第23話
一方その頃、襲撃を食らった赤星の病院は後始末に追われていた。破壊された箇所の修繕や患者の様態の確認など、やるべきことは山ほどある。しかしあくまでも紅家傘下の人間しか利用しない病院だったのもあり、事後処理の終わりの目途は立っていた。
ただ唯一、全く対応に手が回っていないところがある。烈火たちが暴れたことで、一番被害を出している最上階の病室だ。しかし焔の命令により、現在は限られた人間以外の立ち入りを禁止していた。
そんな中、赤崎早苗は病室に足を運べる数少ない内の一人であった。
「……」
しかしながら早苗の表情はどこか曇っており、心配そうに夜空を見上げていた。烈火以外のことで感情を表に出さない彼女にしては珍しい姿で、どうにも落ち着けないのか貧乏ゆすりが止まらない。ただ無理もない、彼女が仕える主がそばにいないからだ。
そんな早苗を見て、部屋にいたある人物がその姿を咎めた。
「落ち着きなさい、早苗。焔様のご迷惑になるわ」
「っ……申し訳、ございません。お母様……」
そう指摘をもらい、早苗は仰々しく謝罪する。頭を下げる向こうには、ベッドに腰を掛ける焔と彼女を支える一、そして焔の傍に仕えるように直立するメイドの姿があった。しかし当然のことながらただのメイドではない。その者は早苗からしたら、焔や一以上に逆らえない存在である。
そのメイドこそが『給仕』の赤崎家の現当主にして、紅家現当主である焔の身の回りを幼い頃から任された専属メイド、そして早苗自身の母である赤崎雅だ。早苗と同じくメイド服に身を包みながらも、当主としての威厳を静かに放っている。私情を挟まぬ粛々とした雰囲気は、早苗を静かにさせるのには十分すぎた。
「無理もないわ、雅さん」
しかしそれを見かねてか、焔も軽く制する。異能を使ったからぐったりとしているが、最低限の威厳は保っていた。
「あの子ったら起き上がってすぐに数多くんを追いかけに向かったのだもの。まだ身体も万全の状態でないっていうのに……烈火を大切に想う早苗さんが心配に感じるのは、何もおかしくないではないわ。あの子のことを思ってくれる子がいるだけで、私はとても嬉しいです」
「……その通りでございます。失言が過ぎました」
焔の発言に一切疑うことなく、雅は懇切丁寧に頭を下げた。早苗が烈火を最優先にしているのと同じように、雅もまた焔のことを一番に想っている。まさに焔至上主義と言わんばかりの従順さは周囲を度々引かせていた。長年近くで見てきた一も、相変わらずだと呆れた表情をしていた。
ただ今の早苗にとって、気にすべき問題は別にある。もちろん烈火のことだ。
「それで……烈火様は大丈夫なのでしょうか? 烈火様が負けるなんて可能性、これっぽっちも考えられませんが……」
心配そうな表情を隠そうともせず、早苗は数十分前の光景を思い出す。
数多を送り出して少ししたくらいで、気絶していた烈火が目を覚ました。最初は安堵していた早苗だったが、烈火に数多の行き先を伝えると話は変わってきた。早苗の制止も振り切り、烈火は数多を追いかけるべく病院から飛び出していった。先の戦闘でまた本調子から程遠いというのにだ。
ただそれでも、早苗の烈火に対する信頼度は異常ともいえるほどに高い。今まで数多くの現場についてきた早苗だが、烈火が貧血以外で倒れているところを見たことがない。それこそ先日数多を刺されて倒れたのが初めてと呼べるくらいにだ。それほどまでに烈火の強さというのを、早苗は無条件に信じ切っていた。だからこそ今回も、なんだかんだ無事で帰ってくれると、心のどこかで信じようとしていた。
しかし焔から返ってきた言葉は、今の早苗にとって聞きたくないものであった。
「大丈夫、とはとても言い難いわね」
それを聞いて早苗の顔が真っ青になる。焔は烈火の母親だ、当然のことながら誰よりも烈火のことをよく知っている。もちろん血闘者としての技量もだ。それ故に焔は同じ血闘者として、正当な評価を下した。
だが早苗の冷静さが失われていくのはここからだ。早苗の知らない真実が、焔の口からぽろぽろとこぼれていく。
「早苗さんが気づいているかどうかはわかりませんが、あのローブの男は赤霧響矢よ」
「なっ……⁉ 赤霧響矢です、って⁉」
感情を表に出さない早苗が、驚きで腰を抜かしそうになる。
「あの男が乱心した、というのですか⁉」
「正確には違う。赤霧家全体が乱心したのよ……今この状況で、誰一人として姿を現していないのがいい証拠ね」
事態は早苗が想像しているよりも何十倍も酷いものだった。事の大きさに理解が追いつかず、早苗の表情も固まった。
更にその事実の裏付けなのか、後ろでスマホを触っていた雅が焔に耳打ちする。
「……赤霧様と連絡が取れません。完全に裏切ったと考えて良いと思います」
「このタイミングで寝返るのは、本当に都合が悪いですね……いや、この状況すら赤霧の仕組んだシナリオ通りと考えるのが自然ですか」
「あの……いったい、何が起こって……」
母と焔が口広げる会話についてこれず、早苗はおろおろしてしまう。
「早苗ちゃん、落ち着いて聞いて欲しいんだ」
そんな早苗を案じてか、一がフォローに入った。
「赤霧は昔から何か企てていた。決定的な証拠こそ掴めていないけど、ずっと怪しいと俺たちは睨んでいた。不自然に赤霧の人間が不在になる時はあったが……まさかこれだけ大それたことだとは、思わなかったよ」
「その、何かというのは……?」
「……私たち紅を、この世から葬りたかったのでしょう」
早苗の問いに返したのは焔だった。真面目な話だったのもあり、焔の表情は一段と険しいものになっていた。
「同じ血闘者として、紅を鍛え、もしものためのバックアップなど、赤霧はいないと困る存在だった。それは今も昔も変わらないし、先代の当主はその使命を全うすることになんの疑問もの抱かなかった……でも代替わりすれば、信念なんて容易く変わる」
焔の手を握る力が自然と強くなる。やがて声色もより険しいものへと変わっていった。
「詳細な企みまではわかりませんが、何はともあれ彼らにとって紅が邪魔な存在であることは変わりありません。だから反逆の第一歩として、烈火に手をかけたのでしょう。情けない話、あの子がいないと紅の将来は危うい。私は全盛期が短すぎたからね……」
「そんなことありません! 焔様こそが歴代最高のご当主様でございます!」
「そう言ってくれて嬉しいよ、雅」
過剰に褒め称える雅に苦笑いしつつも、焔はその気持ちに感謝する。尊敬すべき主からの感謝の言葉に、雅の表情も誤差レベルで緩んだ。そんな母の様子に気付きつつも、早苗は今確認すべき問題を明確にする。
「……ならなおさら、烈火様が窮地に陥る理由がない、と思いますが……私の記憶でも、烈火様が赤霧響矢に負けたことなど……」
「普通であれば、そうでしょうね」
焔の表情が険しくなる。その視線は自然と烈火が倒れていた場所へと吸い寄せられる。
「ただ烈火は先ほど、赤霧響矢によって組み伏せられた。どのような力を持ってして烈火を封殺したのか、私もわかりません……わかるのは私たちすら知りえない力を、赤霧響矢が持っているということです。きっと私たちの知らないところで、非合法な力を手に入れたのでしょう。烈火はその、不明瞭な力にやられたと考えるべきです」
「そんな、なら烈火様は……」
膝から崩れ落ちた早苗が絶望に瀕したかのような表情を浮かべる。命よりの大事な主がいなくなってしまうかもしれない。今まで考えたこともないような未来が現実になろうとしており、早苗はついに泣きたくなりそうになる。
しかし早苗から漂う暗い雰囲気を払拭した者がいた。一だ。
「大丈夫だ、早苗ちゃん。何も問題はない……あの場には、俺の自慢の息子がいるからな」
見上の存在にも関わらず、早苗はあり得ないとばかりに目を丸くした。一もそのような反応をすると思っていたのか、苦笑している。
「赤宮数多のこと、ですよね? お言葉ですが……彼が赤霧響矢に敵うとは思えません。多少戦闘能力をつけたみたいですが、そんなのは付け焼き刃レベルです。烈火様ですら敵わない相手が、赤宮数多ごときに……」
「いえ、その心配はないですよ。一の言う通り、数多くんに任せれば、概ね問題ないでしょう」
「焔様、まで……」
更に不安要素を消し去るかのように焔が補足する。だがそれでも、焔が心配ないと言っても、早苗には数多を信じる要素がどこにもなかった。挙句焔までもがおかしくなったのか、とまで思ってしまう始末だ。
だがふと早苗は焔の傍に仕える、母の姿を見る。焔の言葉に異を唱えることは絶対にないのだが、それでも思うところはあるはず。そう予想していた早苗だったが、雅は表情をピクリとも変わっていなかった。
赤宮と赤崎、そして紅の現当主全員が、誰一人として赤宮数多を不安要素と数えていない。この現実に早苗は違和感を覚える。
「……何故、そこまで赤宮数多に期待するのですか? 私には、まるで理解できません……」
だからこそ早苗は聞いた、数多にそこまで信頼を置く理由を。聞かずにはいられなかった。
早苗の問いに、一たちは一瞬顔を見合わせる。しかし軽く相槌を打ち合うと、覚悟を決めたかのように早苗と向き合った。
「早苗ちゃんの気持ちも、わからなくはない。今の数多では響矢に勝つことは難しい……だが数多の本当の力が覚醒すれば、響矢を殺すのだって容易のはずだ」
「赤宮数多の、本当の力……?」
早苗の頭の中が、純粋な疑問で埋まった。早苗も知らない、赤宮数多の可能性の正体。ただその真実を知りたいだけの人間に変えられてしまった。
「……ここから先は、他言無用で頼む――」
そして一は、数多に関する秘密を早苗に告白する。その秘密は紅の中でも最重要であり、ここにいる3人を含め、限られた者しか知らない。数多本人ですら知らないトップシークレットを早苗はしっかりと耳にした。
「……えぇっ⁉」
早苗の素っ頓狂な叫びが病院中に響いた。それほどまでの真実が秘密にされていたが故に。
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