第9話
京府の下京の小路。
その一角、ムシロや端板を寄せ集めた場所。
辛うじて雨風がしのげる程度の、その小屋とも呼べないような粗末な代物の下で、小汚い小さな人々が身を寄せ合っていた。
吐く息はあくまでも白く、手は凍え、身を震わせるのは、京府で浮塵子うんかと呼ばれて蔑まれている、浮浪児達だ。
荷運びや側溝の清掃、落ち穂拾い、排泄物の処理や牛馬の世話を行う傍ら、馬や牛車に対する当たり屋紛いの行為から始まり、かっぱらい、スリ、泥棒などで、生きるために人から糧を奪う者達である。
彼や彼女らは、そうして得た食べ物や着物を皆で分け合い、辛うじて命を繋いでいた。
しかしそれでも、大人になれる子供達はほとんど居ない、
大半が寒さや飢え、そして理不尽な暴力や過剰な反撃によってあえなく命を落とすのだ。
「ツマグロ……急な寒さのせいでチビ共が危ない」
「ちっ、仕方ねえ……雪が降って来ちまったが、やるしかない」
ツマグロと呼ばれた、ぼろぼろに擦切れた水干を身にまとった年嵩の子供が舌打ちをしながら空を見上げる。
顔立ちは整っているが、黒く泥や煤で汚れており、髪はぼさぼさであちこちもつれて縮れている。
「……どうするんだ?」
「雪だからな、少ないだろうけど、牛車くらいなら通るかもしれない」
「危ないんじゃないか?」
そう言う右横の子供に、ツマグロと呼ばれた子供は舌打ちと共に言葉を返す。
「泥棒の方がもっと危ない、寒くて外へ出る奴なんか、ほとんどいないだろ?警固の舎人がいかに腰抜けでも、さすがに屋敷で鉢合わせたら命が無い」
「そうだけど……」
「スジグロ、お前に来いとは言ってない」
右横の子供、スジクロにツマグロはそう言い捨てると、住処を出る。
しばらくためらっていたスジクロだったが、やがて意を決したように口元を引き結ぶと、ツマグロの後を追って住処を出るのだった。
「何だ、お前、渋ってたくせに来たのか?」
「ツマグロ1人で行かせる訳にはいかねえしな」
口先を尖らせて反駁するスジグロに、ツマグロは苦笑を返すと大路の物陰に身を潜める。
ツマグロお得意の当たり屋である。
京府で牛車や馬に乗っているのは貴族に限られるが、その貴族達は酷く穢れを恐れており、自分の乗っている車や馬が人をはねて怪我でもさせようものなら、酷く取り乱す。
擦り傷程度でも構わないが、少しばかり血が出ていれば尚良い。
穢れを無かったことにすべく、彼らは跳ねた相手に幾ばくかの銭を払い、急いで立ち去る。
相手が当たり屋であろうとなかろうと穢れには違いなく、その穢れを無かったことに出来るのであれば、少しばかりの金銭は問題ではないのだ。
ましてや貴族は金持ちであるのが普通だ。
彼ら貴族にとっては端金であっても、庶民にとってはそれなりの金額であるのが普通。
それを狙って、ツマグロら浮塵子の子供達は当たり屋を仕掛けるのである。
もちろん、高位貴族になればなるほど警固の者が就いており、容易には成功しない。
ツマグロ達は物陰に潜み、音や気配だけで相手の人数や車の台数馬の頭数をある程度把握する術を自然と身に付けていた。
しばらく寒風に身を震わせながら物陰に潜んでいると、ツマグロとスジグロは僅かな気配を感じた。
「今日はついてるな……馬が一頭だけだ、しかもゆっくり歩いてる」
「そうだね、こんなすぐに来るなんて」
相手は馬一頭、しかもゆっくりと並足で近付いている。
他に警固の者や騎馬の者は感じられない。
雪がしんしんと降り続く大路の影で、二人は意を決して間近に迫った騎馬目掛けて飛びかかった。
しかしながら、二人の企みは積もったばかりの雪と湿った砂を巻き上げただけで終わる。
「おおっと、危ないのう……童か?」
すんでの所で馬首を巡らせ、ツマグロとスジグロとの衝突を避けたのは、梓弓行武その人であった。
驚いて軽く嘶く馬をなだめつつ、輪を描くようにその場で馬首を巡らせた行武は、飛び込んだままの格好で無言の2人の子供を見下ろす。
行武は2人の気配を感じ取っては居たが、まさか飛び出してくるとは思っていなかった。
それでも、武人として鍛えられた反射神経が物陰から子供の姿を認めるや否や、手綱を引き絞って馬首を返させたのである。
そのまま輪乗りのように円を描いて元の位置へと戻る行武が、驚きの声を発した。
「ほう、ツマグロとスジグロか?このような日まで熱心な事じゃのう」
「……アズサユミのジジイ。よりによって……」
忌々しげに顔を泥の路面に付けたままツマグロがつぶやく。
一方のスジグロは相手を知って身を震わせていた。
京府の治安を預かる行武は、当然浮塵子もその取り締まりの対象としている。
ましてや、当たり屋を頻繁に行うような連中である。
行武は取り締まりだけでなく、浮浪児の保護と育成も手がけており、現に行武に捕まった浮浪児達は、それなりの技量や仕事を身に付け、あちこちの屋敷に引き取られている。
ちなみに行武に本気で追われれば、まず逃げられない。
加えてこの老貴族はやたらと腕っ節が強く、生半可な者では歯が立たないときている。
ヤクザ者や叛徒が激しい抵抗の甲斐無く、武器を使っている場合でも、手も足も出ずに行武の手で捕縛されているのを何度も目の当たりにしている二人。
狙った相手が悪過ぎたとしか言いようが無い。
濡れたままの行武は、白い息を吐きつつも寒さを微塵も感じさせない声色で、倒れ伏したままの2人へ声を掛ける。
「いつまでも当たり屋などやっておらずに、真っ当に働かぬか?働き口は紹介しようぞ」
「うるせえよ」
行武の言葉に減らず口を返すツマグロは、その時点でようやくばつが悪そうな表情のまま立ち上がり、隣で未だ身を震わせているスジクロを手で引き起こす。
「お主らぐらい機転が利けば、何処でもやっていけると思うがのう」
「機転が利かねえ奴らもいるんだよ」
いつもの行武の言葉に、いつもの台詞を返すツマグロ。
「相変わらずよの……」
「ついでに先に言っとく、アズサユミのジジイの所ではハタラカネエ」
「……さすがに呆れるわい」
自分の言おうとしたことの機先を制され鼻白む行武であったが、気を取り直して馬から下りると、起き上がる二人を暫し見つめてから口を開く。
「しかしこのような雪も降り続く寒空に、何故わざわざ当たり屋をしようというのじゃ、余程の理由があるであろう。話してみてはどうじゃ。わしごときでも役に立つかもしれんじゃろう?」
警戒心も露わに、元々ぼろぼろの服についた泥汚れをはたき落とし合っていた二人が、その動きを止める。
スジグロが物言いたそうにツマグロを見る。
その顔を見たツマグロが忌々しげであった顔を歪めつつも、頷いた。
そして、ツマグロはゆっくりと行武へと振り返った。
「……内のチビ達が凍えてる、アンタにこんなこと頼めた義理じゃネエが、助けてくれ」
「ツマグロ……」
拳を握りしめ、下を見て悔しそうに声を絞り出すツマグロの姿を見て、スジクロは気遣わし気に声を掛ける。
一方の行武は、少し訝しげに顎へと手をやって問う。
「ふむ、それは構わぬが、急にどうしたのじゃ?今までも冬は越してきたじゃろう」
「今年の冬は厳しい、それに……救恤所が閉鎖された」
「……何じゃと?」
救恤所は行武が提案して通った数少ない施策の1つで、京府やその近辺における貧民や窮民を救う目的で冬の間だけ炊き出しをする臨時の役所である。
その救恤所が、発案者である行武の与り知らぬところで閉鎖されたというのだ。
「……アズサユミの爺さん、知らなかったのか?」
今度はツマグロが訝しげに問う。
「初耳じゃ」
「俺達みたいな浮塵子うんかや不法滞在の元納税人足のような無法者に施す必要は無いって……役人が!」
憮然として答える行武に、スジクロが焦ったように言い募る。
ツマグロは嘲笑うような、それでいて泣き出しそうな顔で行武をじっと見ている。
「おのれ……、またもや窮民を無法者と呼ばわるとは、どちらが無法者か……」
恐らくは、行武が弾正長官を罷免されることを見越しての施策であろう。
悔しいが北鎮将軍として転出する行武に、最早止める手立ては無い。
「何処までもやってくれるわ」
怒りをにじませてつぶやく行武に、ツマグロとスジクロがすがるように言う。
「……ジジイ、たのむ」
「おねがいします!」
ぐっと怒りの拳を握りしめ、口を引き結んでいた行武は、目を開くと力強く頷いて言う。
「何でもするな?」
「……ああ、勿論だ」
「分かって……いまっす!」
2人の返事を聞き、行武はもう一つ頷くと言葉を継いだ。
「スジグロとやら、わしの短刀を預ける故に、わしの屋敷に向かい、荷車や兵達に知らせよ。そしてその方のねぐらへ案内せよ」
そう言うと行武は濡れた懐から短刀を取り出すと、スジクロに手渡し、それから息を呑むツマグロに振り返っていった。
「では案内致せ」
京府の片隅。
ツマグロとスジクロが根城にしている一角。
その端材やボロ布を集めた、とても言えとも小屋とも呼べない代物を前に、行武は躊躇無く分け入る。
「お、おい、じじいっ」
行武は市井に紛れているとは言え、一廉の貴族である。
それぐらいのことはツマグロにも分かる。
つまりそれは、このような汚い場所にやって来るような人物ではないという事であり、更には打ち捨てられた汚らしい孤児を抱き上げるという行為を行って良い人物でもないと言うことだ。
「心配要らぬ、この程度の汚穢おわいなど、戦場いくさばの凄惨さに比ぶれば、何ほどのこともないわい」
息を細くし、今にも命が絶えそうにしている孤児達を次々と抱き上げ、行武は歯を食い縛って通りの清潔な場所を確保して運び出す。
次いで、乾いていそうな端材やボロ布を集め、鞍に付けた袋から取り出した燧石ひうちいしを使い、火をおこした。
「じじい、こんな所で火を焚いて良いのかよ?」
「ふん、緊急時じゃ、問題ないわい。ツマグロよ、お主は火の番をせよ。皆を暖めてやるのじゃ」
そうこうしている内に、弾正台の兵を率いた本楯弘光がスジクロの先導で荷車を引いてやって来た。
「少将様」
「おう、弘光、ご苦労じゃな。早速じゃが、この者らを暖めて救護し、我が屋敷に連れ帰ってくれ……事切れた者も粗末に扱わぬようにせよ」
「はっ、おい、すぐに地炉を作れ、大路だろうが構わん。粥を炊くのだ」
行武の腕の中で既に冷たくなっている小さな身体を見て取り、弘光はそれだけ言うとすぐに兵に指示を飛ばし始める。
「済まなんだのう」
薄汚れた顔を濡れた手でぬぐってやり、行武は抱きかかえていた孤児をそっとボロ布の上に下ろす。
震えながらも国兵の介助を受けたり、年長の子供の誘導で国兵が切り始めた地炉の廻りに集まり始めた孤児達を見てから、行武は端材とボロ布の山へ視線を移す。
「……じじい、ありがとう」
「何ほどのことはない……それに、間に合わなかった者もいる」
近付いてくるツマグロを見ること無く、行武は静かに答えた。
再びちらつき始めた雪の中、白い息を吐きながら自分が横たえた小さな遺骸の傍らに膝を付き、じっと見つめる行武の目には、普段の快活の光は無い。
暗く深い淀みの中のような光を湛えた行武の目。
それを見たツマグロが気圧されたかのように一歩下がる。
「ふん、反省が無い……あたら幼き命を目の前で失わしむるとは、誠に反省が無いわ」
深い悲しみに彩られた暗い声。
気圧されたまま言葉を発せられないでいるツマグロに向き直ると、先程の声色や表情が嘘のように、行武は柔和な笑顔を浮かべて言った。
「お主らは今日からわしの家人じゃ、まあ、精精せいぜい働くが良い」
「……分かってるよ、何でもするって約束したしなっ」
ツマグロが気を取り直しつつそう答えると、行武は笑みを深くして頷きながら応じた。
「殊勝なことじゃ……弘光、全員わしの屋敷へ連れてくるが良い!……ツマグロらはわしの屋敷は知っておろう?」
驚く弘光を余所に、ツマグロが頷くのを確認すると、行武は再度頷いてから踵を返すのだった。
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