、アリナでさえ。


(これが、”Sランク”の武装形態アームズ


 自らの姿とは比較にならない。比較する気さえ起きない。明確な存在の差に圧倒される。


「アリナ」

「……」


 短く言葉を吐き、ユウトは右手を伸ばしてくる。だがアリナはその言葉に答えられず、目の前に広げられた掌をただ見つめた。


「……怖い?」


 蔑みや哀れみはない。純粋な問いが、無機質な彼女へと向けられる。


(私は今、恐れている?)


 言われて気づく。今感じているこの感情の名は、恐怖。


 一体何に?


(決まっている、今から相対する敵に)


 ”Sランク”という圧倒的な力を持つ彼女に、一体何故”Fランク”の自分が勝てるのだと思ったのか。戦いにすらならない。待っているのは何もできず、一方的に倒される未来のみ。


「……ッ」


 ギュッと胸の前で握りしめた両手を、ユウトの右手が包み込んだ。


「じゃあ、俺と同じだね」

「ぇ……?」


 なにかの聞き違いかと思って、アリナは視線を掌から顔へと上げる。彼女の契約者は、優しく微笑んでいて――触れる掌が、微かに震えていた。


(この人、は)


 あれほど意気揚々としていたのに。戦意に満ちた瞳をしていたのに。


 そんな彼でさえ、恐れは感じてしまうものなのか。


「私は、できるでしょうか」

「できるさ」


 一言。彼は手を離し、改めて掌を差し伸べる。


「アリナ。世界に見せつけてやろう。”爆死”と”Fランク”の、俺たちの始まりを」

「はい」


 迷いは、失せた。


「――武装形態、開始オープン・アームズ


 差し伸べられた掌に右手を乗せた瞬間、アリナの体はその姿を変化していく。


 時間にして僅か一瞬だった。先程のエリーの美しく綺羅びやかなものとは違い、ただ瞬きのように光るだけの質素な形態変化。刹那の光が収まれば、ユウトの右手に武装が握られていた。


 顕になったその姿を見て、エリーは感嘆を込めて呟く。


「あれがユウトの、”爆死”と言われた彼の……武装形態アームズ


 それは、あまりに”綺麗”だった。


 何の変哲もない、どこにでも売っていそうな一般的な造形の剣。強いて特徴を挙げるとするならば、鍔部分に嵌め込まれた真赤な宝石だけだろう。


 なのに、それを”無骨”などと称すことなど誰も出来ない。周りにどう思われようがどうでもいいのだと、ただ自らが信じた道を往くのだと――その剣は言葉よりも重く語りかけてくるから。


「……キレーだね、リョウヤ」

「あぁ」


 噛みしめるように言ったフウカに、リョウヤは言葉短く頷いた。あれこそ、ユウトの全てを現すに相応しい武装はないのだと、心の底から思う。


「――――」


 何度か具合を確かめるように空を切り裂いたユウトは、独特な構えを見せた。剣を持つ右腕を正眼に構え、フリーとなった左腕が右の前腕へと軽く触れている。


「じゃあ、始めようか。エリー」


 対するエリーの構えは、体を斜めに向け盾で体半分を隠しながら全面に押し出す――クローズド・ガードの構えだ。剣を持つ右腕は若干後ろへ引き、柄頭をユウトへ向けている。


「こちらはいつでも、ユウト」


 ヒリつく開始前の空気。嵐の前の静けさ。


 ゴクリと誰かが喉を鳴らした。


『――始めッ!』


 瞬間、動いたのはエリー。


 半身になっている体がスムーズに前へと押し出され、突き出した盾ごとユウトへ一直線に突っ込んでいく。身を覆いそうなほどの大盾を持ちながらも、駆けるスピードは人を遥かに凌駕していた。


「ッシ!」


 ギリギリまで盾の裏に隠した切っ先を、迷いなく首元へ振るう。もう止める必要はない。ただ自らの全力を、目の前の少年へとぶつけるだけだ。


「――――」


 ここまでユウトはピクリとすら動いていなかった。”Fランク”レベルの身体強化では、”Sランク”の速さを目で追うことすら出来ない。例えるならば、真横で通り過ぎる戦闘機を人が目で追えないのと一緒だ。


 故に、全力で放たれたエリーの初撃は――


「!?」


 ――鮮やかに振り切った。まるで、ように。


 一切の抵抗を感じなかったがために、少し脚がバタつきながらユウトを通り過ぎる。慌てて足並みを揃えながら反転すれば。


「……これ、は」


 寸分の狂いもなく、こちらを向きながら同じ構えを行うユウトの姿が視界に映った。一体何が起こったのか。すぐにその理由に見当がついたエリーは、こみ上げる衝動を抑えきれない。


「あは」


 頬が釣り上がるのを感じる。


(これだ! ボクが目指していた背中は、これなんだッ!)


 戦意に滾る体を押さえつけながら、2度、3度とユウトへ高速の攻撃を放ち始めた。


 だが当たらない。当たらない。当たらない!


 まるで残像を斬りつけているように、攻撃をした感覚が一切として感じられない。身体能力は雲泥の差があるのに、ユウトにはエリーの動きが殆ど見えてすらいないはずなのに。


『こ、これは、一体……!? エリー選手の凄まじい連撃が、見当違いの方向へ空を切る! 対するユウト選手は一歩も動いていないように見えますが、彼の魔術でしょうか!?』


 観覧席から見つめる人々も、その異様な光景に動揺が広がっていた。エリーの放つ斬撃の全てが、キレイな弧を描いて


『ありゃあ別に魔術じゃねぇよ。ただの剣技だな』

『剣技、ですか?』


 パチクリと目を瞬かせる小宮に、佐々木は軽く頷く。


『相手の振るった攻撃に対して、受け側の負荷をゼロで受け流してんだ。そうでもしねぇと、ユウトの結界値HPは一瞬で消し飛んじまうからな』


 <魔術戦争マギ>では安全性のために選手へ結界が張られるようになっており、その耐久値は精霊のランクに比例して値が決まる。”Fランク”のHPは限りなくゼロに近く、”Sランク”――いや”Eランク”の攻撃を掠っただけでも、ユウトの結界値HPは簡単に崩壊し、負けが確定するだろう。


 だから、ほんの僅かでも負荷を受けないように流しているのだ。


『受け側の負担をゼロ、って出来るものなんですか……?』

『いや無理無理。相手が初心者とかなら俺でも出来るだろうけどさ』


 即答した佐々木の答えを聞いて、小宮は頬がピクピクと痙攣するのを止められない。なにせ剣客として名高い佐々木であったとしても無理と言い切るレベルの剣術を、ユウトは行っていると言い切ったのだから。


『普通の受け流しでも、相手の放つ衝撃の角度、スピード、威力。それらを見極めてようやく成立するモンだ。それを受け側の負荷ゼロってのは、もう人間業じゃねぇ』


 盾でギリギリまで隠されてから放たれる斬撃。右上からの袈裟斬りだ。全く目で追えるはずもない速度の攻撃に、やはりユウトは完璧に受け流してみせる。


『それをアイツ、原付で戦闘機相手にやってやがる』


 人々の視線が自然とユウトへ集中した。その瞳は、攻撃を見ていないようで――


(……踏み込み音が強いな。地面を滑る音……回転からの切り上げ)


 ――事実、見ていなかった。今のユウトにはエリーは黒い線にしか見えていない。


 だから視覚以外で感じ取るしかなかった。


 足音や空気の流れ。何より、相手の思考。次の一手を考えている間にやられてしまうならば、三手先を予測しながら戦うしか無い。


『ちゃんと見てな。今アイツが見せているのは……低ランクが高ランク相手に戦っているという、現実だ』


 幾重にも放たれる攻撃。そのひとつひとつを、ユウトは丁寧に流していく。学園内で行う私闘というには、ソレはあまりにハイレベルすぎた。


(……!? 次を考えない踏み込みからの上段斬り!)


 流していく中で、突如として振るわれる全力の一撃。内心驚きつつも完全に流しきり、エリーは地面にヘビ道を残しながら距離を取る。


 頬に汗を垂らしながらも、彼女は心の底から楽しそうに笑っていた。


「凄い。やっぱりユウト、キミは凄いよ。それでこそ、ボクが憧れる背中だ――でも」


 キラリと、大盾にある紫紺の宝玉が発光。


「【神雷:白銀時代アーカイヴ・シルバーエイジ】」


 瞬間、天雷。


 天空から紫色の雷が降りかかり、それをエリーは受け止めた。圧倒的な魔力の波を全身で感じ、ユウトは無意識に体が震えるのを感じる。


「今のは序の口。……付いてこられるかな」


 紫電を纏い、エリーは油断なく大盾と剣を構えた。


(今から本気か。笑えないな)

『笑っていますよ、マゾマスター』


 片手剣……アリナにそう指摘されて、左手で頬を触ってみれば吊り上がっていた。無意識でこの状況を喜んでいる事に気づき、更にその歪んだ笑みを深める。


「当然、付いていくさ」

「上等――!」


 先程よりも数倍早くなった速度で、雷鳴と共にエリーは剣を振るう。放つは純粋な上段斬り。彼女の持つ身体能力ならば、相手の武器ごと全てを吹き飛ばす。


 対するユウトは左手で片手剣の刀身を掴み、襲いかかる刃に合わせた。エリーの刃とユウトの刃が触れ合う――その一瞬、ユウトはその戦いで


「――!?」


 振り下ろされる刃を横へと受け流しつつ、自らは前へ。そうすることで、片手剣の切っ先がエリーの顔面へと放たれた。


(これ、はッ!)


 自らの刀身を支えにして、防御と攻撃を同時に行っているのだと気付いたエリーは、すぐさま左手に持つ大盾の先で防御する。


(防がれるか……!)


 そのまま振り下ろした剣を逆手持ちに、エリーは密着状態のユウトの体へと突きを放つ。しかし、ユウトはそのまま防御された盾を軸にして体を回転させ、クルリとエリーの背後に回った。


 背中合わせとなる二人。エリーは突きが空振った瞬間に逆手持ちから順手持ちに切り替え、ユウトはそのまま回転する力を用いて、


「ッシ!」

「フッ!」


 初めて、鍔迫り合いが起こった。


『……はっやッ!?』

『ヒューッ、ふたりとも流石だなぁ』


 ユウトとエリー、2人が交わした一瞬の攻防に会場全体がどよめき立つ。


『何だか、私たちが知ってる<魔術戦争マギ>とは全然違いますが、なんか、こう……息を呑みますね』

『まぁ普通の<魔術戦争マギ>っていやぁ、魔術中心の綺羅びやかなイメージがあるからな。だが』


 ふと悪寒を感じた小宮は隣に座る佐々木へと視線を移して、ヒェッと悲鳴を上げた。


『技と力が交錯するコッチの方が俺はイイなぁ。”死合い”って感じでよォ』

『が、学園長、学園長! おさえて、抑えてください!』


 戦意が滲み出てしまっている佐々木に、小宮が半ば涙目でストップを掛ける。


『っとまぁ、冗談はこれぐらいにして』

『笑えませんよ……。学園長は現時点での攻防、どちらが優勢に思われますか?』

『そりゃエリーの嬢ちゃんだろ』


 再び即答する佐々木。


『確かにユウトは”Fランク”の力で、嬢ちゃんと互角に戦ってやがる。あぁ、確かに戦いとしては互角だろうよ』


 高速で斬撃を繰り出し、その度に流しながら反撃を試みるユウトを見ながら、佐々木は目を細めた。


『――だが、これは戦いじゃねぇ。<魔術戦争マギ>なのさ』


 観客たちは、すぐにその言葉が意味するところを知ることになる。


「ハァッ――!」


 突撃からの切り上げを行うエリーに対して、ユウトはあえて刃が迫る右側へとステップを踏む。ユウトの右側はエリーにとっての左側……つまり、大盾を持つ方向。視界のすぐ横で刃を通り過ぎていくのを感じながら、空中で左右の足を組み換え回転するように剣で振るおうとした。


「まだま、だ!」


 だが、エリーは驚異の反応速度で大盾の方向へ隠れたユウトに向けてシールドバッシュを放つ。迫る大盾に対し、ユウトは回転力をつけた片手剣の柄頭で殴りつける。鋼鉄同士が衝突しあい、鈍く腹底から揺れるような音が響いた。


「――ッ」


 当然、単純な力比べではどれほど有利に立とうがユウトに勝ち目はない。一瞬でユウトは迫る馬鹿力で吹き飛ばされそうになるが、その力を利用して更に回転。シールドバッシュ分の加速を用いて、強烈な速度でエリーの背後をとった。


 今のエリーは剣を右上に、大盾を左上に振り上げた体制。相手の力を利用した加速で背後へと回ったユウトに、対応する術はない。


(獲ったッ!)


 回転の力を殺さず、そのまま勢いよく片手剣をがら空きの背面へと振るう。それは致命の一撃となって、ぶち当たった。


「――ッ!」

『おぉっと、これはクリティカルヒットォ! さすがのエリー選手といえど、これは痛い‼ 今、彼女の結界値HPは――』


 ぶち当たったのだ。まるでを伴って。


『――変動、してない……!?』


 同じ感想を得たのか、ユウトは驚愕の表情に顔を歪めながらエリーから大きく距離を取る。それを見ながら、佐々木は静かな口調で言葉を発した。


『これが<魔術戦争マギ>だ。どれほど技術で勝ろうが、どれほど経験で勝ろうが――人命保護のために結界値HPがある限り、”Fランク”じゃ”Sランク”に傷1つ負わせられない』


 恐らく本当の殺し合いならば致命傷となっただろう。それは例え魔術師ウィザードであっても変わらない。だが<魔術戦争マギ>はスポーツだ。スポーツである以上は健全でなければならず、その結果が格差を生む。


『”Eランク”なら、さっきの攻撃で半分は削れていた。”Cランク”もありゃ、おそらく全損で決着。――だが、あいつは”Fランク”だ』


 常識外、前代未聞の低ランク。この世界で唯一の”Fランク”。それが”爆死”とよばれた魔術師ウィザードだ。


 故に、決着は戦う前から決まっていた。渾身の一撃すら1ミリも削れず、相手の攻撃はカスりでもすれば終わり。


「な、なんだよそれ」

「良い戦いだと思ったのに……」


 観客席から不満を抱えた声が飛び交い始める。勝負が決まっている戦いなど、すでにそれは八百長に等しい。誰もがその熱を収め、期待もやめる中――


「……ふ、はは」


 ――少年の、笑い声が聞こえた。



                  ◇



「ははははッ! っくくく……」

『マス、ター?』


 試合中だと言うのにいきなり笑い始めたユウトに、アリナは困惑を隠せない。


「ごめん。っくく……。あまりにも、可笑しくて」


 この場の全員が、対峙するエリーでさえも、戦いを忘れて唐突に笑い出した彼を見つめていた。


「さっきの解説を聞いただろう? 『”Fランク”じゃ”Sランク”に傷1つ負わせられない』なんて、どれほど俺の才能がなかったのかって話じゃない? ふ、はは――」


 こらえきれないとユウトは空を見上げて、


「――上等」


 前髪を掻き上げた。



 ――瞬間、空気が変わる。


「どれほど精霊が弱かろうが」


 穏やかな雰囲気が鳴りを潜め。


「どれほど現実が邪魔しようが」


 諦めかけていた心が熱くたぎり。


「どれほど運命が阻もうが」


 苛烈で、痛烈な、本性が姿を表す。


「教えてやるよ――」


 左足を前に、剣を持つ右手は顔の横より若干上に置いて、切っ先を相手に向ける。この戦いで初めて、ユウトはをとった。


「――”天才”の前では、全てが無意味だということを」


 言葉と共に、ユウトは迷わず前へと踏み出す。


『あぁっと! ユウト選手、前に出たーッ! 対するエリー選手もそれを待ち受ける構えだ!』


 スムーズな体捌きでエリーへと迫るユウトに、会場全体がざわつく。


「どうして……」


 どうして、諦めないのか。どうして、前へと駆けられるのか。


(決まっている)


 向けられる瞳に確かな戦意を見つけたエリーは、大盾を前にして構えながら口角を吊り上げた。


(彼は、”天才”だからッ!)


 眼前へと近づいたユウトが、肘関節を軸として掲げた片手剣を回転させ、上段斬りを放たんとする。攻撃に合わせ、エリーは大盾を斬撃上に置きドッシリと体を安定させた。


(彼は今まで”待ち”のスタイルを貫いていた。それは単にから)


 ユウトの得物が片手剣に対し、エリーの得物は大盾と剣。当然、エリーのほうが防御に強く、それを崩せる手が殆ど存在しない。


(なら、この振り下ろしは確実に罠!)


 彼ならどうするか。脳裏でそれをシミュレートして、


「――ッ!」

(アタリ……!)


 想像通りにユウトは動いた。


 振り下ろした右手には、片手剣が握られていない。振り下ろす直前、手から離したのだ。そのままフリーの右手で大盾を掴み、体をクルリと前回転。途中でしっかりと左手で片手剣を回収していた。


 恐らくこのまま背後に着地後、攻撃を放ってくる。


(この動きに合わせる手は、これッ!)


 大盾を左手から離して両手で剣を持つ。後は背後で着地するユウトに向けて、振り向きながら渾身の一撃を放てば良い!


 相手の身体能力はこちらの半分以下。つまり、ユウトが1手動くため間にこちらは2手以上動ける。斬撃を放つモーションから、回避行動は取れない。エリーの攻撃を流そうにも、着地時のユウトはエリーと背中合わせ。その体制からでは真正面から打ち合うならまだしも、負荷ゼロで攻撃を反らすことは不可能だろう。


 そして、真正面から打ち合えば最後。圧倒的な力の差で結界値HPを砕いて終わりだ。


(これでボクの勝ちだ、ユウトッ!)


 容赦などしない。今から放つは今の自分が出せる、最大の一撃。


「【神雷:青銅世代アーカイヴ・ブロンズエイジ】ッ!」


 紫電が瞬き、剣へと伝わり巨大な雷撃となる。余波で地面は砕かれ、土の欠片は宙へと浮きあがった。


 彼女が宿すは極光。次世代の神となることが約束された、”イカヅチ”の力!


「……すぅ」


 神の鉄槌を背後で感じながら、地面に着地したユウトは両手で片手剣を持つ。


「……はぁ」


 深呼吸をひとつ。高鳴る心臓を沈め、あらゆる五感を消し去っていく。


 視覚も、聴覚も、触覚も、嗅覚も、味覚もいらない。あらゆる感覚を消し去れば、あるのはただひたすらの暗闇。自分の存在さえ曖昧になって、あらゆる境目が溶けていく。


 ――それでも、感じるものがあった。


 ”ソレ”は無を漂っていた。”ソレ”は常に世界の外にあった。


 あらゆる超常現象の糧であり、<精霊>の生きる糧――”魔素”。それらは確かに目に見えずとも、聞こえずとも、触れずとも、嗅げずとも、味わえずとも、側にあった。


 


 ドクン。ドクン。ドクン。


 ひとつひとつの魔素が呼吸をするように脈動し、異世界の調和を保っている。それに意識の手を伸ばして、丁寧にかき集めていくイメージ。バラバラだった脈動を整え、さもひとつの塊のように呼吸を合わせる。


(いける)


 そう感じた。


「――――」


 故に放つ。


 局限に澄まされた一撃。この世の調和を崩す一撃。


 俺が、天才たることを世界へ示すために。


「――【局撃ストライク】」



 瞬間、爆轟。



「きゃぁああああああ!?」

「うわぁああああああッ!」


 会場全体を揺らがすほどの巨大な爆発が、エリーとユウトの中心から巻き起こった。


『ば、爆発――! 巨大な紫電の一撃を放つエリー選手と、ユウト選手の斬撃が交わされた瞬間、大爆発が巻き起こりました! こ、これは一体――』

『――は、ははは』


 驚愕を隠せない小宮の言葉を遮って、佐々木の乾いたような笑い声が会場を揺らす。


『おい、おいおいおい。やりやがったぜ、アイツ』

『あ、あの、学園長……? 一体何が……?』


 獰猛に笑う佐々木に、かなりビビりながらも小宮は質問を投げかけた。


『見ろよ』


 答えはその一言だけ。その言葉に引っ張られるように、この場の全員がステージを見て、


「――――」


 言葉を失う。


 爆発によって巻き上がった土煙が少しずつ晴れ、ふたつのシルエットが浮かび上がった。


 ――地面に佇む少年と、地面に伏す少女。


『ユウトの奴、本当に勝ちやがった』


 一拍の間、佐々木の声だけがやけに響いて。


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」


 会場は、絶叫と歓喜と喝采の渦に包まれた。


 この戦いを以て、この学園は、この国は、この世界は、知ることとなる。





 ”神童”が、復活したのだと――。

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