1話-2『”爆死”と”Fランク”』

 その後、入学式は滞りなく終わった。


「午後1時、第2訓練場で待ってるよ。ユウト」


 新入生の挨拶を<魔術戦争マギ>の宣告に使った彼女が、そう言葉を残して。


「なんで”白亜の騎士”が”爆死”に<魔術戦争マギ>を?」

「えー、やっぱり昔に何かあったんじゃない!? 幼い頃の約束……成長したふたりは運命的に再会……きゃーっ!」

「運命的な再会で<魔術戦争マギ>を申し込むって全然ロマンチックじゃねぇじゃん……」


 やはりというか、入学式後は誰も彼もがユウトとエリーの噂話に持ちきりの様子だった。旧知の仲らしい男女3人組の1年が仲良く噂で盛り上がっている中、不意に誰かが近寄ってくる。


「ねぇ、少し良いかな」

「え? エ、エリーさん!?」


 振り返った先にいたのは、噂の張本人であるエリー・レンホルムだった。


 太陽の光を受けて天使の輪を作っている金髪に、その場の誰もが息を呑む。海外の女優と言われても遜色ない美少女に話しかけられた3人組は、軽くパニックに陥りながら「な、なんでしょうか!?」と答えた。


「さっきの会話が少し聞こえたんだけど、話の内容から察するにユウトについて何か知っているのかい?」

「ゆ、ユウト……さん?」


 名前に聞き覚えがなくて首を捻る女子に、隣の男子が脇腹を小突く。


「例の”爆死”だよ」

「あ、あぁ」


 どうやらその単語で誰か分かったらしい女子は、逆にエリーへと疑問を持った。


「え、でもエリー……さんって、その人に<魔術戦争マギ>を申し込んだんですよね? お知り合いではないんですか?」

「エリーで良いよ、同い年なんだから」


 爽やかな笑みで呼び方の助け舟を出したエリーに、3人とも顔を朱に染める。男子から見れば驚くほどの美少女に笑顔を向けられ、女子から見れば中性的なイケメンに微笑まれた気持ちだった。


 見惚れている3人に気付かず、エリーは話を進めていく。


「知り合いっていうか、ボクが一方的に知っていただけだよ。特に最近の彼のことは全く知らなくてね。キミたちなら知ってるのかなって」

「そ、そうなんっすね」

(ボクっ子かよクソ可愛いな)


 内心でそう突っ込みながら、男子は噂で聞いた”爆死”の話を思い出す。


「あんまり詳しいわけじゃないんすけど、確か黒井クロイ先輩はすっげぇ弱い精霊と契約したらしいっすね」

「確か”Fランク”だっけ? 聞いたことないよねー。精霊の最低ランクって”Eランク”のはずなのに」

「そもそも良くこの学園に入れたよね。魔術学園って、すっごく倍率高いのに」


 徐々に”爆死”についての噂話で盛り上がっていく3人を見つめながら、エリーは聞き慣れぬ単語に目を細めた。


「……黒井クロイ。それはユウトのことかい?」

「え? ”爆死”の人の話っすよね? 黒井、黒井クロイ悠隼ユウト先輩っす」


 何か間違いがあったのかと首を傾げる男子に、エリーは神妙な表情で頷く。


「あぁ、どうやら合っているようだね。ありがとう教えてくれて。それじゃあ、また」

「あ、はい!」

「さ、さようなら!」

「また!」


 最後まで恐縮したような態度の生徒たちに別れを告げて、再び廊下を歩き始めた。目に映る景色が、どこか色褪せてゆく。


(まだ、まだだ)


 先程の3人組でもう何度目か。すでに同級生から彼についての噂は嫌というほど聞いた。


 黒井クロイ悠隼ユウト。彼は歴史上、初めて最低ランクだった”Eランク”より低い”Fランク”の精霊と契約した。常にあやふやな語尾がつくのは、誰も彼の戦う姿を、そして彼と契約した精霊を見たことがないから。


(きっと嘘さ)


 そう信じたかった。嘘でなければ、一体何のためにわざわざ日本へ来たのか。


(答えは、1時間後にわかる)


 時刻は12時。入学式後のホームルームも終わり、放課後となっていた。



                  ◇



「…………」


 深呼吸をひとつ。神経を研ぎ澄ませ、五感全てで周囲を塵ひとつ残さず把握していく。


「…………」


 再び深呼吸。目を閉じて己を感じ、頭の頂点から足の指に至るまでを把握していく。


「――――」


 息を浅く吐きながら目をゆっくりと開ける。広がった視界に映るのは、片手剣型の模造された武装形態アームズ。鍔部分に赤い宝石が埋め込まれおり、強く両手を握りしめれば、分厚い革のグリップがしっかりとした感覚を返してきた。


 そのまま息を吸いつつ、正眼の構えからゆっくりと上段の構えに移る。一欠片のズレもなく、手にある剣の重さなど感じさせぬような軽やかさで、流れるように。


「――――」


 上段の構えで一度動きを止める。石像のように。体は微動だにしない。


「――ッシ!」


 一閃。


 振り下げた偽物の刃が空気を切り裂き、瞬間的な真空を作り上げる。その穴を埋めるように風が生まれ、僅かに前髪を揺らした。


 入学式が終わった昼頃。学生が個人で修練に励める自修室でひとり、ユウトは修練に励んでいた。


「……ふぅ」


 たった一度の素振りだというのに、全身から汗が滝のように吹き出している。ユウトは慣れた手付きでフェイスタオルをバッグの中から取り出し、顔と両手を軽く拭った。


 と、そこまでして他者が入室を求めるチャイムが鳴り響く。誰かを呼んでいる記憶はない。僅かに警戒しつつ、ユウトはフェイスタオルを首にかけてドアを開けば、そこに居たのはひとりの女子生徒だった。


「やぁ。入学式後なのに精が出るね、ユウトくん」

「アカネさん……」


 柔らかな桃色のポニーテールの髪を揺らして、アカネと呼ばれた女子生徒は余裕のある笑みを浮かべる。彼女が向ける表情はどこか大人びていて、瞳に武人特有の鋭さを備えていた。


「アカネさん、どうしてここに? 生徒会の仕事は良いんですか?」

「良いか悪いかで聞かれると、抜け出してきたから悪いだろうね」


 さも当然のようにサボりを公言したアカネに、ユウトは呆れ眼を向ける。


「生徒会長がサボりなんて、新入生に失望されますよ」

「ふふっ、まぁそんな雑務よりも気になることがあってね」


 気になること、と言われてユウトは何の話かすぐに見当がついた。というより、今日で”気になること”などひとつに限られるだろう。


「私たち3年の間でもキミとエリーくんの噂が持ちきりなんだ。どうせキミの事だし、修練でもしながら考え事をしてるんじゃないかと思ってきたわけさ」


 自修室に入室しながら少し得意げに笑ったアカネは、言外に「当たっただろう?」と伝えてきていた。当然、ユウトもそれに気付いて苦笑しつつ両手を上げる。


「降参です。で、何が聞きたいんですか?」

「当然、エリーくんの<魔術戦争マギ>を受けるのか、だね」

「受けませんよ」


 一片の迷いもなく答えたユウトに、しかしアカネは動じない。恐らくこの返しは予想通りだったのだろう。部屋の奥まで歩いてから振り向き、意味深な視線をユウトへと向けた。


「どうして?」

「負けが見えているからです」


 相手は”魔術先進国”とも呼ばれる北部ヨーロッパ出身の魔術師ウィザードで、世界で有数の”Sランク”の契約者。対するは日本の魔術学園で”爆死”と噂される、”Fランク”の契約者。


 賭けにもなりはしない。まず間違いなく、ユウトは負ける。


「どうして?」


 だが、それを承知しているはずのアカネは、同じ質問を重ねてきた。その問いかけの意味が「どうして負けるのか」ではないことに気付く。


「勝つだろう? 

「……買いかぶり過ぎですよ。そもそも、どうやって勝つっていうんですか」


 フェイスタオルをバッグに突っ込みながら、ユウトはため息をつきたい衝動を抑え込んだ。


(どいつもこいつも……嫌になる)


 常識に考えて勝てる訳がないと本人が言っているというのに、何故こうも否定してくるのか。ムカムカする胸の動悸を抑え、できる限り冷静に見せつけながら言葉を続ける。


魔術師ウィザードの素質は契約する精霊のランクに左右されます。あの日、”契約の儀”で――人生ガチャで”爆死”した時点で、俺の未来はもう決まってたんです」


 この学園の入学を控えた中学3年生の冬。魔術師ウィザードの素質アリと数多くの試験によって認められた生徒は、”契約の儀”を執り行う。そこで契約した精霊が強いほど、その生徒は将来を約束される。


 失敗は許されない。文字通りだ。故に”契約の儀”は巷で”人生ガチャ”と、そう呼ばれる。


「ランクが1つ違うだけで、勝率は4割あれば良い方。そんな格差があるのに、”Fランク”の俺が6つ上の”Sランク”に勝つ? ――あり得ない」


 自嘲気味に笑ってみせたユウトに対して、アカネは真剣な表情で「でも」と否定した。


「それでも、キミは

「……だから、どうしてそう言い切れるんですか。”Fランク”が”Sランク”に勝つ確率は、単純計算で0.01%ですよ」


 ランクが1つ違うだけで勝率4割なのだから、単純計算で”Fランク”が”Sランク”に勝つ確率はおよそ0.01%。これは年間で交通事故に合う確率よりも低いというのに、どうして彼女は断言できるというのか。


 拳を握りしめながら問うユウトへ、アカネは目を細めて何かを思い出すかのように天井を見上げた。


「3年前の秋。中等部最後の<魔術演習メイガス>で私を倒したのが、キミだったからだよ」

「それは今と状況が違います」


 精霊と契約するのは中学3年の冬。とはいえ、魔術師ウィザードを目指す少年少女たちが、それまでの間を悠然と過ごすのかと言われれば全く違う。魔術師ウィザードと成る前の人たちが、<魔術戦争マギ>の代わりに参加する大会が存在した。


 それが<魔術演習メイガス>。”模造武装”と呼ばれる武装を用いて魔術を操り、勝者を決めるスポーツだ。


「<魔術演習メイガス>には精霊の差が存在しないからこそ、ギリギリ勝てたんです。今、アカネさんと戦っても俺が普通に負けますよ」

「確かに”模造武装”は出力が一定で、1対1しか無い試合ルールだったからね。<魔術戦争マギ>よりも本人の力が勝敗を分ける」


 精霊と契約した魔術師ウィザードは、彼らが与える身体強化によって人外レベルの身体能力を獲得し、彼らが発現する魔法を操ることで多彩な魔術を放つ。だからこそ契約した精霊のランクが、そのまま魔術師ウィザードの強さに直結してしまう。


 それに対して”模造武装”はあくまで精霊の力を模造しているだけであり、与える身体強化や発現する魔法は極々僅かだ。結果として<魔術演習メイガス>は人の努力がそのまま結果に直結する。


「だからこそ、キミが勝てると私は信じているんだ」


 アカネは確信を込めた視線で、ユウトを見つめた。


「私の中学最後の<魔術演習メイガス>。私は優勝候補の1人だったし私自身、優勝する気は満々だった。でも、1つ年下のキミはそんな私を倒した。……で、ね」

「…………」


 あの日のことはユウトも覚えている。確かに勝利したし、圧勝と言っても差し支えない結果だった。しかし、結局それは<魔術演習メイガス>でのことで、<魔術戦争マギ>には全く関係がない。


 どれほど技術があっても、経験を重ねても、努力を積んでも、ユウトは人生ガチャで”爆死”したのだから。


「どちらにせよ、俺は<魔術戦争マギ>を受けません。……用事があるので、これで失礼します」


 乱暴にバッグを持ち、一瞥もくれず部屋から飛び出していくユウト。まるで、ではなく実際に逃げていく少年の背中を見つめながら、アカネは独りごちる。


「楽しみにしてるよ。キミが再び戦いの場に立つことを――そして、再びキミと戦えることを」


 その表情は、寂しげだった。

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