第21話

 驚く数多を前にしても、彼の前に立つ響矢の舐め腐った態度は変わらない。むしろ本当に正体を明かしたことで、態度や雰囲気の悪さがより露骨なものになっていた。

「何故って……別におかしいことじゃないだろ。ここは赤霧が別宅として所持している屋敷だ。赤霧家の次期当主である俺がいても、何もおかしくはないだろ?」

「は……赤霧の別宅って……」

 響矢の言葉に、数多は違和感を覚える。数多は早苗から掃除対象の屋敷として教えられた。しかもその情報は紅家にて『諜報』を担う赤池家からの情報だ。だというのに、あまりにも話が違いすぎる。嘘をついているのなら、普通に信じてしまいそうになるほどに。

「あぁそうか、お前や赤池の連中如きが知るわけがないよな……この屋敷の存在は、紅の人間どもも知らないからね。分家如きが真相に気付けるはずがないんだよ」

 響矢から吐かれる言葉にも、容赦というものがなくなっている。数多だけに限らず、他の分家すら見下しているその態度。烈火たち紅の人間に近しい力を持っているのもあって、周りを見下すのに清々しさすら感じた。

「……ってそんなことはどうでもいいんだよ!」

 今話すべき論点はそんなところではない。大声を張り上げながら、数多は響矢に詰め寄った。

「響矢……何故お前が、裏切ってるんだよ⁉」

数多は問うた、まだ敵か味方かわからない響矢相手に、その真相を確かめるためにも。

 数多にとって赤霧響矢は、どちらかといえば嫌いな存在だ。反りが合わなくともずっと好意的な態度だった烈火とは違い、響矢が好意的に接したことはゼロ。それでも烈火に対する恋心や紅への忠誠心など、外道でも見失ってはならないものはちゃんと持っていた。少なくとも裏切るようなヤツではないと、数多もすっかり信じ切っていた。

 しかし現実は全て、何もかも間違っていた。

「何故って……もちろんお前らの敵だからだよ」

「敵って……お前は、烈火のことが好きなんじゃないのか? 烈火に尽くしていくことが、生きがいなんじゃないのか⁉」

「おいおい、俺を赤崎の小娘なんかと一緒にするな。俺はアイツのようなトチ狂った信仰心なんて持ち合わせてないさ。これっぽっちもね」

 小馬鹿にするかのように、鼻で笑いながら響矢は答える。舐め腐った態度は相変わらずだが、嘘をついている様子はない。少なくとも数多はそう聞こえた、響矢の発言に淀みがなかったからだ。

「……俺があの場所で浮かべていた顔や言葉は、全て嘘だ。真っ白な部分なんてない、正真正銘の真っ黒だ」

 特に隠すこともなく、あっけなく響矢は白状した。名状しがたいほどに、清々しい様子で。しかし響矢の暴露はこれだけではなかった。

「この際だからはっきり言ってやる……俺は烈火のことも、紅家のことも、大っ嫌いだ。憎んでいると言ってもいい」

「うそ、だろ……?」

「この目が、嘘をついているように見えるか?」

 こればかりは数多も耳を疑った。響矢が熱心に烈火を口説く様子を、数多は一度だけ見たことがある。そのたった一度でさえも、響矢が好意を向けているようにしか見えなかった。それが嘘、つまり演技だというのだ。数多の中の当たり前が音を立てて崩れていく。

 だが響矢の表情を見れば、それも事実と頷ける。いつの間にか変わっていた、憎しみのこもった表情は、間違いのない本音であった。

「先に言っておくが、これは俺個人の暴走なんかじゃない。赤霧家全体の総意だ。赤霧の人間は、例外なく紅を憎んでいる」

「何で、だよ……そんな節、どこにも……」

 言葉を口にしつつ、数多は過去の記憶を掘り起こす。その記憶というのが、紅家屋敷にて数多を紹介するために行った会合のことだ。

 数多も当時は場の雰囲気に呑まれ意識していなかったが、響矢を含めた赤霧家は紅家に最も近い場所に座り、真剣な表情で当主である焔の話を聞いていた。その忠実さは言わずもがな、疑うところなどこれっぽっちもないと、数多は今更ながらそう感じる。

 しかし烈火に好意を抱くという嘘をつき続けた響矢がいる家系。数多の中で嫌な想像が出来てしまうが、それは概ね間違いではなかった。

「……紅家が存在する以上、俺たち赤霧が日の目を浴びることはない」

 口元を不機嫌に歪ませながら、響矢はふと語り出した。数多が知らない、その事実を。

「俺たち赤霧の役割は『指導』。血闘者としてのスペックで勝てるはずもない紅家の力を最大限引き出すため、血の制御に長けた俺たちが指導しなければならない。そのために、そのためだけに、俺たちはいる」

 ここで初めて、数多は赤霧の役割の意味を知る。初めて響矢と会った時は、その後のひと悶着のせいで完全に頭の片隅へと追いやられていた。

「だがそんなのはあくまでも、建前に過ぎない。紅の血闘者は総じて、血のコントロールが終わっている。烈火はもちろんのこと、紅焔でさえ若い頃は制御を難としていた。そんな状態で指導なんかやってみろ……俺たちは体のいいサンドバックなんだよ」

「サンドバックって……」

言葉を選ばない響矢に、数多は少しばかり引いた。しかし変わらず響矢が本気で言葉にしていること、烈火ならやりかねない想像が容易にできてしまったことで、数多も真っ向から否定出来なかった。

「俺も烈火からよくサンドバックにされた。死を覚悟した回数なんて、当の昔から数えるのを止めた。そんな相手に恋愛感情を抱く? バカ言え……殺したくて仕方なかったさ」

 過去の悔しさを隠しきれず、響矢は爪が食い込むほどに手を握る。その悔しさは想像できるものでないのか、響矢の手からポタリと血がこぼれ始める。それに一切痛みを感じていない様子の響矢を見れば、数多も理解できる。その程度の痛みなど、蚊に刺されたようなものであることに。

 こればかりは数多も反論できない。かくいう数多も昔は、響矢ほどではないにしろ似たような感情を抱いていたからだ。今でこそ考えを改めたが、敵であるはず響矢に共感してしまう。

 だがそれだけが、響矢が、赤霧が敵として翻す原因には成らなかった。

「そんな地獄のような想いをしても、俺たちが活躍することはない。俺たちはあくまでも紅の指導役にして、最悪の場合の代替品。紅という絶対的な存在を前に、俺たちは首を垂れるしかなかった……だがそんなクソ現実を受け入れるほど、俺たちの心は広くない!」

 強い意志を示すかのように、響矢は高らかに宣言する。その威勢の良さは数多に近しいものがある。ただ一つ決定的な違いがあるとすれば、響矢の背後には負のオーラが漂っていた。

「俺たちが、赤霧こそが最強の血闘者の集まりだ。それを証明するために、俺たちは反旗を翻した。その手始めに、次期当主の烈火を始末しようとしたんだよ……ま、邪魔が入ってお預けを食らってしまったが」

 吐き捨てるかのように響矢は自嘲する。それが数多に向けた言葉であることは、数多にも理解出来た。だからこそ数多は感情の昂ぶりを無視することなく激昂する。一度は嫌った烈火を尊敬するほどに見方を変えられた者として。

「ふ、ふざけてやがる……そんな自己顕示欲のために、お前は烈火を殺そうというのか⁉」

「そうだが? 逆に聞くが……烈火を殺すことの、何が間違っている?」

 数多の熱さと響矢の冷酷さが真っ向からぶつかり合う。もちろん両者とも、後に引くなんて選択肢は消え去っていた。

「アイツは今まで、多くの人間を殺めてきた。確かに俺の目からしてもクソみたいな連中ばかりだったが、殺したという事実は変わらない。それにアイツの性格を考えてみろ……ただの快楽殺人鬼のようなもんだろ?」

「違う! 烈火は言ったんだ……この役目は誰かがやらなくてはならないと。例え人として間違っていたとしても、それで烈火が殺されていい道理には、ならないだろ‼」

「なるんだよ! 俺だけは許されるんだよ! 俺は昔から決めていた……今まで飲まされてきたこの苦渋を、烈火にも味あわせてやると! それまで俺は死ねない。死んでも死にきれねぇ!  そのためだけに、今まで命を繋いできたんだよ!」

 互いの主張がぶつかり合い、平行線のまま結論は定まらない。それほどまでに二人の中には、譲れない信条が魂まで根付いているのだ。しかし主張のぶつけ合いも、すぐに終わりを告げる。

 埒が明かないと判断したのか、響矢は数多と距離を取る。そしておもむろに右手を下げると、《血の焔》を宿らせ、一瞬にして赤黒い異質な刀が姿を現した。もう一つの血闘者の一族、赤霧家のお家芸武装だ。

「これ以上御託を語るというのなら、お前から殺してやる……お前を殺すのに、手を患うことなんてないからな」

 相変わらず響矢の口は軽く、数多を嬲るように嘲笑う。しかしその目に感情はなかった、今から死ぬ相手に感情を抱くなど、無駄であるからだ。目を見ればそう言っているように、数多も見えた。数多もむざむざと死ぬ気はないが、勝機があるわけでもない。苦しい状況に差し掛かり、数多の額には脂汗がにじんだ。

 しかし数多も背を向けられる状況ではない、それに響矢に背を向けたくはない。その想いを胸に、数多は懐に隠した小太刀に手をかけた。

「それは……許されない、かな?」

 そんな時だった、聞き馴染みのある女性の声が聞こえてきたのは。その声は、数多と響矢しかいない隠し部屋によく響いた。そして次の瞬間、隠し部屋の唯一の扉が吹き飛んだ。綺麗に宙を舞ったそれは、鈍い音を響かせながら遠くに落ちた。

 数多と響矢が扉の破壊現場を注視する。そこにいたのは一人の少女。可愛さと美しさを兼ね備えた、とても物的破壊とは無縁な少女。だが彼らは知っている、その少女よりも狂暴な人間などこの世に存在しないことを。その証拠に彼女の背中には、禍々しき赤き手が顕現していた。

「烈火っ⁉」

 思わず数多は張り裂けるような声で、少女の名を呼んだ。裏世界最強の掃除集団、紅家次期当主、紅烈火の名を。

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