第12話

瑞穂歴510年、霜月(11月)22日、京府・大蔵省




朝廷から正式な布令があり、北鎮軍が編制されることが決まった。




 先の大王の喪の期間と葬儀の日程、そして大兄の王子の大王即位が同時に発表されるが、軍事が慣習によって優先されるため、行武は葬儀への参列を免除される。


 しかし、その措置は実質的には葬儀からの排除に他ならない。


 行武としてもこうなることは分かっていたので、大王とは最後の別れを既に済ませたつもりでいるが、やはりわだかまりは残るところだ。




「……ぼやいても仕方あるまい、ここは最後のご奉公に精を出すとしよう」




 幸いにして3000名分の鎧兜に糧秣、武具防具は支給されることとなり、行武は渋い顔をした大蔵卿の集貝兼包ためがいかねかつから目録を受領すべく、他ならぬ大蔵省へと立ち寄っていた。


 大きな官衙の立ち並ぶ内裏においても一際厳重な警備と堅固な建築物を持つ大蔵省は、官人の詰める役所と倉庫群から成る、大規模な部署だ。


 わざわざこの場に来たのは、朝議に出席していた大蔵卿が何故か政務繁忙を理由に行武へ出頭を命じてきたからに他ならない。




 慣例であれば、大王が兜と太刀を下賜し、その際に目録も手渡されるはずである。


 このような非礼は受けられぬと、それでも出頭して文句の1つも言ってやろうと意気込んで現れた行武に、大蔵卿はいきなり罵声に近い嘲りの言葉を浴びせる。




「3000名もの兵を出すなど、財務上は無駄の一言に尽きますな!北の地の土民である夷族の反乱ごとき、100の兵で十分でしょう!」




 最初からいきなりけんか腰の対応。




 文人貴族から侮られて小馬鹿にされることの多かった行武も、終ぞこのような仕打ちを受けたことは……まあ結構ある。


 しかし、何度受けても慣れぬ仕打ち。


 これにはさすがの行武も怒りを通り越して呆れてしまう。


 隙あらば支給する物品を削減し、私腹を肥やそうとしたのだろうが、行武がその様なことを許す人物では無い事も知っているはずの兼包。




ごく当たり前の行為として、ピンハネのまかり通るのが現在の世情である。


 昔から役職の者へ関係者が心付やご祝儀を何らかの名目で手渡して感謝を示し、苦労を労うという事はあったが、断じて私腹を肥やす目的や便宜を必要以上に図って貰うための物では無かった。




 あくまでも気持ちよく仕事をして貰うための、わずかな心ばかりの物。




 それは握飯であったり、蜜柑であったりとごく廉価な物が普通だったが、いつしか金銭に代わり、やがて賄賂の質を帯びるようになってしまった。


 しかも最近はその役職にある者の方が積極的に要求する始末である。




 本来、心付とは求める物では無い。




 大きな溜息を吐くと、行武は取り敢えず嫌味には嫌味を返すことにする。




「わしには金銭など最早ない、全部お主らに搾り取られてしもうたわい」


「ふん、それが大蔵卿たるわしに対する言葉か?」




 お前のような貧乏貴族から袖の下を取ろうと考えたとでも言うのか?と言わんばかりの態度だ。


 少しでも行武が削減に承諾めいた返事をすれば、かさにかかって支給物品を減らすつもりだったのだろうに、面の顔の厚いことである。




 でもそうで無ければ大蔵卿などやっていないだろう。




 理由がどうあれ、はっきりしているのはここに居るこの文人貴族随一の経理屋は、袖の下を取ることを当然の権利と認識しており、またそれがないと働きたくない類いの人間。


 そしてここは公務所で使用される給料から文具までを管理する部署だ。必要な物資を一手に握る立場であり、たとえ墨筆の類いでも支給されなければ官人達の仕事が滞る。




 それなのに、行武がその対象にありながら一筋縄ではいかないことに苛立っている。


 いつも弱い立場の者が大人しく袖の下を渡すと思ったら、大きな間違いだ。


 意地の悪い笑みを浮かべたまま、手元にある戦略物資の目録を手渡そうともしない兼包に対して、行武は言い放った。




「ほう、財務卿ならば100の兵で万とも言われる夷族を鎮圧できると申すか?わしには出来ん。わしより上手くやれるというのならば、お役目を代わってやっても良いぞ。お主の大蔵卿と入れ替えてやろう」




 先程朝廷で硯石基家が大王に代わって行武に下賜したばかりの一本雉尾羽の兜と直刃太刀、それと辞令を差し出し、行武が重々しく言葉を発する。




「さあ取るが良い、そしてさっさと北へ行って100の兵で反乱を鎮圧せしめられよ」




 絶句する兼包の手元にぐいぐいとその品々を押しつける行武。


 押しつけられている兼包は、頑なに拳を握りしめて手の中に入れまいとし、顔を青くしている。




「さっさと取らぬか!」


「う……それはっ……」




 業を煮やした行武が大声を放つと、びくっと身体を震わせ、兼包は言葉を濁しつつ救いを求めるような目で周囲を見回すが、官人や貴族の誰もが下を向いてこちらを見ない。




「どうしたのじゃ!」


「ううっ……」




 重ねてどやしつけられ、脂汗をだらだらとながす兼包。




中抜きの言質を取るどころか、行武の切り返しにあって目を白黒させて息を荒げている兼包に、行武はぐっと目に力を入れて睨み付けて言った。




「大言したのだ、実行して貰おうか!」


「こ……言葉のあやだっ」


「……おかしな言葉のあやもあったもんじゃな。無理難題をふっかけておいて、ようもその様な言い訳が出るものよ……先の大王からの命を蔑ろにしおって。40年前なら素首叩き落としておるところじゃ」




 ドンと直刃太刀を鞘ごと机に強く突きたてると、兼包はびくりと身体をすくませた。


 行武はそのまま身を乗り出し、ぶるぶる震えている兼包の横に置いてあった目録を鷲掴みにする。




「貰っていく」


「う、ああ……も、持っていくが良いぞ」




 行武の捨て台詞に、最後に何とか虚勢を張って格好を付けた兼包。


 しかし行武は最早振り返ることはなかったが……


 兼包に背を向けたまま、行武はぺろりと舌を出す。




「まあ、もっとも、わしが連れて行くのは1000にも足りぬ納税人足や浮浪児が主体の軍とは呼べぬ代物であろうがの」












 行武の手の者、以前に屋敷へ連れ帰った納税人足やその係累達、更には第1軍団の国兵達が、荷馬車や荷牛車を使って、大蔵省の倉庫から遠征に必要な物資を持ち出す。


 寝具や天幕に使う布類、刀や矢などの武器、医薬品として使う獣脂や胡麻油などの油類、木槌やノコギリに斧、鑿や錐などの各種工具、大麦や小麦、米や稗、粟、燕麦などの兵糧や馬糧、釘や鎹などの建築用小物、薪や松明などの燃料と照明具、頑丈な縄や綱、漆塗りの簡易食器に鍋釜、包丁などの調理具、防寒と防水に使用する毛皮や織物。




 ここ数十年、貯められるだけで使用されていなかった物資が吐き出される。




 しかし、それでも倉庫の中を見て行武は顔をしかめた。




「少なすぎるわ」


「……他の場所は見ないようにして下さい」




 付いて来た大蔵省の監督官が、吐き捨てるように発せられた行武の言葉に反応する。


 行武は溜息だけを吐き、それ以上何も言わなかった。


 収支目録が手元にない以上、感覚だけで文句を言っても無理がある。


 それでも、最後にこの蔵が開かれた時のことを知っている行武。


 明らかにその当時の物品と思われる物ばかりで、数十年間に積み増し、あるいは交換や代替えが行われているようには見えない。




「まあ、使える物だけを持って行ければ文句はないわい」


「それはようございますな」




 再度のため息と共に吐き出された行武の言葉に、監督官は素っ気なく応じるのだった。










 汎用物資と違い、武器防具の類いや矢弾は兵部省の管轄となっている。


 行武が受領することになっている防具は、鎧が


     重装歩兵用の短甲が1000領


     騎兵用の掛甲が200領


     軽装歩兵用の竹甲が300領


で、盾が


     重装歩兵用の大盾1000枚


である。


 また、武器として


     直刃太刀が1500振


     鉾が900本


     弓が450張と、矢が1張に25本の2組で計50本


     弩が50丁と、専用の短矢が1張に20本


で、加えて馬が荷馬を含めて300頭支給されることになっている。


 しかし、大蔵省の倉庫を見る限り、少なくとも武具の数を定数通りに揃えるのは、無理そうだ。




「ふむ、まあ、何とも……言葉に困るのう」




 行武と弘光が選別して、運び出せた物は、わずか


     盾と短甲が200組


     直刃太刀200振


     鉾100本


     弓100張


     弩20丁


であった。




「これ以上選別するのも疲れるわい、これで良かろう」


「……受領数は」




 行武が切り上げることを臭わせると、素っ気ない監督官が尋ねる。


 その問を聞いて行武はすぐに監督官の思惑に気付いた。




「今見た物の数に決まっておろう、ゆめゆめちょろまかそうなどと考えるでないぞ。水増しも許さぬ」


「は、ははっ!?」




 行武の言葉に畏まる監督官に、行武は更に太い釘を刺す。




「後でごまかそうとしても無駄じゃ、わしが受領数を記録しておく故にのう。お主も署名致せ。否やとは言わぬじゃろうのう?」


「……はい」












 征討軍の本当の内訳は、納税人足が大半を占めることになるだろう。


 恐らく数も1000は集まるまい。


 しかしながら、そもそも行武は定数を満たそうなどとは考えても居ないのだ。


 第一、専門的な技能が必要な騎兵や弩兵は、退役した国兵や、現役の国兵で希望者を募る他に無いのだが、果たしてどこまで集まるか分からない。




「まあ、ダメであろうのう」


「仕方ありますまい」




 行武の言葉に、準備に付き合っている本楯弘光が、そう応じるのだった。








 行武は大蔵倉庫で物品を受領した後、数台の荷馬車を引き連れて京府の北東角にある兵部省の兵庫へと向かう。


 そこには京府を守る、兵部省直轄の第1軍団駐屯地が設置されており、征討軍の召集と武備を行武はそこで行うことにしていた。


 しかし行武は諸国や京府の国兵を召集したり抽出したりはせず、京府に住まう、あるいは屯している東方道や、反乱の起こっている広浜国が所属する北方道出身の流民や元納税人足達を集めることにした。


 もちろん、帰国したい者だけであるが、それだけでも300名近くの人間が集まっている。




 それに加えて、浮塵子たちが100人ほど。




 今は一応稚児装束を着せられ、軍団の補助兵としてあれこれと細かい作業をスジグロとツマグロの指示で行っている。


 因みに国兵とは朝廷の定めにより設けられた軍団に所属する兵のことで、弓兵、弩兵、槍兵、騎兵の4兵科があり、1軍団に所属する国兵は概ね3000名程度。


 それに輜重や伝令、指揮官の護衛などが加わるのである。




「梓弓の少将。これは聞いておらぬぞ?」




 第1軍団の軍団長である、近衛少将の永鉾良匡ながほこのよしただが渋い顔で行武に言う。


 彼が示すのは、行武が引き込んできた荷馬車だ。


 行武の要請により少なくとも荷馬車が50台あまり、糧秣や予備の武具を搬送するために配置されることになっている。




 広い駐屯地であるが、さすがに50台もの荷馬車が並べられると狭く感じてしまうのは、仕方がない。


 その多さに、呆れ気味の良匡が言葉を継いだ。




「これでは多過ぎる。無駄ではないか?」


「無駄でなどあるものか。兵の糧秣に馬糧、予備の矢に柵や縄、砥石に拭布、油、工具類などを運ぶには、最低限これくらい必要じゃ。3000の兵に対してはむしろ全く足りぬ」


「ううむ……」




 確かに西方において海を介して隣接する、天楼共和国では兵站を非常に重視し、軍団兵と呼ばれる重装歩兵が街道敷設や港湾設備の建設、都市の建造などを行うと言う。


 瑞穂国でも影響を受け、街道の整備が行われているが、彼の国ほど充実はしていない。


 気候や風土、土壌や建材の違いもあるだろうが、石畳をきっちり敷き詰めて作られる天楼の街道と、瑞穂国の土を突き固めた街道には歴然の差がある。




 最近は石畳を京府周辺の街道において取り入れているが、まだまだ十分とは言えない。


 それに比べて、地方への道は改良どころか最近は整備すらも行き届いていないのが実情だ。


 天楼国の軍は、それ故に大量の荷馬車と工具や建築資材の類いを携行しているのが特徴で、行武の携行品はそれに準じているようである。




「天楼国のように街道の敷設でもする気なのか?」


「天楼のように石畳とはいかぬまでも、道を広げて難所を切り開き、側溝を作るだけでも攻め口が違うじゃろう」


「ふむ、道理は道理だが、費用が掛かるぞ?」


「まあ、一面石畳を敷き詰めるのではなしに、要所を要所を整備するのみじゃ。人員も兵をそのまま使うし、そう費用は掛かるまいよ」




 良匡の呆れた様子に、行武は笑み浮かべて応じると、手をひらひら振りつつ、物資の搬入作業を監督するべくその場を立ち去る。




「梓弓の少将……相変わらず底の知れぬ事だ」




 行武の後ろ姿を見送りながら、良匡がつぶやく。


 引退同然でありながら、最近天楼国から入ってきた道路整備技術を知り、またその際の兵の運用方法までをも知っている。


 若い頃に東西南北の戦で大活躍したというのは誇張された噂に過ぎないと考えていたが、そうではないのかもしれない。




 しかし、それでも今やただの老将だ。




 過去の活躍の噂が本物だとしても、同じことが今出来るはずがないし、そうである以上警戒する必要もあるまい。


 本来武人派の要職であるはずの第1軍団長を務める良匡だが、彼の気持ちはとっくに文人派になびいていた。


 とうの昔に、先の見えない武人貴族の派閥を見限り、抜け出していたのだ。




「基家さまから梓弓をよく見張れと言われたが……知識だけあったとしても、あの老体では何も出来まい」




 良匡は張り切って采配を振るい始めた行武に背を向け、特に見張りを付けるでも無く静かにその場を後にするのだった。

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