第3話 綺麗な街並みですな

「あぺぺぺぺぺーーーー......? ぴぎょ!」


 偶然通りがかった商人風の男の頭を三百六十度回転させると、鼻をクンクンと動かし長身痩躯の黒いトレンチコートの男は郷愁にかられる。


「ふむ、この香りは海ですかな?」


 ふとした出来事の積み重ねで長耳族を根絶やしにしてから一週間ほどあてどもなく歩いていたシシルは、久しぶりの環境の変化に敏感であった。

 実のところ男が今いる場所からはまだ数百キロほど海があるところまでは離れていたのだが、異常なほどに目ざとい、いや、鼻ざとい彼は微細な空気の変化を嗅ぎ分けたのだろう。


「いやはや、こちらの異世界とやらに来てから暫く経ちましたが前世界程のライフラインが整っていないので少々不便なところがありますな。あたりの景色も未だ森か平原ばかり、たまにすれ違う人も直ぐにあちらこちらに散乱してしまうので退屈でしたぞ。ですがこの香り、磯の香りに間違いありません! ということは、海! 海がありますぞ! 懐かしいですなあ......」


 シシルは前世界、つまり地球では海の見える場所に住んでいた。

 渕頃市と呼ばれる人口が三十万人ほどのそこそこ大きい自治体で、その町のおおよそのところから一望することのできる海と血の海による観光業や漁業などが盛んな場所である。

 シシルにとっては潮の香りと血潮の香りは幼いころから馴染み深いものなのだろう。

 心なしか右手に持っている委員長の背骨も故郷を懐かしむように軋みをあげている。


「ようし、そうと決まれば善は急げですな、久しぶりに全力で走ると致しましょうか!」


 軽く伸びをしてから、両腕を大きく振って体を左右に揺らしつつ談笑しながら横を通りがかった冒険者風の男女の首を切断する。

 ぽきぽきと軽快な音をさせて慣らした体を大きく前傾姿勢に倒すと、足を前後に開け走り出す体勢を作る。

 そのまま一気によういドンとつぶやくと地面に大きなクレーターを作り、付近にいた百人ほどの人間を圧死させながら飛び出した。

 スタートした地点から数秒ほどで既に海のある場所まで半分の地点を通過すると、あたりの景色もぐんぐんと変わってゆき最初は平原、次は森、果ては小さな集落まですべて文字通り粉々にして進んでいく。

 途中にいたずらで張られていた弓の玄がシシルの首を刎ねたものの、まったく気にした様子を見せずデュラハンのような出で立ちで走り続けると、やがて海岸に沿うようにして造られた町が見えてくる。


「......!.................?.......!?............」


 何やら興奮した勢いで話そうとしたのか切れた首元から血しぶきがぴゅうぴゅうと吹きあがる。

 しばらくその状態で何かを考えるようにたたずんでいると、手をポンとたたき普通ならば頭のある部分を触ろうとする。が、もちろんそこには何もないのでスカスカと空を切ることとなった。

 どうしたものかと、シシルが思案しているところへ都合よく美しい顔をした長い黒髪の少女が現れる。


「......へ? き、きゃあああ! あぴょ!?」


 頭の無い人間を見れば当然驚くもので、思考を停止したまま叫び出した少女は逃げ出そうとするが、その気配に気づいた様子のシシルはもう一度ポンと手をたたくと目にも留まらぬ早業でその少女の頭を取り外し、自分の首へと挿げ替えた。


「......ああ、ああ、もしもうし! ゴボッ! よし、これで喋れますな」


 新しい頭の心地を確かめるように何度か発声練習をしたのち、喉から口内へと昇ってきた血糊を吐き出したシシルはなにやら満足そうに頷いている。

 しばらくはこの頭でやっていくつもりなのか、ふんふんと鼻歌を歌いながら髪を手櫛で梳きつつ町の入口へと向かう。


「ようこそ! ウミゾイ町へ。ここは町のどこからでも海を眺望することのできる素敵な町ですよ! どうぞ楽しんで!」

「なるほど、青い海に白磁色の建物。そのコントラストがあまり目にいいとは言えないものの、心を躍らせてくれる素晴らしい町ですな」


 少女のようなサイズの小さい頭の付いたどう見ても男のような体つきの人間からこの世のものとは思えないほどの汚い声が出たことで、ギョっとした雰囲気をものの数秒で隠した門番は褒められてもいいだろう。

 

「おや、ぱっと見は人間のように見えましたがそれはエラですかな?」

「え、ええそうなんです。実はこの町は魚人族が起こしたものでしてちょっとした伝統のある村なのですよ?」

「なるほどそうでしたか、いいことを聞きましたな。様々な種族の方々と交流するのは大事なことですからな」


 ふむふむと穏やかな少女の顔で納得気にうなずくと、ぱきょりと門番の頭を外壁に押し付けて砕く。門番は驚いた顔のまま声も出せずに新鮮な赤い染みで白磁の壁を彩った。

 そのままの流れで両開きの門扉の内一つを引っこ抜き、ぶんぶんと体を回転させて勢いつけてから投げ飛ばす。

 門を抜けて一直線に続く大通りを歩いていた人間や魚人たちの上半身と下半身を分断しながら飛んでいく門扉は、最終的に一番奥にあった荘厳な建物の中で謎の爆発を起こし粉々に消し飛ばした。


「ほほう、よく飛びましたな。青と白の中に赤の差し色が映えると思ったのですが、うーむあんまりですな。期待外れです」


 今しがた自分が引き起こした惨劇のことなど全く気にしていないかのように、シシルはすたすたと町の中へ入り観光へとしけこむ。



「あ、あれは何なのだ!?」


 ただ一人、長身痩躯の少女の顔をした人間の引き起こした惨状を前にして生き残った魚人族の若者がいた。彼は恐れに体を震わせながらも、この異常事態を伝えなければと族長のいる館へと向かう。が、この男ドウセはこの町随一の勇敢な男であり、些か抜けているところもあった。いましがたの惨状の中で粉々になった建物こそが族長の住む館だったのだ。

 

「あああ! くそう、あの女め! いの一番に族長を獲りに来たというのか」


 結局途中で気づくこともなく、館の前まで来たドウセは眼前で粉となり風に舞う舘の残骸と族長の肉片をただ眺め、怒りに叫ぶことしかできなかった。


「おお、ドウセよ! これは何事じゃ!」

「......!? ヤハリ兄者か! 無事だったのだな!」


 悲しみに打ち震える魚人の青年の後ろから二メートルほどもある大きな銛を片手に近づいてきたのは、ドウセの兄ヤハリであった。

 浅黒い肌を筋骨隆々に鍛え上げたその男は、弟の泣き叫ぶ姿を確認し先ずは落ち着けることを優先する。弟よりも聡明な兄はまず訳知り顔のドウセから情報を得ようとしたのだ。


「なるほど、つまりは観光に訪れた女の顔をした大きな人間が門扉を引きちぎりこの惨状を巻き起こしたと。うむ、にわかには信じがたいことじゃが実際目の当たりにしたドウセの言が間違っているとも思えん。」


 しばらくの間思案顔で弟からの情報を精査していたヤハリであったが、やがて何かを決めたように一度うなずくと、こちらを真っすぐ見つめるドウセに指示をだす。

 

「お前は今すぐに、この町から逃げろ」

「......な、なにを言っているのですか兄者! このドウセ、確かに兄者よりは戦闘技術は落ちるものの敵を前に逃亡することなどできません!」


 この町一誇り高い兄弟は、お互いの気持ちを熱く語り合い意見を戦わせる。


「お前の気持ちもわかる。じゃが、ここは引いてくれんか。話を聞けば聞くほど彼奴の戦闘能力は異常じゃ。正直言ってワシも勝てんかもしれん。だからこそ今はお前を逃がすために戦うのじゃ」

「そんな、それでは兄者を見殺しにしろということではありませんか! 出来ませんそんなこと!」


 このままではずっと水掛け論が続くと思ったのか、そもそも話を聞かないようにドウセは耳を塞ぎそっぽを向く。

 

「もう兄者の意見は聞けません、俺だってもう一人前の戦士だ。きっと足手まといにはならないと誓いましょう!」

「ふむ、素晴らしい兄弟愛ですな。見ていて胸がじいんときましたぞ」


 そう、高らかに宣言するドウセの言葉へと帰ってきたのはヤハリのしわがれ声ではなく、どこかのほほんとした気の抜けた声だった。

 ギョっとしたドウセは勢いよく振り返りヤハリの居るほうへと目を向けるが、そこに立っているのは長身痩躯に不自然なほど真っすぐな黒い髪を肩程までに垂らしただった。


「な、何者だ貴様! その姿......先ほど侵入してきた敵の背格好によく似てはいるが、男?」

「魚人族だけにギョっと驚いたのですかな? ふふ、あいや、失礼。シシル・イルイと申します」


 ドウセは混乱していた。突然に姿の見えなくなったヤハリのこともだが、自分の記憶していた敵の姿と酷似してはいるが顔だけが決定的に違う男。

 どう判断したものかと迷っていると、向かいにいた男がどこからともなく何やら下部に刃物のついた大きめの透明な器を取り出しこちらに差し出す。その器の中には赤黒いものが並々と入っていた。


「......なんだこれは?」

「これはミキサーと言いましてな。このコップの部分にはあらゆる具材を粉々にしたジュースが入っているのですぞ。まあ一先ずはグイっと一杯どうです? ですから」

「大好物だと? 俺はこんな生臭いにおいをしたものは好んで飲まんが......うう、それにこれはなんだ? 毛のようなものが混じっているではないか」

「あらら」


 差し出されたそれを強く押し返したことで、中身が零れ落ちてしまう。

 やってしまったと、ドウセが視線を地面に向けると目に映ったのはピクピクと痙攣している下半身と二メートルもある大きな銛だった。


「......あ?」


 理解できなかったというよりかは、理解したくなかったのかもしれない。さっきまで隣にいたのは間違いなく兄者で、今ほど隣にいるのはどこかとぼけた顔の男。

 その男が差し出してきた赤黒い液体の詰まった器。

 総てが繋がってしまう。


「ああ......」

「ああ? なんですかな」

「あああ......」

「あ、だけで会話するのが魚人族の方々のマナーなのですかな?」

「あああああああああ、ころすころすうううぅぅぅ。ころちてやりううううううう」


 風体など気にならないとばかりに涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした顔を般若に変え、こちらに殴りかかってくる。

 冷静さを失っているのか軌道の読みやすい攻撃を軽く片手でいなしながら男は顎に手を当てて何やら考えている。


「ふむ.......味付け、ですな」

「あ?」

「味付けが気に入らなかったから飲まなかったのでしょう?」

「そ」

「そ?」

「そんなわけないだろおおおおおお!」

「おっと」


 再び激高したドウセの攻撃を右へ左へヒラリと躱しつつ、どうしたものかと思案していると、足がもつれたのかドウセが転ぶ。その時に先ほどこぼれたジュースに顔から突っ込んでいきゴクリと喉を鳴らし飲んでしまったらしい。


「のう......こうで芳醇な味わいだよあにじゃああああ」

「おおう......流石の私も引いてしまいますな」


 思考回路がおかしくなってしまったのか、倒れたまま起き上がりもせず地面に落ちた赤黒いジュースをごくごくと飲み干し感想を口にするドウセを見て、冷や汗を流しドン引きの様相で十メートルほど飛びのくシシル。ほとほと身勝手な男である。


「このドウセ・シヌ。兄者であるヤハリ・シヌの肉を取り込むことで精神的にも肉体的にも一体となったのじゃああ! ワシは最強じゃあああ!」

「そ、そうですか。よかったですな。それでは私はこれで。」


 本格的におかしくなってきたドウセの相手をするのも面倒くさくなってきたシシルはさっさと離れてしまうが正解だと踵を返す。

 いつもは関わった付近にいる者たちが全滅するまで止まることのない彼であるが今回ばかりは隠滅することをやめて別の町へと向かい始める。

 こうして魚人族の青年ドウセは初の生存者となった。

 すると、その時雲一つない快晴の空に一条の光が走る。


「む? 何やら空から降ってきますな」


 どうやらその光る物体はこちらに近づいてきているらしい。段々と速度を上げるそれはやがてドチャっと言う音を立ててドウセを地面に押しつぶした。

 運命はドウセを救わなかったらしい。


「ああ、やってしまいましたな」


 体の中身を総て地面にへばり付かせたドウセの上に立つのは不自然なほど真っすぐな白髪を肩まで伸ばす筋肉質の男だった。彼は二、三度頭を振ってから深く息を吸い鼓膜が破れるほどの大音声で叫んだ。


「会いたかったぜえええええ、シシルゥゥゥゥゥ!」


 シシルの右手に持つ委員長の背骨が緊張にカコリと音を鳴らした。

 

「......え? なんですかな?」


 が、先ほどの大音声によって鼓膜の破れたシシルは何も聞こえていなかった。

 ガクリ、とズッコケたような音を立てる背骨いいんちょうと白髪の男。


「相変わらずチョーシ狂うぜええ、だが俺は話の早い男だああ。名前と要件いくぜえええ! 俺の名はフジミだぁぁぁぁ、お前を殺しに来たぜぇぇぇぇぇ!」

「おおう、うん? ううむ、その、失礼ですが耳が聞こえづらくてですね。何分あなたの所為で鼓膜が破れましたので。唇を読んでいるのですが、長すぎて追いきれませんでしたな。改めて、どちら様ですかな?」


 突然の襲撃者にものほほんとしたシシルであった。









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