第16話

臘月11日、京府第1軍団駐屯地




 民部省での騒ぎがあり、5日後に少彦が正式な辞令を朝廷から受けて征討軍の主計官吏となった日から、更に10日後の夜。




 第1軍団の駐屯地に間借りする、征討軍の敷地でささやかな宴が開かれた。


 月の無い新月の夜であるが、張られた天幕の中は暖を取るための炭火と、照明用の灯火が放つ赤っぽい光で満たされており、用意された酒や肴の良い薫りが漂っている。


 簡素な木皿の上には、塩をまぶした炒り大豆、湯がいた玉菜の酢掛け、大麦粉を練って焼いた煎餅、塩を練り込んだ餅、炙った鰯の干物、乾し栗、乾燥若布、炒った馬刀葉椎の実、素揚げした沢胡桃の実などが並び、米から作った安くて荒い味の濁酒が各人の木杯になみなみと注がれる。




「皆ご苦労じゃった。ようよう軍としての体裁が整ったわい」




 行武の挨拶に、集まった面々は意を強くしたように頷く。


 訓練や編制も一通り終了し、いよいよ明日から征討軍は本格的に動き出すのだ。


 征討軍を率いるのは、征討軍少将の梓弓行武。


 副将である征討軍の少尉しょうじょうには、元弾正台の兵長であった本楯弘光。


 書記である文書尉もんじょじょうに、梓弓家の家令を兼ねる財部是安。


 主計官吏である、出納尉すいとうじょうに畦造少彦。 


 輜重兵長に、元納税人足頭の山下麻呂さんかまろ。


 文書兵長に、納税人足だった雪麻呂と、その小間使としてツマグロとスジクロ。


 時折行武の下に現れては食物を無心していく、謎の人物猫芝。


 金髪も神々しい西方の術士マリオン。




「こう見てみると多士済々じゃの」




 未だ軍監や各兵科の兵長が決まっていないが、とりあえず軍を動かす準備は兵の訓練が進んだこともあって整いつつある。


 ただ、行武は名目上はともかく、兵の編制は朝廷の命令どおりには行わないで、納税人足の大半をただの歩兵として訓練した。


 短期間に騎兵や弓兵の訓練は無理だったのである。


 それに、そもそも行武の目的は彼らを故郷へ帰国させることだったことから、とにかく体力を付けさせることと行軍についての訓練を重視したためである。


 緊張した面持ちの部下達を眺め、行武はにやりと笑みを浮かべると、手にした杯を掲げて言う。




「……とは言っても、わしらは戦いに行く訳では無いのでな、心配は要らん。本来の目的は納税人足の者共を故郷に帰してやることと浮塵子共に真っ当な仕事を世話してやること、それに次いでの目的として、北の夷族の者達に対する事じゃ」


「少将様、それで本当に大丈夫なのですか?」


「おいおい、途中で帰郷しちまって人がいなくなっちまうのに、どうやって夷族と戦うんだよ?」


「まあ、おいら達はメシが食えるならどうでもいいけど……」




 行武に倣って杯を掲げつつも、少彦が不安そうに言い、山下麻呂が呆れて言い、ツマグロが憮然としてつぶやく。


 しかし行武は3人の言葉にも態度を変えず、答えを発した。




「戦わぬと言ったじゃろう、山下麻呂よ。まあ、万事わしに任せておけ、目算は付いておるわい……くどいようじゃが、何も戦だけが解決手段では無い」




 そう言うと掲げていた杯を手元へ引き戻し、ぐいっと呷るようにして飲み干した。


 他の者達も行武に従って杯に口を付ける。




「討伐なのに戦わねえって、本当かよ……」


「旦那様の大言壮語の類いで無ければ良いのですがねえ」




 山下麻呂が目をすがめながら行武を見て言い、是安は大きなため息をつくのだった。












 臘月14日、早朝、京府内裏・朝議の間


 


 身を刺すような冷気の中、色とりどりの朝服を身に付けた貴族達が、白い息を吐きながらぞろぞろと自分の円座に向かう。


 朝議の間には火鉢や炭箱が並べられ、暖を取る措置がとられているが、今の時期の寒さはそんなささやかな暖房器具ではとても防げない。


 普段であれば北方産の毛皮や重ね着で寒さをしのぐのだが、朝議においては着装する服装が決まっているため、貴族といえども寒さに耐えねばならないのである。




「ふうう、寒いな」




 その言葉を発しつつ最後に現れたのは、朝議を仕切る左大臣硯石基家。


 円座に座っていた貴族達が、一斉に腰を折る。


 居並ぶ貴族達から礼を受けた基家は、静かに上座へ就くと貴族達を見回しておもむろに口を開いた。




「では、朝議を始める……まずは、件の懸案事項についてだ」




 基家の開式の言葉を聞き、貴族達が顔に緊張を登らせる。


 それというのも、今日の朝議の議題は、目下懸案事項である北方の反乱についてだからである。


 税の納入が滞っているだけでなく、広浜国で長引く反乱によって毛皮や苧を始めとする北の産物が得られなくなっていることも大きな問題となっていた。




 広浜国は、北の大地の玄関口。




 最初に朝廷が北の地に築いた牙城であり、それと同時に政治や経済の中心地でもある。


 それゆえに、左大臣硯石基家は一族の硯石為高をこの地の最高責任者である北之大宰帥きたのだざいのそちに任命し、広浜国司を兼ねさせて北の産物を押さえさせたのだが、どうやらそれは裏目に出ているようだ。


 為高は庶流ながら優秀と目されていた男であったのに、報告があってから1年、実際に反乱が起こってから既に3年もの月日を費やしていながら、未だ叛徒を押さえられていないばかりか、援軍や援助を毎月のように求めているのである。




 北の地はとても豊かだ。




 米で換算される農業生産力は低いが、麦や豆、稗や粟と言った雑穀の収穫は多く、鳥獣の毛皮や牙、骨、干肉や乾魚、海草などの狩猟漁労の産物、栗や胡桃、木材に薬草、砂金や砂鉄、翡翠などの宝石類は豊富に産出するのである。


 今では旧来の国であぶれた農民を移住させ、開拓を行わせていることもあって、米の生産も伸びつつあった。




 それが、今回の反乱で全て失われてしまったのだ。




 広浜国の反乱は長期化すると共に周辺国にも波及し、北辺では暴動や争乱が頻発して納税や交易が鈍化している。


 このまま放置すれば、北辺はかつてのまつろわぬ者共の国となってしまうだろう。




 広浜国は朝廷が成立した当時は領域に含まれていなかった場所なので、縁故貴族は存在しない。


 それ故に、責任を取らせるものもおらず、あえて言えば反乱を惹起せしめた為高を責める他ないのだが、それをすれば一族の勢力を減じることになるために、基家は責任の所在を明らかにせず、うやむやにしたまま早期の解決を図ったのだったが、それは成功していない。




 それに加えて反乱鎮圧後、他の貴族に任せるのも面白くない。




 基家にとっては非常に悩ましいところだが、そうこうしている内にも反乱はみるみる広がり、為高の失策もあって今やそれは広浜国のみならず、周辺の東先道8カ国にその影響が及んでしまっている。


 もちろん、そんなことを大王に報告出来るはずも無く、基家は広浜国の反乱だけを大王に伝えていた。


 解決がここまで遅れてしまったのは、武略が朝廷で論じられなくなってから久しいためであることには間違い無いのだが、昇殿している貴族達には良い知恵がない。




 政略に明け暮れて過ごす貴族も、現実の政治的困難に直面し、取るべき手立てを持たないという事態に陥っていたのだ。


 図らずも前の大王の耳にこの反乱の事実の一部が伝わり、不都合なことも知れてしまったが、その大王自身の発案によって武の有職故実を唯一保持する老将にその役目が割り当てられたのは僥倖と言うべきか。




「本当に任せてもよろしいのか?」




 若い貴族が心配しているのは、やはり武力反乱であろう。


 確かにそれを警戒してしかるべきだろう。


 しかし、年嵩の貴族が思案げに言う。




「……こういう事はあまり言いたくないのだが、彼の政変があるまで梓弓行武と言えば優れた武略で名声をほしいままにしていたのだ。こと戦いくさに関しては彼の者の右に出る者はおらぬ」




 他に適任者がいないのだ。




 梓弓行武と言えば、鎮西の大戦や西方諸国との船戦、東方大陸征討の戦と、この瑞穂の国が経験した近年の大戦には全て参加し、輝かしい武功を上げている歴戦の勇将だ。


 老いたりとは言えその人気は庶民に根強く、実力は本物。


 今は落ちぶれて大人しくしているようであるが、決して軽く見て良い人物では無い。


 そんな危険性を孕んではいるものの、年嵩の貴族が言ったとおり、他に適任者が居ない以上、彼の者に頼る他道は無いのだ。




 しばらく気まずい沈黙があった後、最初に発言した若い貴族が、愛想笑いを浮かべつつ基家におもねる発言をする。




「しかし、左大臣殿は見事な人選。あの様な野蛮人でも、本朝においては古来より続く武門の名家。錆びて久しい有職故実にも使い所はあったと言うこと」


「ふふふ、その武略も朝廷では役に立たなかったわけですな?」




 別の貴族も追従して発言し、さざ波のような嗤いが朝議の場に広がる。


 所詮は武芸のみの粗忽者、朝廷において如何なる力も持たない老貴族を恐れる理由はないと、場の雰囲気が緩んだものへと変わる。




 しかし、果たしてその様な粗忽者が武略に長けることが出来るのだろうか?


 優れた武将となることが出来るのだろうか?




 まだ行武は生きており、生涯における全ての結果が出ていない以上、人物の評価はしきれない。


 少なくとも基家はそう思っていた。


 確かに、あの老い先短い老少将に、自分達の様な腹黒さや心積もりがあるとは基家にも思えないが、気骨だけは一端の御仁である。


 北の地で力を得て反乱を起こされるやも知れない。


 まあ、そもそも、上手くその反乱自体を鎮圧できるかどうかも分からないのだが……


 ただ、その為にも最低限、軍監だけは付けておきたいところだ。


 しかし良い人物がいないのも現実である。




「軍監が……未だ決まっておらぬ」




 基家の言葉に、兵部卿の剣持広純が恥じ入るように下を向く。


 それと同時に、朝議の場の貴族達も明後日の方向を見始めた。


 それは下手をすれば自分の身に降りかかって来かねない議題。


 自分の係累か、あるいは自分自身が赴かなくてはならない。


 自分の手を汚さねばならない事態も想定され、それだけは避けたいと考えるのが、今の貴族らしい貴族であろう。




「誰かあらん……それとも、軍監になるのは嫌か?」




 基家はその気風や気持ちを分かっていながら、あえてその言葉を口にする。


 すると、基家に近い参議の大筆長持おおふでのながもちが、渋い顔で言う。




「それは当然でしょう……誰も北の僻地へなど行きたくありませんからな。ましてや目的は叛徒の討伐、物見遊山では無いのです」


「それに加えて軍を率いるのが、あの梓弓行武とあっては……骨が折れる所の話ではありません。余計な気苦労は目に見えております故に」


「あの野蛮人では然もありなん」




 豪華絢爛な衣服を身につけた文人貴族達が、その台詞を聞いて行武の鎧兜姿を思い浮かべて嫌らしい笑みを表情に昇らせる。


 けたたましく、甲高い笑声が響き渡った。




「それでも、反乱は潰さねばならんし、奴の監視もせねばならん」




 再び基家が発言すると、それまで含み笑いしていた貴族達の笑声がぴたりと止まる。




「ある程度身体的に頑健で、梓弓行武に意見出来る、それでいてこちらの意のままになるような人物だ。誰でも良い」




 要するに、戦場での活動に耐えられる体力のある人物で、文人貴族の息の掛かった者という事になるが、この場に出席している貴族達は、自ら行く気が無いのは自明の理。


 もちろん、一族を差し出すのも論外であろう。




「恐れながら……私めに軍監に推したき者がございます」




 基家の言葉に続いて発せられた声に、朝議の場が固まった。




「ほう、玄墨殿か」




 かねてからの手筈どおり、玄墨久秀の叔父である玄墨秀元くろすみひでもとが頭を床にすりつけるように伏して申し出る。




「我が甥、玄墨久秀を推挙致します」


「殊勝なり」




 基家が短く答えると、朝議に出席している貴族達を見回す基家。


 そして、これもかねてからの手筈どおり誰も立候補しないのを見て取り、薄い酷薄な笑みを浮かべて言葉を継ぐ。




「玄墨中務次官、甥御殿を左近衛大尉さこのえだいじょうに昇進させ、征討軍正軍監に任じることとする」




 貴族達が下を向き、悩むふりをしているのを眺めながら、基家はふと末席に座る薬研真名人の姿を目に留めた。




「典薬長官」


「……はっ」


「その方の父御、前の典薬長官は、梓弓征討軍少将と懇意であったな?」




 基家から発せられた言葉を聞き、真名人は顔を思わず歪める。


 確かに、父である前の典薬長官、薬研和人は行武と長年の付合いがある。


 和人自身も今は身体が衰えたとは言え、大王と共に従軍した経験もあると聞いたことがあるので、適任と言えば適任かも知れない。




 ただ、年齢のことから無理は禁物だ。




 典薬長官として、また息子として父を巻き込みたくない気持ちがあるが、今この場で基家に逆らって今後無事に済むとは思えない。


 一方、基家もちょっとした思いつきであったが、なかなか良い考えだと思い直す。


 和人も引退したとは言え一廉の貴族であり、基家の意のままになるかと言えばそこは微妙だが、真名人を始めとした薬研氏一族は地位は低くとも医術を介して朝廷に深く関係しており、係累のほとんどいない行武に比べれば扱いやすい。




 人質、あるいはそれを匂わせればいくら偏屈であっても従う他無いだろうし、実際和人がそこまで意固地では無いことを基家は知っている。




「先の大王からの使者を、父御に依頼されたのであろう?」


「そ、それは……まあ、はい」




 年嵩の貴族の言うとおり、行武との交流もそれなりにある。


 如何に梓弓の老少将といえども、懇意にしている人物にはさすがに油断するだろう。


 これ程の適任者は居ないように思えた。


 悩む真名人が回答に窮しているのを基家がどう説得しようかと見ていると、先程発言した年嵩の貴族が思い出したように言った。




「そういえば、前の典薬長官殿は、前の大王と共に鎮西の戦にも出ておられるはず……」


「ほう?」




 その言葉に反応した基家を見て、真名人は余計な発言をした貴族に憤りを覚える。


 しかしそれをここで言うわけにもいかず、相変わらず黙り込んでいると、基家が先んじて口を開いた。




「それは正に適任であろうな。歳は少々召されているが、如何かな?典薬長官殿」


「……父は歳で身体が十分とは申せませんが、左大臣殿の仰せとあれば従うでしょう」




 基家の言葉を否定することも出来ず、肩を落として真名人が答えると、基家は早速下級官吏に命じて辞令を作らせると、おもむろに口を開く。




「では、前の典薬長官、薬研和人殿を、右近衛大尉うこのえだいじょうに任命して玄墨久秀緒と同じく軍監を行わせるものとする」




 これで軍監は決まった。




 肩を落とす真名人とは対照的に、周囲の貴族達はほっと胸をなで下ろし、雰囲気がそれに伴って弛緩した。


 下級官吏が作成した辞令に、基家は署名してから左大臣の印璽を押し、大兄王子おおえのおうじの元へ回すようにその下級官吏へ命じる。


 後は大兄王子が玉璽を代印して辞令は完成するのだ。


 満足そうに下級官吏が去るのを見送り、基家が重々しく宣言した。




「……では懸案が解決したのを奇貨とし、今日の朝議はこれまでとする。梓弓征討軍少将には軍監が任命されたことを速やかに示達せよ」












 一方、清涼殿の外郭では、下位貴族の若者が虚ろな瞳で跪いて地面を眺めていた。




 地面は未だ冬である事もあって、茶色の土をそのまま覗かせており、時折小さな草の若芽がある程度だ。


 手の届く範囲にあるその様な若芽を指で捻り潰すことで、暇を潰す。


 抜くのではない、文字通り潰している。


 近辺で控える舎人達も、そんな若い貴族の様子を気味悪そうに見ていた。


 しかし、その若い貴族、玄墨久秀は、周囲の感想などはお構いなしに草の芽を潰し続けながら、数日前に父から言われたことを思い出しつつ、ぼんやりとつぶやいた。




「……本当に一族の栄達に繋がるのか」




 声量は小さいながらも猜疑心溢れる台詞には、どこかまがまがしさが宿る。


 細身の上に目元が黒ずんでおり、一目で不健康そうな印象を与える、陰湿気質。


 話す声は小さく、疑心に満ちており、また時折見せる笑顔はどこか狂気を含み、また、その笑み事態は嘲笑に近い色を持っている。




「親父殿らも必死だな……下位貴族の我らが栄達など出来るわけが無かろうに」


「いや、それは分からぬか、ひょっとしたら……と言うこともある」


「梓弓の老少将、色々有名であるが、果たしてどの様な人物か、人品か……」


「うまくだませるか……いや、だます必要は無いのか?吾が朝廷の、文人貴族の回し者である事ぐらい、とっくに見切られているだろうからな」




 言葉を次々に発しては、その言葉を自分の言葉で覆う久秀。


 まるで自分一人で会話でもしているかのような有様に、舎人達が静かに久秀から距離を取る。


 一方の久秀は、それを意に介さずつぶやき続け、しばらくして考えがまとまったのか、口をつぐんだ。


 しばらくの静寂の後、久秀は結論を口にする。




「いずれにしても辞令を持たされることになる……全ては征討軍に合流してからだ。おっとそうであった、硯石から何を申し付けられるかにもよるな」




今日の朝議で征討軍の軍監に任じられることが内定している玄墨久秀は、ぶつぶつとつぶやきや繰り言を言い立てながら、その時を待つのだった。










 しばらくすると、清涼殿から慌てた様子で官吏の1人が出て来た。


 久秀は自分への辞令の示達かと思い、跪いたまま頭を低くしたが、その官吏は一瞥もせずに久秀の脇をすり抜けて外へと出て行ってしまった。


 不調法にも訝ってその後ろ姿を見送る久秀。


 しかし彼の疑問はすぐに解けることになる。


 しばらくして、その使者と思しき官吏が息も絶え絶えに久秀の横へ連れてきた者が居たからだ。




「若い身空でご苦労じゃの」


「……」




 薬研和人やげんのにぎひとからそう声を掛けられた細身の若い貴族、玄墨久秀はしかし、老貴族の姿を一瞥しただけで再び視線を落とした。


 そして、よっこらせと掛け声を掛けながら自分と同じように跪く和人を余所に独語する。




「……面倒なことになったのか?いやこれは、硯石の策謀か……では、味方というわけでは無いが、敵でも無いと言うところか」


「お主、わしが話しかけとるのを余所に独り言とは……」


「独り言は独り言、気になさらぬ方がよい」




 和人の言葉を途中で遮るかのように言葉を被せる非礼な態度で応じた久秀。


 鼻白む和人を置いて、なおもぶつぶつと独り言と主張する言葉を続けるのを見た和人は深い溜息を吐く。




「なるほど……よく分かったわい。硯石め、ろくでもないことを考えおる」




 そう言いつつ視線を正面に戻せば、斐紙大納言が辞令が入っていると思しき文箱を捧げ持ってこちらへ向かってくるのが和人の目に映った。




「やれやれ、この歳で軍監を仰せ付かるとはのう」


「ご老体、無理はなさらずとも良い、吾がやる故にな」




 繰り言に対し、久秀の言葉が即座に入る。


 和人は苦虫をかみ潰したような顔で久秀を見て尋ねた。




「今のも独り言か?」


「いや、ご老体に声を掛けた」




 そう応じる久秀に、鼻を鳴らして和人が言う。




「では無用じゃ、今のはわしの独り言故にの」


「……ふむ、そうか」




 和人の反撃に、久秀はそれ以上何も言えずに目を軽く見開くのだった。

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