エピローグ-2
「あ、バレてた?」
反応はすぐに隣から現れる。無人かと思われた隣のベッドのカーテンが開かれ、いつもと変わらぬ白いワンピースに身を包んだ烈火が姿を現す。最初から数多に気付かれていたのを知っているからか、ケラケラと乾いた笑みを浮かべていた。
目を開き烈火を見ると、数多も砕けた笑みを浮かべた。
「バレバレ、多分焔さんたちも気づいてたぞ。俺が起きる前からいたんだろ?」
「そうだね。まあみんな気づいていたのは承知だよ。気づけないような人間が、紅や分家のトップにはいないだろうし」
「それもそうだな……こんなところにいていいのかよ?」
「まあね。数多のお陰でほぼほぼ回復したからね。だから余計暇なんだよ、やることもないし……病院の外に出てないだけ、マシだと思うけどな」
軽く言葉を交わす二人であるが、そこに不自然さはない。元々どこか波長がある二人なだけあって、会話もスムーズであった。
しかしそのような他愛もない会話を続けるほど、二人のメンタルは弱くない。数多も全てを知ってしまった以上、その話題について触れずにはいられない。少しだけ深呼吸をし、烈火に問いかける。
「……烈火は知っていたのか、俺の正体のこと」
「ううん、烈火も全然知らなかった。数多が起きるちょっと前くらいに、お母さんから聞いたんだ。烈火もびっくりしたよ~」
軽い口調でそう語る烈火に緊張感はなく、態度はさほど変わっていない。それでもどこか本調子とずれていることは、数多もはっきりとわかった。
「烈火たち、兄妹だったんだね」
「そうらしいな……全然似てないけどな、俺たち」
「そんなことないよ。単純なところとか、手が出やすいこととか……親想いなところ、とか。探せばもっといっぱい見つかるよ」
「……そうだな」
烈火の言う通り、共通点などまた語り合えば簡単に見つかるはず。仮に見つからなくても、兄妹は全てが似ているわけではない、と割り切れば気まずくなることはない。そう考えれば、数多はこれっぽっちも心配してはいなかった。
ただ烈火はというと、話が途切れるや否や気まずそうに数多を見つめる。そのような表情をする烈火など見たことないだけに、数多は逆に身構えてしまう。
「……本当によかったの?」
「何が?」
唐突にそのようなことを聞かれ、数多は条件反射でそう返事する。烈火が何を聞きたいのか、言わなくてもわかっていてもだ。
「紅の次期当主の座を放棄したこと。後悔してない?」
「微塵も。俺は赤宮の当主になりたいからな」
だからこそ数多は即答した。数分前に焔たちの前でそう伝えたのに、烈火の前で取り繕う必要もない。数多としてはただ、決意の言葉を繰り返し口にしているだけに過ぎない。
ただそれ以上に、数多が赤宮に固執する理由が一つある。それは誰もが知っているようで、その決意をしっかりと言葉にしていない、数多にとっては最も重視する理由であった。
「それに……烈火との婚約の話が、なくなっちゃうかもだし」
照れもせずに、数多は烈火の目を見て言葉にした。その言葉がどういう意味を示しているのか、察しのいい烈火がわからないはずがない。そしてもちろん、言葉にした数多自身もだ。
焔との当初の約束では、『赤宮の次期当主になり烈火の助手となること』を条件に、烈火との婚約を決定したのだ。無論、そのような約束がなくとも焔たちは二人の婚約を認めるかもしれない。だが数多はそれを拒否した。同じように道を歩んでいった父の後ろを倣うかのように。
突然の数多の、遠回しに好意を伝えるその言葉に、烈火は目を丸くさせる。
「……驚いた。数多って私と結婚したくないって思ってたから」
「まあ、そう思われても仕方ないか」
自嘲気味に数多は口角を緩める。
「確かに俺は、烈火のことが嫌いだった。容姿は申し分ないけど、趣向や人間性、俺への扱いが最低としか思えなかった。将来の伴侶になんて、考えたくもなかった……でもそれは、何も知らない時の、出会ったばかりの時の話だ」
そう言いながら、数多は天井でも眺めた。決定的に烈火との運命を変えた、ターニングポイントの出来事を思い出しながら。
「あの日……烈火と共に閉じ込められ、互いの心境や信条について語り合ったあの日から、俺の中の烈火の価値観は180度変わった。例え俺自身がどれだけ苦しくても、痛い思いをすることになっても、烈火の支えになりたいって思えるくらいにな」
「それが……生き様に惚れた、ってヤツ?」
「聞こえていたか」
「そりゃね。半分くらい意識は飛んでたけど、数多の言葉はしっかり頭に残ってるよ」
笑みを浮かべていた烈火の表情が締まっていき、真剣な気持ちを数多に伝えてくる。それでも薄く笑みを隠しきれていないところに、数多は烈火らしさを感じた。
「烈火もそれは同じ。あの日から数多の見方は変わったし、無意識に守りたいって思えるくらいには数多のこと、愛おしく感じるよ。そしてその気持ちがまやかしや幻想なんかじゃなく本物だというのは、強さを持って証明してもらえた」
数多を見つめる烈火の頬が、少しだけ赤く染まる。異能を従える狂戦士の仮面を剥がし、烈火は一人の女としてその気持ちを言葉に乗せた。
「……数多だけだよ。烈火と腹を割って話してくれるのも、特別視せず対等に接してくれるのも、烈火と堂々くらいの力を持っているのも、数多だけなんだよ」
「そうだな……最後のはちょっと怪しいけど。本気でやり合っても、烈火に敵う気はしないし」
「それはまだ力が目覚めたばかりだからでしょ? いつかは超えられるよ」
「それこそないだろ……俺が惚れた女が、現状の力で満足するほど、甘いわけがない」
「まぁね……烈火はもっと強くなるよ。誰にも負けない力を、全盛期のお母さんにだって負けない力を、身につけてみせるよ」
確固たる覚悟を持ってして、烈火はその気持ちを表明する。数多もその言葉を疑うことなく聞き入れる。この人なら、数多と烈火の二人であれば、届かない高みへと目指せる。そう言い合っているかのように、二人の心は深く通じ合っていた。
だからこそ、感情に正直な烈火はじっとしていられない。ベッドから降りると数多の元へと近づき、数多の手を包み込むように握った。必然的に烈火との距離が近くなるが、今の数多はその距離感では動揺しなかった。
「だから数多には、ずっとそばにいて欲しい。紅の使命を全うするために、この世の悪を綺麗に掃除するために、ずっと烈火を支えて欲しい……烈火の隣は、もう数多しか考えられない。そのくらい数多のこと、気に入っちゃったんだ」
「あぁ、もちろんだ」
返答を考える必要もない。ただの確認作業に過ぎないが、二人はせずにはいられなかった。ちゃんと相手のことだけを見て、相手のためだけに、二人は決意の言葉を交わし合いたかった。
互いに視線を交わしていると、唐突に烈火が目を瞑り、ゆっくりと顔を近づけてくる。烈火の愛らしい口は小さく開かれている。それが何を意味しているのか、わからないほど数多も鈍感ではない。跳ね上がり続ける心臓をそっと抑えつつ、別の覚悟を固めながら、烈火と同じく目を瞑った。
「かぷっと」
「いってぇ!」
ただ数多にやってきたのは待ち望んでいた甘い感覚でなく、慣れ親しんだ首筋からの痛みであった。反射的に目を開くと、確かに烈火は至近距離まで迫っていた。しかし烈火が望んでいたのは雰囲気に乗じたキスではなく、単純な血液補給であった。
引き剥がすわけにもいかず少し待っていると、烈火も一口飲んだだけで数多から離れた。数多の視界に、恍惚気味な烈火の表情が写った。
「えへへ……久しぶりの数多の味だぁ」
「あ、あのさ……今更怒りはしないけどさ、せめて前もって教えてくれ。いきなり来られたらびっくりするだろ? それにちょっと痛いし」
「ごめんごめん。こういうのはこれっきりにするよ」
「そうしてくれ……」
そう言いながら数多は首筋をなぞる。ぬめっとした自身の血液だったり、今までつけられてきた傷痕だったりと、なぞっただけで烈火との付き合いの感触が指に伝わってくる。昔であれば不名誉な感覚と思うだろうが、それだけ烈火の窮地を救ってきた。そう考えれば数多にとっては最高に名誉なことであった。
「でも……」
だがそこで烈火が止まることはなかった。傷口に気を取られていた数多は一瞬反応が遅れたが、大して関係はなかった。烈火のことを見続けていたとしても、この未来は回避できなかった……不意に烈火に唇を塞がれるこの未来は。
ファーストキスはレモンの味、と数多は聞いたことあったが、それは嘘であった。数多の口の中に広がるのは、鉄のような血生臭い味だ。だがそんなのは関係ない。烈火にキスをされている、その事実こそが重要であった。
実際に唇を合わせていたのは5秒ほどであったが、数多には1分くらいキスしている感覚だった。それだけキスという行為は甘いもので、脳を狂わせてしまうほどの甘さだというのを、数多は今日初めて理解した。
やがて唇を離し、烈火が至近距離で数多の目を見つめる。勝気があり、その中にも照れが含まれていたかのような、甘い笑顔を数多に届けながら、甘い声色の言葉を数多の耳元で囁いた。
「こっちはいらないでしょ、そういうの」
「あ、いや、その……い、いるだろ? その、心の準備と、いうか……」
「あはは! 数多慌てすぎだって!」
さすがの数多も動揺を隠しきれず、視線を右往左往させる。その反応が面白かったのか、烈火の笑みにいつも通りの純粋さが戻ってきた。
そんな時だった。唐突にガラッと扉が開かれる音が病室に響く。何事かと思い二人が扉の方を向いた。そしてそこに立っている者を見た瞬間、数多の顔が真っ青になる。
「さ、早苗……」
烈火の給仕であり、数多の世話をしにやってきたであろう早苗の姿が見える。手には盆が握られており、フルーツのかごと果物ナイフが乗っていた。彼女の後ろには太一の姿もあったが、今の数多に太一を気にする余裕はなかった。
かくいう早苗はというと、目の前の光景に盆を持つ手を震わせていた。
「……信じて送り出したと思ったら、赤宮数多などに唇を捧げる烈火様……あぁ、おいたわしや……」
「い、いや! 俺、烈火の婚約者だから! 立場的にキ、キスしても問題ないから!」
「それはそれ! これはこれ!」
感情が抑えきれなくなった早苗は近くの机に乱暴気味に盆を置くと、果物ナイフを手に取った。その矛先は、何故か数多の心臓の方を向いていた。数多が冷や汗をかいたのは言うまでもない。
「お、おい待て! その果物ナイフでどうするつもりだ⁉ まさか刺したりしないよな⁉」
「大丈夫よ……赤宮数多なら、めった刺しにしても死なないから!」
「何も大丈夫じゃねぇよ! 俺の立場、早苗もわかってるだろ?」
「そうですね……私の知っている寛容な赤宮数多様なら、一回刺したくらいなら水に流してくれるはずです!」
「流さねぇよ! 丁寧に言っても何も変わってねぇ! た、太一さんからも何か言ってやってください!」
必死な思いで数多は傍観し続ける太一にSOSを送る。響矢に襲撃された日、二人は共に赤霧の隠れ家に突撃した間柄だ。そういった意味でも心の叫びを聞き取ってくれると、数多は密かに信じていた。
そして太一も烈火同様、焔から数多の正体を聞かされた数少ない人間だ。加えて基本的には礼儀正しく目上を尊重する、数多の知る中で一番の真人間でもある。きっとこの危機的状況も機転を利かせて救ってくれる、そんな期待を数多は抱いていた。
そのまなざしを受けると、太一はふっと柄にもなく笑みを浮かべる。そしてすぐに期待を込めるために親指を立てたハンドサインを数多に見せつけた。
「霊柩車の運転なら任せろ」
「何が任せろだ⁉ お、おい待て! 本気で刺そうとするなぁ!」
期待外れの太一の言葉に数多は憤慨仕掛けるが、そんな暇はない。本気で数多を刺そうとする早苗が目を離した隙に接近し、既にナイフを振り上げていた。急いで早苗の手首を掴む数多であったが、想像以上に早苗の力が強すぎて押し返すことができない。これが烈火を崇拝する者の力か、なんて間抜けな考えなどする余裕もなかった。
「あははっ、あははははっ!」
その姿がよほどツボに入ったのか、烈火は腹を抱えて笑っていた。屈託もなく、憂いも、悔いもない、純粋さそのものが詰まった輝かしい笑顔。数分前までのビックイベントなど、既に頭の中から消えていそうな、そんな印象すら感じ取れる。
我が身を守りながら、数多は横目で烈火の笑顔を追った。数多を助けることなく、ただただ笑い続ける少女の姿を。それがどうしようもなく愛おしく、永遠と眺めていられると感じてしまうのは、客観的に見ればおかしいと思うのが普通だ。
しかし数多はそう思わない。その姿こそが数多が尊敬し、心から愛する者の最も輝く瞬間であることなど、魂レベルに刻まれていた。
(あぁ、まったく……可愛いヤツだ)
早苗たちがいるから、言葉にはしない。ただ数多の視線が、白いワンピースに身を包んだ赤髪の少女から、麗しき『真紅の花嫁』から、離れることはなかった。
真紅の花嫁 牛風啓 @ushikaze_kei7
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