第19話

 一からの連絡を受け病院へとやってきた数多たちは、真っ先に烈火のいる病室へと向かった。黒く立ち昇る煙や、混乱する院内の人間の様子など一切気にすることはなく、ただただ真っすぐと目的地へと急ぐ。

 烈火がいるのは病院の最上階、12階にある特別な病室だ。紅本家の人間が入院した際にしか使わない病室で、豪華な装飾で彩られた特別な領域であった。しかし今回ばかりはその特別性が仇となり、向かうことすら時間を要した。

 そして二人がやっとの思いで病室に入った時には、既に危険な状況に陥っていた。室内は完璧に荒らされ、壁や床には血と思われる赤い液体がそこら中に付着していた。確実にひと悶着あった後だというのは、目に見えて明らかだ。

 ただそれ以上に気にすべきことは、部屋の中にいる存在だ。黒ローブを深くかぶり容姿が判断できない怪しき男は、手に赤い刀を携え、悠然な態度で構えていた。そしてその刀の切っ先には、顔を青くして気を失っている、自らの命よりも大事な存在が倒れていた。

「――烈火‼」

「烈火様っ⁉」

 それを見た瞬間、二人ともの顔が青くなり悲痛な声色で声を上げる。守るべき存在が倒れていることが動揺に繋がっているが、やはり何よりもその事象自体に驚いていた。烈火という存在が、どこの馬の骨かもわからない存在に屈している、その光景そのものに。

 烈火の前に立つ存在に立ち向かおうとする数多と、今すぐにでも烈火の元へと駆け寄りたい早苗。二人ともが烈火のために動きたいと考えるが、敵の存在が二人の行動を止めた。実質的に烈火を人質に取られているようなものだ、動きたくても動けなかった。

「いいタイミングで来たな……今からコイツを殺すんだよ」

「コイツ……⁉」

 明らかに優位な存在に立っているだけあって、男の態度が崩れることはない。むしろ二人が烈火よりは格下だと認識しているのか、煽るような口調で攻め立てる。それに数多が過剰に反応し、早苗も表面には出さないが怒りに燃える。だが二人ともの戦闘力が未熟な上に、烈火を人質にされている。下手に動くような真似は出来なかった。

 だが男は一つ、大きなミスを犯していた。それは烈火を、本来であれば勝てない相手を、殺せる状況で殺さなかったことだ。

「――貴方ね? 病院を襲撃した首謀者は」

 カン、と杖を鳴らす音が、病室を静まらせる。三人の間を割って入るように、凛とした声が代わりに響いた。たったその一言だけでも雰囲気を掌握してしまうほどの威圧感は、敵からしたら脅威以外の何物でもない。しかし味方からしたら、これ以上にないほど心強いものとなる。

「焔さん!」

「焔様……!」

 耳に残る声をしているだけあって、数多と早苗は後ろを振り向く。そこには杖を突きながらも貫禄のある佇まいをした紅家現当主、紅焔の姿があった。その後ろには一の存在もあり、焔のことを支えていた。

「紅、焔……」

 初めて男の声が苦しくなり、みるみるうちに顔が歪む。烈火という存在を知っているだけあって、男はもちろん焔の存在も知っている。烈火よりも脅威な存在であることなどなおさらだ。

 しかし男が何か言葉にするよりも前に、焔は淡々と質問をぶつけた。

「……私の娘に、何しようとしているのかしら?」

 刀を向けられている娘の姿を見ながら、焔のナイフのような目つきが男に突き刺さる。それに一度は怖気づくものの、逃げ道もないことは男も理解している。だから男も自らの体裁を保つように、その事実を伝えた。

「はっ、見ればわかるだろ……今からこの女を処分するんだよ!」

 焔に対しても変わることのない態度に、焔以外の人間全てはギョッとした目をした。裏社会最強の紅家、その現当主に喧嘩を売ることがどういうことなのか、数多たちは考えたくもなかった。一もそういった機会が何度か目にしたことがあるのか、珍しく顔を引きつらせていた。

 そして当の本人はというと、煽られていることを自覚しながらも、己の中で考えをまとめる。予定が確定へと、変わってしまった。

「……そう」

 焔の顔から表情が消えた。目の前の男を見る目に、感情も覇気もない。それこそ道端に転がる石ころを見ているかのような、興味のない目だった。

「なら消えなさい――きれいさっぱり、最初からいなかったかのように」

 冷酷に、淡々と、焔は男の存在を否定する。そして一瞬にして豹変した焔の真紅の眼は、多くの者を身構えさせる。《血の焔》――説明不要の、死の合図だ。

 その瞬間、病室に破裂音が響く。しかしそれは一回ではなく、六回。その数だけ焔の背中から不気味な赤い手が出現し、主の身体を纏うように周りに構える。その姿はまるで、六本の腕を操る仏教の守護神、阿修羅そのものであった。

 焔が使ったのは、娘である烈火も得意としている《悪魔の手》。しかし焔は、それを同時に六本に顕現させ、自在に操ることが出来る。その迫力は烈火と比べるまでもない。紅家現当主として相応しい姿であった。

 これには数多は当然として、早苗ですら驚きで目が離せなくなる。娘が優秀な上、自身の身体が弱いのもあり、早々と血闘者から引退した焔。だが決して弱いわけではない、瞬間的な破壊力であればまだ烈火は焔に敵わないのだ。数多や早苗が驚く中、驚かないのはいつも近くで見てきた、助手の一だけだ。

 そして驚いているのは数多たちだけはない。焔と対峙する男もまた、焔の力に身構えていた。烈火に対しては強気だったが、自身の力を過信するほどの愚か者ではなかった。

「……やはり勝ち目がないな。仕切り直すしかない」

 故に男が選択したのは、逃走であった。焔に対して背を向けることなく、男は焔から距離を取り窓際まで逃げ込んだ。だがもちろん、それを許すほど、焔は恩情な人間ではない。

「待ちなさい」

「待ちませんよ……死にたくないのでね」

 焔の六本の《悪魔の手》が男へと伸びていく。殺意のこもった鋭い手が男を殺さんと襲い掛かるが、それを容易に受け入れるほど男も間抜けではない。

 窓の柵にもたれかかると、男はそのまま背後に倒れそのまま落ちていった。病院の最上階、12階という高さは人が死ぬには十分なものだ。だが耳障りな音が聞こえてくることはなかった。数多が窓際に駆け寄ると、小さくはあるが男が逃げていく姿を捉えた。何故あの高さから生きていられるのか、不思議に思う数多であった。

「烈火様っ⁉」

 しかしすぐ現実へと引き戻される。邪魔者がいなくなったことにより、早苗が我慢できずに烈火の元に駆け寄った。

「烈火‼」

 数多もすぐに烈火の元に駆け寄り、彼女の様態を確認する。数多や早苗の呼びかけにも反応することなく、顔も血の気がなく青いままだ。大丈夫でないことは、誰の目からでも見て取れる。

「……大丈夫よ。血を使いすぎたのでしょう。貧血になっているだけだわ」

 そんな二人を心配させまいと、焔は烈火の症状を断定する。身に覚えがあるのか、はたまた実体験なのか、焔の口調ははっきりとしたものだ。烈火の母親が言うだけあって、数多たちも少し落ち着きを取り戻した。

 すると焔は数多に話があるのか真っすぐと捉える。その目つきが和やかなものでないだけあって、数多も肩に力が入りつつも焔と向き合った。

「それよりも数多くん、あの者を追いなさい。赤星の病院を襲撃し、あまつさえ烈火に手をかけようとした。そんな存在を、野放しにするわけにはいきません」

「……その通りですね」

 口調は変わらずとも、焔の声色は険しいものであった。その言葉通り、紅の地を荒らされただけあって、焔からはそこはかとない怒りが伝わってくる。烈火が襲われたのもあり、数多も同じ気持ちだ。

 ただ数多も、ただ反射的に返事をすることはなかった。

「でもどうやって……手がかりすらないっていうのに」

 追え、と言われても、数多には男の情報がない。逃走先のアテもないのに、男を探し回るのは愚策に等しい。時間も着々と過ぎているだけあって、男との距離も離されたことだ。数多の中では、状況はかなり詰んでいると考えるしかない。

 しかし焔も、何の策もなしにそのような命令を下したわけではない。

「問題ないわ。それを辿れば行けるはずよ」

 そう言いながら、焔は床を指差す。そこには小さな赤い液体がそこら中に散らばっていた。更によく見るとそれはどこかに続いているかのように、一筋の点線となって外に伸びていた。

「烈火との戦闘からかはわかりませんが、彼は出血していた。その血の跡を辿れば、隠れ家くらいは特定できるはずよ」

「それなら……いけるのか」

 数多も納得して頷く。血痕がどこまで伸びているかはわからないが、確実に途中までなら追いかけられる。それだけならある程度の行き先を絞り込めるので、数多でも追跡が可能だ。

 しかし数多の中にはもう一つ懸念点があった。あの男を追いかけるためには、当然のことながら病院から出ないといけない。だが今数多がいるのは最上階である12階だ。下りるのに大幅な時間ロスが確定しているため、数多は恨めしそうに廊下の方を見る。

「それに……すぐ下に下ろしてあげられるわ」

「……へ?」

 焔の意味深な言葉に、数多はつい気の抜けた声が出る。すると焔の周りを纏っていた《悪魔の手》たちの動きが止まる。どことなく数多の方を向いていそうな気がして、数多も冷や汗が噴き出る。

 しかしその嫌な予感は間違いではなかった。そのうちの一本が数多の方に伸び、しっかりと数多の方を掴む。そして残りの五本は力強く拳を作ると、躊躇なく病院の壁を貫いた。地を轟かせるような破壊音と共に壁や窓が砕け散り、大きな穴が病室に出来上がる。夜の肌寒い風が、背筋を這うように数多へと伝わってきた。

 そして最後に、数多を掴んでいた《悪魔の手》は、無造作に数多を放り投げる。12階という、人が死ぬには十分な高さから、容赦なくだ。

「う、うわぁぁぁぁぁ⁉」

 数多もこの展開を予測できず、腹の底から叫び声を上げた。しかし数多が落ちていく先には大きな大木があり、その木に引っ掛かりながら地面へと着地した。耐え難い激痛が身体に響くが幸いにも動けないほどの怪我を負うことはなかった。焔もこの木の存在を知っていたからこそ、このような大胆な手を取ったのだろう。

「くっ……!」

 数多を瞬時に外へと移動させた焔であったが、やがて苦悶な表情を浮かべ、その場に崩れ落ちる。禍々しく顕現していた六本の《悪魔の手》も霧散して消え去った。身体が弱く現役の血闘者を退いている焔の限界がやってきたのだ。

 焔の様態の急変に、一はそばに駆け寄る。すると焔がいつものことと言わんばかりに手を上げると、一もそれ以上過保護に構うことはなくなった。

「数多!」

 焔から離れることなく、一は遠くにいる数多に大きな声で呼びかける。

「俺は焔を見なくちゃいけないし、早苗ちゃんは烈火ちゃんの応急処置をしなくちゃならない! 頼れるのは数多だけだ……あとは任せたぞ! 絶対にぶっ潰してこい!」

 優しき一の口から放たれたとは思えない、感情100%の言葉と共に、数多に再度命じた。身体の弱い焔の手を煩わせた。それだけで一も男を許せなくなった。その気持ちは、数多とて同じだった。

「――わかってるよ!」

 父の想いに応えるように、数多も大声で返事をする。そしてそのまま病院の敷地から出て、血痕を追いかけていく。人間離れした常識外れの力はないからか、血痕は道を沿うように続いていく。それを追いかけていけば、いずれ男の元へと辿り付くはずだ。

「血痕があっても、足がなきゃ追いつかねぇよ……」

 しかし数多には時間がなかった。血痕があるということは、男は少しばかりは手負いの状態だ。早めに追いつかなければその傷を癒されてしまうかもしれない。そうなれば数多が不利に立たされるのは必然となる。それだけは避けたいところであった。

「赤宮っ!」

 その時、けたたましいクラクションと共に数多を呼ぶ声が響いた。猛スピードで病院に近づく一台の車を視界に捉えると、数多の表情に余裕が生まれた。その車が見覚えのあるものであったからだ。

 数多の近くで急ブレーキを踏むと、運転席の窓から顔を出した。『運び屋』の赤谷家の人間である、赤谷太一だ。

「これどうなってるんだ⁉ なんで病院が襲撃されて……⁉」

「太一さんか! ちょうどいいところに……!」

 もはや狙ったかのような登場に、数多は歓喜の笑みを浮かべる。そのまま太一の了承を得るよりも前に車に乗り込んだ。

「赤宮っ、だから説明を……」

「烈火が殺されかけたんだ! その犯人を捕まえるために、血痕を追ってください!」

 時間もないため、数多は簡潔に自体を説明する。全てを説明したわけではないが、その説明で太一の目は大きく見開く。お嬢と呼ぶほど慕っている烈火が襲われたと聞いて、太一の中の数多に対する怒りは吹き飛んだ。

「それを早く言え‼」

 怒声を上げながら、再びハンドルを握る太一。その視線の先には、地面に垂れた血痕しか写っていない。地獄の果てまで追いかける、そのような強い意志が目だけで伝わってきた。

「しっかり捕まってろ! 法定速度ガン無視で追いかける!」

「はいっ!」

 人が変わったかのように口調を荒げる太一は、思いっきりアクセルを踏み込んだ。車は急発進し、一切の迷いもなく猛スピードで血痕を追いかけた。数多も車の椅子にしがみつきながら、逃げることなく前方を向く。

 烈火を負かすほどの相手にどう勝つのか、そんな小難しい考えは今の数多の頭にはない。ただ見つけ次第全力でぶん殴り、烈火の仇を取る。それだけの単純思考しか持ち合わせていなかった。

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