1話-3『”爆死”と”Fランク”』
午後1時、第2訓練場は生徒でごった返しになっていた。細かく言うのならば、コロシアム状になっている建物の客席部分が、だが。
「――――」
普段ならば早々見ないほどに集った生徒たちの視線はただ一点、フィールドの中央に佇む金髪の少女へと向けられていた。
ただ立っている姿さえ凛々しさを感じられ、真新しい制服がやけに浮いて見える。中性的な顔に表情は捉えられず、瞑想へ耽っているように目を閉じていた。
風の音さえ聞こえるほどに静かなこの空間に、ゆっくりと足音が響いてくる。
「…………」
訓練場の出入り口から姿を現したのは、黒髪黒目が特徴的な少年――ユウトだ。大量の生徒たちから視線が一気に集中するも、動じた様子を見せず彼はただ黙々とフィールドの中央へ歩いていく。
「……来たね、ユウト」
口角を上げて好戦的に笑むエリーに、間髪入れずにユウトは言葉を紡いだ。
「悪いけど、俺は申込みを断りに来たんだ」
ハッキリと伝えられた拒否の言葉を聞いても、彼女の表情は変わらない。恐らく、こう言われるのだと察していたのだろう。
「キミの噂を聞いたよ。
「黒井、ね。驚いただろう?」
意味深な視線に、その意味を十分に受け取ったエリーは頷いた。
「同一人物じゃないのかなって、疑いもしたよ。でもそんなことはあり得ない。――ボクが憧れの人を見間違えるはずがないから」
「憧れの、人?」
目の前の少年を”憧れの人”と呼んだことに、周囲の学生たちがざわつき始める。だがそう呼ばれた当の本人は、何かから耐えるように目を細めただけで、彼女へと問いかけた。
「それなら、良く分かっただろう? 今の俺が、どれほど憧れから程遠いかを」
「分からないよ」
まるで親から言い含められることを嫌がる子どものように、エリーはふるふると首を横に振る。
「だってキミは……ボクの知っているユウトという人間は、その程度の理由で諦める人じゃないから」
「断言しよう。キミが想うその男は――もう、この世に居ない」
「……嘘だ」
「嘘じゃない」
「信じられないよ」
「キミがあの日会った憧れは、”爆死”したんだ」
「それならッ‼」
――瞬間、天雷。
突如として天から堕ちた紫電に、観客を含めた周囲の人間は目を見開く。雷が堕ちた先――パチパチとスパークを発しながら紫電を纏う、エリーの姿に目を奪われたからだ。
「
制御しきれない感情に声を震わせながら、エリーは自らの武装を喚び出す。
「……示してよ、ボクに。あの日、ボクに希望をくれたキミが、もう居ないんだってことを!」
「…………」
悲痛の表情で顔を歪めた少女は、正しく紫電を纏う”白亜の騎士”だった。右手に純白の剣を、左手に純白の大盾を手に、剣の切っ先をユウトへと向ける。
「さぁ、早く。
「…………」
明らかな戦意を向けられたユウトは、それでも応じない。全てを諦めたような顔で、もう話すことはないのだと立ち尽くすままで。
「――ッ!」
もう終わった。そうエリーは態度として叩きつけられ、溢れる激情に身を任せて――その場から掻き消えた。否、消えたのではない。精霊の力で強化された身体能力によって、もはや誰の目にも追えていないだけ。
そして、それはユウトも同じ。あまりに速すぎる接近に反応できず、振り下げられた白亜の刃が容易く彼の体を切り裂き――
「――おっと、やり過ぎだぜ嬢ちゃん」
「ッ!?」
次の瞬間、エリーは急激に体がブレーキを掛けさせられるのを感じた。
どれほど力を込めようとも、前後左右に動かそうとしても、体が全く動かない。驚愕に視線を上げれば、そこには中年の男性が人差し指と中指
「ササキ、どうして……?」
「落ち着けやエリーの嬢ちゃん。
「……くっ」
”ササキ”と呼ばれた男の言葉でエリーは正気に戻ったのか、顔を伏せて
「さて……。よぉ坊主、危うく死にかけたな」
「佐々木学園長……どうして此処に?」
「助けてやったのに礼のひとつも無しとは、最近の若いもんは礼儀を知らなくて泣けるね」
そう言って苦笑を漏らす男性は――この学園の長、佐々木。おちゃらけた雰囲気で話すこの男を一言で表すのならば、”剣客”という言葉がふさわしい。
深い青色の着物に黒い袴という装いで、所々で見える浅黒い肌は鋼の筋肉とおびただしい量の傷が存在を主張している。顔もボサボサの黒いロン毛に無精髭という、如何にも生まれた時代を間違えた風貌。それが佐々木という男だった。
「礼なんて必要ないでしょう。どうせこの一連の流れを仕組んだのは学園長なんでしょうし」
「はは、半分だけだよ俺が仕組んだのは。言い出しっぺはエリーの嬢ちゃんだ」
遠回しに関わったことを認めた佐々木に、ユウトは喉元まで出掛かった嫌味を何とか飲み干す。
「んで、エリーの嬢ちゃんはようやく納得してくれたかい? 今のコイツを」
「……はい。認めたくは、ないですが」
今もなお沈痛な表情で佐々木の言葉に頷いたエリー。それを見た佐々木は避難するような目でユウトを見つめる。
「女を悲しませるたぁ、ひでぇことをするなぁ坊主」
「ふざけないでください、学園ちょ――」
「――ふざけてるのはどっちだ、小僧」
突如、ユウトは全身から凄まじい悪寒が奔るのを感じた。
「ひっ……!?」
どこかで誰かの悲鳴が聞こえてくる。だがそれも仕方ないことだ。なにせ悪寒の正体は――目の前の剣客なのだから。
「答えろ。お前は今、どこに居る」
「……国立
ごく当たり前の常識。
「ここに通う者はなんだ」
「将来<
誰もが知っている存在。
「――なら、お前はなんだ」
「――――」
だからこそ、ユウトはそれに当て嵌まらない。
「
「ぇ……?」
佐々木から出た言葉に、エリーは言葉を失う。
契約した精霊を封印する。それが意味することは、
(なら、
”諦めたような”ではない。事実として”諦めていた”のだ。精霊を封印している今の彼は、
(本当に、もうあの人は居ないんだ……)
滑稽。なんと滑稽だろうか。幼き夢を持ち続け、必ず強くなれる環境を捨て、わざわざ日本まで来た自分の道化師具合に、笑いさえ出てこない。
もう、どこにもあの人はいないと言うのに。
「答えろ、ユウト」
ひび割れたような視界の中でも、佐々木の声だけは妙にクリアに聞こえてくる。もう聞いていても意味もないのに。ただ、現実を突きつけられるだけなのに。
「その中でも
「は……?」
再び、言葉を失った。今、佐々木は何と言ったのだろうか。こう言ってなかったか。
――彼は、常に主席を取り続けているのだと。
「全国最上位の偏差値を誇る、魔術学園に通い続けるお前はなんだ」
続いた佐々木の言葉を聞いて、エリーはすぐに気づいた。ユウトは主席を取り続けているのではない。取り続けなければ、この学園に居られないのだ。
魔術学園は今の現代に置いて、
超難関校と等しい学力。スポーツ強豪校と等しい身体能力。軍人と等しい判断能力。そして最も重視される魔術だ。
ユウトは今、精霊を封印している。精霊の力を借りられないということは、魔術を扱うことができず……恐らく評価項目は文句なしの0点だろう。
最も重視されるはずの魔術が最底辺の評価ならば、普通は即座に退学させられるはずだ。――そう、他全科目で主席を取らない限りは。
「お前は、何のためにこの学園へ通い続ける?」
超難関校と等しい学力。スポーツ強豪校と等しい身体能力。軍人と等しい判断能力。それら全てに置いて主席を取り続けるユウトは、人間として見ればこの上ない存在だ。
だからこそ佐々木は問う。なぜこの魔術学園に通い続けるのかと。
「俺、は……」
気づけば、自身の体が大きく震えていることにユウトは気づいた。理由など考えるまでもない。恐怖しているのだ。
いったい誰に?
「俺、に……もう一度、向き合えって言うんですか」
――己の”
「才能がなかったんだって」
『嘘でしょ……あの、ユウトが』
「素質がなかったんだって」
『お前はもう、私たちの子ではない』
「あの嘲笑を、あの憐憫を」
『なぁなぁ聞いたか? あのユウトが前代未聞に弱い精霊と契約したって話』
『”Eランク”よりも弱いんだろ? それじゃあ、もうEを超えて”Fランク”だな』
「あの無力感を、あの絶望を」
『俺は、俺の努力は、俺の人生は……一体何だったんだッ!?』
「思い出せと! また味わえとッ!?」
「……もう良いだろう、ユウト」
感情が爆発したように叫ぶユウトへ、いつの間にか怒気を沈めていた佐々木が柔らかく微笑む。
「逃げてもう1年だ。……そろそろ、決着をつける時期なんじゃねぇのかい」
「……ッ」
”Fランク”の精霊と契約を交わして、そして封印してから1年。それは、再び過去と向き合うには、きっと十分な時間で。
「お前は
魔術学園は全てが超高水準だ。魔術という特殊な科目だけでなく、他の科目も全て全国最上位レベル。そこで学年首位を取り続けるなど、元々あった素養だけでなく、努力を重ねなければ辿り着けない。
その力を活かせば、金も地位も名誉も思うがままだ。きっと
「だからこそ、選べ」
故に示されるのは、究極の2択。
「他の道を選び、誰もが羨む将来を手にするか。
答えが決まっているこれは、もはや選択肢ではない。誰もが考えるまでもなく、前者を選ぶに決まっていた。
もしこの世界が漫画なら、アニメなら、小説なら。後者を選んだ主人公に奇跡が降りかかり、一粒の栄光を手にするのだろう。
――だがこれは現実だ。どれほど傍目から見て
人類に仇なすモンスターは居ないし、心躍るダンジョンは存在しないし、何でも願いを叶えてくれる奇跡もない。此処にあるのは、ランクによって全てが決まるという、どうしようもない現実だけだ。
「……ッ!」
でも。そうだとしても。たとえ、報われぬ努力だとしても。
この世界が途方もなく現実で、運命というものが決まりきっているのだとしても。
『約束しよう、ユウト。世界の頂の上で、キミと戦うことを』
幼き頃から抱き続けている夢を、簡単に捨てられるほどユウトは馬鹿じゃない。
「俺は、俺の夢は昔から変わりません。――俺は、”最強”になります!」
溢れる想いをそのまま口に出せば、佐々木は勝ち気な笑みを浮かべる。
「ならば証明してみせろ。お前を”爆死”と嘲笑う者たちに、お前の帰りを待っている人たちに、
――それが、ずっと逃げ続けてきたお前が出来る唯一のケジメだ」
「……はい!」
覚悟は決まった。ならば、後は心の赴くままに動くだけ。
伏せていた顔を上げて、ユウトはポケットに手を突っ込みながら歩き出す。行き先はひとつ……誰よりも彼を信じ続けていた少女、エリー・レンホルムだ。
「エリー。手前勝手なことを承知で頼む。これを受け取ってくれないか」
「え?」
そう言ってポケットから取り出したのは、白い手袋。入学式で、エリーがユウトへ<
「これ、は」
「もう一度、俺にチャンスをください」
中世のヨーロッパでは、左手の手袋を投げることは決闘の申込みという意味だった。それを受け取ったならば、決闘を受けるという意思表示になる。
一度目、ユウトはその場で拾わなかった。拾えなかった。己の才能から逃げていたために。
「今度は俺がキミに<
一息。
「キミの憧れは、未だ憧れのままだということを」
「――――ッ!」
エリーの瞳が驚愕によって大きく開かれる。だが驚きの表情は、次の瞬間にはもう歓喜のものへと変化していた。
「あぁ、あぁ! もちろん、エリー・レンホルムの名に置いて、その申込みを受けるよ!」
「……ありがとう」
差し出された白い手袋をエリーは受け取り、左手に嵌める。何度も感覚を確かめるように、握っては開いた。
「おし。なら、やるこたぁひとつだな」
事がいい方向に運んでいることに頬を緩ませた佐々木は、大きく息を吸い――、
「良いかぁッ‼」
「うぉっ!?」
「きゃっ!?」
身近にいたユウトとエリーが悲鳴を上げたが知らぬふりで、佐々木はこの訓練場全体に響き渡るような声量で言葉を続ける。
「明後日、4月8日の土曜日の午後1時から、エリー・レンホルムと黒井悠隼の<
訓練場に居た生徒たちは佐々木の言葉に一瞬我を忘れて……すぐさまお祭り騒ぎのような騒がしさが場を満たした。
公式の試合でもなければ利用されない、学園のスタジアムを利用しての<
(……この人、最初からそのつもりで)
大騒ぎの中で、ユウトはひとり白けた視線で佐々木を睨む。
ニカッ。
無言でサムズアップされた。しかも超いい笑顔で。
(そりゃ生で”白亜の騎士”と”爆死”が戦うのなら、注目性は抜群だろうけど)
親族を招いてもよしが本当に嫌らしい。どう足掻いてもユウトとエリーを宣伝目的に利用する気満々だ。
「……まぁ、今更言ってもしょうがない、か」
喧騒を片隅に、空を見上げる。
無限に広がる大空は、どこか朝よりも鮮やかに見えた。
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