第6話
皆が下校したあとの図書室。
カーテンが夕焼け色に照らされている。
受付席に座る僕はどのようにこの退屈を乗り切ろうかと考えていた。
「はぁ。図書委員なんてやるものじゃないな」
「どうしたの?急に」
隣にいる同じく図書委員の楓が読んでいる本を閉じてこちらに耳を傾ける。
「本なんてこんな時間に皆、借りに来るのかなって。こんなのただの時間の無駄じゃない?」
「うーん。確かに津雲くんの言うこともわかるけど」
楓は立ち上がって本を1冊、棚から出して僕に渡してきた。
「何これ」
「読んでみてよ。良い時間潰しになるよ?」
「…南戸さんは、本好きなの?」
「昔は苦手だったよ。すぐ眠くなっちゃうし」
「けどね、ある時思ったんだ。こんな風に自分の気持ちを言葉にできたらなって。私、自分の気持ちを人に伝えるのが苦手でさ…」
「根っこが能天気だから物事を深く考えれないんだよね。でもそんな性格のせいで無意識に人を傷つけちゃったりもしてて」
「だから本を読んで勉強してるんだ。こんな考え方もあるのかってね」
「本を読むのは楽しいよ。津雲くん?」
明るい性格で誰とでも交流できる楓。
そんな彼女も裏で必死に努力していたんだ。
「そんなことしてまで無理に人と繋がる必要あるの?」
「必要かどうかなんてわかんないよ。でも…」
「津雲くんと一緒にいるこの時間も、決して無駄なんかじゃないと思うけどな」
彼女のそんな意外な1面を見て
僕は惚れたんだ。
…でも、何故だろう。少しづつ視界が暗くなってくる。ノイズがかって楓の声が遠のいていく。
記憶の断片がゆっくり抜き取られるような
そんな感覚がした。
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ピピピピ。ピピピピ
「ん」
うるさい目覚まし時計が僕の身体に朝を知らせる。外を見ると空が曇っていて、始まってすらいないのに今日はツイてないな、なんて思ってしまう。
制服に着替え、階段を降りてリビングへ向かうともう既に父、総一が作った朝ごはんが用意されていて、妹の菜々が食べ始めていた。
「おう。春人、起きたか」
父は読んでいた新聞を畳み、こちらに目線をやる。
「うん」
「お兄。起きるの遅い。父さんの作ったご飯冷めちゃってるよ」
「ごめんごめん。早く食べるよ」
「菜々。お兄ちゃんは高校入学したばっかりで忙しいんだ。ゆっくり食べさせてやれ」
「はーい」
今日の朝ごはんはトーストとスクランブルエッグとポテトサラダだ。横の菜々は全部、食べ終えたが食器を一向に運ばず僕のご飯をじーっと見ている。
「何が欲しいの?」
「いいの?くれるの?」
「少しだったらいいよ」
「わーい!ポテトサラダちょーだい」
「おい。全部はダメだからな」
「ははっ。春人は優しいな」
「ほんとに。昔とは大違い。昔だったら絶対くれなかったよ」
「え?そう?」
「…」
少しリビングに沈黙が続いた。菜々は罰が悪そうにポテトサラダを少し食べた後、僕に返し、父さんに「今日、部活あるから帰り遅くなるね」と言って学校へ向かった。
「菜々の奴。どうしたんだろ?」
「…さぁな。ていうか春人、お前はまだ家出なくても大丈夫なのか?」
「あ、ほんとだ。もうこんな時間か。行ってくるね」
「おう。気をつけてな」
「うん。行ってきま…。あ、そうだ。忘れ物」
「?」
僕は仏壇の前に座り、線香をやる。
今はもうこの世にいない母の写真に目をやり
手を合わせる。
「行ってきます。母さん」
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学校の最寄り駅に着いたその時だった。
雨が降ってきた。
一応、持ってけと父に言われた傘がついに役にたつ時がくるとは。
「津雲くん?津雲くん!」
「ん?」
後ろを見ると楓が猛ダッシュで僕の元へ走っている。
「はぁ。はぁ。ごめん。傘、忘れちゃって。入れてください」
「い、いいよ。大丈夫?」
「ありがとう。大丈夫。…てか津雲くんって登校、こっちからなんだね」
「うん。…か、南戸さんもこっちなんだ?」
「そうだよ。なんか席も隣だし駅も一緒なんて、ちょっとした運命みたいだね」
楓が僕を上目遣いで見てくる。
「あれ、顔赤いよ。もしかして照れてるの?」
「違う違う。そんなわけないよ。ちょっと風邪引いちゃって」
「ふーん。学級委員は忙しいもんね」
「…。そういえば南戸さんはクラス委員、何にしたの?」
「ああ。私は図書委員だよ」
「…そうなんだ」
「うん。本読むの好きだから」
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過去に戻ってから1日が経過して、分かったことが2つある。
1つ、時間が巻き戻った原因は、浜辺渚が死んだから
2つ、巻き戻る前の記憶が少しづつ消えかけていくこと
1つ目は、これはまだ確証はないけど、僕の時間が巻き戻る能力は、失敗した時にしか発動しない。あの時、屋上から飛び降りた浜辺さんを僕は助けられなかったから。時間は巻き戻ったんだと思う。
2つ目。これは大問題だ。現時点でも記憶は消え始めている。今、僕は時間を巻き戻し、人生2度目の4月1日、高校入学をした。すると巻き戻る前の4月1日の記憶が消えていくのだ。
今日は4月2日。1度目の4月1日の記憶はもう完全に消えた。
一応、スマホのメモに残したが全く身に覚えのないことばかりだ。
…僕は図書委員だったのか。
屋上で雨が止んだ後の空を見ながら、立ったまま昼ごはんを食べる。
正直、今から何をすればいいのかも分からない。このまま何も出来ずに記憶が上書きされ、いずれは楓への恋心も消えてしまうのではないかと思うと怖くなった。
それにあの日以来、時間が巻き戻ることもなくなった。今のところ間違った行動はしてない、ということなのか。ようやく僕は柵を断ち切ったのだろうか?
「よお。学級委員さん」
「ぎゃっ。あれ…平地?」
「お?俺、自己紹介したっけ?もしかして俺、有名人?」
「あー。いや。僕、クラス名簿見て覚えたんだ。一応、学級委員だからクラスメイトの名前は全員覚えとかないとって思って」
「すげぇな。えーっと…津雲くんだっけ?」
「ありがとう。てかわざわざ屋上まで来て…どうしたの?」
「それがよー。学級委員の君に相談したいことがあってさ」
「?」
「南戸さんって彼氏っているの?」
「え、ええっ?なんで!?」
「いやー。俺も南戸さんも図書委員でさ、昨日初めて話したんだけどめちゃくちゃ可愛くてさ」
「恋しちゃった」
「ええええ!!」
まさか、僕が学級委員になったことでこんな改変が。平地が楓に恋するなんて思いもしなかった。
いや平地は悪い奴じゃない。話せばきっとわかってくれる。
「彼氏いないとは思うけど」
「おお!ほんとか!」
「あのさ、すごい言い難いんだけど…僕も南戸さんのこと好きなんだよね?」
「げっ!まじかよ…。俺、ライバルに恋愛相談しようとしてたのか…」
「…その…だから諦めてとは言わないけど」
「わかったわかった!これからお前とは恋の宿敵となるわけだな」
何か余計に話が拗れちゃったような気が…する。
「でも、彼氏がいるかどうかってことだけはちゃんと確かめて俺に教えてくれ!それだけは頼む!!」
「…はぁ。わかったよ。今日、南戸さんに聞いてみる」
「ありがてえ。サンキュー」
「そもそも自分で聞けばいいんじゃない?」
「ばか!そんなの恥ずかしいだろ」
「そ、そうか」
僕と平地は連絡先を交換した。
楓に彼氏がいた時に一刻も早く報告してほしい、とのことである。
「てゆーか、津雲が好きなのって浜辺さんじゃなかったんだな」
「え?浜辺さん?なんで?」
「いや、いつもお前、浜辺さんのこと見てる気がするから。てっきりそっち狙ってるんだと思ってたわ」
「…」
「ま!本人が南戸さんラブを公言したからな!これからは勝負だぜ!津雲」
「は、はあ」
「ライバルとしてもだけどさ、何か困ったことあったら気軽に相談しろよ?戦友!」
「…うん」
どうやらこいつとは切っても切れぬ縁のようなものがあるんじゃないか。
僕は普段と何ら変わらない平地を見て安心した
何か困ったことがあったら…か。
ごめん。親友。さすがにお前にでも、僕の身に起こってることは相談…できない。
これは僕だけで解決しないと。
屋上を去る平地の背中を見ながら僕はそう思った。
時間が戻る前の平地の言葉が聞こえる
。
「些細なことでも相談しろよ。これでも心配してるんだぜ?」
「…」
でも、またこれで時間が巻き戻ったら、僕は。
親友に何1つ話せないまま。
ドクンドクンと鼓動が聞こえる。僕のものだ。
巻き戻るな巻き戻るな。そう唱えながら恐怖を堪えて僕は口を開く。
「平地。1ついいか?」
「お?」
「もしかするとさ、浜辺さん。すごい悩みを抱えてるかもしれなくて」
「おう」
「その…ヤバそうな時は助けてやってくれないか?浜辺さんのこと」
「…浜辺さんを助けるのは津雲の役目だろ?」
「え?」
「お前が浜辺さんのことよく見てるってさっき言ったけど、実は浜辺さんもお前のことよく見てるんだぜ?」
「浜辺さんが…?」
「ああ。あの人、殻にこもってそうなお堅いイメージあるのに。津雲のことは許してるんだなって」
「だから、浜辺さんを助けるのはお前の役目だ。…けど津雲。お前に助けが必要な時は俺がどうにかするぜ」
「ありがとう。平地。」
「じゃ!南戸さんの連絡先も用意しといてくれよ」
「…要望が変わってるよ」
…さすがは、改変前の元学級委員だ。
僕なんかよりもよっぽど人のことをしっかり見ている。
そして…カチッて音は聞こえなかった。
ようやく言えた。自分の選択で、自分の言葉を。
教室へ戻ると昼休憩が終わる寸前だった為、皆席についていた。
「津雲くん。ぎりぎりだね」
隣の楓がそんなことを言う。
「まぁ。ちょっと色々あって」
「何か良いことあった?嬉しそうな顔してるよ」
「別にー?」
ピコンとスマホが鳴る。誰からの連絡だろう?
『津雲くん。今日の帰り、暇かな?』
浜辺さんからだ。帰りか。特にこれといって用はない。
『暇だけど、どうしたの?』
『あのさ』
『良かったら映画見に行かない?』
『ていうか見に行きたいな』
斜め後ろを見るとお堅い表情の浜辺さんが、何か気難しそうな本を読んでいる。
ピコン
僕はいいよ、と返事をした。
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