第33話

血相を変えてやって来たのは、玄墨久秀だった。




「……何をしているのだ、これは?なぜ敵である夷族共に救恤を?」


「おう、軍監殿か。まあ、こちらへ座らぬか。積もる話もあろう」


「あり得ぬ!討ち滅ぼすべき蛮族共に米を振る舞うなどとは、正気か梓弓少将!」




 穏やかな口調で諭す行武に血走った目を向け、指を突きつけながら叫ぶ久秀に、周囲の夷族や国兵達がざわめき始める。


 夷族の者達は突然現れた朝廷の高官と思われる久秀が、同じく朝廷の高位武官であるはずの行武を糾弾し始めた様子に驚き、訝しみ、そして不安を抱く。


 武略を第一とする夷族にとって、武具を身につけ、武威を大いに示している行武が糾弾されるという事態が受け入れがたいもので、少し朝廷の事情を知る者達も、流石に文人貴族が優位を占めている朝廷といえども、公衆の面前で行武を非難するという行為に顔をしかめている。




「止めよ!下郎め……」


「あっ?」




 和人が手渡したばかりの薬湯を大事に持ってゆっくりと立ち去ろうとしていた夷族の子供に、きつい目を向けてその手を打ち払おうとする久秀。


 驚いて身をすくめ、足を止めてしまったその子に久秀の拳が迫る。




「やれやれ、何がその様に気に喰わぬのじゃ」




 それなりに鋭い久秀の拳を、行武がすっと掴み止めて制した。




「うっ!?何をする梓弓少将!」


「手を出すのでは無いわ玄墨久秀。皆の者、心配は要らぬ。そのまま救恤は続けよ。軍監殿はわしに話があるだけじゃからして、何も気にすることは無い」




 行武が優しく語りかけるが、それまでの騒動と未だ行武に制されながらも暴れている久秀を目にしては、どうしても行動が鈍ってしまう。


 ある意味、久秀の態度こそが朝廷やそこに連なる官人達のあるべき姿で、それはここにいる夷族の者達も見慣れた光景でもある。


 和族などと名乗ってこそいるが、文明人を気取って極めて横柄で鼻持ちならない者達。




 それが夷族から見た朝廷の姿なのだ。




 今までの窮状と行武を始めとする納税人足や国兵達の自然な態度に少し忘れていたが、自分達をこのような惨めな境遇に追い込んだのは、正に久秀の態度が代表する朝廷の側の人間達。


 改めて朝廷の仕打ちとそれに連なる今の惨状という結果に思い至り、夷族の民人に疑心と怨嗟の感情が生じ、更に生じたそれらの暗い心は、彼らの行動を止め始める。




 朝廷を本当に信じて良いのか……果たしてこの薬湯や粥は安全なのか。




「まあ……そうさせて貰おう」




 行武と久秀の諍いをどこ吹く風と作業を続けていた和人が軽く応じると、それまでの暗い雰囲気が少し和らいだ。




「まず皆の者、考え込むのは体力を戻し、病を治してからでも遅くはあるまい。能くこの薬博士たる薬研和人やげんのにぎひとに任せ下されよ」




 それまでの態度を保ち続け、固まっていた子供を優しく手で押しやる和人。


 そして診察や薬湯の配布を続ける。




「疾く参れ、薬湯が冷めると苦みが増すぞ」




 その言葉を聞き、列の前の者が動き出すのと同時にようやく周囲の人々が動き出した。


 しかしながら、久秀の狂態は止まらない。




「薬研軍監!貴殿も軍監であろう!?この事態を止めるどころか助力するとは何事か!恥を知れ!」


「恥の持ちようを昨日今日の小僧に講釈される謂われはない、放っておいて頂こうかの」


「うぬ!征討軍は誰も彼も裏切り者か!このことは全てつまびらかにし、基家殿へ報告致すぞ!偽善者共め!」




 浴びせた罵声を難無くいなされ激高した久秀が、口角から泡を飛ばしながら吼える。




「語るに落ちるとはこのことよの……朝廷では無く“基家殿”へ報告するのじゃな。なるほど、よくよく了解したわい」 


「揚げ足を取るか梓弓!蛮習に染まりし慮外者が!穢れ武人が!蛮族共を降しし時は少しは見直したものを!このような仕儀、断じて認められぬ!放せ!!」




 余りにも敵意を剥き出しにし、狂ったように吼え猛り暴れる久秀。


 それまで皮肉で口うるさくも冷静さを常に保っていた軍監とは思えない狂態に、夷族は眉をひそめ、納税人足や国兵達も呆気にとられている。


 然し先程と違い、夷族の民は行武らを疑うことは無かった。


 その狂い叫ぶ様子は尋常ならざるもので、和人は顔を青くしており、間近でその狂態をぶつけられた行武も、流石に顔をしかめて声を漏らす。




「お主の差別意識も相当強烈じゃな。まあそう暴れずこちらへ来るのじゃ。話は聞く」


「差別!?差別と言ったか!?夷族など隼人よりも服属した月日の短い蛮族ではないか!何故高位貴族の貴様がその夷族にこれ程情けを掛ける!?何故人として接する!?何故だ、何故だ!?」




 行武に手首を決められて思うように身動きが取れ無いながらも、久秀は血走った目を周囲に向け、首を振ってほどけた髪を振り乱し、歯を剥きだして口角から泡を飛ばし、叫び狂う。


 久秀が首を振りたぐったことで綺麗に結われていた髷が外れて髪が乱れ、布冠は飛んでしまった。


 衣服は乱れ、押さえ込まれている手はぎりぎりと締まり鬱血しているが、それでも久秀は叫ぶ。




「重ねて申すがこのような仕儀は認めぬぞ!夷族の降伏も偽りか!何故そこまでして蛮族の肩を持つ!何故蛮族とまともに話す!何故蛮族をっ、蛮族と約束を交わす!」




 しかし、狂おしいまでの激情は、たった一言で断ぜられることになる。 




「人じゃからの」




「馬鹿な!!」




 血を吐くように叫ぶ久秀を胡乱げな目付きで眺める行武。


 そして周囲に目をやってから静かに語りかける。




「それ以外に理由はあるまい。人として接するからこそ人として信が得られるのじゃ、それが異民族であろうが異国人であろうが、同じ和族であろうが関係はあるまい。無論騙されることもある故用心は必要じゃ。しかし最初から蔑んでおっては信を得るどころか相手にもされぬものじゃぞ」




 その言葉に目をまん丸にした久秀は、ぐっと血が出るほどに唇を噛み締めた後、がくりと首を落とした。


 そしてきつく歯を食い縛り、絞り出す様に言葉を発する。




「我が幼き日々は一体……何だったのだ?老少将、我が母は、隼人の生まれであった我が母の惨めな一生涯は……何であったのだ?」




 流石の行武も、久秀の行ったいきなりの告白に些か驚きの面持ちで言う。




「お主……隼人の血を引いておるのか」


「私の母は、南合国のとある在郷の地下人の娘だ。父が南合国へ国司として赴任した時に私が生まれた……幸い、他に子がなかったので貴族として認められたが、父母が儚くなった後は……生き地獄だった」




 玄墨久秀は南方部族である隼人族の母と和族の貴族である父を持つ者である。


 父と母がほぼ同時期に亡くなった後、父が朝廷の下級官吏であり貴族であったが故に、叔父に引き取られたのだ。


 一応貴族としては遇されたものの、一門や家族、周囲からの差別やいじめは凄まじく、久秀は凄惨で過酷な幼少期を過ごすことになる。




「お主もどうやら相当の苦労人であるようじゃの」




 手を解いて地面に久秀を座らせると、行武はその正面に回って自分も膝を付いた。


 そして久秀の両肩に手を置くと、その涙に濡れた目をじっと見つめて優しく諭す。




「人生色々有るものじゃ。わしとて不遇の時期は長い故に、それはよく分かるが、怨みと後悔に囚われておっては前に進めん。辛いことを忘れることは出来ぬのは、わし自身がそうじゃからの……よく分かっておる。故に忘れろとは言わん。それでも人は生きねばならんからの。生きるためには日々の生活の中でそれを埋め、飲み込み、そして自身でゆっくり消化していく他ないんじゃ」


「梓弓少将……きれい事を、言うな……」


「奇麗事であろうと無かろうと構わぬ。ただ、他に方法は無いと思うがの。お主とて普段はそうして辛い出来事を心の奥底に埋め、努めて忘れておるじゃろう?」




 一旦は反発の言葉を口にした久秀だったが、行武に続けられた言葉を聞いて黙り込む。


 そしてしばらくしてから震える唇から声を発した。




「隼人の母を持つ私を、蛮族の血を持つ私を梓弓少将は人と認めるのか?半分血を同じくする一族が蔑んでケダモノと呼び、認めなかった私を、人として遇するのか?」


「無論、人じゃからの」




 その言葉が間違い無く自分に対して発せられたものである事を理解し、久秀は目を見開くと同時にぼろぼろと涙を落とし、得も言われぬ嗚咽を漏らす。


 鼻水や嗚咽の際に漏れる涎で酷い有様の久秀。


 行武は肩を軽く2回ほど叩き、その肩を抱いて立たせると砦へと誘う。




「まずは暫時休め、そして良く考えよ。お主は人ぞ」




 更に嗚咽が酷くなった久秀の様子を呆気にとられて眺める和人や周囲の者達。


 彼らから隠すようにして立った行武は、近くにいた兵に久秀を預ける。




「軍監殿はお疲れじゃ、暫し休ませよ」














「とんだ愁嘆場だな」


「まあそう言うてやるな、あれはあれでまずまず複雑な育ちをしておる様子じゃ」




 固唾をのんで見守っていた夷族の族民達が平静を取り戻しつつあるのを見て取って発せられた軽部麻呂の皮肉に、手を振りつつ軽く返す行武。


 立ち去った久秀を見て、ようやく安心した表情となった民。




 久秀の様子に驚きながらも、自分達と似た出自をもっていることに共感を覚え、差別を受けていたことに憤り、次いで行武がそんな久秀の出自を気にせず人として処遇したことに、信頼感を持ったのだ。


 久秀の出自を利用し、結果的に夷族の信を得た形になった行武に、軽部麻呂は問う。




「あの軍監の出自を知っていたのか?」


「それこそまさかじゃの。まあ、隼人族の血を引いておるというならばあの風貌も納得じゃが、排他的な文人貴族の中に隼人の血を引く者がおるとは思わんわい」




 軽部麻呂は、空になった自分の手の中の木椀を見つめ、次いで節くれ立った手をしばらく眺めてからぽつりと言う。




「果たして……俺たちが反乱を起こした意味はあったのか?」




 反乱を起こし、一時は怒りにまかせて郡司や朝廷の役人を殺し尽くし、国衙に襲いかかって勢いを示したが、その後はただの困窮した野宿生活だった。


 国衙を攻めきれずに撃退され生活に窮した軽部麻呂は、各地から集まった夷族達を元の場所へと戻し急場をしのいだが、それも焼け石に水。




 日に日に生活に苦しみ、身体を壊す者が増え、食料を求めてあちこちの山野をさまよってのその日暮らし。


 今、目の前にいる征討軍の梓弓少将に説得され、形上かたちじょうの降伏をして初めて族民達に安寧と満腹を与えられたという皮肉を目の当たりにしている。




「もちろんじゃ、お主達が興した反乱のお陰で、わしはこのように征討軍の少将として再び活躍の場を与えられたのじゃ。わしがこの場にいるのはお主らのお陰よ」


「老少将、それは皮肉か?」




 行武の言葉に、即座に軽部麻呂が剣吞な雰囲気で言い返す。


 しかしその勢いに流されること無く、行武は首を左右に振ってから言葉を継いだ。




「物事には色々な見方があるという事じゃ。先程の久秀の件も然り。お主は部族の誇りと族民の安全を守らんとして立ち上がり、それは一時的にせよ果たされた。それが最終的に良いか悪いかは分からぬし、族民は困窮したが、結果として朝廷の知るところとなり、京府の貴族の中で逼塞していたわしがこの地にやってこられた。そしてお主の族民が今救われている」




 行武は木椀と土器を薄縁の上にそっと置き、そして周囲でくったくのない笑顔を見せ始めた夷族の民達を目を細めて見つめながらそう言う。


 その姿に、軽部麻呂は恥じ入るように下を向いた。




 自分には出来なかったことを、この老少将はしてのけた。




 切っ掛けはどうあれ、また朝廷からの任務がどうあれ、はたまた京府の貴族達の思惑がどうあれ、行武は自分の果たすべき事を果たす。


 その強い意志を感じ取った軽部麻呂は、自然と頭を下げた。




「済まぬ老少将、私は老少将を見くびっていたようだ」


「はっはっは、それは当たりかも知れぬぞ。まあわしにはわしの思惑があるからの、全てをお主達のためにやっているわけではない故に、そこまでの感謝は要らぬ」




 そう言うと行武は、笑顔を消し、真剣な表情でじっと軽部麻呂を見つめて言う。




「これから少しばかり手伝って貰わねばならんことがあるのじゃが、話に乗るか?」


「老少将には恩がある……何でも言ってくれ」




 軽部麻呂が悩む素振りも見せずにすっぱり言うと、行武は笑みを浮かべ感嘆と賞賛の声を上げた。




「さすがは広浜夷族の長じゃの!如何にも思い切りの良い事よ!」


「やばい話か?」




声を潜めて言う軽部麻呂に、わずかに顔を近づけた行武が小声で応じる。




「さてのう……東先道の国司共を懲らしめてやろうと思うておるのじゃが」


「ほう、どの様な方法でだ?」




 軽部麻呂が行武の言葉の重大さに、目を丸く見開き、不安そうに問い返す。


 しかし、行武はゆっくりと立ち上がると、笑みを浮かべたまま答えた。




「ふむ、どっちへどう転がるかは、まだ分からぬわい……しかしやってみないことには何も進まぬ故にの、彼奴きゃつらの悪行を暴いて屹度懲らしめてくれようぞ」

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