1話-4『”爆死”と”Fランク”』

 次の日。通常授業となった放課後にリョウヤはひとり、とある場所を目指して歩いていた。というのも今朝スマホに、


[放課後、自修館に来てほしい。部屋の番号は――]


 という文言のメッセージが届いたからだった。


 現在、リョウヤが歩いているのがその自修館である。<自修館>というのも名前だけで、実際は校舎の地下に存在する大規模な地下修練施設だ。校舎内のエレベーターから直接行くことができ、修練用の小部屋が所狭しと並んでいる。


 目指しているのは並んでいる小部屋……自修室のひとつ。


「お、あった」


 メッセージにある部屋番号の前へとたどり着いたリョウヤは、扉の横にある呼び鈴のボタンを押した。しばらく待てば、ドアがガチャリと音を立てて開かれる。


「待たせたな。ユウト」

「いや、早いくらいだよ。リョウヤ」


 中から現れたのは、リョウヤの幼馴染である黒井クロイ悠隼ユウトだった。


「とりあえず入って。見せたいものがあるんだ」

「あぁ」


 個室の中へと入ると、視界に広がるのは白いタイルだけで作られた無機質な部屋。自主的に修練を行う場所が故に、あのタイル1枚1枚全てが魔術によって強化されており、鋼鉄以上の強度を誇っている。


 いくら騒いでも周りに響かず、使用者しか扉の開閉ができないこともあって、修練以外に内密の相談事などを行う場所として利用されていた。


「それで? わざわざユウトが人を呼びつけるなんて、どんな要件だ?」


 修練か、または相談か。今回は恐らく後者の方だとリョウヤは感づいていた。そう思って聞いてみれば、返ってくるのはどこか硬い笑み。


「随分と単刀直入だね。前フリもなしなんて」

「女の子相手ならいくらでも雰囲気を盛り上げるけど、お前にゃしねーよ」


 からかうように笑ったリョウヤに、ユウトはどこか安心するように息を吐く。


「……そうだね。じゃあ、早速だけど」


 そう言って、ユウトはなんの躊躇もなく頭を深々と下げた。


「――今まで、ごめん」

「…………」


 唐突な謝罪に驚くも、リョウヤは開きかけた口を閉じる。今はまだ、何かを喋る場面ではない。これは恐らく、ユウトなりのケジメなのだから。


「きっと、いや絶対。明日、俺の人生が決まる。魔術師ウィザードとしての道を歩むのか、人間としての道を歩むのか」


 どちらにせよ、今までの人生とは異なる道を歩むのだろう。不貞腐れ、己から逃げ続けてきた道からは。


「だから先に謝っておきたかったんだ。今までずっと情けない姿を見せてきた俺を、リョウヤはずっと見守ってくれていたから」

「……謝ることじゃないさ」


 ユウトの言葉をしっかり聞いて、噛み締めて、咀嚼して。謝罪の言葉に対してリョウヤは、そうじゃないと首を横に振る。


「俺がお前と仲良くしたのは、俺が仲良くしていたかったからだ。別に見守ってなんかいちゃない……ただ、”期待”してただけさ」

「……うん」


 一度、ユウトはあらゆる人の期待を裏切った。”Fランク”との契約という最悪の形で。


 それでも、ユウトに期待し続けてくれる人がいた。ユウト自身、それに気づいていて……だが逃げた。


 期待されるほどじゃない。期待しても意味がない。無駄なのだと、そう言い聞かせて。


「なぁユウト、期待、してるぜ」

「――――」


 明日の<魔術戦争マギ>で自身の実力を示せなかったとき、ユウトは魔術師ウィザードとしての道を失う。つまり、この学園からも去らなければならないことを示していた。


 だから、リョウヤは期待するのだ。


「見せてくれよ。――俺の親友が、強くて格好良くて最高なんだって」

「……うん、分かった」


 身も潰れそうなほどの期待に、それでもユウトは力強く頷く。未だに期待してくれる人がいて、憧れの復帰を望んでくれている人がいる。


 どれほど素晴らしいことか。


「おし、じゃあお前の謝罪と感謝は受け取っとくぜ。それで? まだ俺に話があるんだろ?」

「あはは、何でもお見通しだね」

「おいおい、見せたいものあるって最初に言い出したのは何処のどいつだよ」

「そうだったそうだった」


 2人は軽く笑い合うと、徐々に静かになっていく。


「…………」

「…………」


 ”見せたいもの”が何であるのか、その予想はついていたから。悟られていることを知っていたから。


 沈黙に包まれてしばらく、ユウトが無言で取り出したのは、


「……魔石か」

「うん」


 赤い光を鈍く放つ宝石だった。


 <魔石>。それは精霊を収めておける石のことだ。基本的に精霊は魔力を用いてこの世界に存在しているが、この魔石に入れておくことで消費する魔力を抑えつつ、魔術師ウィザードから離れず行動できる。


 魔石をアクセサリーとして持ち歩くのは魔術師ウィザード特有であり、逆に言えば魔術師ウィザードという証だ。リョウヤならば左耳のピアスに、エリーならばネックレスに身に着けており、誰もが一度は憧れるモノだった。


 ――それが、になっていなければ。


「見ていてほしいんだ。この鎖を……封印を解くところを」


 魔石に特定の魔術を込められた鎖を巻きつけること。それが精霊を封印する、唯一無二の方法だった。


「見ていてほしいんだ。俺が、怖気づかないように」

「……あぁ」


 静かに首肯して、リョウヤは部屋の隅で背中を壁に預ける。


『大丈夫かな、ユウっち』


 左耳のピアスに嵌め込まれた水色の宝石が明滅し、フウカの声が脳へと響いた。心配げな声色のパートナーに、リョウヤは不敵に微笑む。


「心配ねぇさ。アイツには効かないんだ。――どんな困難も、挫折も」


 親友が見守る中、ユウトはひとつ深呼吸。暴れる心臓を無理やりに押さえつけて、ゆっくりと魔石に絡みつく鎖へと手をかけた。


(……見ることを恐れるな)


 封印している精霊に対してではない。ユウトが何よりも恐れているのは、己の才能と相対すること。


 精霊との契約の儀式――”契約の儀”は人生でたった1度のみであり、儀式が終わるまでどのような精霊と契約したのかを把握することは出来ない。そして契約した精霊のランクが高いほど、魔術師としての才能があるとされるのだ。


 故に、”契約の儀”は巷では”人生ガチャ”と呼ばれている。


 己の人生を使い、己の運命の相棒を定めるガチャ。つまり、その儀式にて過去類を見ない程にランクの低い精霊……”Fランク”と契約したユウトは――


 ――過去類を見ない程に才能のない、魔術師ウィザードなのだ。


「すぅ、はぁ」


 ゆっくりと呼吸をして湧き上がる感情を押さえつける。カチャカチャと音がすると思えば、自らの手が震えて鎖が擦れている音なのだと気付いた。


(やっぱり、怖いのか)


 もう一度あの精霊の姿を見て、あの力の弱さを目にして、それでも魔術師ウィザードを目指せると自分自身に誓えるのだろうか?


「……それを今、確かめるんだ」


 震える手に活を入れて、再び鎖を強く握りしめる。そのまま迷いを断ち切るように。


 パリィン!


 ガラスの砕けるような音がして、鎖が食い破られた。


 ――瞬間、魔石から放たれる強烈な赤い光。それは部屋全てを赤色に染めて、1体の精霊がその姿を現した。


「……アリナ」


 それは、”機械少女”。


 柔らかさを感じない真っ黒な機械の肌に、それを覆う真っ白な機械の服。顔はほぼ全てをヘッドセットゴーグルのようなもので隠されており、その表情は伺えない。ただ、丸みを帯びたフォルムと機械的な白い髪が、女性らしいことを表現していた。


「約1年ぶりですね、マスター。お久しぶり、というべきなのでしょうか」


 見た目通りの無機質な感情のない声が、静まり返った部屋でやけに響いた。


 精霊の姿形は契約した人によって千差万別。少女の姿を象ることもあれば、鳥の姿になるものもいる。しかし共通している特徴もあった。


 それは『低ランクであればあるほど象る姿は無機質になっていく』という点である。


「…………」


 彼女の無機質な体を、無感情な声を知れば、ひと目で誰しもこの精霊はランクが低いのだと分かってしまう。機械的な外見はそのまま、ユウトの魔術師ウィザードとして才能が欠片もないことを如実に現している。


 胸がズキリと痛むのを感じた。しかし黙ることは許されないと、意を決してユウトは口を開く。


「あぁ、久しぶ――」

「――失礼します」


 気づけば契約した精霊……アリナはすぐ側まで近づいていて、


「ぇ?」


 パンッ! という軽快な音と共に、頬が熱を持ったのをユウトは感じた。思わず熱い左頬に手を当て、右手を振り抜いた姿勢のアリナを見つめる。


「1年間、相棒となる精霊を封印して楽しかったですか。このサドマスター」

「うっ」


 アリナの声は無機質で、何の感情も感じないはずなのに。視界に映る表情はゴーグルで隠され、何も見えないはずなのに。


 目の前の精霊はめちゃくちゃ凄く、この上ないほどに怒っているのだと、ユウトは理由もなく悟った。


「……そう、だよな」


 怒るのも当然だ。彼女がされていたことは、1年もの時間を無理やり冷凍保存されていたに等しい。逆に良く再会して、頬を打たれるだけで済んだものだ。


「ごめん」


 深々と頭を下げて謝罪する。それで済むわけもないが、謝らずにはいられなかった。


「契約したのが、こんな出来損ないで可愛らしさもなくて弱っちい私であることは同情します。ですがそれでも封印するだけして放置という扱いは、非道が過ぎると思いませんか。この犯罪者マスター」

「……はい」


「そもそもこれが人間相手なら犯罪になることをご存知でしょうか。私たち精霊でも訴えるところへ訴えたら裁判沙汰にできますよ。それだけのことをした自覚がお有りですか、この無知マスター」

「……仰る通りです」


 言っていることが正論すぎて、ひたすら謝ることしかできない。今、ユウトの生殺与奪の権利はこの<精霊>が握っているのだ。


「封印されている状態は睡眠状態になるとはいえ、朧気ながら意識はあります。この1年間、私がどのように過ごしていたか、ご存知ですか。この能天気マスター」

「……えっと、存知ません」


「ただただボーッとしていただけです。ひたすら、毎日。思考能力もないため、ひたすら何も考えずに暗闇の中を見つめていただけ」

「……本当にごめんなさい」


「いえ、思考できないため特に退屈や不満を感じたりはしませんでした。ですが、封印を解かれ改めて意識が通常レベルまで回復した今、ふと思うのです。

 ――この1年間、私は何のために存在していたんだろう。と」

「ッ! ……それはっ」


 ひたすら平謝りしていたユウトは、最後の言葉に目を見開いて、慌てて顔を上げる。その瞬間、思わず喉元まで出掛かった言葉が、言霊として発せずに消え去った。


 目を覆い隠しているアリナは、一体どのような表情を浮かべているのか、全く理解できなかったから。


「何故、私は今も存在しているのですか」


 それでも、目の前の彼女は今、泣いているのだと。溢れる感情を抑えきれずに、吐露しているのだと、気づいてしまったから。


「何故、貴方は私との契約を解消しないのですか」

「…………」


 精霊という存在は、この世界の生命体ではない。いわゆる”異世界”というこの世界の外から、契約という形で喚ばれたイレギュラーな存在なのだ。


 故に精霊と人間は、表面上は似通っていても根本的な部分が違う。彼女たち精霊は契約した人間が供給する魔力無しに、この世界で存在を許されない。


 魔石に入ることで必要な魔力を抑えることはできるが、あくまで抑えるだけ。1年という年月を魔石に封印して放置すれば、精霊の魔力が尽きてこの世界から去り、契約破棄されてしまう。


 ならば今もなおアリナがこの世界に存在を許されている理由は、ただ1つ。


「何故、貴方は毎日私に魔力を送り込んでくれたのですか。マスター」


 ユウトが契約破棄それを望まなかったに他ならない。


 自らの精霊の問いかけに、ユウトは胸の前で手を強く握りしめる。


「……俺は、逃げていたんだ。才能キミを見たくなくて、信じたくなくて。未来を見ることから、逃げてた」


 諦めることもできず、前に進むこともできず、ただ流れる日々を過ごしていた。


「俺は決断することが怖くて、答えを先延ばしにしてた。だから、キミに魔力を送り続けていたんだ」

「……私の封印を解いたということは、答えが出たということですか」

「正直に言えば、まだ出てないよ」


 真っ直ぐアリナを見つめて、ユウトは苦い笑みを僅かに浮かべる。


「だから、力を貸してほしい。俺が魔術師ウィザードになれるのか、なれないのか。ハッキリさせるために」

「随分な身勝手ですね。この自己中マスター」


 ぐうの音も出ない正論。だが諦めるわけにはいかない。そもそも、歩んできた人生の全てが自己中心主義である。


 自分で望み、鍛錬を積んだ。自分で願い、精霊と契約した。自分で恨み、精霊を封印した。


 ――そして自分で決意し、精霊の封印を解いた。


「そもそも貴方は私を恨んでいるのではなかったのですか。そんな相手に頼み事など」

「恨んでるよ」


 アリナの言葉を覆い潰すように、ユウトは断言する。


「当然だ。キミの全てが俺に無能だと突きつけてくる。恨まないなんて、嫌いにならないなんて、無理だろ」

「なら、なぜ私を……ぁ」


 不可解そうな声色で問いかけたが、その問いに対する答えをアリナはもう知っていた。


魔術師ウィザードになれるのか、なれないのか。ハッキリさせるため……?」

「そう。もっと言うのなら」


 一息置いて、ユウトは噛みしめるように決定的な一言を言い放つ。


「――精霊キミを好きになれるのか、嫌いのままなのかを知るために」

「――――」


 人生において契約は1度のみ。契約した精霊は変えることが出来ない。ならば、迫られる選択は常に2つ。すなわち契約相手を受け入れられるかどうか。


「俺の、俺たちの時間はきっと、キミを封印したあの日で止まってる。だから、その時間を動かすために――俺に、力を貸してください」


 最後に一度、深く頭を下げる。


 身勝手なのも、自己中なのも、全てわかっていた。けれど、前に進むためにはこの方法しかない。これしか、出来ない。


「……わかりました。では私も答えを出しましょう」


 ため息交じりでそう言ったアリナに、ユウトはハッと顔を上げた。


「良い、のか?」

「それを決めるのだと仰ったのは貴方です。私もそれに倣うだけ」


 アリナの言葉に、ユウトは頷く。


 契約して1年以上でも、彼らは出会ってまだ殆ど経っていない。パートナーになれるのかどうかすら、未だに定まっていない。


(これから始まる。ようやく、始めるんだ。俺の、俺たちの魔術師ウィザードとしての道を)


 だから、その一歩としてユウトは契約した精霊に手を差し伸ばす。


「よろしく。アリナ」

「こちらこそ、よろしくお願い致します。マイマスター、ユウト」


 ――こうして、”爆死”と”Fランク”は再び出逢った。

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