第3話
「お婆ちゃんは、お爺ちゃんのこと好きだった?」
ふと、マコトは尋ねてみた。するとお婆ちゃんは、小さな丸い瞳を見開いて、口を「まあ」と言う形にした。
「突然どうしたの」
「うん、なんか話を聞きたくなって」
お婆ちゃんは、しばらくマコトを見つめていた。笑みをもらすように表情を和らげると、手元に茶菓子を引き寄せて「そうねえ」と言葉を探す。
「十代の頃、お見合いで出会ったのよ」
「えっ、恋愛じゃなかったの?」
「うふふ、当時はお見合い結婚も多かったから」
マコトは、少々落胆して扇風機に向き直った。
「じゃあ、お爺ちゃんと出会った時は、好きじゃなかったんだね」
「どうかしら、あの人で四人目だったのよ。どの話も蹴ってやろうと思っていたんだけど、なんだか、もっと話しをしてみたくなってねえ。会う日を重ねているうちに、気付いた時には好きになっていたのよ」
亡くなったお爺ちゃんを思い出すように、茶菓子の包みを解くお婆ちゃんの瞳が、愛おしそうに細められた。
もっと話が聞きたくなって、マコトはお婆ちゃんの方へと顔を向けた。
だけどお互いの視線が合うと、マコトは「もっと話してよ」とは言えなくなった。お婆ちゃんは上目遣いにこちらを見やり、意味ありげな笑みを浮かべている。
はっきり要点を述べない限り、肝心の話を聞き出すことは無理そうだ。
察したマコトは、溜息交じりに言う。
「分かった、分かったよ。聞きたいことを、僕の方からはっきり言えばいいわけだね」
お婆ちゃんは、澄ました顔で饅頭の茶菓子を千切って口に入れる。
「そうねえ、遠まわしで訊くなんて、失礼でしょう? 知りたいことがあるのなら、正面から尋ねるべきだとは思わない?」
お婆ちゃんのふっくらとした顔の柔和な皺が、饅頭を噛み潰す上下の動きに合わせて伸び縮みしている。
マコトは、姿勢を整えてお婆ちゃんと向き合った。言葉を探すうちに視線は宙を泳ぎ、畳に置かれたスーパーのチラシへと落ちたところで、ようやく安定する。
「好きになるって、どういうことなのかなあ」
途端、お婆ちゃんが小さく咳込んだ。
「え、なんだって?」
お婆ちゃんが、そう急いで尋ね返してきた。
「だから、好きになるってどんな感じなの」
「マコトちゃん、マチ子ちゃんのこと、好きじゃなくなっちゃったの?」
「好きだよ。でも、皆が色々と言ってくるから……僕らって、変なのかなあって」
お婆ちゃんは、くりくりとした瞳でマコトをじっくりと見つめていた。
数秒ほど息をとめたあと、お婆ちゃんは「はあ」と気の抜けた声をもらした。それでもマコトをしげしげと眺めている。
マコトは頭の横を扇風機の風に煽られたまま、視線をスーパーのチラシから自分の膝へと移した。背丈は緩やかに伸び続けているが、まだまだ骨格も未発達の少年だ。腕だって、父より一回りも細い。
「僕は、マチ子が好きだよ」
マコトは、静かな声で正直に切り出した。
「手を繋いで、一緒に自転車に乗って、いつもみたいにお喋りして――それなのに、このままじゃいけないの? 僕とマチ子は、今はそれだけで充分なのに、もっと何かを求めなくちゃいけないのだろうか」
縁側から、温い風が吹き込んだ。テーブルに置かれていた茶菓子の包みが舞い、スーパーのチラシが畳の上を滑る。
マコトの髪と衣服が、ばたばたと耳元で鳴った。お婆ちゃんが、それらの音全てに耳を澄ませるように、そっと目を閉じた。
じーわ、じーわという夏虫の声が戻って来た時、お婆ちゃんが、マコトに穏やかな双眼を向けた。
「きっと、ゆっくりでいいのよ、マコトちゃん」
マコトはお婆ちゃんを見た。
「ゆっくり?」
その言葉を口の中で繰り返すと、お婆ちゃんは頷いた。
「そう。ゆっくり時間をかけて、恋を育んでいけばいいの」
お婆ちゃんは上体を動かしながら、そう言った。風で飛んでしまって、テーブルの足元に落ち着いた茶菓子の包みを拾い上げる。
「よんなーよんなー、やっていけばいいから」
「『よんなーよんなー』……」
マコトは、沖縄の方言を頭の中でも反芻する。
――ゆっくり、ゆっくり。
それが、父よりも母よりも、人生経験も長く物知りなお婆ちゃんからの『答え』だった。
「ゆっくりで、いいの?」
「そうよ。焦ることなんてないの。案外、そういう時は自分に問いかけて考えてみれば、答えなんてさくっと出てくるものだったりするわ」
「そういうものかなぁ」
よく分からない。でもお婆ちゃんが言うのなら、不思議とそうなるようにもマコトは思えてきた。
じっくりと考えたら、きっと、意外と自分が納得できるような、鉛筆を転がすほどの簡単な答えが出てきそうな気もする。
「そういえばね、冷蔵庫にスイカが入っているのよ。小腹、すかない?」
「すいた」
マコトは、自分の腹事情を考えたところで即答した。
お婆ちゃんに座っているように言ってから、マコトは台所でスイカを切った。それを一つずつ皿に盛っていく。
「誕生日なのに、悪いわねえ」
そう背中の向こうから掛かる声に、「全然平気だよ」と答えた。大きな皿にのせた二人分のスイカは、お婆ちゃんには重すぎるとマコトには分かっていた。
お婆ちゃんは元気だけど、もう十年前のように、丸々一個のスイカを持ち上げるようなことも難しかった。ずっと前の夏、今帰仁産のスイカを頂いたお婆ちゃんが、満面な笑みを浮かべて見せてきてくれた光景は、眩しい日差しと一緒にマコトの脳裏に焼き付いて、今も離れないでいた。
マコトは切ったスイカをのせた皿を運びながら、今一度、お婆ちゃんをじっくりと見た。
やっぱり僕は、お婆ちゃんも好きだ。でも、それはマチ子に対する「好き」とは、微妙に違っている。
そう思ったマコトは、お婆ちゃんの中にたくさんの思い出を見て泣きたくなった。
マチ子とは違う「好き」という温かいものが胸に溢れて、今にも涙として頬を伝っていきそうだった。
とても長生きしてねと思った。これから高校を卒業して、もしかしたら大学に行くマコトとマチ子。そして大人になった自分達二人の姿を、お婆ちゃんにとても見て欲しいとマコトは思った。
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