第5話

教室に戻ると早速、クラス委員決めが始まった。確か過去の僕は特にやる仕事の少ない図書委員を楓と一緒に選択したと思う。本を読むのは嫌いではないけど、時間に縛られるだけの図書室にいるのは凄い退屈だった。隣に楓がいたことくらいしか記憶がない。


「じゃあとりあえず学級委員から決めてくか。誰かやりたい人ー?」


先生がそう言うと場が凍った。入学初日、同じクラスに知り合いは多くて皆2、3人程度だろう。そんな初対面の集団の中でいきなり場を仕切る奴を決めろなんてこれ以上に無慈悲なことはない。ましてや立候補なんて誰も挙手出来やしない。


「…」


何分経ったのかは知らないが時計の針の音だけが耳に入る。ただ重い空気だけが充満してしまった教室に軽やかな風のような一声が聞こえた。


「私、やります」


手を挙げたのは浜辺さんだった。


「おっ、浜辺。やってくれるか?」


「はい。誰も立候補がいないなら」


「じゃあ女子の学級委員は決まりだな。じゃあ後は男子…」


「…はい」


「おお、津雲。立候補ありがとう。他にやりたい人いないかー?」


周りの人はホッとした表情を全面に出し、拍手をした。


「じゃあ学級委員は津雲と浜辺で、よろしくな。じゃあ次、図書委員やりたい人ー?」


━━━━━━━━━━━━━━━


何はともあれ入学式初日をやり切った僕。

いやまだか。僕はまだ教室にいる。ホームルームも終わったはずなのに。


「学級委員はこのプリント書いてー。あとクラス日誌もね」


先生の雑な指示には困ってしまう。渡されたプリントというものはクラス新聞、というものの内容を書かなければならない。学校が始まって初日だというのにもうこのようなものを書かなければならないのか。それに日誌なんて初日に書くことなんてないだろう。


ということで僕と浜辺さんは教室に2人きりで居残り?させられている。


プリントと日誌、学級委員も2人いるから分散してやろうと提案した僕に対して、「私プリントの方、やるよ」と明らかに面倒な方を選んだ浜辺さん。僕は適当に数行、学校初日の感想を書いて日誌を終わらせた。後は浜辺さんのプリントを完成させるのみだったのだが


「あ、津雲くん。私まだ時間かかりそうだから先帰ってて」


ニコッと目をへの字にして笑っていた。

しかしそれは演技の素人である僕でもわかるくらいの嘘の笑顔だった。


「いいよ。僕も残る。一緒に終わらそ。プリント」

「そんな。津雲くんに悪いよ」

「悪くないよ。僕も学級委員なんだから。ね!」

「…」


浜辺さんは少し拗ねたような顔をしていた。


「浜辺さんってさ、もしかして人の前に出るの苦手?」


「えっ?」


「今日の生徒代表の挨拶の時と、学級委員決める時さ、手、震えてたよ?」


「…バレてた?」


「うん。多分、他の人は気づいてなかったと思うけど。でもどうして人の前に立つのが苦手なのに人の前に立つ役割をやるの?」


「えー。言わなきゃ駄目?」


「言いたくないなら別にいいけど、気になるなーって」


「…。私ってさ、自分で言うのも変なんだけど初めて会った時の印象、めちゃくちゃ真面目な子って感じらしいんだ」


「真面目で清楚で大人っぽくて、責任感があって、皆の憧れのリーダー的存在?」


確かに美術室で見かけた時の泣いていた浜辺さんとは違い、今朝の彼女は凛々しい雰囲気を纏っていた。決して涙など人前では見せない、そんな雰囲気がある。


「それでいざ蓋を開けたら、私って人間はドジでズボラで間抜けで、人前で喋るところか、人見知りで目の前の人とすらまともに喋れない」


「そして皆が勝手に作り上げちゃった私のイメージと現実の私にほんの少しでもズレが生じたらこう言うの。なんかイメージと違うねって。そんな一言がどうしても心に引っかかっちゃって」


「皆の思う浜辺渚を、演じようって思ったの」


ずっと我慢していたのか浜辺さんは言葉を吐き出した後、穏やかな表情をしていた。


「引いた?」


「全然。なんなら尊敬するよ」


「え?」


「僕は自分が他人からどう見られているのか全く把握できなくて、それでいて自分の中ではこういう風になりたいって理想があるんだけど」


「その理想さえも時には間違いなんだなって思い知らされる時もあったりして」


急に言葉が迷子になった僕は目に少し力を込めた。

チラッと前を見ると浜辺さんはただ僕の目をじっくり見ていた。


「なんか私たち、似てるのかもね」


彼女はそんなことを呟いた。その時だけ何故か時間が止まったような気がした。学級委員を決める時のあの重い空気ではなく、春の暖かい空気が2人だけの教室を包み込んでくれた。


「さて、さっさとプリント終わらせよう」

「そうだね」


浜辺さんの本音が聞けて良かった。

だけどまだ聞きたいことが山ほどある。

屋上での出来事が僕の脳内で再生される。


「ごめんね」


泣きながら屋上を飛び降りた浜辺さん。

食い違う僕と皆の1年間の記憶。

そして1年前に巻き戻ったこの現状。

全てのキーマンは浜辺さん、なのではないか。


今、目の前にいる浜辺さんに何を聞けばいいか上手く頭の中で整理出来ない。


「…津雲くん?大丈夫」

「ああ。ちょっとボーッとしてただけ」

「そっか。体調悪いならすぐ言ってね」

「うん。ありがと」


周りの理想の自分を演じてるとはいえ、この優しさはきっと浜辺さんの本質なのだろうと、僕は勝手に推測してしまう。


浜辺さんはメモ帳を開いて何か文字を書き出した。


「何書いてるの?」


「日記。日常で起こった些細なことをまとめる日記。私、忘れっぽいから」


「へぇー」


「なんて書いたか気になる?」


「うん」


「えーっとね。4月1日…。入学式。冬の寒さがまだ少し抜けきれないけど始まった新しい生活。私は新入生代表として壇上に上がり、文を読み上げた。少し緊張したけれど難なくいった。だけどすぐにまた難問が。学級委員決め、同じ教室に知らない人ばかりなのにこんな役割を決めるのは馬鹿げているのではないか、と思った」


「ははっ。同意見」


「私が手を挙げるしかない、そう思った。するともう1人男の子が立候補してくれた」


「僕?」


ニコッと頷く浜辺さん。


「津雲春人くん。私が新入生代表挨拶の時に緊張していたことを見抜く観察眼の持ち主。他人にどう見られているのか、が分からないと言う。出会ったばかりだけど優しい印象があり、迷惑かもしれないけど私とちょっと似ている」


「なんか言葉にされると恥ずかしいな」


「やめてよ。言ってる私も何だか恥ずかしいじゃん」


「私ね、人のこと観察するの好きなんだ。だから部活は演劇部に入ろうかなって思ってるの」


「…。だからこんな少しの時間で人のプロフィールが書けるんだ」


「でも本当に難しいのは、本人も知らない本人の心情を文字に表すことだと思うんだ」


「本人も知らない本人の心情か。あの…浜辺さんってさ」


「…はい。今日はここまで」


突然、僕の言葉を遮って彼女は時計を指さした。時刻は既に6時を過ぎていた。校門がもうすぐで閉まってしまう。


「話しすぎちゃったね。プリント、家に持ち帰って作っていいか先生に聞いてこないと」

「ごめん」

「謝らないでよ。私、津雲くんと話せて凄い楽しかったよ?」

「…なら良いんだけど」

「ふふ。それじゃあ帰ろっか」


教室に鍵を閉めて、職員室へ向かう。

先生はプリントを書き終えてないことに少し怒っていたけれど浜辺さんの巧みな言葉選びによって完封されていた。


「では、明日のホームルームまでに作ってきますね!」


浜辺さんは明るくそう言った。そして門を出て僕と別れた。


「じゃあ、また明日ね」

「うん。また明日」

「…あの」

「ん、何?」


僕は自分でも気付かぬうちに彼女を引き止めていた。浜辺さんは少し驚いた表情をしていたが、すぐにいつも通り自然な微笑みを見せた。


「何?」

「…演技しすぎて、嫌だなって思った時だったりもう限界だって思う時あったらさ」

「…」

「僕に話してよ。全部理解することは無理かもしれないけど、ほんのちょっとなら理解できることもあるかもしれないし」


「…ありがとう」


絞り出すような声が聞こえた。

目の前の浜辺さんに目をやると、涙を流していた。初めて会った時と、屋上で見た時と同じ涙を。


「浜辺さん?」

「本当にありがとう。だけど大丈夫。私は」

「…」

「…津雲くんってさ、もしかして私とどこかで会ったことある?」

「え?」

「なんて…。会ってたら忘れないよね。ごめん。私の気のせいか」

「…」


「また明日ね」


浜辺さんは俯きながら静かに歩いていった。

僕は引き止めることも出来ずに、ただ立ち尽くしていた。彼女の背中が見えなくなるまでそっと見守りながら。


今日の出来事を振り返って思ったことが1つある。


屋上で見た浜辺さん。あの少し棘のある口調は、演技だったのではないか。僕が少し動揺していたのもあるが、あの時の浜辺さんは明らかに僕に高圧的な態度で真相の黒幕のような口調で話していた。


しかし本当の浜辺さんは周りのイメージに合った浜辺渚を演じていて、その延長で演劇部に入部するんだ。人見知りで人前に立つのも苦手なのに。それにあの涙。


今回、僕が図書委員ではなく学級委員になったことで未来は変わり始めた。

図書委員になった時は、確か…あれ?


「図書委員…?なんてやってたっけ?」


まさか。


「改変前の…記憶が少しづつ消えかけてるのか?」


脳内の記憶が少しづつ、ぼんやりと薄くなっているような、そんな感覚が少しづつ背中を伝った。

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