その名は「G」
いちはじめ
その名は「G」
やれやれ、何とか来年を迎える準備は整った。
来年は十二年ごとに訪れる彼の干支の年。卯は今年の半ばから『引継の儀』の為の準備を進めていた。それもほぼ終わり、後は大みそかに神前にて粛々と儀式を進めていくだけだ。
だが卯の顔は何だか憂鬱そうだった。
卯は毎年この時期になると、昔の自分の軽率な行動――できれば忘れ去りたいのだが、そうはさせてくれない――が思い起こされて後悔の念に苛まれるのであった。
来年が俺の干支だから今年は更に憂鬱だ。
その出来事とは、世間一般に広く知られているあの「ウサギと亀のかけっこ」のことである。傲慢からくる油断により、かけっこでは到底ウサギにかなうはずもない亀に、ウサギが負けてしまう話。これだけなら卯もさほど気に病むことはなかったのだ。何しろ先々代にはワニに丸裸にされた御仁がいるくらいだから、かけっこで亀に負けたことくらい大したことではない。
だがあの話には伝えられていないもう一つの真実が隠されていたのだ。
実はそのかけっこに、卯はあるものを賭けていたのだ。思い出すのも忌々しく、自分のバカさ、軽率さに腹が立つ。
その賭けの内容とは、俺が負けたら、俺の干支をお前に譲ってやるよ。その代わり俺が勝ったら竜宮城へ招待しろ、というものだった。
卯は思う。何と愚かな賭けだったのかと。当時の俺は陸亀と海亀の違いも分からなかったのだ。奴はそれを見越して賭けを受けたのだろう。負けても海亀に頼んでみたけどダメだった、と言い訳できると踏んでいたのに違いない。
えっ、いまだに干支を譲っていないじゃないかだと。当たり前だ、神様から頂いた干支を自分の一存で亀なんかに譲れるものか。まあ姑息だが、いつ譲るとは言ってない、と今の今まで約束の履行を先延ばしにし続けている。だからだと思うんだが、亀の奴は毎年年の瀬になると、挨拶だと称して俺のところに来るんだよ。鬱陶しいったらありゃしない。あの約束のことをガンガン言ってくれりゃまだしも、それをおくびにも出さないで帰っていくんだから憂鬱にもなる。
卯はそう愚痴りながらも、もうそろそろ奴が来る頃だと酒や肴を用意した。
そうこうしているうちに亀が訪ねてきた。
「や~あ、ウサギさんこんにちは、今年も、寄らせてもらうよ。それにしても、ウサギさんは、いつ見ても元気だね」
亀はいつもの通り、歩みと同じのんびりした口調で挨拶をした。卯はこの亀のリズムが苦手だった。
「カメさんもご健在でなにより。さあ上がっておくれ、好物のつき立ての餅も用意しているよ」
「おっ、そりゃいいね。私は、ほれ、今年も君の好物の、これを持ってきたよ」
そう言って、甲羅に背負った団子を卯に差し出すと、卯は悪いね――俺はこれに目がなくて、これだけは亀に感謝している――、と言ってそれを受け取った。。
そして二人は今年の世相などを肴に酒を酌み交わし始めた。
卯は思う。こうして話してみると、こいつは悪い奴ではない。ただやはりあの件がどうしても頭の隅に居座っていて、つい引け目を感じてしまう。しかし、もうこんな思いはそろそろ終わりにしたい。
そこで卯は、ここ数年温めてきた代替案を切りだすことにした。
「ところでカメさんや、もうずいぶん前になるが、あの時の約束を覚えているかい」
卯は亀の反応を窺った。
亀は、う~んとうなりながら首を突き出した。
「ああ~、かけっこの時のことだね」
やっぱり水に流してはくれてなかったんだ。まあいい、俺も長年のわだかまりにけりをつけたいと思っていたところだ。
卯はこれまで考え抜いた秘策を胸に、おもむろに話を続けた。
「ネコの野郎の件で知っているとは思うが、干支には再選別とか総取っ替えのような決まり事がないんだわ」
「ああ、そうだったね。ネコくんも、執拗に、神様に訴えていたようだけどね……。でも約束は約束だからね」
――おお、久しぶりに聞いたぞ、その台詞。
「当然だ、約束は約束だ。だからといって干支はどうにもならない。で、相談なんだが……」
「相談?」
亀の首が一段と伸びた。
「聞いたところによると、西の神様のところには使徒というものがあるらしい。この使徒も干支と同じように神様の使いで、なんと干支と同じく十二使徒なんだそうな。そこでカメさんにその使徒に加えてもらうように、神様に頼んでみる、というのはどうだろう」
「使徒?」
「悪い話じゃないと思うんだが……」
亀はしきりに首を回している。どうやら乗り気で思案しているらしい。
卯の言った使徒のくだりは本当だが、それに加わったり入れ替わったりできるかどうかは全く分からない。ただ、ここまでお膳立てすれば、それが叶わなくてもカメはあきらめてくれるだろう、というのが卯の算段だった。
「いいね、それ。じゃあ、神様に、お願いしてくれるかな」
「よし、決まり。今度の『干支引継の儀』が済んだ後頼んでみるよ。約束だ」
「こんどこそ、本当に、約束だよ」
そう念を押すと、亀は上機嫌で帰っていった。
卯は『干支引継の儀』を滞りなく済ませた後、ダメもとで神様にその旨をお願いした。驚いたことに、神様は二つ返事でその願いを聞き入れてくれた。
その後、その年の干支として忙しい日々を過ごすうちに、卯はすっかりそのことを忘れてしまい、あの願いがどうなったのか知らなかった。
それから数年後、卯は鬱屈とした日々を過ごしている。
――亀の奴にあんな提案するんじゃなかった。
亀は願い通り『使徒』――といっても本物の使徒ではなく、物語上の使徒なんだが――となることができた。
亀は『使徒』のラスボスとして、世界で知らぬものがいない日本の絶対的モンスターであるGジラと、同じく世界で大人気のSFアニメキャラのEヴァと映画で共演し世界的な人気を博したのだ。卯もこの映画を観たのだが、口からプラズマ火球を吐き、肢体からのジェットで回転しながら空を飛ぶその姿に度肝を抜かれた。世界的な人気キャラクターとなったことに納得せざるを得ないそのかっこよさに、嫉妬の念を抑えることができないのだ。
卯を再び後悔の念に突き落としたその『使徒』の名を「G」という。
(了)
その名は「G」 いちはじめ @sub707inblue
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