遠吠えとハーブティー

 翌日、といっても二十六時間は経っただろうか。

黄昏時も暮れの方、もう数十分すれば空の星が夜を告げるだろう。

業務時間は既に過ぎ、普段なら締め作業も終えている頃だが、お招きした白妙嬢にはコーヒーをお出ししている。


「さて、結論から話させてもらいます。」


 マスターが口を開く。


「優希さんの居場所の見当がつきました。」

「…!?本当ですか!?」

「えぇ、コーヒーのおかわりは大丈夫ですね。では、詳細は歩きながらにしましょう。」


 外に出ると、辺りはもうすっかり夜に染まっていた。歩き出して少しした時、白妙嬢が口を開いた。


「それで…今向かっている先に優希がいるんですよね?どこに向かっているんですか?」

「あぁ、私の推理が正しければ、優希さんはおそらく…」


 会話を続けながらマスターがスマフォのマップアプリを立ち上げて見せる。


「ここ。港のすぐ近くに大きな倉庫があります。人通りも少なく、まさに潜伏先にピッタリです。」

「ちょっと待ってください。潜伏…?

私はてっきり、優希は誰かに誘拐されたりとか誰かの手によって危険な状態になったと考えていたのですが。」


 僕だってそう考えていた、マスターの話を聞くまでは。


「えぇ、私も当初はそう考えていました。

ですが…いや、こればっかりはご自身の目で確認された方が分かりやすいでしょう。

私の舌足らずな解説では、きっとあなたを混乱させてしまいます。」

「それってどういう…」

「白妙さん。」


 僕はどうしても我慢が出来ずに口を開いてしまった。


「今夜あなたが目にするのはきっと、何よりも残酷でお辛いものだと思います。

けれども安心してください。僕らは必ず、あなたと優希さんをお守りします。約束します。」

「…分かりました。不安はありますが、あなたが言うのですもの。是非よろしくお願いします。」

「ありがとうございます。」


 僕は深々と礼をした。


「では急ぎましょう。早く優希さんに会わないと。」


 倉庫に着いた時、ふと疑問が浮かんだ。


「そういえばどうやって入るんですか?無断ですよね?」

「そりゃあ君、に決まってるじゃないか。」

「えぇ…まずくないですか?」

「安心しなよ。これは立派な捜査だ。それに、いざとなればあてがある。」


 映画でよく見るような警報なんかが鳴らないようにと必死に祈りながら侵入した。


「いくつか建物があるようですが、どれにいらっしゃるんでしょうか。」

「分からないよ。だから今探してる。索敵術式サーチ。」


 そう言ったマスターの瞳が薄緑に輝く。


「見っけた、三番倉庫だ。」


 それを聞いた白妙嬢が不意に駆け出す。


「あっ!白妙さん!危ないですよ!」


 追いついた時には、白妙嬢が三番倉庫の扉を開けていた。


「優希…?」


 白妙嬢が漏れた吐息のような声を出す。

近寄って確認してみると、倉庫の中には


「人狼病。」


話しながらマスターが近づいてくる。


「魔術適正のある人間にのみ発症するとても稀有な後天性の魔病。」

「そんな…優希…優希!」

「来ちゃダメだ!乱菊!」


 優希さんが叫ぶ。


「ダメだ…ダメなんだよ乱菊!おいあんたら!乱菊を連れてここから逃げてくれ!」

「それは出来ません。僕は白妙さんに約束しました。あなたも含めて、必ず守ると。」

「守るって…俺からだろう!?今危険なのは俺だ!早く行けよ!」

「ダメだ、落ち着いてください!」

「あぁ、クソ…畜生…もう、抑えられない…は、やく…離れ…ろぉ…!」


 周囲の魔力が途端に高まった感覚がした。


「少年!白妙さんを連れて離れろ!」


 マスターが叫んだその瞬間、優希さんの方向から衝撃が走った。

僕と白妙嬢は大きく吹き飛ばされたが、僕がクッションになる形で壁に激突したおかげで、白妙嬢に怪我は無いようだ。

僕は立ち上がって、彼女の手を取った。

倉庫の方に目をやると、そこには愛銃、S&W M500を構えたマスターが、そしてその視線の先には、絵に書いたような狼人間が立っていた。

爪も牙も、さっきよりも断然に大きい。


「ぼさっとするなよ少年!白妙さんを守るんだろう!早く走れ!」


 マスターがタバコを咥えながら叫ぶ


「マスターは!?」

「何とか上手くやるさ。さぁ、走って!」

「…行きましょう、白妙さん!」



「さてと…ちょっと手荒になりますが、我慢してくださいね、優希さん。」


 タバコを吐き捨てる。少年は…よし、見ていないな。


「Grrrrrrrrrr…!」


 1、2。まず二発撃ち込んだが、効いている様子はまるで無い。

まぁ、あんなにモフモフしてるとなぁ…。


「ふぅ…。弾丸強化パワーバレット照準強化エイムアシスト速度強化スピードブースト。」


 こんなんじゃ微々たるものだが、ないよりはマシだろう。

右から回り込むように移動し、腹部を狙って三発撃ち込む。

効果はなし。


「Grrrrraaaaa!!!!!!!」


 迫ってきた。


瞬間速度強化アクセルブースト!」


 ギリギリで避けきった。

いやぁ、危ない危ない。

ここで軽やかにバク宙して後退。

弾を込めないと。


「さて、長引きそうだな…!」


 白妙嬢を連れて、三番倉庫から離れた六番倉庫に逃げ込んだ。


「はぁ…はぁ…、大丈夫ですか。」

「はぁ…、えぇ…、でも優希が…。」

「ンッンンッ、改めて、何故優希さんの居場所が分かったかお話します。」


 話したくはない。きっと彼女を傷つけてしまう。

それでも。


「優希さんが人狼病を患っておられるということに、黒子さんが気づいたのは昨日。

優希さんのお部屋に入った時でした。」


 そう、あの部屋の荒れ具合。

滅茶苦茶の一言に尽きるが、どこか不自然であった。


「あの時も口に出した通り、あんなに荒らされていたのに窓がひとつも割れていませんでした。

なので空き巣の線はあの時点で無くなりました。」

「えぇ、分かります。そして私の腕の件から、彼が帰ってきて暴れたのだと。そう考えられたのもよく分かります。でもどうやってその人狼病だと?」

「それは…。」


 言わなきゃならない。

辛いのは僕じゃなくて彼女、そして優希さん自身だ。


「…最近この辺りで頻発している、連続傷害事件についてはご存知ですか?」

「えぇ、三度も起こっている事件ですよね。テレビでよくやってますし…。」

「その事件、今朝四度目が起きました。」

「そうなんですか?…いや、まさか、それって…」

「えぇ、1。」

「嘘…嘘よ…じゃあ、あの人が…優希がやったって言うんですか!」

「…少なくとも、そこから確証を得て、僕らがここにやってきた事。

そして、優希さんが実際にここにおられた事、それは事実です。」

「嫌…嘘…優希が…そんな…」

「でも、事件の被害に遭われた方はいずれも大怪我に至ってはいません。

噛み付かれたような傷にはなっているそうですが。

それに、人狼病は一時的な二重人格のような、本来のそれとは違う凶暴な面が前面的に露出してしまって、本人の意思とは関係なく事件を起こしてしまうものなのです。

きっと、優希さんもそれを理解した上で、ここから遠くに行って貴女と距離を置こうとしたのだと思います。」


 こんなの気休めにもなりやしない。

彼が人を傷つけてしまったのは、記憶があろうがなかろうが事実として残る。


「いえ…いいえ。」


 白妙嬢はまだ泣き止んではいない。

それでも真っ直ぐに、強い眼差しで僕を見た。


「彼が行ったのは紛れもない傷害事件です。罪を償わなければいけないならば、受け入れさせます。

優希だって同じことを言うはずです。」

「白妙さん…。」

「私は…私は、どんな事があっても、例え彼があのまま獣の姿であったとしても。

私は彼の隣に立ち続けます。」


 本当に強い女性だ。僕が弱気になってどうする。


「本当に…貴女は強い人です。ですが、今だけは僕らを頼ってください。」


 そう言って立ち上がり、彼女に背を向けた。


「大丈夫なんですか?」


 彼女が問いかけた。


「えぇ、僕らは、喫茶店兼探偵、そして魔術士ですから。」



 あぁ、クソ。

お客さんの大事な人だと分かった上で言うが、、全く。

何発撃っただろうか。

なにせ毛皮が分厚くて全く効いていない

。ちゃんと打ち込めたのはせいぜい四発ぐらいか?


「Grrrrrr…」


 実を言うと、私の専門魔術なら弾を相手の体にしっかりと撃ち込めた時点で大ダメージを与えられる。


「でもなぁ…流石に彼氏さんの腕を落とす訳には…。ハッ…!」


 間一髪、突っ込んできた彼の爪をサバイバルナイフで受け止めた。


が、しかし。


「Grrrraaaaa!!!!!」

「クッ…ウゥ…!破空衝撃インパクト!」


 相手をぶっ飛ばしたことで、何とか間合いを取れた。

それに相手の弱点も見えたような気がする。


「あとは、どうやって傷つけずに近づくか…。」

「黒子さん!」

「…!!少年!?なぜ戻ってきた!」

「なにか手助けになれるかと思って。弱点、首元ですよね!?」

「…!なんで分かったんだい!?」

「なんとなくですけど、魔力の流れが見えるんです。

そして首元が一番反応が大きい。」


 そうか…そろそろだよなぁ…。いや、まずはそれよりも眼前の問題だ。


「そうか、分かった少年。覚悟は出来ているんだな?」

「はい!」

「よし、標的注目ヘイトズーム。」

「え?なんですかこれ。」

「囮だよ。」

「いや囮って…!」

「なんだよ、覚悟出来てるって言ったじゃないか。」

「いや言いましたけど…走ればいいんですね!?」

「あぁ!死なない程度に引きつける感じでよろしく!」


 あの人…今日の晩御飯抜きにしてやる…!

 そんなことを考えながら、いや、考える暇なんて二秒も無かった。

ただただ死ぬ気で走った。


「血操術式多重構築。威力調整、射出角調整完了、自動展開式を代入、演算証明完了。術式固定…よし。少年!後ろは振り向くな!こっちまで来い!」


 誰が振り向くか、あんただけを睨んでるよ!


 そうしてマスターの方まで死ぬ気で走り、罠であろうそれを踏み越えた。

おそらく後ろから迫るそれも同様にしようとしたのだろうが、そうはいかなかった。

それの足が上にかかった瞬間、二地点の地面から血のように赤い鎖が飛び出して、対象を捕縛した。


「成功したぜ!やったな少年!」

「ぜぇ…はぁ…黒子さん今日晩御飯抜きです。」

「えぇ〜なんでよ…。」


 人狼は必死に暴れもがいているが、鎖はちっとも解かれない。


「君もご明察の通り、人狼の弱点は首元のこれ。

この満月のような色をした宝石のようなものだ。

これがいわゆる病原体のようなものだと言われている。」

「ぜぇ…はぁ…悠長に解説してる場合ですか!」

「まぁそう急かすなって。慎重にやらないとなんだからあ。」


 そう言いながらマスターは、自身の持つナイフで自分の指を切り、ナイフに血を吸わせた。


血刃メアリ


 マスターはそう言って出来上がった血の剣で、月明かりのように美しいそれを切り落とした。



 全てが終わり、警察や救急車が来たのは夜明け前。

黒子さんは「あてを使ってくる。」といって警察と話している。


「片桐さん!」

「白妙さん!ごめんなさい、一人にしてしまって。」

「いいえ、それは全く大丈夫です。それよりも、本当に本当にありがとうございました。」

「いやいや、僕らは依頼をこなしただけですので…。」

「まぁ、少年も充分頑張ったと思うよ。」

「あっ、黒子さん。」

「マスターさんも、本当にお世話になりました。」

「いえ。優希さんは病院に搬送されます。傷害事件に関しては…」

「それは、二人で支えあいながらしっかりと償わさせてもらいたいと思います。」


マスターが少しはにかんで笑う。


「良い眼をされてらっしゃいますね。

ですがご安心を。

お恥ずかしい話なのですが、私の推理が間違っていたようで。」

「えっ?」

「いやね。今回の連続傷害事件、どうやら犯人は別のようなんですよ。」

「…え?」

「…え?」


 これには思わず僕も白妙嬢も困惑を隠しきれない。


「これ、私が戦闘中につけられた傷なんですけども。」


 そう言って黒子さんは腹部を見せた。


「わー少年のエッチぃ。」

「いや血だらけでよくそんなこと言えますね。」

「ちぇ、まぁこれと件の事件の傷跡を比べるとですね、形が合わないんですよ。

ほら、これは爪で抉りとった感じなんですが、今までのは細い何かで突き刺したような、強いて言うなら歯型のような傷跡だ。」

「確かに…あんな大きな牙じゃもっと深い傷になりますしね。」

「そう、なので安心してください。優希さんは、人を傷つけていない。」

「そう…ですか…。」


 白妙嬢が倒れるように座り込んだ。


「白妙さん!」

「大丈夫です…大丈夫…良かった…傷つけてなかった…。」

「…こちら、サービス品となります。」


 そう言ってマスターがティーバッグの詰め合わせを差し出した。


「病原体を取り除いたので、もう獣になることはありません。

ですがストレスに対してものすごく弱くなっている。おそらく人狼病の後遺症でしょう。ストレス軽減の効能が期待される調合で特製のハーブティーを作りました。」

「いいんですか…?」

「えぇ、またコーヒーを飲みにいらしてくださいね。」

「…はい!本当にありがとうございました。」


 そう言って白妙嬢は深々とお辞儀をして、救急車に付き添いとして乗り込んで行った。


「そういえば、魔術士のこと秘密にしなくてもいいんですか?」

「あぁ、あのハーブティーに忘却作用のあるものを混ぜさせてもらったよ。」


なら安心か。


「強い人だったね。」

「ええ、とっても。」

「はぁ〜疲れた。お腹、空いたなぁ。」

「黒子さん、晩御飯抜きなんですからね。」

「いや、もう太陽が昇ってきたぜ、少年。」


東の空を見ると、赤いような白いような太陽が昇ってきていた。


「ぐぬぬ…。なんか負けた気がする…。」

「はっはぁ〜吠えてみな。」


 そう言ってマスターが歩き出す。


「あっ、ちょ、待ってくださいよ!」

「少年、朝はたまごサンドがいいなぁ。」

「分かりましたよ…。コーヒー、入れてくださいね。」

「ふふ…はいよ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る