第2話 『普通』

 「出来た……」


 とうとう彫刻が完成した。心臓を守るように両手を胸に当てる少女の像。まさに作りたかったものだ。


 一心不乱に仕上げたから徹夜していて、窓からは曙光が差し込んでいた。


 「やった……。間に合った……」

 

 私の悲願。それが成就した。安堵のために全身から力が抜ける。その流れのまま、布団で眠りについた。




 昼も大分遅くなってから起きた。中々に爽快な目覚めだ。これも全て望みが叶ったからだ。


 リビングに行くとお母さんがハッとした顔をした。


 「完成、したの?」


 「ん?うん。完成した」


 「……そう」


 良かったね、なんて言わない。そりゃそうだ。彫刻が完成した今、私はもう死を待つだけの身になったのだ。


 「あ、お腹減ってるでしょ?座ってて」


 お母さんは無理に笑うとキッチンへと消えて行った。


 


 「掃除、しなきゃな」


 自分の部屋を見渡してみると結構散らかっている。まあ彫刻製作に専念してたし仕方ない。


 「……片付けるか」


 散らかりっぱなしの石膏や彫刻刀なんかをまとめていく。どうせだから死後、お母さん達が片付けに困らないようにあらかじめ片付けておくことにした。


 読み終えた後、積み上げたままのマンガを棚に戻す。もう読まないやつはダンボールに入れた。服も衣装棚から出して整理していく。


 「ぐ……、うぅ……」


 そうやって片っ端から片付けていく内に悔しくて涙が出てきた。もし私が健康だったならこんなことしなくていいのだ。死にたくない。本当に、どうしていいか分からないほど死にたくない。ただただ胸の内が一杯になって、それでも止まらず涙となって溢れてくる。


 「嫌だ……」


 片付け終えると部屋は恐ろしく殺風景になった。布団はいつも押し入れに仕舞っていることもあり、部屋には机以外、一切の物が無くなった。もともと沢山は無かったけど、こんなにも綺麗さっぱり無くなってしまうとは思わなかった。


 自分でしておいて何だけど後悔している。空っぽになった部屋からは一切の生活感が無くなった。積み重ねてきた生活の証と共に私もいなくなったみたいだ。こんな悲しさは初めて知った。


 死にたくない。恐怖が体も心もむしばむ。あとどれほどこの恐怖を感じていなければならないのだろう。


 いっそ自殺しようか?やりたいことは全てやった。これ以上やりたいことが出てきて未練が出来る前に死ぬというのは中々良い選択肢に思える。


 どうやって死ぬのが一番苦しまないかな。銃が手に入るならきっとそれが一番楽なんだろう。現実的にできるのは首吊りか包丁で首を切るとかかな?


 思考を断ち切るように扉がノックされて、妹の冴月さつきが入ってきた。空っぽになった室内を見て驚いていた。部屋の隅でうずくまる私の方を見て息を呑む。私はどんな表情をしているんだろう。おっかなびっくり、冴月は聞いてきた。


 「ねえお姉ちゃん、彫刻、完成したんだって?」


 「うん……」


 目線を机の上にやってそれだよと伝える。


 「へぇ……」


 しげしげと眺めた後、おもむろに手に取った。持ち方が気になる。かなりぞんざいな扱いだ。


 「これを壊したらさ、お姉ちゃんまた作るよね?」

 

 「……え?」

 

 壊す?彫刻を?執念の果てに完成させたものなのに?


 「え、な、なんで?」


 「お姉ちゃんさ、今自殺しようとか考えてたでしょ」


 ズバリ言い当てられて動揺が顔に表れる。

 

 「やっぱり……」


 冴月は顔をうつむかせた。表情は窺い知れないが彫刻を握る手は震えている。睨みつけるように私を見据える目は濡れていた。


 「お姉ちゃんのバカ!」


 その一声が堰き止めていた感情を決壊させたようだった。大泣きしてしまってどうしたらいいのか分からない。自分が泣かせてしまったことが辛い。


 なんとかなだめめようと冴月を抱きしめた。冴月は泣きじゃくりながら思いの丈を話し始める。


 一番驚いたのは私のことを羨ましいと言ったことだ。余命数ヶ月なのに何を羨ましがるというのか。


 「お母さん達がお姉ちゃんにかかりきりだからだよ。その分の愛情が私もほしい」


 「でも私は18年しか受けれないけど冴月はこの後何十年も生きて受けられるでしょ?」


 「そうだけど……。でも今しか受けられない愛情もあるでしょ?大人と子供じゃ扱いが違うでしょ?」


 ああなるほど。確かに関係性が変われば当然関わり方も変わる。現在、両親は私にかかりきりで、冴月にはそれが愛情に見えるのだろう。確かに、愛情が無ければ構ってなどくれない。そう考えると、今両親の愛情の大部分は私に注がれている。だから冴月は私を羨ましがっているんだ。


 「そうじゃなくてもさ……」


 途切れ途切れに冴月は言葉を繰り出す。


 「お姉ちゃんがいなくなっちゃうのは、嫌だよ」


 その言葉を受けてやっぱり私はただ冴月を抱きしめることしかできない。


 「ごめんね、ごめんね」


 かろうじて謝ることもできた。でもそれは冴月にとっては些事だった。


 「うるさいバカッ!お姉ちゃんなんか大っ嫌いだ!」


 そう叫ぶと彫刻を持ったまま部屋を飛び出して行ってしまった。また作れと、まだ生きていてほしいということなんだろう。


 自分が蒔いた種だから追いかけることはできなかった。ただ私が普通でさえあればこんなことは起きなかった。悔しくて悔しくて涙が止まらない。


 「そりゃあさ……」


 私だって、できるなら普通に生きていたいよ。

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