第2話

 マコトとマチ子は、同級生の中で一番に出来たカップルだった。


 マチ子の初恋が実って、マコトと付き合うことになったという情報は、狭い地元であっという間に話が行き渡り、数日もしないうちに二人は公認の彼氏彼女になっていた。


 マコトは、マチ子が好きだった。


 告白された日に芽生えた恋心は、昔から好きであったという自覚だ。


 年を重ねるたび自然と友人の幅は同性に偏っていったけれど、マチ子だけはずっと仲良しのままだった。


 その意味を、マチ子が勇気を出してくれた告白で理解したのだ。その時になってマコトは、自分がずっとマチ子を好きだったのだと、遅れながらに気付いた。


 マコトとマチ子は、両親同士付き合いもあって、どちらかの家で昼食や夕飯を取ることも珍しくなかった。


 恋人として付き合い始めてからも、それは変わらなかった。二人で自転車に乗って海岸沿いを走る時も、デートをしているという意識もあまりなくて。


 時には、ぶらぶらと歩いている友人達と合流したりもした。カラオケや映画の予定を立てる時、都合が合うのなら、人数が多い方が楽しいというお互いの意見で友人を集めた。


「お前ら、ちゃんとデートしてんの?」


 高校に進学してからは、友達に心配顔をされてそう尋ねられることも増えた。


 付き合ってからはデートしている。マチ子のピアノ教室の曜日を除いて一時間ほど散歩したり、港で自分達の父が働く後ろ姿を眺めながら談笑した。休日には、ショッピングセンターや図書館、映画館やカラオケ、サイクリングをして楽しんでいた。


 夕飯前には、家に帰るのがそれぞれの習慣だった。日が暮れると空腹を覚え、それじゃあ解散しよっかと家に帰る。


 冬になると、二人が別れる時刻は早まった。友人や大人達は妙な顔をするのだが、マコトが尋ねても答えはくれなかった。彼らはそわそわしたように視線を泳がし、決まってぽつりぽつりと小言をもらすのだ。


「高校生なんだし、もう少し一緒にいてもいいと思うのよ」


 マチ子とマコトの母は、そう言った。


「別に、夜の散歩くらいならいいと思うんだ。ほら、食後の運動がてらにさ」


 マチ子の父は、そうしどろもどろに言い、


「お前、本当にマチ子ちゃんと付き合ってんのか?」


 マコトの父は、露骨に不思議がった。怪訝な顔をして『ちゃんとデートっぽいことはしているのか』と堂々言ってくる。


 最近、マコトは男女が付き合うことについて悩んでいた。


 彼と彼女は、自分達で帰る時刻だって決めていて、デートなんだからこれをしなければならない、あれをしなければならない……なんてこともないはずだった。


 それなのに、マコトとマチ子の様子を見る周りの人々の意見は、どうやら少し違っているようなのだ。


 手を繋ぐだけではいけないのだろうか。


 一緒に自転車をこいで、楽しく話しをするだけでいいのに。


 そばにいるのが心地いいのだ。マコトとマチ子は、それ以上のことを求めなかった。高校二年生になると、自然と周りの友人達の話は恋の内容が多くなる。


 最近、地元の面々で集まった時、マコト達がキスもしていないこと気付くと、周りは妙な叫び声を上げた。マコトは困惑してしまって、隣のマチ子を見てこう尋ねたのだ。


「マチ子は、キス、したい?」

「うーん、分からないわ。今は、別にしたいとは思わないけど」


 コマトとマチ子は、揃って小首を傾げた。恋って、分からないことだらけだと思う。


 同級生達の話は、ものすごく大人な発展を見せていた。キスをして手を繋ぎ、どきどきしながらぎゅっと抱き締めて温もりを感じ合ったりする。


 マコトは「ロマンチックだね」と笑いながらも、自分達もそうしなければならないなんて思えなかった。


 これは、恋ではないのだろうか。


 ただの「好き」だったらどうだろう?


 マコトは悩む。恋をすると、もっと一緒にいたくなったり、キスをしたくなったり、身体をぎゅっとしたくなるものなのだそうだ。


 夏休み前に「男としてはあたり前の欲だ」と友人に言われてからは、マコトの心の片隅には、それが魚の小骨のように引っ掛かっている。


 他の女子生徒や幼馴染の少女を見ても、マチ子みたいに「好き」と言える女の子は誰もいなかった。他の女の子と話しをしても、時間はだらだらと過ぎてつまらなくない。つい男友達の話題の方に飛び込んで行ってしまう。


 でも、そこにマチ子がいると別なのだ。


 そうするとマコトは、男友達も放っておいて、誰よりも彼女に話しかけたくなる。


 ◇◇◇◇◇


 遠くで、夏の虫がじーわじーわと鳴いていた。


 悩んでも、分からないことだらけだ。またしても少し考えたマコトは、残っていた麦茶を飲み干すと、お婆ちゃんの扇風機の前で腕を組んだ。


 ふと、汗で冷やされた身体に、昨日ピアノ教室に行くマチ子を自転車の後ろに乗せて送った感触が思い出された。


 ひらひらとそよぐ薄桃色のスカートと、癖の入ったセミロングの髪が揺れてシャンプーの香りが漂っていた。自転車が凸凹で揺れると「安全運転してよね」と楽しげに笑い、マコトの汗ばんだ首に絡みついてきた。


 その、ひんやりと湿った肌が心地良かったことを覚えている。彼女をピアノ教室まで送って帰ったあと、夜遅くにマチ子の父がマコトの家を訪ねて来て、お礼を述べたところも記憶に新しい。


 昨日、マチ子の両親は仕事で遅い帰りだった。先に仕事が終わったマチ子の父は、玄関先でマコトの父と冗談を言い合ったあと、ふとはにかんで笑った。


「マコト君なら、うちのマチ子と結婚しても申し分ないんだがなあ」

「そうしたら、俺達は義理の兄弟だな」


 マチ子の父に絡んだマコトの父も、どこか空元気だった。そうなってくれるといいのにと、二人が交わした眼差しは寂しげだった。


「マコト、本当にマチ子ちゃんのこと、好きなんだよな?」


 マチ子の父が帰ったあと、マコトは父にそう尋ねられた。マコトが「うん」と答えても、父親は引き続き元気を見せてはくれなかった。


 しばらくすると父は、溜息をもらして踵を返した。


「俺とサキエちゃんの恋愛って、こんなもんだったかなあ」


 そうぼやきながら去っていく後ろ姿は、まるで「お手上げだ」と言っているようだった。

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