第26話
歴511年鳴神月(7月)10日、東先道広浜国・音浜郡藻塩潟おとはまぐんもしおがた、梓弓城柵あずさゆみじょうさく
かつて放棄された砦を修築し、城砦へと造営し直した行武。
遠方まで見渡せるひときわ背の高い主郭を中心に、各所に櫓と見張り台が設けられている。
また外郭として2重の堀を穿ち、土塁を築いてその上に柵と板塀を設け、船溜まりを内包する大規模な城砦が出来上がっていた。
それに加えて近くの小川を引き込んで外堀に水を満たし、柵の外側には逆茂木や乱杭を埋いけて防御を強化してある。
「50年も留守にしておると、なかなか木も立派に育っておるわい」
行武がそううそぶくとおり、周囲の山々に森林資源は豊富にある。
乾燥には少し手間をとられたが、それでも全員が協力することで多数の立派な木材を揃えることが出来た。
「……私の風を木の乾燥に使うなんて、ヒドイです」
「まあ、そう言うな、お陰で助かったわい」
頬を膨らませるマリオンをなだめる行武に、猫芝が文句を言う。
「吾あの術を作事か何かと勘違いしておるのではあるまいな?」
「しとらぬわ、まあ、便利ではあるが……」
「しておるではないかっ!」
うっかり口を滑らせた行武に食って掛かる猫芝を、ツマグロとスジグロの2人が冷めた目で見ている。
「猫姉ちゃん、楽しんでたぜ?」
「そうだよね、頼りにされてる感じがするとか言ってたよーな……」
「小童どもっ、そ、それをばらすで無いっ!?」
慌てて振り返る猫芝を見て、悪戯小僧そのものの顔で2人が逃げる。
どうやら顔を赤くしている様子の猫芝は、2人を追いかける。
「仲の良い事よな……ん?」
じゃれる3人を見て優しい笑みを浮かべる行武の横顔をしばらく眺めていたマリオンだったが、やがて視線が合いそうになるのを巧みに避けて顔を逸らすと、ぽつりとつぶやいた。
「ま、私も頼りにされて悪い気はしないのですけどね」
砦の城門は3カ所で、何れも天楼国型の跳ね橋と城門を組み合わせた造りとなっている。
柵や板塀には分厚く泥が塗り込められており、火攻めに備えていた。
しかしながらその砦を守るのは、納税人足を混ぜたわずか500名の兵のみである。
「……このような縄張なわばりもご存じとは」
まるで尽きる事が無いかのような行武の知恵の泉に、少彦は相も変わらず感嘆の声を上げる事しか出来ない。
少彦の見るところ、この城砦は防御設備としてだけではなく、これから拠点の城市となるべく設計されている。
恐らく、北辺の動乱を平定した後にこの場を港湾都市と成し、東先道や東間道の納税業務を一手に引き受ける場所とするつもりなのだろう。
その証拠に、船溜まりの近くには官倉として8棟もの倉が設けられている。
何れもかなりの大型で、その内のいくつかには荷馬車に積載してきた武器防具や糧秣、薪などの燃料、固定弩こていどや発石車はっせきしゃなどの中型兵器に加えて、油脂類に戦備資材、建築資材が納められているが、如何にも過剰な規模だ。
おそらく行武は集められた税を一時的に保管する倉庫を、分国ごとに設ける心積もりなのだろう。
その数は、東先道5か国に丁度あてはまる。
今は防御中心の造りで、あちこちの要所に櫓や見張り台が設けられているものの、それらは後々取り払う事ができるようになっている。
それらをきれいに取り払い、軍道を街路としてしまえば、この城砦は立派な町となる。
兵舎と銘打って、既に木造の小屋が道に沿って建設され始めている。
簡易の兵舎とは思えない、しっかりとした造りの建物を見れば、この後も砦を何らかの設備として使用する事を想定しているのは明らかだった。
そこへ猫芝やマリオン、浮塵子の2人を付き従えた行武が巡回にやって来た。
直ちに頭を下げる是安と少彦に行武が鷹揚に頷くと、是安が口を開く。
「殿様、糧食、建設資材、矢、弩矢、石弾いしだま、薪炭、馬糧、木材、釘、鎹かすがい、予備の防具や武器、全て移し終えましてございます」
「おう、大儀じゃの。ではそろそろ動くとするかのう……」
是安の報告を聞き、のんびりそう応じる行武の言葉を聞いて、少彦達は全ての準備が整った事を知る。
「……いよいよ戦か?」
そう尋ねる軍監の薬研和人やげんのにぎひとに、行武は周囲を事細かに見回ってはせっせと記録を付けている玄墨久秀を見て苦笑を浮かべながら言う。
「まずは敵情把握じゃ、玄墨軍監殿は煩く兵を出せというじゃろうがの」
これまでも真佐方の苦況を知ってか知らずしてか、久秀は度々兵を出して為高ら国司達を救うように進言してきている。
行武は時期尚早、敵情不案内を理由にその進言を退け続けていたが、その経過も恐らく久秀は書き記して京府へ送る算段を付けていることだろう。
「あまり手酷く書かれては事後に差し支えぬか?」
「事後など気にしておっては何も出来ぬ。好きにさせておけ」
「……ジジイは暢気者よの」
和人の心配そうな言葉を鼻で笑って飛ばした行武に、近くに寄ってきた猫芝がにんまりと笑みを浮かべて言う。
その頭を一撫でする。
くすぐったそうに首をすくめた猫芝を余所に行武は言葉を継いだ。
「まあ、結果は未だ出ておらぬ。いくら経過を非難されようとも、結果が出れば全て必要なことであったことが分かるわい」
2月の工事期間を経て木造の城砦を造営し終えた行武は、盛んに周辺へ偵察を出して情報を収集し始めた。
時には巡察の形で近隣の焼け残った村々に歩兵を出す。
また、広浜国出身の納税人足達の縁を頼って、商人や村の有力者を梓弓城柵に招聘して情報を収集する。
そうして情報収集に努めていると、おぼろげながら見えてきたものがある。
「硯石為高すずりいしのためたかめは、相当な圧政を敷いたようじゃのう……」
遠くの村から招いた非違郷の村長むらおさを送り返した後、行武はため息と共にそう言葉を吐き出した。
広浜国の国衙は、藻塩潟から更に半月ほど歩きで行った、葭池郡よしいけぐんの真佐方まさがたにある。
どうやら東先道の他の分国の国司も全員が私兵を率いて真佐方まさがたの国衙院に集まり、立て籠もって反乱をしのいでいるらしいと言う事が分かった。
しかも、為高が周辺の武民や大農民に支援を呼びかけたものの応じる者は無く、完全に孤立しているらしい。
聞けば、余りの苛政と苛税に、本来国司の側に付くことの多い武民達も支援を渋っているとのことだ。
為高は収穫物に対して6割の徴収を行うだけに飽き足らず、交易や本来は課税の対象外であったはずの冬麦や山菜、雑穀から狩猟物、野菜類に至るまで、およそ財となり得る物全てに課税したとのこと。
これによって東先道の先住民である夷族は困窮し、またようやく定着し始めた植民者達も飢えた。
挙げ句の果てには自身売買が横行しただけに留まらず、国司自らが税を払えない家族から女子供を取り上げ、どんどんと国衙に集めたとのことである。
「胡乱うろんなことをする……これは奴隷売買や国外への移送に国司が関わっておるじゃろう」
怒りも露わに報告を聞く行武。
おそらく、弁国べんこくの海賊が出没していることと無縁ではあるまい。
彼の国において奴隷売買や獲得は禁じられていない。
恐らく為高は夷族の女子供を奴隷として弁国海賊に売り飛ばしているのだろう。
夷族の女子供は見目麗しい物が多く、高値で取引されると聞く。
長らく弁国や大章国発祥の海賊が放置され、討伐されていないわけである。
本来なら討伐に動くべき国司が、賊徒と取引をしているのだ。
「……正に内憂外患とはこのこと」
「何とも、今をときめく文人貴族が過酷な加算税に人身売買、しかも取引相手は正式な国交も無い潜在敵国の弁国べんこくとは!世も末ですぞ!」
いつも無表情な重光が珍しく顔を真っ赤にして言葉少なく怒り、弘光が拳を握りしめてその怒りに同調する。
「民人を慈しむべき者が……何という有様でしょうか」
かつて国を追われた経験のあるマリオンが静かに怒りを含んだ言葉を発する。
苛税と人狩りを恐れた民が逃散するのも無理は無い。
夷族は森の生活に逃れ、植民者は故国に逃げたり流民と化した。
その内の血気盛んな者達が同時多発的に国司へ武力反乱を起こしたのが、今回の反乱の始まりのようだ。
さらに、本来は逃げた民を慰撫して帰参を促すべき所、為高はかなり強引な手法で村へ戻そうとしたために騒ぎが大きくなった。
何と、為高は逃散した民の家族、つまりは老いた父母や幼い子供ばかりを捕らえて人質として国衙に住まわせ、村邑への定着と帰参による維持を図ったのである。
捕らえられる際に激しく抵抗したことで、為高の私兵や傭兵に殺されてしまう子供や老人が後を絶たず、民の怒りに油を注いでしまった為高。
それだけに留まらず、為高は捕らえて人質とした者達を十分に養わず、奴隷よりも酷い扱いをしたので、彼らは栄養失調と病でばたばたと死んでいった
最早広浜国の民はおろか東先道から東間道にまで為高の悪評は轟き渡り、その命令を聞くものは居なくなってしまったのだ。
それも当然だろう。
為高の命令に従えば財を奪われ、その上に誇りを失うか命を失うかのどちらか。
何れも選択しがたいものである。
為高がここまで焦って無茶苦茶な蓄財に励んだのは、一族からの期待が大きかったに他ならない。
硯石家と言っても、その身分や富裕の程度は様々。
瑞穂国草創期には下級官吏に過ぎなかった硯石家だったが、先々代の硯石弘文すずりいしのひろふみの代に文人貴族として頭角を現した。
その後も一族から優秀な官僚貴族を出し、そのお陰もあって硯石家主流派の者達は軒並み昇進して財を大いに蓄えるに至ったが、それに取り残されてしまった者達もいる。
為高は、硯石家でもそんなあぶれ者達に属する者である。
しかし目端が利き、事務能力のある抜け目の無い為高は、当代の硯石家氏長者すずりいしけうじのちょうじゃである基家の目に止まり、引き上げられたのだ。
順調に昇進を重ねて4年前に広浜国の国司となったのも、夷族いぞくや戎族じゅうぞくと言ったまつろわぬ民との商売や、大章国や弁国との抜け荷(密貿易)、更には飛躍的に伸びている農業生産を当て込んでのことだ。
残念ながら、真っ当な政治、しかも民と直接触れ合うことの多い地方政治をやったことの無い為高は、貴族としての地位と欲望を剥き出しにして広浜国の民達に相対することとなってしまった。
加減を知らない為高の無茶苦茶な苛税と政策により、広浜国は農業生産や商業を始めとする経済活動が一気に衰えただけに留まらず、住民が流出し人口の大幅な減少を引き起こす。
経済活動が衰え生産力が下がれば税収が下がるので、更なる課税を行う。
課税は苛税となり、苛政へと繋がり、更に民は逃げる。
そうして悪循環に次ぐ悪循環の末、堪りかねた者達が反乱を起こしたのだ。
上からの命を下し、下からの報告を上げるだけの事務屋でしか無い為高。
しかも創造的な仕事をしたことがないという彼は、情報を収集した上で自分の責任と判断で行政執行しなければならない、かなり繊細な舵取りが求められる国司という仕事に極めて不向きだったのである。
「これは……さすがに叛徒とはいえ同情に値するのう」
軍監の立場ではあるが、かつては典薬長官として民と関わりを持つこともあった薬研和人がこぼすと、行武は大いに頷いた。
「これは最早反乱にあらず、苛政に対して民が声を上げただけの義挙じゃ」
「しかし、実際に朝廷に対する反抗や闘争はずっと続いています……それを如何なさいますか?」
びしっと結論づけた行武に対して、少彦が眉根を寄せて尋ねる。
「ふん、下々の者のことなど朝廷は配慮してはくれぬ」
「そうは言いましても、このまま放置するわけにもいきませんでしょう」
悪態をついた猫芝を窘め、マリオンは長い金髪を揺らして行武に顔を向け、微笑みながら言う。
「お考えは既にお有りでしょう」
「まあのう」
顎髭を扱きながらとぼけた様子で答える行武に、マリオンの笑みが深くなる。
確かに、民は逃散した上で続々と反乱に加わっており、叛徒の数は増える一方の傍らで、村々の人口は減少の一途を辿っている。
いくら行武が反乱の正当性を主張しても、国司に対する反乱は起こっている。
朝廷に向けた物では無いかも知れないが、朝廷の出先機関の長である国司に向けられた反抗や反乱、不服や不満はすなわち朝廷に対するものと見なされてしまう。
そして、その実情を知って叛徒の心情を汲んでいるのは、朝廷から疎まれている行武だけというのも頂けない。
行武が叛徒を擁護するようなことがあれば、下手をすると行武自身が反乱の首魁とされかねない。
むしろ硯石基家などは喜々として反乱の責任を全て行武に転嫁した上で、事を納めようとするだろう。
反乱の実情を知り、その無理からぬ理由を知ってしまい、また国司達もしぶとく生き残ってしまっていることが、行武の行動を難しくしてしまっていた。
一番良いのは、国司が叛徒に殺されてしまっていた上で、行武が叛徒を抑えることだったのだが、これは国司が広浜国衙に立て籠もっていることで消えた。
政庁とは言え国衙は十分な防衛機能を備えており、地の利もある。
普通に守れば、ろくな武器を持たない反乱に後れを取ることは無いからだ。
一番簡単なのは、兵を周辺の分国からかき集めて武力で反乱を鎮圧すること。
時間は多少掛かるかも知れないが、2000も兵を集められれば、行武の用兵術なら各地でバラバラに割拠している叛徒を各個撃破することは難しくない。
一番確実で、最終的には一番早い方法となるだろう。
一番難しいのは、朝廷の有力者に連なる国司達を処断した上で、反乱を上手く抑え込むこと。
各分国の叛徒や民達から苛政の証拠を集めて国司達の罪状を明らかにした上で、巡察使の権限で捕縛、もしくは処断してしまうのだ。
しかし今の状況で反乱を起こした者達が持つ証拠が採用されることはほぼ皆無であろうし、捕縛したところで係累が文人貴族の有力者である国司達を断罪するのはほぼ不可能。
それに叛徒が行武を信用するかどうかも分からず、証拠自体を集めるのも難しいだろう。
さらに処断、つまりは行武が巡察使権限で処罰してしまえば、手続きを経ていないことを問題視され、またその乱暴な手法に非難が集まることだろう。
最悪、行武が逆に罪に問われる可能性もある。
しかし、行武がその思想から取り得る方法は、その最後の手段だけだ。
それでも反乱に加わった民人については抜け穴がある。
新たに服属した、今まで朝廷においては未知の民人であったとして戸籍を登録し直してしまうのだ。
巧く前の戸籍を抹消しなければ二重登録となってしまい混乱を来すだろうが、そこは今は戦の真っ最中。
人死には残念なことに日常茶飯事、と言うことにしてしまえば良い。
わざわざ北辺にまでやって来てその検証をする者などいるはずも無く、身内の裏切りでも無い限り、この企てが露見することはまず無い。
ただ、国司の処遇はこと権勢を誇る一族に連なる者達だけに難しい。
「悩みどころじゃの」
悩みは情報が増えれば増えるほど深まり、そして解決は時が過ぎれば過ぎるほど難しくなっていく。
行武は過去には感じなかった苦悩を感じ、静かに打ち寄せる波を見る。
若い頃、はじめてこの地を訪れた際は、大きな希望と未来しか感じなかった。
いや、それしかないと信じて疑わなかった。
しかし今感じているのは、閉塞感と無力感だ。
老い先短い自分の寿命を考慮に入れれば、余りここで長い時間を掛けるわけにはいかないのである。
しかし焦りは禁物、文字通り行武には後が無い。
万が一にもここでしくじれば、永遠にそれを取り戻すことは出来ないのである。
「……幸いに朝廷は何も言うて寄越さぬ。おそらくは余りの事態に思考が追いつかず、手を出すことが出来ぬに違いなし。しかし、これを奇貨として邪な思いを抱く者がいるやもしれん」
行武の頭に浮かんだのは、基家ら有力な文人貴族の面々の顔。
彼らは現状について満足はしていまい。
先の大王が死の間際に行武を呼び寄せさえしなければ、後継の大王に意のままに操ることの出来る神取王子を立て、お国の政治を完全に握れたはずだったのだ。
それに、文人貴族と行っても一枚岩では無い。
今でこそ硯石家の財力とそれに伴う威勢、更には高位高官に居並ぶ硯石家の者達の権力で優位を保ってこそいるが、すぐ下の右大臣には古来よりの大貴族である斐紙家ひしけの氏長者、斐紙大生形がおり、また大納言や中納言、参議の位には硯石家に歴史や家格が匹敵する貴族も少なくない。
現当主の基家に異変があれば、未だ取って代わることの出来る貴族がいるのだ。
しかし、それも時間との勝負となる。
時が経つにつれ、基家は自家の力を強める施策を次々と実施するだろう。
それまでに何とか北辺の大反乱を抑えてしまわなければならない。
功績を盾に発言権を獲得し、梓弓行武最後のご奉公をなさねばならないのだ。
ただ、それには大きな障害があることが分かった。
「……それでもやらねばならぬ、明日の瑞穂国のために、今こそ間違った流れを押し止めねばの」
先程より幾分荒くなった波を眺めつつ、行武は密かに決意を固めてつぶやく。
「まずは身内から固めねばならん」
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