水の温度も感じられず
白妙嬢に案内されるがままに、僕らは失踪者…優希氏のご自宅であるマンションに到着した。
白妙嬢が合鍵を取り出し、扉を開ける。
すると突然、白妙嬢が小さく悲鳴をあげた。
そこには乱れた玄関が、その先の部屋の中には、まるで地震でも起きたのかのような暴れた形跡が広がっていた。壁には無数の切り傷、衣服の類だって目も当てられないような惨状だ。
「なんで…?だって昨日はこんな…」
「昨日の段階ではこんな様子ではなかったと?」
マスターが尋ねる。
「えぇ、昨日はまだ生活感が感じられました。こんな惨い状態では…。」
白妙嬢はショックのあまり、倒れてしまいそうな様子だ。
「空き巣、ですかね?」
「いいや、それは無いだろう。鍵は彼女が持っていたし、窓が割れている様子もない。」
思えばそうだ、こんなに暴れ回ったかのようなのに、窓のひとつも割れていない。
「では優希さんが戻ってきて暴れ回ったと…?まさか、そんなわけ」
「うーん、そうかもしれないね。」
意外な返答に戸惑う。
「いや、何故ですか?そんなことする理由が分かりません。」
見ると、白妙嬢も同じことを口に出したそうにしている。
「うん、そう。理由はないんだ。」
マスターは傷跡だらけに壁に触れた。
「白妙さん、優希さんは激情されると、極端に人が変わるといった経験はありませんか?」
「えっ?それは、彼も人間ですから、その。手を出したりすることも稀に…ほんとに稀にですが…。」
彼女は左腕を抑えながら言う。
「失礼ですが、その左腕の怪我は彼から?いや、見せなくてもいいですが。」
「…ッ!…はい。1度だけ、彼とトラブルに巻き込まれてしまって、その時に…。」
「そうですか。それは大変でしたね。」
「でも、彼は普段はいい人なんです!ただ怒らせると大変なだけで!」
「分かっています。何も私は彼の行為を詰めたい訳ではありません。職務外ですので。」
マスターがふと、机の上に目を落とす。そこには旅行雑誌のページが開かれていた。どうやらフェリーの運行時間の情報が載っているらしい。
「ご旅行の計画が?」
「いえ、そんなことは口にしたことありません。したいとは思っていましたが…」
少しの間、マスターが考え込み、そして口を開いた。
「少年、お嬢さんを連れて外に出てくれないか?彼女はお疲れのようだ。」
「え、あっはい。黒子さんはまだ調査を?」
「あぁ、そのつもりだ。なるべく直ぐに終わらせるよ。」
会話を終えて、僕は壁にもたれかかっていた白妙嬢の肩を取って外に出た。
少し歩くと公園を見つけたので、そこのベンチで一休みさせることにした。自販機で水を買って彼女に渡す。すると彼女は口を開いた。
「優希とは幼なじみのようなものなんです。小さい頃からいつも一緒にいて、高校は別になりましたが、大学でまた一緒になって。交際しだしたのもその時なんです。」
僕は黙って話を聞く。
「優希は昔から優しいんです。でも、喧嘩に巻き込まれやすいというか。少しやりすぎてしまうこともあって。」
また彼女が左腕を押さえる。
「あの夜もそうでした。彼と街を歩いている時に、不良集団に絡まれて。彼は私を守りながら必死に我慢してくれて。
でもダメだった。彼らはやりすぎてしまった…。
怒りが剥き出しになったかのような彼は、私でさえ恐怖を覚えるほどでした。必死に立ち上がって彼を諌めようとしましたが…その時に。」
彼女が押さえた左腕を撫でる。
「そんなことが…。
貴方の話を聞く限り、僕は彼氏さんのこと、凄くかっこいいと思います。愛する女性のために戦える男っていうのは、まさしくヒーローですから。」
黒子さんに助けられてばかりの僕なんかが言ってもなぁ…と思う。思えば出会った時からそうだ。
「少し関係の無い話をしますが、僕も憧れる女性がいるんです。」
こんな話でも、少しでも場の空気を変えられるならと思い、話し出す。
「実は僕は、7年前に唯一の身内であった兄をなくしまして。その時に拾ってくれたのが彼女で。僕に生きる術と希望を教えてくれました。」
そう、あの人がいなければ、僕はとうに死んでいた。
「本当に彼女は強くて、僕はどうやってもお荷物で。せめて迷惑はかけたくないんです。
いやでも、やっぱり彼女だけじゃ無理ですね。あの人家事とか全くしないんで。洗濯物だって畳めないし。第一あの人は自堕落なんですよ。」
彼女か微笑んで言う。
「ふふっ、片桐さんはその方のこと、大好きなんですね。」
「へっ!?いやっ、その…否定はしませんがその、人から言われるとまた恥ずかしいですね…」
「なんの話をしていたんだい?」
思わず飲みかけの水を吹き出しそうにな
る。
「く、黒子さん!?いつからそこに!」
「いまさっきだよ。調査が終わったのでね。そちらは随分と楽しそうな雰囲気だったね。」
「えぇ、とっても可愛らしいお話でしたよ。」
白妙嬢がにこやかに話す。
「ふーん、少年、後で聞かせてよ。」
「断固としてお断りします!」
すっかり空になったペットボトルを握りしめて、変な冷や汗をかいた僕と一行はグレーへと帰還した。
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