第11話

行武は是安と別れて書庫へ行き、数々の書簡を改める。


 行武の私財一覧表に、武具や糧秣の種別とその保管状況。


 家人や女房衆の再就職先の斡旋に関する物と、その依頼文の素案。


 書類に必要な事項を書き込み、権利書の内で必要な物には譲渡証明を行い、署名をしたため印判を押す。




 その最中、広浜までの経路を思案していた行武は、やはり陸路は取り辛いことに気付く。


 軍団の素早い移動に使えるほどには街道が整備されていないこともそうだが、朝廷の敵対勢力からの妨害工作を受けやすいという欠点がある。


 そうなれば、船を手に入れて海路広浜へ向かうのが最も安全で早い。




「船が要るのう」




 つぶやく行武の頭に、1人の老人の姿が思い浮かぶ。


 かつて水軍の将であったが、水軍は軍そのものの縮小と共に解体され、今はしがない船頭ふながしらをやっているはずのその人物。


 行武はその腐れ縁を思って苦笑を漏らし、再度つぶやいた。




「くたばったという話は聞かぬ、まあ、連絡してみるか……」




 行武は書類を整理し、署名し、印判を押しつつ、自分の数奇な運命を思う。




 梓弓家は、かつて楠翠国の国主梓弓氏として勢威を誇った地方豪族だった。




 朝廷を開いて大王を推戴した立国五十五氏の1つで、非常に古い家でもある。


 その後武人貴族の伸長と共に朝廷内で勢力を伸ばして大いに栄華を誇るが、その後の文人貴族の台頭と共に家運は衰退した。


 今、朝廷に出仕している梓弓家の者は数名のみで、かつて支配した楠翠国には遥か昔に分家した梓弓氏の者達が郡司として残っているだけだ。


 行武が北の地へ行ってしまえば、文人貴族化しつつある梓弓家の者達は完全に硯石家ら文人貴族の風下に立つことになるだろう。




 それも時代の変化と割り切れれば一番良いのだが、行武にはどうしても今の朝廷のありように疑問を抱かざるを得ない。


 世の中が複雑化したと言えばそれまでだが、複雑化した恩恵に与っているのはごく少数の貴族達だけで、庶民には関わりのないことだ。




 昔は風通しが良かった分、庶民の声が朝廷にまで良く届いていたが、今や完全に貴族の世界として閉鎖されている。




「あの事変さえなければ、どうなっておったか……」




 思い出されるのは40年近く前の政争。




 無残にも敗れ、現在の風潮を生むきっかけともなり、更には行武ら梓弓家に代表される武人貴族が文人貴族に敗北した政争。


 勝っていれば、世の中や自分の人生は変わっていただろうか?


 それとも時代の流れによって、結局は今のような世の中に変化しただろうか?




 今となっては、それは誰にも分からない。




 事変当時のことを直接知っている者は、既に大半が鬼籍に入っており、今また大王が崩御された。


 この歳になるまで生き恥をさらしてきたという思いもあるが、それでも自分の人生が無駄な物であったとは思いたくはない。


最後に何かを為せる機会を与えてくれた大王のためにも、奮起せねばならないだろう。


 そこまで考え、行武はふと笑みを漏らした。




「しかし思い起こしてみれば、春無きとは言え、これもまた面白き我が人生じゃわい」












その夜。




 昼前から降り続いていた雪はようやく止んだものの、京府の各地に随分と積もり、京府内の移動を大いに阻害していた。


 京府のあちこちで若干の混乱が生じていたが、大きな出来事も無く、行武は屋敷内で寛いでいた。


 各種の書類整理や提出書類の作成、必要な書簡の発送が終わり、納税人足や浮塵子の受け入れも、是安や弘光の働きで一段落している。


 そうして行武は、屋敷で雪によって白く浮き上がる庭の景色を楽しみながら酒を飲む時間を手に入れられた。




 既に鎧兜を外し、狩衣姿で短刀を腰に差すのみの軽装だ。




 久しぶりに飲む安い濁り酒を大徳利から土器かわらけに注ぎ、静かに飲み干す。




「ふむ、まあ、このような時間もたまには良いものじゃの」


「何とも、左遷予定の老貴族が優雅なモノですわね」




 ふっと満足そうな息を漏らした後に発した行武の言葉を揶揄するかの如く、何処からか鈴を鳴らすような声が響く。


 その声を聞いた行武は、今度は溜息を吐きながら言葉を発する。




「……今日は急な客が多い日じゃ、まあ、待っておったわしが言うのも何じゃがの」




 どれと、掛け声を掛けながら腰を浮かし、予備の土器を出して酒を注いだ行武は、それを傍らの円座の前に置く。




「急な客のために、あらかじめ円座や杯まで用意しておくような酔狂な御方だからこそでございましょう」




 その声と共に行武の周囲の空気が歪み、円座の上に1人の異形の者が姿を現した。


 端正な西方諸国人と思しき彫りの深い容貌に、緑色の瞳。


 薄絹で出来た体形型の西方風の着物を身にまとっているが、その着衣よりも頭髪と肌色、それから面より覗く耳の形が異様である。


 黄金色の髪は後部で結われており、背中に届くほど長い。


 耳は笹の葉の様な形で細く、また肌色は蒼白と言って良いほどに色が無かった。


 瑞穂人から見れば、女とも男ともつかないその整った容貌には笑みがある。


 行武の隣の円座に端座したその異形の人物は、面を僅かにずらして端正な口元を露わにすると、行武の注いだ土器を両手でそっと持ち、ついっと飲み上げる。




 そして、土器を下げると、面をしていても分かる程顔をしかめて言った。




「……安酒を嗜まれておりますね」


「今のわしにはこれで十分であるし、何よりこれ以上の物は求めようが無いわ。わしは貧乏なんじゃ」


「かつては軍団を率いて八面六臂の活躍をなされ、瑞穂国に梓弓行武有りと謳われた御方が……何という落ちぶれようでしょうか……」




 自分の土器を優雅な仕草で呷りながら答える行武に、哀れむような視線を向けて言う異形の人物。




「そんな落ちぶれたわしに、西方天狗が何のようじゃ?」


「……随分と昔に、そう、40年ほど前に私の名前は申し上げたはずですが」




 行武の呼び方が気にくわなかったのか、質問には答えず窘めるような言葉が返される。




「そんな昔のことは忘れたの、それにわしには難しすぎて発音出来んわい」




 うそぶく行武に、異形の人物は僅かに身を怒りで震わせる。


 発音が難しいと言うことを覚えているのは、名前を記憶しているということに他ならないでは無いか。


 小さくそうつぶやいた後に、その異形の人物は土器を円座の前に置き、行武に向き直ってから、きっぱりとした口調で自分の名を告げる。




「マリオン」


「……知らぬわい」




 土器かわらけを傾けようとする行武に、ずいと顔を近づけてもう一度自分の名を言う異形の人物ことマリオン。




「マリオン!」


「……難しいのう」




 ようやくそこで手を止めるも、行武は空とぼけた様子で言葉を返す。


 しかしマリオンは諦めなかった。


 というか、とうとう堪忍袋の緒を斬った。




「ま・り・お・ん!でございますっ!難しくなどありませぬ!この国の言葉でも十分発音出来るはずです!」


「おう、マリオンのう、止む得ず承知したわい」




 ばんと、縁側を平手で叩き、更に迫ってくるマリオンに、行武はにやりと笑みを浮かべながらその名をさらりと口にする。




「からかいましたね……?」


「無粋にも庭から我が屋敷に入り込む者に、意地悪をしただけじゃ」


「い、いじわる……?」




はっきりと意地悪であったと言われてしまい絶句するマリオンを、行武は可笑しそうに眺めて土器を傾けてから言葉を発する。




「まあ、お主を好んでこその愛嬌じゃよ。許せ」


「く……相変わらずこの私を翻弄してくれますねっ」




 そもそも、今日いきなりやって来た自分のために誂えたように円座や土器が用意されている時点で、度肝を抜かれているのだ。


 それに加えてこの言葉遊びで、マリオンは行武に翻弄されっぱなしである事を改めて自覚し、そう言えばかつて行動を共にしていた時も同じであったと思い出す。




「あなたは……見かけは変わりましたが、中身は変わりませぬね。かつての梓弓少将あずさゆみのしょうしょうのままでございます」


「あっはっは、確かに見かけだけはすっかり爺じゃ。反論の余地も無し。じゃが、心映えはそう簡単には変わりはせぬよ」




 快活に笑いながらそう言う行武に、憐憫の目を向けてマリオンが言う。




「人は移ろい変わるものです。本来であれば、あなたも然るべく経験や人生を歩み変わるはずだったのでしょうが……あの変事さえ無かりせば」


「……今更言うても詮無きことじゃの。変事はあったし、わしはその渦中におった」


「そう、ですね……確かにそうです」




 マリオンの言葉が静かに消えると、沈黙が下りる。




 パサリとあまり手入れの行き届いていない庭木から雪が落ちる。


 その音をきっかけに、行武はふっと笑みを浮かべてから言った。




「それに変わらぬ友も尋ねてきてくれる、ありがたいことじゃ」




 その言葉を聞き、マリオンは憂いの表情を消し、静かに笑みを浮かべて頷くと、行武の差し出す徳利から酒を受ける。


 再び優雅な動きで土器を口元へやり、ついと飲み干すマリオンを見て、行武は少し真面目な表情で口を開いた。




「……マリオンよ」


「えっ?……はっ、はいっ!」




 思わず元気よく返事を返すマリオンに苦笑を見せる行武。


 いきなり名を呼ばれたことにあからさまな動揺を見せつつも、マリオンは辛うじて落としそうになった土器を置き、行武に向き直った。




「な、なんでしょうか?」




 西方訛りを持つ、少したどたどしい瑞穂言葉に、行武は微笑みを浮かべる。


 その様子に、行武はかつて西方との戦いに赴いた際、初めてマリオンらと会った時のことを思い出したのだ。


 戦火に見舞われて疎開する途中で敗残兵崩れの野盗に襲われていたマリオンらの部族を救ったのは、何を隠そう若き日の行武であった。




 威力偵察に少数の騎兵を率いて突出していた行武はすぐさま野盗共を蹴散らしたが、既に少なくない犠牲を出していたマリオンらの部族民を見かね、自陣に連れて戻ったのだ。




 その後、瑞穂国の鎮西地方に居住する事を許されたマリオンらは、その異能の力を生かし、瑞穂国に秘密裏に使えることになった。


 マリオンは行武が家から受け継いだ隠密集団である揺曳衆と共に、全盛期の行武を大いに支えたのである。


 未だ慣れない瑞穂言葉を使い、一所懸命行武に仕えていたころのマリオンを、その僅かな訛りの中に思い起こして行武は懐かしさに捕らわれるが、今は懐古に浸っている時では無いことを思い起こして言葉を継ぐ。




 瑞穂国には既に敵は無く、マリオンらも宮仕えから解放されて長い。




しかし、行武は今再びマリオンの力を必要としていた。


 せっかく平穏な生活を送っているであろう彼女を、また過酷な世界に引き戻すことにためらいはあったが、一方でこの場に現れてくれたことで、行武はマリオンが自分の力になってくれるであろうことを悟ってもいた。




 本当は断って欲しい。




 しかし、その異能の力が今必要。




 相反する気持ちを抱えつつも、行武はゆっくりと口を開く。




「今日わしを尋ねてきてくれたのは、僥倖であった……実は、お主を待っておった」


「……行武様」




 感激の意を含んだ声色で言うマリオン。


 その声色で行武は、マリオンの気持ちを察してしまう。


 落胆と安堵が混じった不可思議な気持ちのまま、行武はちくりと痛む心を無視して言葉を継いだ。




「わしはこれから北へゆく、反乱の鎮圧じゃ。困難は当然予想されるじゃろうが、それよりも北の民のことが心配なのじゃ……故に、マリオンには力を貸して貰いたい」


「分かりました……私わたくしの力が行武の役に立つとあれば、喜んでお伴致しましょう」




満面の笑みを浮かべて答えるマリオンに、行武は淡い笑みを浮かべて言う。




「では、早速で悪いのじゃが、この文を京府内港の大伊津おおいつにいる、早速武銛はやみのたけもりという船頭に秘密裏に渡してきてくれぬか。なに、奴は有名人じゃから、すぐに分かるゆえ、心配は要らぬ」


「大伊津……京府の河川口ですね?それでは、早速お役に立てそうです、お任せ下さいませ」




 行武が傍らの文箱から取り出した書状を押し頂きつつ、マリオンは嬉しそうな笑みを返しながら答える。




「……うむ、頼む」




 しかし、行武は何故か寂しい笑みと簡単な言葉を返すことしか出来なかったのだった。










「ようやく……ようやく好機が巡って参りました」




出発の準備をすると断って行武のもとを辞したマリオンは、満面の笑みを浮かべてつぶやく。


 その表情から、行武が自分に助力を求めることに複雑な感情を抱いていることは容易に察せられた。


 しかし、マリオンにとっては行武の忖度こそが面映ゆい。




「私のことをも思って下さるのは有り難いのですが、それは見当外れというモノでありましょう、行武様♪」




 緩む頬を留めることが出来ず、長い単身生活ですっかり癖となった独り言の声も弾む。


 京府の影を走りながら、遠征に必要な物を思案しつつ、先程の行武の仕草や表情を思い起こしてまた頬を緩めるマリオン。




「お別れして40年、ずっと御側で待ち続けたのです。今更逃すワケには参りませぬ」




 そうつぶやくと、マリオンは足を速め、胸元に入れた行武の書状をぎゅっと握りしめると、居所へと急ぐのだった。


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