エピローグ-1

 数日後。深刻的な貧血と過労によって意識を失った数多は、復興作業中の赤星の病院にて目を覚ました。貧血による頭痛が起きてからも続いていたが、数多も知らない人間が一人だけ病室にいたのに気付いた時、さすがに眠気も頭痛も一気になくなった。その者が焔のそば付きメイドである赤崎雅だと知るのは、もう少し後のことであった。

 その後直に、一や焔など見知った顔ぶれが数多の病室に集まった。烈火の姿がないのは少し寂しいと思う数多であったが、昨日の状態からして起きている可能性の方が低いと思えば仕方がないと割り切れた。


 数多の様態が安定しているとわかると、代表して焔がその後の事情について説明した。

「赤霧家は逃亡したよ、跡形もなくね」

 険しい口調で説明し始める焔の表情が、少しだけ歪んだ。

「元々この計画は随分前から練られていたのでしょうね。実の息子を一番槍とし、容赦なく切り捨てる辺り、性根の腐り具合がよくわかるわ」

「それで……赤霧家の目的は、響矢が言っていた通りなのでしょうか?」

「それはわからないわ。聞く限り間違いない気もするけど、現当主の言葉ではない……それを耳にするまでは、真偽は闇の中でしょうね」

「……今は、どこに?」

「赤霧の足取りは、今もなお調査中よ。『諜報』の赤池を始め、多くの者たちが赤霧の跡を追っているわ。私たち紅を含め、裏切り者を野放しにする気は微塵もない。裏切り者など、組織の癌でしかないからね。この世から綺麗に掃除するまで、私は許す気はないわ」

「……他にも裏切り者がいる可能性は……」

「ゼロ、とは言い難いけど、おそらくないと思っていていいわ。赤池も脅されて偽情報をリークしていただろうし、他の分家たちも紅への忠誠心は確かなものだわ。その意志は当主たちから改めて聞いたから、私は信じることにするわ」

 固い表情を浮かべながら焔は答える。本来であれば徹底した内部調査を行ってもおかしくないのに、焔は意思表示の確認だけで済ませた。それほどまでに焔は分家の存在を信じている、その場にいる一や雅の面構えを見れば全てがわかる。赤霧だけはその範疇でなかった、というだけの話だ。

 ひとしきり赤霧の説明が終わると、焔の表情がまた変わる。真面目な雰囲気は変わらないが、どこかしょげているかのような、暗い雰囲気を数多も感じた。

「それで……他に聞きたいことはないかしら、数多くん?」

 唐突に焔からそう聞かれ、一瞬何を意味しているのか理解できない数多。だがすぐに質問の意味を理解し、数多はハッとさせられる。数多には一つ、どうしても解決しなければならない疑問点があるのだ。

「俺はいったい、何者なんですか? 響矢との戦闘で変な力、というか烈火みたいな力に目覚めて……俺は、赤宮の人間のはず、なのに……」

「……そうですね。その辺りのことも、ちゃんとお話しないといけませんね」

 観念したかのような、それでいて少し朗らかに微笑する焔。その雰囲気に惑わされながらも、数多は焔の口から告げられる衝撃の真実を耳にする。数多が焔の子であり、そのおかげで紅の異能に目覚めたことなど、洗いざらい全部だ。この場にいる人間は全員その事実を知っており、あの晩に焔たちの傍にいなかった太一も、数多たちを回収した際にその違和感に気付き、結局は焔の口から聞くこととなった。故に焔は一切の隠し事をしなかった。

 その全てを知った時、さすがの数多も驚きで理解が追いつかなくなる。

「俺が……父さんと焔さんの子で、烈火とは異父兄弟、ですか……」

「困惑するのも無理はないわ、きっと誰でも同じ反応はするもの……あ、でも烈火とは結婚できますよ。紅一族の血液は特殊ですから、その辺りの問題は気にしなくて大丈夫です」

 いや、そこは今さほど問題ではない、と言葉に出そうになったが、数多は空気を読んだ。今はそこを深く掘り下げる場面でないことは、数多もわかっていたから。

 それよりも数多はその事実を聞いて、より一層焔から目が離せなくなる。意外にも近くにいた、今まで顔も名前も聞かされなかった、自身の母親の姿を。

「焔さんが母さん、か……」

「やはり、呼び慣れませんか?」

「それは、まあ……母親なんてものとは無縁の人生を送っていたもので」

 皮肉気味に答える数多は苦笑いを浮かべるしかなかった。生まれた時から父親の存在しか知らなかった数多にとって、そう簡単に受け入れられることではない。しかも相手は本来仕えるべき存在だ、これから母親として見ろというのは、数多にとっても難しい話だ。

「……申し訳、ございません」

 そんなことを数多が考えていると、焔は険しい表情のまま頭を下げた。由緒ある紅の当主のその姿に数多はぎょっとするが、この展開すら知っていたのか一と雅は澄ました顔で焔を見守っていた。

「私は貴方の母親として、何の役目も果たせなかった。自分でもそう感じながら、紅のためにと偽りの理由を押し付けながら、貴方が苦しい時ものうのうと生きてきました。殴って気が済むのなら、どうぞ殴ってください……数多くんには、その資格があります」

 苦し気な声色でそう語る焔の姿は、当主としての面影はない。ただ過ちを犯してしまったことを懺悔する、情けない母親の姿。数多にはそのように見えて仕方なかった。

「殴りませんよ。そういう教育を、父から受けていないもので」

 だからこそ数多は遠慮のない口調で返答する。相手が紅の当主であろうが、数多は言わずにはいられなかった。

「無論、今から焔さんを母親だと思え、というのは難しい話です。気持ちとかの問題ではなくて、単純に母親という存在と接するのに慣れていないから。だから俺はこれからも変わらぬ態度で、焔さんと接していきます。その上で焔さんがどう接するのかは、お任せしますよ」

 数多にとって紅焔は、紅烈火の母親であり、自らが仕えるべき紅本家の現当主。それ以上でも、それ以下でもない。だから数多は今まで通り接し、その上で焔は好きにさせることに決めた。その程度の感情の分別は、数多にもつけられる。

「……そう言っていただけるのなら、私は幸いです」

 事が大きいのもあって、焔も安堵の表情を浮かべる。長い間顔を合わせていなかったとはいえ、焔も烈火という娘を一人で育ててきた。子に拒絶される苦しみを理解できるからこそ、その反応を表に出せる。人としての心を持っていることを、数多も密かに安堵した。

 数多の答えを聞いた焔は、一度心を落ち着けると再び表情を引き締める。そして先ほどとは声色を反転させたかのような、いつも通りの、数多も聞き慣れた声で焔は問いかけた。

「その上で聞きたいのですが……数多くん、紅家の当主になる気はありますか?」

「……え?」

 完全に予想外の質問に、数多はあっけに取られる。起きる前まで自分が紅の人間だとは知らなかったのもあり、その可能性を微塵も考えたことはなかった。言葉を失い、ただ訳もわからず焔の顔を眺めるだけだ。

 そんな数多に、静かにしていた一が声をかける。

「当然のことだろ。本来なら、数多は紅家の当主になるべき存在であるんだ。烈火ちゃんより早く生まれた、焔の子だ。今更ではあるが、その権利を主張するのは至って普通のことだ」

 その通りの意見に、数多は黙って言葉を飲み込んだ。本当に焔の息子であるならば、本家の次期当主にもなれる。それを周りに認めさせるだけの素質も、響矢を葬ったことで証明した。もちろん楽な道ではないが、先の将来を考えればその選択が正しいとも言える。

 しっかりとメリットとデメリットを精査し、自らの意見と照らし合わせた上で、数多は毅然とした態度で答えを口にした。その言葉に、躊躇いなど微塵もない。

「お断りします……俺が紅の当主になったら、誰が赤宮を継ぐというのですか?」

 少なくとも現状、赤宮の血筋の人間は一を除いたら数多しかいない。隠し子の可能性は捨てきれないが、赤宮として生まれるのなら例の特異体質からは逃げられない。そう考えた時、赤の他人に預けるという選択肢は数多の中から消えた。ならば自分が継ぐしかない、という考えに至るのが今の、一皮むけた数多だ。

 無論、数多が紅を継ぐのを拒むのには、それだけの理由だけではない。

「それに俺が紅の次期当主になる、ということは烈火がただの紅の人間になるってことですよね……それを許容するのは難しいです。誰かの下にいる烈火なんて、烈火じゃない。少なくとも俺はそう思っていますし、これっぽっちも想像できません……俺は烈火を支えにさえなれば十分ですし、それこそが俺の心からの望みです」

 結局のところ、全ては「烈火のために」という結論に落ち着く。数多が裏世界に居続けるのも、強くなるために努力したのも、隠された紅の力を求めたのも、全ては烈火を守るためだ。数多自身が烈火の上に立とうだなんて考えは、彼の頭にはなかった。

「……そうおっしゃるのであれば、私は数多くんの意志を尊重します。一も異論はないですね?」

「もちろんさ。今更数多の気持ちを確認するまでもない……顔を見ればわかるよ」

 息子の精神的な成長を目の当たりにしたからか、焔も一も好感触の反応を見せた。顔を見合わせて微笑み合う二人の姿は、数多にとっては初めて見る夫婦としての形であった。それを未来の自分と烈火の姿と照らし合わせた時、恥ずかしさがこみ上げてきたので数多は必死に隠したのだった。

「……話が以上であれば、我々はお暇しようと思います。数多くんもまだ目覚めたばかりなので、ゆっくりお休みください。今後の話は、また落ち着いた時にしようかと思います」

「えぇ、それで構いません。お時間取らせてしまい、申し訳ないです」

「何を言っているのですか……息子に割く時間を、無駄だとは思いませんわ」

 互いに望むべき態度で返答しながら、数多は立ち上がる焔の姿を眺める。それを支えるべく、横から一と雅がフォローに入った。

「後に早苗さんもいらっしゃるでしょうから、後のことは彼女にお願いしようと思います」

「早苗、ですか……俺の言うこと、聞いてくれますかね?」

「立場はどうであれ、数多くんが紅の人間であることには変わりないですからね。早苗さんが逆らうとは思えません。感情で動く子ではありませんから」

「それもそうですね」

「……数多くんも給仕さんが欲しくなったら遠慮なく言ってくださいね。お願いすれば赤崎から派遣していただけると思うので」

「い、いえ……当面は大丈夫です」

 建前とかではなく偽りのない本音として数多は断った。紅の力に目覚めたとはいえ、それに相応しいだけの技量や立ち振る舞いなどは身についていない。少なくとも赤宮の人間として、紅の力を有する血闘者として一人前にならない限り、そういった贅沢な願いは口にしないと数多は心に決めていた。

 本格的に数多への話が終わったからか、焔は両サイドの二人に声をかけた。

「それでは一、雅さん。行きましょうか」

「あぁ」

 一が軽くそう返事をし、雅も黙って焔の後ろに追随した。一足早く焔が病室を出て、雅も同じように外へ出る。最期に一が病室から出ようとした時、ふと彼の足が止まった。

「数多」

 振り向いてベッドに横になっている数多の顔を見る一。その表情には清々しいまでの、男らしい笑みを浮かべていた。

「いい面構えになったじゃないか。さすが俺の自慢の息子だ」

 と、一に言われても手元に鏡がないからか、数多はイマイチ実感が湧かない。ただ一がいうのならその通りなのだろうと、数多は素直に一の言葉を受け止める。そうしたから自然と数多の表情も柔らかくなる、数多自身もそう感じた。

 言いたいことだけ口にした一も病室からいなくなると、今度こそ病室に一人になる。他に人の姿もないからか、一気に静寂さが病室内を支配した。

「ふぅ……」

 焔たちとしゃべっていたからか、数多は大きく息をつきながらベッドに倒れる。紅の力を手に入れようが焔が実の母だと判明しようが、言葉遣い等に気を付けて話さないといけない相手なことには変わりない。それがいなくなったことで、やっと落ち着いて息がつける。

 改めて数多は病室をぐるりと眺める。烈火が入院した時のような特別な病室とは異なり、数多がいるのは一般的な病院と変わらない、集団病室だ。ただ焔が気遣ったからか、周りに患者は一人もいない。数多は紅の中でもトップシークレットの秘密を抱え持っているのだから、このくらいの対応はして当然だと数多も納得する。

 それを確認し、数多は再びベッドに背を預ける。眠るかのように目を瞑り完全に身体の力を抜いたところで、数多は唐突に口を開いた。

「……いるんだろ、烈火」

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