第21話

燃えさかる都。




 東方の蛮族に略奪の限りを尽くされたかつての豪華絢爛な都は、全てを奪われて火を放たれたのだ。


 落ち延びた民人は、長くそして細い列を作って行く当てもなく彷徨い続けるばかり。しかしながら民人を導く者は最早無く、目標も終わりもない逃避行は永遠に続く。


 それが終わるのは、その列に加わっている民人が個々にしか持ち得ない、死の訪れ以外に無い惨状。


 住む家や財産は言うに及ばず、家族も、そして誇りも失った民人達の心身を苛み、案外早く終わりを迎える者達も多い。




 体力の無い老人や子供の遺体が道行きのそこかしこに溢れ、焼け焦げた衣服やマントに身を包む者達は、やがてや薄汚れた顔から表情を消し去ることを覚えた。


 行けども行けども道は終わらず、そして人は減り、かつて交易商人やきらびやかな軍兵が行き交った石畳の立派な街道は、今や生以外の全てを失った者達が彷徨う、死と絶望に覆われた凄惨な場所へと変わり果てている。




「ああ……」




 誰かが短い悲鳴を残して歩きながら事切れ、石畳に酷く顔から叩き付けられる。




「……はあ」




 歩きながら溜息を吐くように息を引き取り、路傍に崩れ落ちる。




「……」




 無言で座り込む者がいる。


 しかし既にその目から生の光は失われており、その惨めな遺体を一顧だにする者はいない。


 それもこれも明日は我が身。


 正にその言葉こそが相応しい地獄絵図がそこに展開されていたのである。










 マリオンは辛うじて一族というまとまりを得たまま都から落ち延びたが、行く宛てが無いのはここにいる人々と全く同じで、希望を持つ希望すら許されない過酷な環境下でただ1人、自分達が東の地へ自然と向かっていることをおぼろげながら知る。


 但しそれは積極的に知ろうと思ったからではない。


 見てしまったのだ。


 敗亡の民人を見つけた東の騎馬蛮族達があちこちで自分達を襲い始め、地獄絵図に新たな惨劇が上塗りされていくのを、である。


 希望を失ってしまった民人達だったが、生物としての本能が身近に迫った脅威に抵抗する。


 すなわち、襲撃を受けたことで逃げ惑い始めたのだ。


 マリオン達も、言葉を発することすら出来ず、ただただ疲れ切った身体を更に酷使して、荒い息だけを撒き散らしながら街道から東へと逃げ惑う。




 彼らもここにいる民人が全てを失っていることを知っている。


 故に、彼ら東方の騎馬蛮族が求めているのは、奴隷。


 毒を塗った矢を使う彼らが一切の飛び道具を使わずに逃げ惑う民人を執拗に追い回しているのは、疲れてへたり込んだ民人を馬上から掬い上げて掠い、捕らえて奴隷として売り飛ばすためだ。




「あっ!?」




 街道から外れた荒れ地で、マリオンのサンダルの紐が切れ、足を取られて転倒する。


 一族の誰も彼もが一瞬のためらいを見せるが、倒れて動けなくなったマリオンを助けることが出来ずに逃げ惑う。




「はっはああ!」


「うはあっはあははっは!」




 被っていたフードが取れ、薄汚れていても目立つ金髪が騎馬蛮族達の注意を引いた。


しかも見目麗しい女となれば、あらゆる意味でその価値は高い。


 数機の騎馬蛮族がマリオンに殺到してきた。


 既に戦いで術力を使い果たしてしまったマリオンに抗う術は無く、残った力で土を握りしめるのが精一杯。


 歯を食い縛って、せめてもの抵抗を試みようとしたその時、弓弦の鳴る音と、矢が飛翔する鋭い音が周囲に響いた。




「あぐっ!?」


「おげ」


「おご……」




 次々と長い矢に射貫かれて馬から転落する騎馬蛮族の戦士達。


 それを驚きの目で見つめるマリオンの前に、若々しい武将が駆けつけてきた。


 その姿は西方ではまず見ることの無い、東方の異相だ。


 しかし、異相であっても洗練された身のこなしや、優雅な立ち居振る舞いは見る者を魅了する。




「まったく、馬乗りとは相性が悪い。動き回る的は難しい」




 そう言いつつ魅力的な笑みを浮かべたその武将は、涼やかさをもった切れ長の一重目蓋の目尻を下げ、弓を取り直す。


 鈍色の短甲と呼ばれる鎧兜は、東方の更に東方、遙か彼方にある瑞穂国の物である事はマリオンも見知っている。


 そしてその国とマリオンのいた国は、長く友誼を結んでいることも。




「あ、あなた様は……」




 綺麗に磨かれている短甲に自分の薄汚れた顔を写し、思わず顔を赤くして下を見ながら声を発するマリオンだったが、伸ばされた鹿革手袋で覆われた手を見て言葉を止めた。




「西方語は得意で無い故に、詳しい話は出来かねますな、後にしましょう。今はこの惨状を切り抜ける手立てを考えましょうぞ」




 そう言うと東方の貴人あてびとはにっこりと微笑んで言う。




「助けに参りました」




 マリオンが安堵のため息とともに崩れるように座り込むと、すっと立った若い武人は声を上げる。




「者共励めや!今こそ鍛えし武技を示さん!」




 凛々しい横顔と共に発せられた言葉と同時に、東方の鬨の声が上がる。


 頼みにしていた援助が届いた瞬間。


 助かったのだ。




「……う、ああっ!」




 その言葉に感極まったマリオンの目から涙が溢れる。


 堪えようのない、熱い思いと安堵感が広がる。


 背を向けて蛮族と対峙するその武将の背中に震える手を伸ばすマリオン。


 もう一度、あの素敵な横顔を見たい。


 その思いだけで疲れ果てた身体を動かし、足を引き摺る様にして動くマリオンの手を、優しく手甲と革手袋に包まれた手が押し止める。




「安心なされませい」


「あ、あなた様の名を、せめて……」


「はっ、梓弓の行武と申します、西方の姫君」
















「おう、起きたかの?」


「……ユキタケ?」




 次の瞬間、目に飛び込んできたのは、老人の皺深い顔。


 しかし、かつて目にした凛々しさが多分に残る笑顔を見せる行武の顔だった。


 ぼおっと夢見心地に行武の顔や前進を眺めるマリオンに、笑みを深くした行武が言う。




「ああん?寝ぼけておるようじゃの。まあ、無理も無い。長い船旅で疲れたのじゃろう」




 行武の指さす方向を見れば、広大な山々と陸地が広がり、目の前の入江には自分達が乗ってきた船が停泊していた。




「……ここは?」


「本当に寝ぼけておるのう……まあ、目的地じゃ。藻塩潟という」




 それだけ言うと行武は背を見せて去って行く。




「モシオガタ」




 言い慣れない東方の言葉で鸚鵡返しにそう言うと、マリオンはにじんでいた涙を指で拭く。




「思えば長い年月が経ちました。あの時の気持ちは些かも変わりませんが……」




 行武との出会いを夢に見るとは、自分の入れ込みように少し呆れながらも、変わらない気持ちを誇りにも思いつつ、周囲を改めて見回す。


 緑の濃い大地の広がる、異境の地。


 彼女にとっては新天地に他ならない。




「今はこの時を感謝致しましょう」




 そうつぶやき、マリオンは笑顔で行武の背中を追うのだった。


















「あの……」


「なんじゃい」




 恐る恐る声を掛けた雪麻呂に、頭巾付外套フードマントを深くかぶった猫芝が見上げるようにして顔を雪麻呂に向けながら、ぶっきらぼうに応じる。


 そもそも猫芝が他の者の前に現れることは珍しく、他の者と話をすることはもっと珍しい。更に言えば、顔を向けることなど極めて珍しい。


 兵士の幾人かは興味を持って猫芝に話しかけたが、猫芝は返事すら寄越さないのだ。




「いえ、食事の用意が出来ましたので……」




 そもそも雪麻呂は貧乏くじを引いたに過ぎない。




「雪麻呂よ、済まぬがあそこに屯しておる変わり者に声を掛けてやってはくれぬか」




 炊事を済ませ、兵士達に飯を配り終えた後、猫芝の姿をふと見掛けた行武が雪麻呂に声を掛けるように言ったのだ。


 糧秣係の納税人足や兵士達は、それを聞いて胸をなで下ろす。


 彼らも猫芝にどういうふうに声を掛けたら良いものか迷っていたのである。


 ちらちらと大鍋や大窯の設置してある場所に目を配っている様子があり、飯に興味を持っていることは分かったのだが、何分素性もよく分からない上に、自分達を率いている行武とは対等な口を利いている猫芝。




 何かと奇妙なこの征討軍においても、マリオンと並んでその存在の異様さが際立っている。


 その猫芝が、兵士達の持つ粗末な木椀に入れられた粥にちらちらとあからさまな視線を向けてうろついているのである。


 言わんとするところは分かるが、普段の態度が仇となり、兵士達は声を掛けない。


 中には顔をしかめて自分の椀を猫芝の視線から隠す者もいる始末。


 木が伐られ、草が払われた建築途上の砦の敷地の内。


 あちこちに伐られたばかりの木材が積まれ、草は束ねられており、土塁や空堀が出来上がりつつある。


 日が差し、束ねられた草が枯れ始めた青臭い臭いが漂い、木くずの臭いがその中に混じり、掘り起こされた土の湿った臭いも強い。




 しかしそれよりも強い、米をエビやカニ、小魚に海草を加えて煮立てた出汁の濃い粥の香りが周囲を支配している。


 ほのかに混じるのは、ひしおのものだろうか。




「……ふん」


「あの……」




 鼻を鳴らす猫芝に、いよいよ雪麻呂は戸惑いを隠せない。


 周囲では思い思いの場所に集まり、あるいは1人で粥を喰う兵士や納税人足達。


 誰もが雪麻呂と猫芝の遣り取りに興味津々。


 猫芝は自分が注目を集めてしまっていることに不満がある様子で、それがまるで雪麻呂のせいだと言わんばかりの態度だ。




 さすがに温厚な雪麻呂も、それは無いだろうと心の中でため息をつく。


 雪麻呂とて、猫芝のような怪しげな者に積極的に関わりたいわけでは無い。


 あくまでも行武が命じたからだ。


 そこへ軽い足音が二つ。




「……なんだ、ネコ。飯いらねーのか?」


「ねこちゃん」


「む、小童共こわっぱども」




 ひょっこりと現れたのは、かつて浮塵子うんかと呼ばれ京府で忌み嫌われていた浮浪児達の頭目格のツマグロとスジクロだった。


 この2人も、粥を貰いに荷駄の所へ向かう途中らしく、兵士達の持つそれよりも小振りな木椀を持っている。


 洗ったばかりなのか、その木椀と手は拭き残しで濡れている。




「どーしたんだよ?」


「どうもしとらぬ」




 怪訝そうに顔を出すツマグロに、猫芝が普通に応じる。


 気難しい猫芝であったが、元浮浪児達とはそこそこ馬が合うようで、良く一緒に居るのを雪麻呂も目にしていた。


 そのツマグロは、猫芝と雪麻呂の様子を見て何かを察したらしく、姿勢を戻しつつ言葉を継ぐ。




「なにゆきまろをこまらせてんだ?」


「こ、困らせてなどおらぬわ」


「でも、ゆきまろさん、困ってるみたいだよ?」


「うぬ……そ、そんなことは無かろう、のう?」




 ツマグロとスジクロに追及された猫芝が、その普段の無愛想な様子からは考えられないほどの穏やかな口調で、しかししどろもどろに応じ、そしてあろうことか対峙していたはずの雪麻呂に助けを求めてきた。


 雪麻呂は今まで猫芝に抱いていた苦手意識が、自分の中から溶けるように無くなっていくのを感じる。


 猫芝も雪麻呂と同じで、人との距離を測りかねていただけなのだろう。


 それまでの硬い表情はどこへやら、雪麻呂は微笑みを浮かべて猫芝に応じる。




「ええ、別に困ってはいません」


「ほんとーか?ねこはわがままだからなっ」




 猫芝が驚きで身じろぎするのを感じながら、雪麻呂は疑わしげな表情で見るツマグロに言葉を継ぐ。




「こちらへ粥を持ってくるか、粥を取りに行くかを聞いていただけだから」


「う、うむ、そのとおりじゃ」




 雪麻呂の目配せに慌てて言葉を併せる猫芝。


 次いで少し思案した雪麻呂は、スジクロに声を掛けた。




「スジクロ達も粥を貰いに行くのだったら、ついでに猫芝さんの分も貰ってきてくれないか。椀は荷駄の人達に言えば貸してくれるから」




 それを聞いたスジクロが頷きながら言う。




「分かった。じゃあ、ボクとツマグロがいっしょにいってくるから、ねこちゃんとゆきまろにいちゃんはここでまってて」


「すくねえってもんくいうなよ?」




 止める暇も無く、たっと駆け出した2人を見送り、残された猫芝と雪麻呂が顔を見合わせる。




「ここまで持ってきて貰って構いませんか?」


「うむ、まあ……良かろう」




 雪麻呂の言葉に、猫芝はもったいぶって答えると、近くにあった丸太へひょいと腰掛けた。


 雪麻呂が歩み寄ってくると、少し悩んだ素振りを見せながらも猫芝は口を開く。


「まあ……人との交わりは少し苦手でのう。行武のジジイは、まあ、古馴染みなのでな。何ともないのじゃが……」


「そうでしたか、私で力になれることがあれば、言って下さい」




 人嫌いでありながら、人を求める。


 相矛盾する感情を持て余している猫芝の心の内が少し理解出来る雪麻呂。


 静かに丸太に足だけ寄りかからせると、雪麻呂が荷駄の者とやり合っているツマグロとそれを止めているスジクロを遠望して微笑みを浮かべた。


 その横顔を見て、猫芝は首を捻る。




「……そうじゃな、何故かお主は不思議と行武のジジイとちと似ておるところもある。話しやすい」


「そ、そうですか?」




 それまでの落ち着いた雰囲気を乱し、慌てた様子で応じる雪麻呂をもう一度逆方向へ首を捻る猫芝に、雪麻呂はさっきとは違うぎこちない笑みを向けた。




「年も違いますし……ましてや貴族である少将様と違って、私は北辺の蛮族の血を引く者ですよ?」


「ふむ、まあそうなのか?……まあ、行武のジジイは高位貴族のくせに、らしくないところがあるからのう」




 蛮族という部分の声色に違和感を覚えた猫芝であったが、ツマグロ達が木椀を持って駆け寄ってくるのに気をとられてしまい、雪麻呂が一瞬浮かべた悲しそうな表情に気付かないまま、ツマグロ達から木椀を受け取る。




「ねこ、飯だぞ」


「うむ、頂戴する」




 嬉しそうに良い薫りを湯気と共に立てている木椀を受け取る猫芝に、丸太から離れた雪麻呂が声を掛ける。




「さあて、私も少将様の所に戻らなければ」


「そうか、また話そうぞ」




 猫芝が機嫌良く応じると、雪麻呂は気を取り直したかのように笑みを浮かべて背を向けた。


 スジクロだけが雪麻呂の雰囲気が変わっていることに気付いたが、それまでの遣り取りを知らないために口を開くことは無かった。




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