1話-1『”爆死”と”Fランク”』
暖かな陽の光に、舞い落ちる桜の雨。新たな出会いに心を踊らせ、制服を着た少年少女たちは桜並木道を歩いて校舎へと入っていく。
そんな不安と期待で様々な表情を見せる彼らを、
今どき珍しい純粋な黒髪黒目が特徴的で、一見すれば中肉中背な体型をしているが、学生服から覗く鍛え上げられた筋肉がそれを否定している。利発そうな細い瞳が、今はただただ空虚を映していた。
と、そんな彼に近寄る影がふたつ。
「よっ、ユウト。おはようさん」
「ユウっち、おはよーおはよー!」
背後から掛けられた声にユウトが振り向けば、いかにも軟派な男子と明るい幼い少女が近寄ってきていた。
男子の方はブリーチによって脱色した茶色の髪に、面長で整った顔立ち。身長が180cm後半と、ユウトを軽く見下ろすほどの長駆で、軟派な笑みが容姿に対して妙に似合っている。
幼い少女の方は、こちらは地毛らしい明るい茶色の髪に翡翠色の瞳。顔は、というより全体的に幼く、身長に至っては男子のお腹ほどしかない。ニコニコと笑みを浮かべているのもあって、可愛らしいという言葉がよく似合う。
「おはよう。リョウヤ、フウカ」
見知った相手にユウトは軽く微笑んで、すぐに幼い少女――フウカへと視線を向けた。
「珍しいね。今日は精霊を外に出してるんだ」
「あぁ。コイツが出せーってうるさくてな」
「むー、いいじゃん! 他の人はふつーに外へ出してるんだよ!?」
「お前を連れて歩くと警察の人に声かけられるから嫌なの!」
仲睦まじく喧嘩を始める2人……いや、1人と1体。
パッと見は人間の少女にしか見えないユウカは、実際のところ人間ではない。リョウヤと契約を交わした魔力生命体――<精霊>なのだ。
「ふたりとも、朝から元気だね」
「そーいうユウっちはあんまり元気ない? だいじょーぶ?」
コテンと首を可愛らしく傾げながらも、フウカは鋭い指摘を突っ込んでくる。どうやらリョウヤも同じことを思っていたらしく、冗談っぽく肩をすくめた。
「確かにフウカの言うとおりだぜ。今日から2年生に進級なんだ、周りみたいに少しは浮かれちゃどうなの?」
自分が思っていた以上に表情が暗かったらしい。
「あはは、気のせいだよ。心配掛けてごめんね」
誤魔化すように笑ったユウトに、リョウヤはこれ以上の追求を止める。一見、柔らかな雰囲気なこの少年が、実は頑固であるのを知っていたから。
その代わりにリョウヤは子供のような表情で笑いかけた。
「そういえばさ、昨日の<
「あぁ、当然見たよ。例年通りにイギリス対ギリシャで、優勝はイギリス。さすが、ヨーロッパ諸国は強いね」
例年通りという言葉がつくように、<
「とはいえ、今大会のMVPに選ばれるのは、恐らくツバメ選手かな。なにせ”最強”から
”最強”という言葉を出した瞬間、ユウトの胸にズキリと痛みが奔る。しかし先程リョウヤから指摘が合ったばかりだ、表情には出さない。
(……それに、もう過ぎたことだしね)
幸いにもユウトの心情に気づいた様子もないリョウヤは、感慨深そうに目を閉じた。
「あの準々決勝は滅茶苦茶アガったよなぁ。間違いなく、今年で1番盛り上がった」
「槍の人、早すぎて画面ぐわーってなってた!」
先日の試合を思い出しているのか、リョウヤとユウカは何度も頷いている。ユウトとしても、あの準々決勝は今でも昨日のことのように思い出すことができた。
音速に等しい速さであらゆる方向から息継ぐ隙すら与えず攻撃を繰り出し続けるツバメ選手と、それに対して片手だけであしらい続けるアーサー選手。そして最後には、ツバメ選手の渾身の一撃とアーサー選手の
「同じ
「リョウヤとフウカ
「でしょーっ!」
褒められたことに満足げな鼻息を漏らしたフウカに、ユウトは優しげな笑みを浮かべる。しかし、それを見ていたリョウヤは軟派な笑みを若干不満げに崩した。
「なーに『リョウヤとフウカなら』なんて言ってんだよ。可能性ってんなら、お前のほうが――」
「――無理だよ」
ピシャリと、ユウトは調子の良いリョウヤの言葉を途中で叩き切る。その黒い瞳は再び空虚へと向けられていて、
「知ってるだろう?
ただ淡々と事実を口にした。
「俺じゃ無理だよ。――”Fランク”と契約した、”爆死”の俺じゃ」
「お前は……それで良いのかよ」
良し悪しを問うリョウヤに、
「仕方ないさ」
ユウトは気持ち良いほどの柔らかな笑みを浮かべた。
「……!」
軟派な笑みを崩し、悲しそうな表情を見せたリョウヤは何か言おうと口を開き……予鈴が鳴り響く。
「ほら、先生くるよ。席戻らないと」
「……あぁ。フウカ、行くぞ」
「うん! じゃーまたね、ユウっち!」
生徒たちがそれぞれの席に座り終えた頃、ガラリと扉が開いて先生が入ってきた。
その先生を一言で表現するならば、やり手キャリアウーマンだろうか。サイドアップの黒髪にしっかりとアイロン掛けされたスーツ。極めつけは目が見えないほどに濃度の高いサングラスである。
キャリアウーマン風の先生は教壇に立つと全員を見渡してから、ゆっくりと口を開いた。
「今日からお前たち2年3組の担任を務める
見た目の雰囲気に圧倒されて教室は静か……とはならず、逆にどこか教室の生徒たちからは親しげな雰囲気が流れている。
「やった、またミナヅキ先生じゃん。よろしくね〜」
「あぁ、またお前たちの担任になれて私も嬉しい限りだ」
生徒からも暖かく歓迎され、僅かに頬を緩めたミナヅキだったが、ひとつ咳払いをすると持っているバインダーで教壇を軽く叩いた。瞬間、にわかにザワついた教室が一気に静かになる。
「さて、今日からお前たちは2年生となった。今までの研鑽を糧に<
ひとつ呼吸を置いて、ミナヅキは生徒たちを見渡した。
「お前たちは、魔法を発現する精霊と契約することで術理を操れるようになった
現代の
――それが、ただのスポーツであれば。
「知っての通り、<
野球やサッカーなどのスポーツは、選手1人に数億という金が動く。巨大なスポーツになると1人の選手にそれだけの価値があり、それ以上に集金力があるためだ。
「故に日本に4校ある魔術学園のどれかに通うためには、想像を絶するほどの苦難に立ち向かわなければならない」
国力にも直結してしまうがゆえに、国を挙げて魔術師育成を行う。結果として、
「宣言しよう。お前たちはエリートだ。これからの日本を担う最高峰の人材だ。――だからこそ、お前たちの奮戦に期待する。良いな?」
「はいっ!」
元気な返事が聞こえ、ミナヅキは口角を上げながら頷く。
「よし。なら今から新入生の入学式だ。時刻8時50分までに体育館へと向かうように。それでは一旦解散」
その言葉をきっかけとして、教室は一気に緩やかな空気へと変わった。騒がしくなった教室を見つめながら、ユウトは小さく伸びをする。最後尾に座っているので、此処から教室の様子が良く見えた。
(……相変わらず人気者だなぁ)
特に目立つのはリョウヤと、その席周辺を囲んでいる学生の姿だろう。活動的でイケメンなリョウヤは非常に顔が広く、常に時間があれば人が周辺にいるのだ。進級によってクラス分けをしないこの学園では、お馴染みとなりつつある光景でもある。
「ねぇリョウヤくん、聞いた? 新入生の噂!」
「噂? いや、俺は知らないね。どんな噂なの?」
と、1人の女子生徒がリョウヤへ話しかけた内容に、思わずユウトは耳を傾けた。どうやら他に集まっている生徒たちも知っているらしく、各々が話し始める。
「あ、それ私も聞いた! 確か、北部ヨーロッパの人がこの学校に入学するんだよね」
「え、マジで!? どうしてまた日本なんかに」
「いやー流石にそこまでは。誰か知ってる?」
噂話を喋っていた女子生徒が周りに目を向けてみるも、どうやら誰も知らないらしく首を横に振っていた。それを見た噂を知らなかった男子生徒がやれやれと肩を上げる。
「何だよ、使えないなぁ」
「なんだとー!」
「リョウヤくんに集ってるモブ男がエラそーに!」
「おいコラそれ言ったら戦争だろうがっ!」
お巫山戯の喧嘩になったところで、ユウトは意識をそこから切り離す。
(北部ヨーロッパってことは、スウェーデンとかデンマークあたりの人ってことか……? ”魔術先進国”がなんでまた)
先日の世界大会でも優勝、準優勝しているのがヨーロッパの国であることから、ヨーロッパ地方はその殆どが”魔術先進国”だ。常にハイレベルの
ならば何故、わざわざそんな”魔術先進国”の
諦めの息を吐いて、ユウトは席から立ち上がった。時間的にもそろそろ移動しなければならない。周りを囲う人の隙間から、リョウヤへと軽く手を振る。
「リョウヤ、体育館行こう」
「おっけーおっけー。んじゃ、みんな後でな」
周囲に集っていた学生たちに軽く手を上げて、リョウヤはユウトと共に廊下へと出た。
気持ち早めに着くようにユウトたちは体育館へ向かい、その入口が見えてくる頃、不意にリョウヤが遠くを見るため目を細めて呟いた。
「……お、アレ新入生じゃね?」
それに釣られてユウトも同じ方向へ視線を動かせば、大量の見知らぬ生徒たちが列を作っているのが見える。リョウヤの言う通り、恐らく今日からこの学校に入学する新入生たちだろう。
「真新しい学生服が初々しくて良いねぇ。お、あの子カワイイ〜」
「俺の隣でそれはやめてくれ……」
さっそく女の子を物色し始めたリョウヤに呆れつつ、ユウトは妙な居心地の悪さを感じていた。
「ねぇあの人……」
「もしかして、例の”爆死”の人?」
「黒髪黒目だし、そうでしょ」
「あー、”Fランク”と契約したっていう」
原因は間違いなく、新入生たちの好奇の目が遠慮なく突き刺さっているから。
「相変わらず人気者だな、ユウト」
「嬉しくないよ……」
去年も同学年や上の学年から同じような視線に見舞われていたのを思い出して、ユウトは諦めの溜息を溢す。あらゆる場所より刺さる視線から逃れようと、歩く速度を上げた。
「――見つけた」
だからだろう。早足で体育館へと入っていくユウトの背中を、1人だけ周りと違う種類の視線で見つめていたことに気づかなかったのは。
◇
その後は特筆すべき点もなく、通常通り入学式が始まり、新入生が体育館へと入場していく。
「どれだよ、噂の人って」
「とりあえず外国人っぽい奴だろ」
通常通りではなかったのは、在校生たちが順々に入っていく新入生たちを随分と入念に見つめていたことだ。視線の求める先は全員同じ、北部ヨーロッパからわざわざ日本に留学してきたという外国人である。
ズラリと並ぶ新入生の列。その最後尾が見え始めたとき、不意に誰かが呆然と呟いた。
「え、留学生メッチャ美人じゃん……」
思わずといった様子の声を発端として、人々の目が続々と最後尾へ集まり始める。あまりの視線の量に、全体を何となく眺めていたユウトもチラリと最後尾へ視線を動かし――目を、見開いた。
「もしかしてあの子って」
「え、嘘マジで?」
噂の留学生。
「”白亜の騎士”エリー・レンホルム……!?」
その正体は、現代に現れた女騎士だった。
日本人ではないとひと目でわかる彫りの深さ。その上で顔のバランスは高いレベルで整っており、歩くその所作もどこか気品を感じられる。髪は白みを帯びた金色で、動きやすさを重視してか後頭部に団子を作っていた。
紛うことなき美人。しかもテレビでも中々お目にかかれないほどの。
だが彼女の評価はただの『美人』では収まらない。
「エリー・レンホルムって、知ってるのかユウト」
「逆になんでリョウヤは知らないのさ」
隣の席で可愛い子を飽きもせず探していたリョウヤが、エリーの美しさに惹かれつつユウトへ問いかけてくる。
「中等部世界大会、そこで準優勝した北部ヨーロッパ代表のメンバーだよ。……そして、世界に十数人しか居ない”Sランク”の精霊と契約した1人でもある」
「……ドエライ大物じゃねぇか」
「だからみんな驚いてるのさ」
去年開催した中等部の世界大会では、優勝はイギリス率いる中部ヨーロッパで、準優勝が北部ヨーロッパ。流石にイギリスに勝てないまでも、世界大会で準優勝は輝かしい戦果だ。
「なんで、こんな途上国に」
日本は科学で誇れる部分もあるものの、こと魔術に関しては発展していると言い難い。近年になって、ようやく世界大会の常連になり始めたレベルなのだ。
「なんだ、この違和感……」
エリー・レンホルム。彼女を見てからユウトは奇妙な違和感に襲われ続けていた。脳裏が疼くような、何かが不意に現れそうな、不思議な感覚。
(どこかで、会ったことがあるような)
結局、それは入学式が本格的に始まっても消えることはなかった。
「新入生代表挨拶、エリー・レンホルム」
「はい」
広い体育館の中で、”白亜の騎士”の声が響き渡る。女性的というより中性的な、ジャンル分けをするならカッコイイになるような声。実際、何人かの女子がうっとりした表情で聞き惚れている。
数多くいる新入生の中でも一際目立つ、地毛らしい金髪を揺らしてエリー・レンホルムは席を立った。不安の欠片も感じない余裕ある顔つきで、彼女は在校生の前を通り壇上に登る。
そう思われた。
「え……?」
誰かが呆けた声を出す。
「お、おい。レンホルム君?」
噂の留学生。エリー・レンホルムはあろうことか壇上への道を通り過ぎ、在校生のもとへと歩き始めたのだ。突然の奇行に思わず教頭が声を上げるが、それを気にした様子もなく、彼女は真っ直ぐに目的地へと向かっていく。
「春の息吹が感じられる今日、私たちは国立
ゆっくりと、しかし確実に歩きながら新入生の挨拶を述べ始めるエリー・レンホルム。凛とした中性的な声が、流暢な日本語を奏でて体育館中へと届かせる。
「私たちがあらゆる面において憂いなく
その言葉とともに、女騎士は立ち止まった。
「だから、その一歩として――」
真っ直ぐで淀みのない視線の先に居たのは、日本でも珍しい黒髪黒目が特徴的な少年。
「――ユウト。キミに、会いに来たんだ」
「キミ、は……」
透き通っているようで強い意思を秘めた瞳に射抜かれ、脳裏の疼きが強まっていく。
どこかで。どこかで会ったことがある。この瞳に。
『エリーね、どうしたら強くなれるかなぁ』
疼きが引っ張り出してきたのは、記憶。
『努力? ……諦めなかったら、強くなれるの? キミみたいに?』
そう。そうだった。幼い頃に一度だけ会ったあの少女。努力が実らず、才能という言葉に縛られていたあの少女だ。
思わず開きかけた口が彼女の名前を呟こうとして、
「……え?」
パサリ。そんな音と共に、白い布切れがユウトの胸にぶつかり床へ落ちた。視線を下へと向ければ、それが彼女の付けていた手袋だったことに気づく。
他者へ嵌めていた手袋を投げつける。その行為が示すものは、ただ1つ。
「エリー・レンホルムの名において、ユウトに――<
紛れもない、決闘の宣告だった。
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