第6話

大王の元に案内された行武は、真名人を振り返る。


 案内役の真名人は廊下に控えるべく座り、行武に対して黙って頷いた。


 それを確認してから、行武はそっと御簾を上げて大王の寝所へと入る。


 そこには顔色悪く、やせ衰えて横たわる大王の姿があり、以前の大王の姿を知る行武は絶句する。


 しかし、彼が求めるのはそんな殊勝な態度を取る自分ではないだろう。


 大王は若い頃共に西方の各地で戦い、戦場で駆けていた頃の自分を求めているに違いない。


 戦が絶えてから貴族の暗闘や政争に翻弄されつつも、目的を見失う事無く政務の舵を取り続けて来た当代の大王。


 彼はその心労から寿命を縮めてしまったに違いないのだ。


 最後くらい、政務や派閥に関与しない自分のような者と会い、昔語りをしたいと思ったのだろう。


「随分とやせられましたな、大王」


「んん?……おお、行武か、よく来た……何だ、その格好は」


 行武が絞り出すように呼びかけると、顔を僅かに傾けた大王が力の無い笑みを向けつつ、行武の鎧兜姿を見て応じ、続けて揶揄するように言葉を発した。


「弾正長官、梓弓の行武参上仕った」


「……良い加減、武者振るのは止めてはどうだ?……若い者達は良い顔をせぬだろう」


「今更大王がそのようなご無体を仰せですか?わしの生き方や経歴はよくご存じのはずですぞ」


 緩い溜息を吐いた大王に行武は軽く短甲の胸元を示し、茶目っ気たっぷりに応じる。


 どうやら行武の考えは間違っていなかったようだ。


 眉間に深い溝の刻まれたままの大王の顔に、穏やかな笑みが満ちる。


「ふふ、確かにな……そなたには無体に違いない。然し歳を考えよ」


「何の何の、まだまだ齢70にございます。それに今の弾正台は実に遣り甲斐のある仕事にて……ただ最近はちと身体に堪えますのう」


 行武がやれやれといいながら鎧の肩を叩くと、かんかんと軽い金属音がして、大王の笑いを誘う。


 一頻り笑った後、大王は一旦咳き込み、それからゆっくりと言葉を発した。


「……そなたと鎮西の戦を繰り広げた頃が懐かしい、何時の頃の事であったか?」


「もう40余年も昔の事になりました」


「そうか……時が移ろうのは早いものだ……わしの寿命が尽きるのも道理というものよ」


「同い年のわしはまだぴんぴんしとりますがのう?」


「はは、違いない……頑健なそなたが……羨ましいぞ」


 再びの行武のひょうげた言葉に、大王も軽く笑う。


 案内役として御簾の外に控えていた真名人は大王の笑い声が聞こえてきた事にまず驚き、それから大王が何時になく穏やかな様子であることに驚く。


 しばらく他愛の無い昔話が続く。


 内容の概ねは鎮西の戦のことで、西方諸国や南蛮人を制した時に行武と大王がいかに武略を練り、作戦に成功し、そしていかに苦楽を共にしたかを語るものである。


 薬湯を飲む事すらやっとであった大王のどこにこの様な力が残っていたのかと真名人は再度驚くが、話の内容にも興味をそそられる。


 普段耳にしたことも無い軍略や武芸の話、戦場の不思議や庶民の悲哀を聞くにつれ、自らの知る世界の狭さに気付く真名人。


 一方で大王や行武がいかに大きな世界で活躍してきたかが分かる。


 加えて、意外なことに自分が英雄譚や戦の話に興味を持っていることにも気付く。


 武張ったことや死穢を忌避するものだと信じて疑わなかった自分にこの様な心持ちがあったことに驚きつつも、心を躍らせて2人の昔語りに聞き入る真名人。


 しかし、一旦言葉が切れた後に話が変わった事から、真名人は耳をそばだてた。




「さて……行武よ、一つ頼み事があるのだ」


 昔話が一息つき、大王が咳を切ってからおもむろに口を開くと、行武は居住まいを正す。


「何なりとお申し付け下さいませい」


「他でも無い……北の夷族のことだ」


 大王の言葉に、行武の身体が強張る。


 行武にとって因縁浅からぬ北の大地とそこに住まう民、夷族。


 かつて征討軍の部将として北へ派遣された行武は、結果として政争に巻き込まれて今の境遇を受けるに至ったのだ。


 他ならぬ行武を大いに庇った大王も、もちろんその事情はよく知っている。


「北、でございまするか?」


「うむ……恥ずかしいことだが、北の国司連中がどうにも無体を働いているらしい」


「それは北に限ったことではありますまい」


 その情報はむしろ行武が大王に度々奏上しているものだ。


 行武は暗に不正や地方政治の是正を迫ったのだが、力ある文人貴族達に阻まれ、あるいは大王自身の配慮で、あからさまな罷免や国替えは行われていないのが実態だった。


 大王は行武の言葉の意味を理解して、苦笑を咳と共に漏らしつつ言葉を続けた。


「最近分かったのだが……実は広浜国で2年前から夷族の反乱が起きておる」


「何と……あの我慢強い民がそう軽々に謀反するとは思えませぬが……相当な無体があったと見えますな」


 疑問の言葉を発した行武に、大王は一度咳き込んでから国司の名を告げた。


「国司は硯石為高すずりいしのためたかだ……」


 文人貴族の筆頭格である硯石基家に連なる、高位貴族の1人だ。


 本来ならば国司の様な地方官、しかも低位の地位に就くような者ではないのだが、それがあえて国司などを拝命しているというのであれば、およそろくな理由ではあるまい。


 現に、硯石為高は前任地である、原芝国はらしばのくにや元峰国もとみねのくにでも蓄財に精を出すあまりに苛政を敷いた前歴がある。


 私的な財産形成に、地方勤務は欠かせない上に最適だ。


 しかも不正を取り締まる職権を当の国司が持っているので、その国司自体が腐敗してしまえば打つ手が無いのが実情。


 かつて地方政治の引き締め役を担った巡察使の権能は停止されて久しいし、弾正台は京府域内と周辺地域のみの職権しか持たない為、地方政治の不正はほぼ野放しなのだ。


「硯石の……それはしかし苦労する民には一切関係ございませぬな。不正は糺さねばなりませぬぞ」


「……民には関係なかろうとも、政には大いに関係あるのだ……残念ながらな」


 行武の憤りに、大王は力なく答える。


「政とは民草や国の為の物であって、貴族間の勢力争いや己が権勢を競う為のなしようは政とは申しませぬぞ」


「返す言葉も無いが……実情は曲げられぬ」


 その言葉を聞いて行武が肩の力を抜くと、それを知ってか知らずか、大王はゆっくりと言葉を継いだ。


「……征討軍を派遣しようにも、皆穢れや遠方での戦役や遠征を嫌ってのう、なり手が居らぬのだ」


「しばらく朝議には顔を出せておりませなんだが……実に嘆かわしい事でございますな。好き嫌いで職務を忌避するとは……」


 先程の話と言い、行武にとってはあってはならぬ事態が頻発しているようだ。


 それでも国が崩壊しないのは、外敵も無く、国がそこそこ豊かである事、権力がほぼ全て京府に集まり、狭い範囲での権力闘争で終始している事、それに権力者が武力そのものを忌避し、武力闘争への発展が抑えられているからだ。


 この国においては、諸外国とは異なり、高位貴族が武力を持っていない。


 故に権力者同士の武力闘争は起こらない構図になっているのだ。


 それに加えて民の武装蜂起などの事件も少ない上に、彼らは自分達の要求を通す事だけを目的としており、規模が小さく国を転覆させるような性質を持たない事も大きい。


「そこで……だ、征討軍をお主に任せたい」


「大王、それは本気でございますかな?わしとあの地の因縁を知らぬ訳でもございませぬのに、そのような事をお申し付けになられますのか?」


「それを知った上で……だ。お主以外にあの地を救える者はおるまい……そもそも」


 大王がそこまで言った所で、真名人が御簾の外から静かに声をかける。


「大兄王子さま、左大臣さま、斐紙大納言さまがお着きになりました」




 直垂姿の大臣の硯石基家すずりいしのもといえと斐紙大生形ひしのおおかた、大兄王子おおえのおうじが神妙な面持ちで御簾を上げて大王の寝所に入ってくる。


 そして一様に行武が先にいたことに驚いた。


「何と……その方は弾正長官か、大王の寝所で鎧姿とは……」


 既に40歳となった大兄の王子が驚きの声を上げる。


 ふくよかな体型に顔立ちは人に安心感を与えるが、意思の感じられない目の光と合わせれば不気味な風体に見えかねない。


大兄の王子とほぼ同い年の硯石基家は、痩身をゆっくりと大王の近くに移動させると、これまたゆっくりと座ってから徐に行武を見る。


 そしてゴミを見るかのような視線をしばらく行武に浴びせた後に、きれいに髭を剃り上げた顔を歪め、忌ま忌ましさを消そうともしない声色で言葉を発した。


「恐れ多くも大王に死穢が移れば何とする、弾正長官。第一何故ここにお主ごときがおるのだ?下がれい」


「下がらぬ、それに第一わしは元気に生きておるわい。死穢とやらは憑いておるわし本人には祟らぬのに、周囲だけに害を及ぼす物であるのか?」


 負けじと行武がやり返すと、基家は忌々しげに口角を歪めて吐き捨てた。


「詭弁を……」


「詭弁はどちらか?大王に移るであろう死穢は、何故わし本人に害をなさぬのか、説明していただこう」


 互いに怒りの気配を押し出して口論する行武と基家。


 元々馬が合わない2人である上に、何を隠そう行武を政争に巻き込んだのは基家の父親で、それ以来因縁はずっと続いている。


 それに普段から好き放題の行武に、基家は人としても良い感情を持っていない。


「お二人とも、控えられませい……大王の寝所でございますぞ」


 いがみ合う2人を見かね、斐紙大納言が仲裁の言葉を発した。


 斐紙大納言は行武と同年代ではあるが、若干若い。


 文人貴族ではあるものの、古い貴族でもあることから同世代の武人貴族とも親交があり、朝廷では中庸の立場にあると目されている。


「よい……基家、わしが行武を呼んだのだ」


「……はっ」


「大王、申し訳ございませなんだ」


 基家が頭を下げて畏まり、行武も謝罪の言葉と共に頭を垂れる。


 大兄王子と斐紙大納言がほっと胸をなで下ろすと、大王はゆっくりと声を発した。


「……まずは先程の件を話す」


 行武と2人きりであった時とは打って変わり、固い声色で話す大王に、場は厳粛な雰囲気となった。


「大王……まだ受けるとは申しておりませぬが?」


「是非にも受けてもらう」


 行武が一応畏まったまま言葉を発するが、大王はこれまた先程までの雰囲気とは全く異なり、ぴしゃりと言い放った。


「正五位下弾正長官かねて近衛府少将の梓弓行武の職を解き、従四位下北鎮軍少将、かねて巡察使を命じる」


 大王の言葉で自分達の来る前に何が話し合われていたかを察した基家が青くなる。


 そしてすかさず大王を諫めるべく前へにじり出た。


「大王、朝議に諮りませぬと……」


 基家が反発心を込めつつも静かに提案するが、大王はにべもなく言い放つ。


「……朝議は不要だ、北の地の反乱を抑えねばならん。今まで手を拱いていた責を取らせるぞ」


 行武はギロリと硯石の基家を遠慮無く睨み付ける。


 さすがに飛ぶ鳥を落とす勢いの文人貴族筆頭の基家といえども、この視線には目を背けざるを得ない。


 そして今までに無い大王の強圧的な言葉と態度に、基家は背筋に冷や汗をかく。


 確かに手を拱いていた、もっと言えば放置していたのは基家達現在の朝廷の面々だからである。


 ここは引いておかねばなるまい。


 今、引いてさえ置けば大王は間もなく身罷る。


 その後に行武ごときは如何様にでも捻ることが出来るだろう。


 そう素早く計算した基家は、頭を低く下げながら言う。


「承知致しました。おって梓弓行武に辞令を交付致します」

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