第26話

 その頃、響矢と対峙していた数多も、自身の変化に戸惑っていた。

(この力は、いったい……)

 朧気な意識の中で正体を探ろうとしても、その答えは見つからない。叫び散らす響矢の声すら耳に届かないほどに、数多は思考の渦に呑まれていく。答えを探そうにも見つかる気はしない。ただ一つ……この力を使えば響矢に勝てることだけは理解できた。

 数多の変化に動揺を隠せなかった響矢もやっと落ち着きを取り戻していき、虚勢を張るかのように強く言葉を吐いた。

「……はっ! どういう原理で覚醒したかは知らないが関係ない! 血闘者としても俺より格下だということを教えてやるまでだ!」

 《武装》の刀を握り直すと、響矢は数多の強襲に備えるべく刀を構えた。今しがた力を手に入れた輩に負けるはずがない、そういう打算を込みとしてなお油断しないために響矢は、数多が取りうる動きを脳内でシミュレーションしていく。

 しかし響矢のシミュレーションは、全くの無駄となった。響矢はもちろんのこと、烈火、そしてその力を使った数多ですら、繰り出す技を予想できなかったからだ。

「――《命の創生》」

 ポツリと、何でもないかのような口調で、数多はその技の名を口にする。数多も知らない、直前で脳裏に浮かんだ技名を。たったそれだけの力が、戦況を変えた。

 変化があったのは数多自身ではなく、近くで水溜まりとなっていた大量の数多の血液だ。不意に光り出したと思えば、散り散りとなった血液が一つになるように大きくなっていく。やがて人間くらいの大きさの血液の塊が出来上がると、その形が変化し別の姿となる。

 その姿を形作る際、数多は意識して望む形にするほどの気力は残っていない。だから数多は無意識にその形を作り出した。その力の使い方は、烈火や響矢が使うのと似ているものだ。しかしその本質は、大きく異なるものであった。

 烈火や響矢が使う異能は、武器や手、弾丸など、無機物を元とした物体しか作れない。血という無機物に、命を吹き込むなど不可能だからだ。しかし、紅の力の枠組みから超えた力を有しているのが、他でもない数多だ。

《命の創生》――自らの血液に命を吹き込む、唯一無二の力であった。

 数多ですら知らない力を、響矢が知るはずがない。そして響矢が驚きを隠せない理由は、他の部分も関係していた。

「な、なんだその力は……⁉ 生体を作り出している、だと……しかもソイツ、烈火じゃないか……⁉」

 数多が作り出した烈火の分身を指差しながら、響矢は叫ぶ。その言葉通り、《命の創生》によって作り出されたソレは、烈火に似た姿をしていた。元が血で作られているだけあって全身真っ赤であるが、容姿や顔立ち、髪の一本に至るまで、まさに紅烈火と呼ぶに相応しい姿だった。

 血液が足りない状況でも気力を振り絞り、数多は烈火の分身の隣へと立つ。もちろん数多が作り出した烈火の分身は本物ではないし、言葉も介すこともできない。それでも烈火の隣に立てた、その事実は数多を満足させるには十分であった。

 そして戦闘は、唐突に再開された。烈火の分身が本人同様悪魔の手を作り出すと、響矢に向かって一直線で駆け出した。本人と遜色ないくらいの速度で迫ると、《悪魔の手》を用いて響矢を握り潰そうとする。

「くっ……⁉」

 もちろん無抵抗にやられるほど、響矢は甘くない。《武装》の刀で烈火の分身の攻撃を防ぐが、突進の勢いが強いからか後方へと押し出される。それでも烈火の分身によって命を脅かされることはなかった。

 だがそれだけの隙ができれば十分であった。

「……そこだ」

「しまっ……⁉」

 響矢が烈火の分身に構っている間に、数多が彼の懐に滑り込む。そして手に持っていた小太刀を、思いっきり響矢に向かって振るった。まだ武器の扱いに慣れていない数多に、急所を外すといった器用な真似はできない。ただ対象に向かって確実に当てることを意識した斬撃。それは響矢の右肘辺りを切り裂き、肘から向こう側を分離させた。響矢から離れた右腕は綺麗に宙を舞い、遠くで力なく転がっていった。

 その瞬間響矢は苦悶の表情を浮かべ、一旦距離を取る。傷口を押さえるが、とめどなく流れる血液が止まる様子はなく、血色の悪い血だまりを床に形成していく。一気に大量の血液を身体から失ったことで、響矢の顔色も次第に悪くなっていく。

「やってくれたじゃねぇか……だが小細工はもう終わりだ!」

 歯を食いしばりながら、決死の表情で数多を睨む。

「忘れたか……俺は紅殺しの秘儀、《吸収》を持っているんだ。例えお前がどれほどの力に目覚めようとも、それが紅の力に準ずるものであれば無力化できる! 結局俺が本気を出せば、お前なんかに勝ち目なんてないんだよ!」

 その言葉を体現するかのように響矢は残された左腕を前に突き出すと、《吸収》を使う。余分に床に散らばった数多の血液や、烈火の分身の一部など、視界に入る血液が響矢の身体の中へと吸収していく。

「あぁ、滾る、滾るぞ……俺の身体に大量の血液が……がふぁっ⁉」

 失われた血液を補充し、響矢は反撃に乗り出そうとする。だが唐突な吐血によってそれは叶わなかった。口を抑えながら膝から崩れ落ちた響矢は自身の体調を確認する。時間が過ぎれば過ぎるほど、身体が拒絶反応を起こしていき更に悪化していく。目を開ければ赤い吐しゃ物が血溜まりと同化し広がっていた。

「な、なんだ、これ……俺の身体が、血を拒絶している、だと……⁉」

 自分の身に何が起きているのかまるで理解出来ない響矢は、ボロボロの身体でそう呟くしかなかった。その疑問に答えるために、最後の手向けと言わんばかりに、響矢を壊した張本人が口を開いた。

「……赤宮の血液は、あらゆる人間に適用できるよう血の性質を変える、特殊な力を持つ。人間にはそれぞれ、身体に適応する血液型ってもんがあるからな」

 最初、数多もそう認識していた。そういう風に、周りからは聞いていた。しかし真相は違っていた。

「でもその認識は、少しだけ間違っている。赤宮の血は、あらゆる血の性質に変えることが出来る……例えそれが、人間の身体に対して絶対に適応することのない、特殊な性質だとしても」

「ま、まさか……俺が取り込んだのは……⁉」

 自ら答えに辿りつき、響矢は顔を真っ青にする。答えを知ったところで、響矢の詰みな現状は変わらないからだ。

「《不適応》……内側から人体を破壊する、赤宮の技だ」

 そう答える数多は毅然とした態度で響矢を見下ろしていた。覚醒した紅としての力ではなく、本来数多も認識している赤宮としての力。それを持って響矢を詰ませた。

 正直数多も一からこの技を教わった時、使い道があるのかどうかはわからなかった。それでもしっかりと吸収し、響矢の無力化に成功した。紅の力だけでは成しえなかった奇跡を、赤宮とのハイブリッドである数多は起こしたのだ。

 ここまで来れば数多がすべきことは一つだけだ。血まみれの小太刀を片手に、数多は倒れたままの響矢へと迫る。数多の隣には同じように烈火の分身が、《悪魔の手》を武器として追随してくる。

「ま、待て! 話し合おうじゃないか! 短絡的な行動は弱者の証だ!」

 ここぞとばかりに響矢はみっともなく命乞いをする。数多たちに対し威張り散らしていた過去の姿は、見る影もない。しかし数多の耳に、響矢の言葉は届かない。命乞いをするヤツに容赦はいらない、そう烈火の後ろ姿から学んだからだ。

「俺とお前が手を組めば、表世界も裏世界も牛耳ることだって……!」

「黙れ」

 これ以上、小汚い言葉を耳にしたくない。そう思った数多は、響矢に最期の言葉を告げた。

「身をもって知れ……これが紅に逆らうということだ」

 悠長な隙を与えることなく、数多の小太刀は響矢の心臓を貫いた。それと同時に烈火の分身も響矢の頭を木っ端微塵に砕き、人間としての形態を破壊した。血生臭い死体はポタリと地面に倒れると、中に溜まっていた血が地面に大きく広がった。しかしそれを見ても、数多の心が動かされることない。彼が感じるのは、途方もない疲労感だけだった。

 その証拠に響矢を始末したとわかると、数多は膝から崩れ落ちた。烈火の分身も役目が終わったからか、元の液体の姿に戻って血だまりと共に同化した。

「……さすがに血を使いすぎたか」

 顔を青くしながら、数多は苦しい表情でそう呟いた。いくら血液量に長けている数多とはいえ、この戦闘で血を消費しすぎた。特に《命の創生》はその力通り、生き物一つ分の血液を消費するため、一気に身体から血液が無くなった。今こうして立っていることすら、不思議に思うくらいに。

 だが限界を決め付け倒れてしまうほどの余裕は、今の数多にはない。

「烈火……!」

 身体を引きずりながらでも、数多は彼女の元へと向かう。今もなお倒れたままの烈火は、既に危篤な状態に入っていた。響矢との戦闘に加え、血液増強剤の副作用も回り始めている。早急に対応しなければ、烈火の命も最期を迎えてしまうところだ。

 烈火の元へと近づいた数多は、力を振り絞りながら烈火の身体を抱きかかえた。

「あ、また……?」

 そこでやっと、烈火も数多の接近に気が付いた。既に目が虚ろとなっており、今にも死にそうな顔をしていた。

「烈火、俺の血を吸え」

 そんな烈火にすべきことは、ただそれだけだった。数多は迷うことなく、己の身体を提示する。最初は抵抗感しかなかった吸血行為も、今となっては何の抵抗もなかった。

「ダメ、だよ……あまた、血、いっぱい使ったじゃん……ほんとうに、しんじゃうよ……」

 しかし烈火は貧血で回らない頭ながらも、数多のためを想いそう言葉にする。消え去りそうな意識の中でも、烈火は数多の戦闘から目を離さなかった。だからこそ数多が無茶をしていると気づかないはずがなかった。

 それでも数多は烈火の気遣いを汲み取りながらも、首を横に振った。

「気にするな、その程度じゃ死なないさ。俺は烈火に尽くすために、守るために生まれてきたんだ……だから、躊躇うな。躊躇う姿なんて、烈火には似合わないだろ?」

 屈託のない笑顔を無理やり浮かばせながら、数多はそう答えた。例え紅の力に目覚めようとも、数多の使命は変わらない。烈火のために闘い、烈火のために身を挺し、烈火のために命を賭ける。それこそが赤宮として生まれた数多の生涯の使命、数多自身、そう信じて疑わなかった。

 数多の言葉を聞いた烈火は力なく頷くと、ゆっくり数多の首筋に近づき、今も血が流れ出る首筋の傷痕に口をつけた。そしてゆっくりと数多の血を自身の身体に取り込み始める。

「そうだ、ゆっくり吸っていけ。遠慮なんてしなくていい。俺はその程度じゃ、死なないから」

 烈火が言う通りにしてくれたことに安心した数多は、優しく彼女の頭に手を置いた。絶対に口を離してほしくない、という想いもあるが、それ以上に烈火から離れたくないという単純な想いも数多の中にはあった。それほどまでに烈火という存在は数多にとって、憎むべき存在、嫌うべく存在から……愛おしいと感じる存在へと変わった証拠であった。

 その後、烈火の体調が安定するまで、数十分にも及ぶ時間、数多は烈火に血を吸われ続けた。無限にも等しい血液は底が尽きることはなかったが、精神的に限界を迎えた数多は、烈火に血を吸われながら静かに意識を失ったのだった。

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