第25話

歴511年鳴神月(7月)14日、東先道広浜国葭池郡とうせんどうひろはまこくよしいけぐん・国府真佐方こくふまさかた




 高く築かれた土塀のそこかしこに矢が突き立ち、白く漆喰で塗られている塀のあちこちには石の当った跡が丸く、そして灰色に漆喰がはがれ落ちている。


 土塀の上に葺かれている黒瓦も、割れや欠け、表面が剥離している物やひびが入っている物がほとんどである。


 その中に設けられている建物も、焼け落ちている物や破壊されている物も少なくない。




 そこにあるのは紛う方無き戦いの跡。




 本来典雅な雰囲気を持っていたはずの国衙の設備は最前線の野戦基地と化し、政庁の機能を失ったみすぼらしい廃屋同様の城砦となっていた。


 そんな国衙に立て籠もるのは、装備も指揮もまちまちな私兵を率いた貴族達。


 彼らは何を隠そう東先道5か国の国司達であった。


 その中でも筆頭であり、また最も権力者に近しい位置にあるのが、他ならぬ反乱が真っ先に起ったこの広浜国の国司。




 その名も硯石為高すずりいしためたかである。












「未だ征討軍は来ぬのか!」




 まるまるとした腹を揺すりつつ、薄汚れた国司官服の襟元をだらしなく広げた硯石為高が、猜疑心の強そうな細く小さい目をぎらぎらとさせて私兵を怒鳴りつける。


 丸い鼻の下には細く左右に鯉のような髭が伸びているが、最近手入れが行き届いていないのか少しほつれが見られる為高は、答えない私兵達を睥睨した。




 ここは焼けてしまった国衙の代わりに使用している、神殿の催事場である。


 広さも十分あり、叛徒共もさすがに神殿に立ち向かうようなことはしなかったので、国府の中で唯一まともに機能している大形の建物だ。




しかし、今は国衙の代わりとなっているので、壁や戸には垣盾かいだてが立てかけられ、優雅であったはずの蔀戸しとみどには板榑いたくれが乱雑に釘で打ち留められている。


 元が雅な造りであったが故に、その如何にも場当たり的な戦支度は滑稽さと幼稚さを際立たせていた。


 たった1回の怒声でハアハアと息を荒げ、肥満体の肩を大きく上下させた為高。




 怒りにぶるぶると唇を震わせ細い目を血走らせた彼をなだめるべく、髭面を若干引きつらせながらも広平介ひろだいらのすけを任じられている在地官人の大熊手力彦おおくまたぢからひこが、その名前と大きな身体に似合わぬ穏やかな声色で言う。




「今しばらくかと思われます。京府は既に出立したと……」


「うるさいわ!その報告は前にも聞いたぞ!」




 為高は自分の納得する返事が返ってこなかったことに激高し、跪いている私兵の肩を足蹴にして蹴倒すと、怒りも露わに自分の後ろを振り返った。


 そこには自分と同じような官服を着た貴族が4名いる。


 為高から見て左手から順に、雪芝国国司ゆきしばこくこくしの畠造家長はたつくりのいえなが、北峯国国司きたみねこくこくしの大木戸雅望おおきどまさもち、早蕨国国司さわらびこくこくしの井立光政いだちみつまさ、遠野国国司とおのこくこくしの笠栄乙戸麻呂かさえいおととまろが、呆然と立っている。




 何れも青白い顔をさらに引きつらせて為高を見ているが、何も言わない。




 為高の手元に硯石基家から征討軍の派遣を知らせる手紙が届いてから、既に半年以上が過ぎている。


 行程から考えても、京府から広浜国に入るのは遅くとも3か月程度。


 とっくにこの国衙に顔を出していても良いはずだと為高は考えているのだが、一向に到着しない征討軍。


 夷族に完全に包囲されて全く情報が入ってこないため、為高らは既に行武が藻塩潟に海路で到着し、砦を築いていることを知らない。




 無論、行武が積極的にそれを知らせないのも理由であるが、とにもかくにも為高らは追い詰められており、それも相まって征討軍の到着の余りの遅さに常に苛立っているのである。


 しかも征討軍を率いているのが時代遅れも良いところの武人貴族、梓弓行武だというだけでも腹立たしいのに、その兵はわずか3000。


 国兵の編制や物資の準備、道程の街道修復や盗賊討伐、更には物資の途中調達や補給、傷病兵の後送など、行軍だけでも軍という物は相当の準備と物資を必要とするし、それに伴って時間も掛かるものだ。


 ましてや自分が嘘の報告を行っていたが為に、陸路を採っているならば広浜国へ入る手前から叛徒の脅威にさらされてしまうことにもなる。




 しかしながら為高は軍事というものを知らない。




 多数の人間が移動する際に発生する不都合や手間暇、そしてかかる時間と言うことについても想像力が欠けているせいか、理解出来ないでいる。


 そう言う理由で、ただ単純に自分がこの地へ赴任した時のことを考え、征討軍が未だ到着していないのは怠慢のせいだと考えている為高は大いに不満を漏らしているのだが、それを指摘する者も、また指摘出来る者もこの場にはいない。




「硯石広浜守殿すずりいしひろはまのかみどの……お、落ち着いて下され」




 それでもこの中で最年長でもある、畠造家長はたつくりいえながが、白い頭髪と髭をわずかに震わせながら為高をなだめる。




「我々が叛徒に包囲され、この国衙に押し込められて既に2年!これが落ち着いていられるかっ!?」


「は、は、はいっ!」




 為高の激高を受け止めきれずに家長が頭を下げて下引きがる。




「梓弓のジジイは怠慢だ!弾劾の奏上をせねばなるまい!」




 為高の怒りは、征討軍の遅れに対してだけでは無い。


 もちろん一番怒りを向けたいのは、夷族という北の蛮族である事は言うまでも無い。


 最初は大人しくこちらの言い分に従って税を納めていたのに、税を納められない家族や村から人を狩り始め、更にはその者達を京府や弁国を通じて売り飛ばしたところ、しばらくしてから突如同時多発的に反乱が勃発したのである。




 この分であれば一族の、ひいては硯石家全体の勢力伸張に対する財貨を生み出せると思っていた矢先だった。


 蓄財に関する色よい返事を、先走って氏長者である基家に送った直後であったことも痛かった。


 反乱と言っても最初は穏やかなもので、ただ夷族達は村を放棄して森の中に逃げ込むだけだったのである。




 これで為高は大人しい夷族を無理矢理力で押さえ込めると勘違いしたのだ。


 為高が見せしめに空になった夷族の村々を焼き払い、逃げる準備が遅れていた村を急襲して男共を皆殺しにして女子供を掠って弁国へ売り飛ばした。


 また、それまで納税のカタに捕らえていた夷族の者達の内、男や年嵩の女達をこれまた見せしめに磔はりつけて責め殺してしまったのである。




 そんなことを広浜国のあちこちでやった結果、温厚だった夷族の反乱が激変した。




 植民村が襲われて焼かれるのみならず、郡司館までもが襲われて郡司や里長が殺され、更には国衙にまでも攻め寄せて散々荒らし回ったのだ。


 国衙に乱入した夷族の者達は何とか撃退したが、官倉は焼かれて国衙は灰燼に帰した。


 そしてついに為高は正面切っての武力鎮圧に舵を切る。


 最初は課税の低減を餌に武民や大農民を味方に付け、焼け出された植民村の農民達を徴募して兵に仕立てての武力鎮圧を狙った。




 ところが思った以上に夷族は手強く、しかも森や拓かれていない山野を舞台とする戦いにおいて、為高は軍事を知らないこともあってろくな指揮が執れず、常に敗退を余儀なくされてしまったのである。


 攻め込んでは負け、攻め込んでは負けを繰り返している内に、武民や大農民は自分達の損害の余りの大きさに不満を湛え始めた。


 そして約束を違えて一向に税を減らさない為高に業を煮やして引き上げてしまい、結果劣勢に立たされた為高は国衙に立て籠もる他に策が無くなってしまったのだ。


 為高としては、ただでさえ落ち込んでいる税収を何とか確保したいと思って、武民達から税を徴収し続けただけである。




 武民達からすれば為高は国司とは言え、約束を対等に交わした相手だ。


 契約相手が契約そのものを違えたのだから、その時点で武民達も約束を果たす義理は無い。


 であるから、武力を貸さず引き上げるのは当然のことと言う考えであろう。


 しかし為高は、民であるはずの武民が朝廷の意向や命令に逆らうことが理解出来ない。


 とは言え、武民達の不義理に怒りをおぼえようと、反乱に手を焼かされている現時点で、少なくともまだ敵にはなっていない武民を敵に回すのは明確な破滅を意味する。




 さすがにそれだけは理解出来た為高。




 怒りを抑えて、自分達だけで対応しようと朝廷に反乱の勃発と鎮圧に対する助力を願う手紙をやむを得ず出したのである。


 ただ、この時点で反乱は周辺諸国にまで広がりを見せ、おまけに弁国や大章国の物と思われる戦艦や兵もちらつく有様。




 手紙の表現を控えめにして、反乱はごく少数であると知らせた為高だったが、様子を見にやって来た監察使が為高から事情聴取を行った際に、そのほとんどが嘘である事がばれてしまった。


 国衙が焼け落ち、夷族の叛徒が分国中を徘徊しているのだから当然と言えば当然で、流石の文人貴族出身の監察官も、この惨状は報告せざるを得ないと判断したらしい。




 こうして為高は何とか反乱を抑えようと2年を費やしたが、打つ手打つ手がことごとく失敗してとうとう隣国にまで広がるような大反乱へと発展してしまい、朝廷から征討軍が派遣される事態に至ったのだ。


幸いにも、溜め込んだ米や麦、稗や粟、獣肉の干し肉や油脂など、食料や物資は大量にあるので長期の籠城には困らない。




 ただ、本来であれば京府に送って財貨を成すための物資がどんどん目減りしていくことに為高は神経と我慢をすり減らしていたのである。


 しかしそれ以上に、たった3000で、しかも梓弓行武ごときにこの未曾有の大反乱を収めさせようというのだから、朝廷は何も分かっていないと改めて為高は怒りを覚えた。


 自分が正確な報告を行っていないことや、意図的に報告を遅らせていたこと、更に基家に頼んで事が大きくならないよう根回ししていたこと、果ては監察官に賄賂を渡していたことは棚に上げ、為高はわなわなと怒りに拳を振るわせる。




 他の国司達からすれば、為高の失政のとばっちりという思いが大きい。


 彼らも多かれ少なかれ蓄財を目論んで税を吊り上げていたのは間違い無いが、それでも反乱が起こるほどでは無かったからだ。


 しかし、きっかけは為高の失政によって起こった広浜国の反乱かも知れないが、その萌芽はずっと存在し続けていたからこそ、自国でも反乱が起こったのだという事に気付いていない国司達。


 多かれ少なかれ、苛税に怒りを感じていた夷族いぞくや夷族発祥の農民達。


 東先道の各国でも、きっかけさえあれば容易に反乱が起こる下地がしっかりと出来ていたのだ。




 国司達は京府へ逃亡しようとしていたのだが、その途中に広浜国国府の真佐方まさがたを通らざるを得ず、結果為高の籠城に巻き込まれたのである。


 広浜国は反乱が既に3年近く継続していることもあって叛徒である夷族達いぞくたちの武装も進み、彼らによって京府への道行きが遮断されていたこともあり、渋々ながら籠城に参加することになったのだ。




「ぐうう!使者を出すことは出来んのか!」


「い、夷族いぞくの者達は弓矢に長けております。使いを出そうとしても馬を射られ、う、腕や足を射られて足止めされてしまうのです」




私兵が襟髪をつかみ上げられて苦しそうにしながらも答える。


 実際、為高は包囲され、道を封鎖されてからも何度か京府に向けて使者を出していたのだが、夷族に邪魔をされて1度も成功していない。


 使者に出したある者は逃げ帰り、ある者は殺されてしまい、殺された中には国衙の門前に遺体が放置されていた者もいる。




「ぬううう!」


「あ、梓弓行武殿と言えば、生粋の武人貴族では?」




 唸り声を上げる為高へ、がりがりにやせ細っている遠野国国司とおのこくこくしの笠栄乙戸麻呂かさえいおととまろが言うと、為高はぎっとその顔を睨み付けた。




「あの様な爺に何が出来るか!無様にも政争に敗れ、それでいながら未だ朝廷にしがみついているような落ちぶれ者に、何が出来るか!」


「ひ、ひえっ!?」




 その剣幕に驚いた乙戸麻呂が腰を抜かすと、ずかずかと乱暴に歩み寄った為高が言う。




「しかし!ヤツに頼らねばならぬのは事実だ!……ヤツがここに来たと同時に、我々は京府へ脱出する!」


「そ、それは梓弓少将を囮にして逃げると言うことですかっ?」




 為高の言葉に驚いた、同じような体型の北峯国国司きたみねこくこくしの大木戸雅望おおきどまさもちが声を上げると、為高は薄ら笑いを浮かべた。




「あんな老いぼれには、それくらいしか使い道は無いだろう……いかに老いぼれが率いているとは言え、兵が入れば夷族の者達もそちらに注目するに違いない。その隙に我々が逃げる他に手段は無い」


「た、確かに」


「それくらいしか、我々が生き延びる道はありませぬな……」




 為高の言葉に、特徴の無い薄っぺらい顔をした早蕨国国司さわらびこくこくしの井立光政いだちみつまさが頷き、大木戸雅望おおきどまさもちもゴクリと喉を鳴らしながら言う。


 残りの畠造家長と笠栄乙戸麻呂も頷いて同意したのを見て取り、為高はゆっくりと言葉を発した。




「各々、逃げる準備を進めておいた方が良かろう……いずれにしても梓弓の爺がここに来た時が勝負だ。爺を囮において、わしらは即刻逃げ去るのだ。何、征討軍に全ての業務を引き継いだという書状を残しておけば、何の問題も無かろう」


「……京府に帰り着いてから、梓弓少将に全てを任せたことと、少将が業務引継に同意したことを申し開き


する必要がありましょうな」




 畠造家長が為高の意見を補足するように言うと、雅望も口を開く。




「常であれば国司引き継ぎの証明書となる受領ずりょうが必要でしょうが……非常の事態にありますれば、特例として口頭と委任状にて引き継ぎの証明としましょう」


「そうとなれば、官給紙で委任状を作成せねば……」




 雅望の言葉を聞いて、ようやく立ち直った乙戸麻呂が言う。




「ふむ、その辺を探せば出てくるだろう……では、各々委任状と添え状を認したため、文箱にしまっておくことにしましょうぞ」




 為高が最後にそう言うと、国司達は官給紙が残っていないかどうかを確認すべく、慌てて神殿を出て焼け残った国衙院へと向かうのだった。

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