第13話

一方の行武は、借り受けた軍団の倉庫に大蔵省から受領してきた物資を詰め込むと、第1軍団の兵庫から受領することになっていた武具類を取り分けさせた。


 そして、作業の終わった元納税人足達を呼び集めると、腰に両手を当てておもむろに言葉を発する。




「お主らは今日からわしの配下の国兵くにのつわものじゃ。無事国に帰れるよう精進せい」


「へっ、食い詰め者のおれたちも、とうとうじいさんの手で国兵様こくへいさまかよ?」




 かつて羅城門で行武にあしらわれた、山下麻呂さんかまろがうそぶく。




「うむ、形だけじゃがの」




 そう言われても、彼らは口を歪める程度で特段何の感慨もない。


京府でさまよっていた納税人足は元より、屋敷で雇うことにした者達も帰国できるとあれば否やは無いのだ。


 しかも行武は生国に到着した暁には、そのまま帰宅して良いと言う。


 ただし、重い武具を身につけて行軍しなければならず、また食料や生活用具を含めた各種の荷物を持ち運ばねばならない。




 それに、何十台もの荷馬車の操縦もしなければならない。


 体力が必要になる。




 東先道への道のりは長く、これから訪れる冬は厳しい。




 全うに東山道や北方道を使っていけば、それこそ全員が行き倒れになる可能性もある。


 故に行武は裏技を考えているのだが……それでも行武は、出来れば春から夏にかけての旅程を組み、夏の終わり頃に広浜国へ到着したいと考えていた。


 そう考えながら、行武は傍らに視線をやった。




「それで……是安はともかくとして、何故お主らがここにおるのじゃ?」


「水臭いじゃありませんか少将様」




その行武の言葉に、しれっとした顔で言葉を返すのは、かつて一緒に都の治安を守るべく奮闘していた弾正台の国兵、本楯弘光だ。


 横には財部是安がすまし顔で立っている。


 他にも、何故か見知った顔が大勢居並んでいた。




 その数100名。




 そして、何故かマリオンが満面の笑みで弘光の隣に居る。




「お主……」


「私のことは、祖父母が西方の戦の際に命を救われたと隊長さんに話してあります。故にお気遣い無く」




 マリオンが続いて笑みを深くして行武に近付くと、こそこそと耳元で言う。


 瑞穂国では、西方からの移住者もいる。


 西方帰化人と呼ばれる彼らは数こそ多くは無いものの、存在自体は民人に知られているくらいには有名ではある。




 しかしながら、マリオンのような異能者の存在はあまり知られていない上に、マリオンの容姿は如何にも西方人と言った風で非常に目立つ。


 瑞穂国では彫りの深い顔立ちはすなわち異相であり、外国人とつくにびととすぐに分かってしまう。


 マリオンもそれは理解しているのか、冠り物をかぶって耳を隠し、金髪も目立たぬようまとめている。


 そのマリオンを弘光は目を丸くして見ながら言う。




「少将様の栄達話の一端で聞きました。何でも鎮西の戦の時に難儀に遭っていた西方の民を大勢救われたとか……一族での伝承で伝わっているとは、凄まじきご活躍だったのでしょうな!」


「ええ、孫である私が恩返しを決意するほどには、凄いモノでございました」




 実際に命を救われているのはマリオン自身であるが、40年の歳月を考えた時、マリオンの容貌は若々しすぎる。




「あやかりたいものです」


「少将様の弓を見てみたかったですなあ」




 兵達が口々にマリオンと行武を見て言う。


 それを手で制した本楯弘光が、行武に近付いて口を開く。




「まあ、鎮西の大戦の話はこれから長い道行きの途中に、ゆっくりと聞いていくとしましょう」


「それは構わぬが……弘光、お主は何故この場におるのじゃ?」




 行武の質問に、弘光は後方の兵士達を眺めてから胸を張って言う。




「納税人足に是安殿だけじゃあ、訓練にも難儀するかと思いましてね……まあ、今はマリオン殿もおりますが、私たちであればお役に立てると思いましたので、弾正台は今日辞めてきました。お伴仕りますよ」




 呆れる行武に、弘光が明るく口上を述べると、その横に並んでいる弾正台の元国兵達が一様に笑顔で頷く。


 それを聞いて、見て、行武は言葉を失った。


 自分にとってはそれ程重要な日々でもなかった弾正長官としての勤務。


 どちらかと言えば先の見えた老貴族の左遷先としては相応しかろうと、淡々と職務をこなしていただけであったのだ。


 貴族に対して思う所が有った故に、高位者に対しては厳しく取り締まりを実施し、庶民には思う所がなかったからこそ、穏便な取り締まりを心がけただけである。




 誠心誠意、自分に残されたのはそれだけと思い定めていた。




 感謝の気持ちを聞いたことがある。


 怨みの声を聞いたこともある。


 それは自分にとっては取るに足らない日常の、更に一部分に過ぎない出来事、そう考えていた。


しかし、恩を受け、指揮を受け、行武の心根と行為に触れた者達にとって、それは大きな感銘となって心に残り、少しずつ尊敬の念を育てていたのである。




「最早このような心がわしに残されておろうとはのう」




 諦念、失望、孤独、屈辱。




 どれだけその思いを噛み締めてきただろうか。


 どれだけ心に暗い物を持っていようとも、明るくあろうと、前向きであろうとしてきた行武の心懸けが、正に今、大きく稔ったのである。


 周囲には敵ばかりと思っていたが、実際はそうでは無かった。




 味方は、大勢いた。




 いや、今もここにいる。




「この歳になってまで、得がたいものを得たわい……宜しく頼む」


「それこそ水臭いというものです」


「私と行武様の仲ではありませんか」




にっこりと微笑みながら言う弘光とマリオンに、行武も照れを含んだ笑みを返すのだった。












 瑞穂歴550年霜月25日




 物資の搬入と、征討軍の第一次編制が完了したこの日、行武は征討軍少将府の開府を宣言すると共に、朝廷に報告を行う。


 最終的に集まった納税人足500名と、行武を慕って集まった弾正台の国兵や退役国兵150名が征討軍に編制され、残りの兵は計画上、広浜国に駐屯する軍団から適宜編入することとなった。


征討軍少将の梓弓行武は第1軍団の駐屯地の一角に小屋を設けて少将府とし、物品の管理は財部是安が征討軍少将府の勘定方として行い、訓練は本楯弘光が征討軍少将府の参謀として実施することとした。




「励めや者共!帰郷の日は近いわい」


「……おれが言うのも何だけどよ、じいさん。本当にそれで良いのかよ?」




 とても征討軍の少将が掛けるとも思えない訓練開始の号令に、山下麻呂を始めとする元納税人足達はあきれるのだった。




 その日の夜、行武が間借りしている第1軍団の兵舎で、蝋燭の明かりをもとに朝廷へ提出する遠征計画書を作製していると、是安が1人の少年を伴って現れた。




「殿様、少しよろしいでしょうか?」


「おう、何じゃこのような夜更けに、ご苦労じゃな」




 是安の伺いに、筆を止めて機嫌良く応じる行武。


 是安はその返事を聞いて、頭を下げてから部屋の中へと入ってきた。


 もちろん、件の少年も一緒だ。


 少年は行武と目が合うと、慌てて頭を下げ、小さくお邪魔しますと挨拶をする。


 その様子を見た行武は、好ましげに目を細めると、筆を硯の端に置いてから問う。




「どうかしたかの?」


「納税人足の中に読み書きと算術の出来る者……この者がおりまして、勘定方の補助として使いたいのですが、よろしいでしょうか?」


「ほう、それは珍しい」




 少年を示しながら夜間に訪問した理由を説明する是安に、行武は頷きながら言うと、少年に問いを発した。




「どこで学問の手解きを受けたのじゃ?」


「親族が……広浜の国衙こくがで働いていたことがありまして、その親族から幼い頃に教わりました」




 国衙と言うのは、国司が所在する分国の政庁のことである。


 中央から派遣される貴族や官人の他にも現地採用の官吏がおり、おそらくこの少年の親族はその現地採用された官吏だったのだろう。


 しかし、官吏になれると言うことは、この少年に読み書きと算術を教えた親族はそれなりの地位にある家の者だという事になる。




「ふむ、お主の家は郡司か荘司か?」


「はい……かつては広浜国は西藤郡さいとうぐんの村司むらつかさを務める家でしたが、今は農民です。名を雪麻呂と申します」




 行武の問いに、何かを押し殺したように静かな声色で答える少年。




 郡司とは国司の下にある郡を納める官職、村司は更にその下で村落や荘を治める官職であるが、在地の有力者が代々世襲するのが慣例だ。


 村司となれば、地方の有力者と言っても過言ではない。


 それが何の因果か没落し、挙げ句の果てには納税人足に選出されてしまったのだろう。


 少年の境遇は不憫と言えば不憫だが、あり得ないことではない。


 見れば体付きも華奢で、よくぞ遠い京府まで納税に来られたものだと感心してしまう。




「よかろう、是安をよく補佐してやってくれい。それから是安、求めどおり勘定方補佐として雪麻呂の採用を認めるので、よく教育してやってくれ」


「ありがとうございます」


「あ、ありがとうございますっ」




 是安に続いて、雪麻呂が頭を下げる。


 その肩をぽんぽんと優しく叩き、行武は再び筆を執る。




「明日からよろしく頼む。わしはくだらぬ報告書を今日中に仕上げてしまわねばならぬのでな……おう、そうじゃ」




 ふと思い付いたように行武は一旦文机に向かいかけた顔を上げる。




「ツマグロとスジグロの2人を小間使いに付けようぞ」


「……あの手癖の悪い浮塵子うんかの頭領共をですか?」




 自分の言葉に顔をしかめて応じる是安に、行武は軽く笑ってから言う。




「あの者達も不幸な生い立ちなのじゃ、真っ当な生活が出来るようになれば、悪しき手癖も鳴りを潜めよう。それには読み書きを学ばせるのが一番じゃ、他の浮塵子共にはその2人が教えるであろう」




 是安は自分の立場が読み書き計算に拠って立って得られていることをよく知っている。


 それに、読み書きが出来れば確かに子供であろうとも使える場面は多い。


 加えて読み書きが出来るような希少な人材は常に不足しており、養成してもし過ぎるという事はない。


 後はツマグロとスジクロの2人の素行が気になるところだが、是安の見るところ、あの2人は粗野ではあるが馬鹿ではなさそうである。


 教育方法如何によっては使いものになる可能性は十分にあった。




「……なるほど、お考えよく分かりました」




 行武の言葉に、腑に落ちた様子の是安がそう応じると、行武は深く頷く。




「まあ、そういういうことじゃ、頼んだぞ」




 行武のその言葉で、是安と雪麻呂の2人は頭を下げて部屋を退出していった。


 書き物をしながら、行武は1人つぶやく。




「広浜国に西藤郡か……縁あるものよの」




 思い起こすのは遠い青春の日々。




 若く、そして身体に力と気力が漲っていたあの日にあった数々の出来事と、その時に会った多くの人々のことだ。




「最早誰も生きてはいまいが……」




 多くの縁を結び、多くの生きる糧を得、多くの経験をし、そして挫折した場所。


 そこに50年近い年月を経て戻ることとなった。


 やり直せるものがあるだろうか?それとも、残してきたものは未だにあるのだろうか?


 答えはまだ得られていない。




「いずれにしても、行くしかあるまい。失ったものも、得られるものもその時に分かる事じゃろう」




 行武が答えを得るには、北の地へ行くしかないのだ。


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