第30話 逆張りは反応が沢山もらえるよね、という話
前回(https://kakuyomu.jp/works/16817330651319871394/episodes/16817330658944766750)、土木の変について語った中で
「明末清初における于謙の評価問題」 新田元規
徳島大学総合科学部 人間社会文化研究 第 25 巻 2017年
上記タイトルで検索すれば全文閲覧できるので、興味がある方はぜひどうぞ。
こちらの文献、「于謙をどう評価すべきか」という疑問への直接の答えにはなっていないのですが、当時の人々の激論を見て、今も昔も人間って変わらないんだなあ、と感慨に耽ることができました。
いったいどういうことなのか、以下、本論の概要を軽く説明します。
明末清初にはすでに、于謙の評価はおおむね「救国の英雄」と定まっていました。「漢民族王朝」が「異民族王朝」にとって代わられつつある時代でもあり、北虜の圧力に抵抗した人物が評価されるのは、宋の岳飛と比較しても分かりやすい心理ではないかと思います。
が、そんな中で「于謙は
于謙の道義上の瑕疵とは、前回でも触れた「
易儲問題における于謙の沈黙、それ自体は当時から「英雄」の「瑕疵」として認識されてはいたようなのですが、多くの人はそれはそれとして于謙は「社稷の臣」と評価していたところ、侯方域はさらに于謙の心中を推量して「弾劾」します。
すなわち、「易儲は自身の発案ではなく、責任があることでもないから天下から指弾されることはないだろう」「英宗を退位させた経緯があって権勢を握ることができたのだから、景泰帝の不興を買う訳にはいかない」「英宗の子が帝位を継ぐことを恐れた」等々の利害・保身の計算があったであろうから、功績は認めつつも「社稷の臣」ではないのだ、と。
手放しで「社稷の臣」と認めるためには、常に身命を惜しまず皇帝の怒りを恐れず道義的に「正しい」振る舞いをしなければならないということですね。とても厳しい。
この、ある種極論とも言えるような侯方域の于謙論に対して噴出した様々な反応・反論の紹介が本論のメインになりますが、この流れ、現代人目線だと既視感がありまくる展開ではないでしょうか。極論で逆張りしてみせると反応がいっぱいもらえるという、SNSや掲示板におけるtipsですね(誤ったことをあえて強い口調で述べると有識者から正しい情報が集まる、とも言いますが、今回はそこまでは行かないかなと)。
侯方域が逆張りや挑発のつもりで提議したのか否かは不明ですが(昨今のインターネット論客と違って、彼はれっきとした学士ですし)、彼の于謙論への反応もまた、現代のネット炎上をちょっと彷彿とさせるものがあったようなのがとても味わい深かったです。
私などは「保身を考えても良いじゃない、人間だもの」と思うのですが、当時の人々は救国の英雄には無謬の存在でいて欲しかったのかどうなのか。明らかに強引な論法も散見できたものですから、どんな心理で論理展開したのかなあ、とにこにこしてしまいます。
以下、侯方域への反論で面白かったものを抜粋します。
・兄を幽閉した景泰帝のこと、強く反対すれば英宗やその皇子に危険が及びかねなかった。易儲を座視したのはふたりを守るための于謙の深謀遠慮である。
・于謙は、景泰帝の意思が固いのを察して、後日説得する機を窺うつもりだった。決して我が身惜しさのために沈黙したのではない。
・諫言によって自分が殺されてしまえば、国のためにならない。常に潔癖な行動で世論や後世の称賛を得ようとすることこそ無責任である。
そもそもの侯方域の論でも「あろう」で于謙の心中を勝手に推し量っているからでもあるのでしょうが、歴史上の人物に対して、丁寧に忖度してあげているなあ、と思います。あと「こういう深謀遠慮があったから」で許されるなら、「常に道に基づいて行動すべし」というお題目は何なんだろうなあ、とも思います。最後の指摘に関しては、重要なのは皇帝なのか国家なのか、それを支える臣下なのか、どこに軸足を置くのかという考え方の違いも感じられてそれはそれで興味深い論点になりそうですが。
ちなみに、上記のような論理の展開は、景泰帝は臣下の諫言を聞き入れないに違いないという推量をも前提にしているのがまた面白いですね。まあたぶん実際もそうだっただろうとは思うのですが、于謙を擁護するために景泰帝の度量が巻き添え的に貶められてるという。
擁護・攻撃したいという前提のもと、その対象の関係者等が「相対的に」かつ時に無理筋な毀誉褒貶を被るというところ、現代でもよく見る事象のような気がします。
また、于謙の行動の是非にとどまらず「こうすべきだった」「こうしておけば良かった」のご提案が様々に出てきたり、侯方域が触れていない点(そもそも英宗帰還後に復位させるよう景泰帝を説得すべきだった等)が論じられたりなど、話が逸れたり広がっていく様もまた、SNSに通じるものがあるのではないかと思います。話題に乗っかって語るのは楽しいですからね……。
さらなるアクロバティック擁護として、「皇室の家庭内の問題だから、そもそも易儲について于謙は口を挟む立場になかった(=だから沈黙していたのは正しい)」という論理もありました。これはさすがに直感で「いやいやいや」と思うのですが、明らかに誤った極論も飛び出してくるのも非常に現代のインターネット的ですね。
当時のことだから、木版で印刷→流通→反論を筆で書いて印刷して──という流れだったはずだと思うのですが、実際のところどれくらいのスピード感だったのかなどに思いを馳せるのもまた興味深いです。
今回は純粋な興味から発掘した文献でしたが、創作の作中世界においても、人物や事件について後世でどんな評価がされるのかなあ、と想像を広げるのは楽しいものです。また、拙作に登場する皇帝も即位の経緯にちょっと後ろめたさがある人でもあり、擁護や非難にどんな論理があり得るのか、その際の語彙や言葉遣いなど参考にできそうでしたので、良い実りになったのではないかと思います。
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