とおこちゃんの、ふしぎなめがね

緑茶

本編

 とおこちゃんは、地元のちいさながっこうにかよう、おんなのこでした。

 じっさいはおんなのこではなかったかもしれませんが、みんながそう呼ぶので、

とおこちゃん自身も、じぶんがそうだと思っていました。


 とおこちゃんの住んでいる国は、なにかおおきな「戦争」というのをやっていて、

いつか「べーえー」とかいう、こわいひとたちがせめてくるから、たたかいの準備を自分たちもしなければならないと、先生や大人たちが言っていました。


 それはきゅうにはじまったような気がしたのです。

 少し前までぜんぜんそんなことなかったのに。

 そして、それが急だと思っていると言ったら、とおこちゃんは叩かれて、蹴られました。

 いじめられていたのです。

 しらない、聞いたことのないことばでたくさん怒られました。


 とおこちゃんは、えをかくことが好きだったので、そんなみんなを、とてもこわくかんじていました。

 とおこちゃんには、みんなにはみえないものがみえました。


 みんなが、「戦争」についてさかんにさけびあい、お互いに励ましあっているなか、その背後に、影の中に、大きな黒々とした、ばけもののようなものがみえたのです。それには名前がありませんでしたが、まるでみんなをあやつっているように見えました。


 だからとてもこわく、にげました。

 にげて、家の裏に行きました。

 そこが、とおこちゃんの、一番あんしんできるばしょでした。


 そこは少し前まで大きな木の家がたっていましたが、えらいひとたちが使うというので、解体されて、木材の全部が持っていかれてしまったのです。

 だから、そこはとおこちゃんだけの空き地でした。

 そこでとおこちゃんは、自由にえをかいていました。


 それはとおこちゃんの夢があふれる、ふわふわした世界の絵でした。

 いきものがしゃべり、みんな笑顔で、おかしや、花があふれるせかい。

 学校の先生には、ちっともほめられたことがありません。

 とおこちゃんはめがわるかったので、写生の授業ではいつもへたっぴだったのです。

 でもとおこちゃん自身はぜんぜんへいきでした。

 だって、そんなものがみえなくたって、自分には、すてきなせかいが見えるのだと、そう思っていたからです。


 だけど、それでもとおこちゃんにとって、学校でいじめられるのはつらいものでした。どれだけ絵をうまくかいても、殴られたりけられたりするのが止まるわけではありません。

 それに、とおこちゃんのお母さんも、ちっとも味方をしてくれません。

 ともだちがいなかったので、他の誰かがきずついたりすることはありませんでしたが、やはりそれは、つまらない日々でした。


 そんなあるとき、とおこちゃんはいつものように空き地にいきました。


 空き地には、おおきな、黒々とした木が一本たっています。

 みんながそれを気味悪がって近づきませんでしたが、とおこちゃんはそれを「ゴッホの木」と呼んでいました。

 そのどこまでも広がるような黒い木が、好きだったのです。


 こかげにすわって、絵を描こうとしましたが、その日はいつもよりひどく殴られたので、傷がじんじん痛みました。

 だから、とおこちゃんは泣きました。そのせいで、しばらく描くことができませんでした。

 ああ、こんな日々が、はやくおわればいいのに!


 そう思った時でした。

 とおこちゃんは、地面から見える木の根っこに、何かが落ちているのにきづきました。


 なんだろう、とおもって拾ってみると、それはめがねでした。

 ふしぎなことに、レンズの形がろっかっけいでした。

 そして、なんだかすごく、吸い寄せられるような気がしたのです。


 思い切って、つけてみると、とおこちゃんはびっくりしてしまいました。

 なんと、いままで、カスミがかかったようにぼんやりしていた何もかもが、急にはっきりと、見えるようになったのです。


 じめんにいる虫や、家のかわらまで、全部がくっきり、とおこちゃんの目に飛び込んできました。


 とおこちゃんはおおいによろこびました。

 なぜって、これでもっと、たくさんの絵が描ける、と思ったからです。

 いままで、どんなかたちかわからないから空想で描いていたものも、今では自由に描けるようになる。


 そうおもったとおこちゃんは、さっそくそのめがねをつかって、色んなところにでかけるようになりました。

 遠い山並みや、海の向こうに浮かぶふね。

 いろんなものを目で見て、描くようになりました。


 とおこちゃんの絵はどんどんふえていき、たくさんになっていきました。

 学校でも、写生が上手になったと褒められるようになりました。

 なぜって、かくものが、とてもはっきりと見えるからです。

 このとき、とおこちゃんは、はじめて、じぶんが一人ではないような気がしたのです。


 とおこちゃんは、それからもたくさん絵を描いていきました。

 それは止まらなかったのです。朝も夜も、空いた時間になればかきつづけていました。


 でも、だけど、しあわせなじかんはながくはつづきませんでした。

 「戦争」がますますはげしくなって、薄暗い、どうくつのようなばしょに逃げ込まなきゃいけないときがふえたのです。

 そこは冷たくて、おまけになんどもゆれてこわく、絵なんてちっとも描けません。

 新しい絵を描くよゆうが、すっかりなくなってしまったのです。

 それだけなら、まだがまんできたかもしれません。


 でも、とおこちゃんにとって、それは、あることの、おわりを意味していました。

 とても大きなことの、おわりを。



 とおこちゃんは、ほとんどなにも見えないなかで、写生なんてできないことに気付いたので、また昔のように、空想に頼って絵を描くことにしました。

 そうだ、むかしにもどるだけだ。

 めがねはたしかに楽しかったけど、こんなものに頼らなくたって、自分はえをかけるんだ。


 そう、思っていました。

 でも実際はちがったのです。


 なぜか、ぜんぜん、まるで描けないようになっていたのです。

 いろいろ考えようとしても、ちっとも頭に浮かびません。

 どうぶつはしゃべらなくなりました。花や木は、虹色ではなくなりました。

 全部が、地味な茶色や緑色になっているような気がして、そのせいで、ぜんぜんペンが進まないのです。


 とおこちゃんは、とてもこわくなりました。

 なぜだろう、どうしてだろう。

 わからない、わからない。


 それからながいじかん、とおこちゃんは必死にがんばりましたが、まるで描けません。

 これまでなんとか頑張っていたものが、急になくなってしまうような感じがしました。


 とおこちゃんは、それでもかくことをやめませんでした。

 「戦争」が終わったら、外に出よう。

 そして、またあの眼鏡を使って明るいところで絵をかいて、うんとほめてもらうんだ。


 その願いが通じたのか、少しして、「戦争」はおわりました。


 とおこちゃんはとてもはれやかなきもちになって、安心しました。

 やった、これでまたもとどおりだ。


 とおこちゃんはめがねをかけて、絵を描く日々に戻りました。

 それから、今まで描いてきた、あの秘密の絵たちを、先生たちに見せることにしたのです。

 めがねをかけている今の自分なのだから、きっとほめてもらえる。

 居場所が出来る。もう、なぐられない。


 そうおもっていました。


「これはぜんぜんよくない。ちっとも、きみらしくない」


 先生は、とてもつめたいめで、そしてなぜか、すごくかなしそうな目で、そう言ったのです。


 たくさんの「なんで」が、頭に浮かびました。

 わからないままでした。わからない、わからない。


 とおこちゃんはトボトボとおうちにかえり、わらにもすがるようなきもちで、自分の描いた残りの絵をみました。


 それからとおこちゃんは、とてもおどろいてしまいました。

 たしかに、その絵は、ぜんぜんよくなかったのです。


 昔みたいに、別の世界が広がって、こころがおどるような感じが、まったくなくなっていました。

 いきものはただの石ころみたいになっていたし、山は枯れて、空は灰色でした。


 とおこちゃんは悲しくて、悲しくて、いっぱい、たくさん泣きました。

 涙が落ちていくたびに、自分の中から、何かが剥がれ落ちていくような気がしました。


 それでも、とまりませんでした。


 さいごに泣き終わったとき、とおこちゃんは、自分の絵をもう一度見て、それが涙でぐしゃぐしゃになって、そしてやっぱり、ぜんぜんつまらないものだと思いました。


 遠くから、お母さんがごはんによんでいます。

 お父さんは、あと数日で帰ってきます。


 とおこちゃんは少し考えたあと、その絵をぜんぶあつめて、近くの川に全部ながして、捨ててしまいました。


 それからとおこちゃんは、二度と絵をかかなくなりました。



 あれからしばらくして、とおこちゃんは遠いところに引っ越して、結婚して、絵のことなんか忘れてしまいました。

 でも、なぜでしょう、あの、昔、家の裏にあった大きな木のことだけは忘れなかったのです。


 ある時とおこちゃんは、久しぶりにそこに帰ってきて、あの木がどうなっているのかを見に行きました。


 そこには、木がありませんでした。

 かわりに、ふつうの家がたっていました。


 とおこちゃんは、その家の人に、木のことをたずねましたが、不思議そうな顔で、こういわれました。



「ここの前の、空き地のことかな。木なんて、はじめから生えてなかったけどなぁ」



 とおこちゃんは、あの時、そこに、なにをみていたのでしょう。

 いまになってもわからなくて、とおこちゃんは、時たま思い出しては、頭をひねるのでした。

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