第18話

 数多たちが一からその知らせをもらっている頃、病室のベッドに横になっている烈火は、退屈そうに外を眺めていた。綺麗に夜空を彩る星々をその目に焼き付けても、烈火の心が躍ることはなかった。

「……つまんないなぁ」

 たった一つしかない、大きさも十分にあるベッドの上で、烈火は生気なさげに呟いた。紅家の重要人物というのもあり、病室は個室だ。だがそれ故に人と接する機会は皆無に等しく、烈火のテンションも急転直下で沈んでいく。

 現に入院してから対面した人間の数は片手で数えられるほどだ。巡回の看護師を除けば、母であり現当主の焔とその助手の一、烈火自身のそば付きメイドの早苗くらいだ。

「……数多も来ないし」

そしてその中に、烈火が今一番気になる存在である数多の姿もなかった。彼の父である一に聞いても、絶対に知っているはずの焔に聞いても、答えをはぐらかされてばかりだ。病室に閉じ込められているストレスもあり、烈火のフラストレーションはかなり溜まっていた。

 かくいう烈火もあの日……数多と腹を割って語り合ったあの日以降、数多に対する考え方が変わった。だからあの時、謎の人間に襲われそうになった瞬間、突き飛ばしてでも彼を守った自分の身を犠牲にしてでも。どう考えても数多を盾にした方が都合のいいはずなのに、そうせずにはいられなかった。

 だからこの退屈過ぎる時間も、数多がいれば退屈せずにする。そう算段していたのだが、全て台無しとなった。

「あーもう! つまんないよー!」

 誰もいないのもあり、烈火は体裁を気にすることなく騒ぎまくる。夕方に差し掛かり大声は迷惑になりそうであるが、大声を上げて文句を言いに来る人間など誰もいない。何せ紅家の次期当主なのだから。

 そんな風にストレスを爆発させ、今にも暴れ出しそうな烈火。我慢ならないと烈火はシーツをはぎ取り、ベッドの中から這い出ようとした。そんな時だった……鼓膜を突き抜けるほどの爆発音と地響きが病院に響いたのは。

「――なにっ⁉」

 さすがの烈火もただ事ではないと察し、ベッドから飛び上がる。すぐさま病院内に警報音が鳴り響き、異常事態であることを知らせる。烈火もこの音の存在は知っていたが、今まで聞いたことがなかった。紅家を襲撃しようとする自殺志願者など、いるはずがないと思っていたからだ。

 だが爆発音が起きたという事実は変わらない。今もその余波で、病院内が異様な騒がしさに包まれている。その賑わいは隔離にも近い烈火の個室にまで聞こえていた。

「騒がしい……いったい、何が起きて……?」

 そう言葉にするだけで、烈火は状況を読み込めなかった。柄にもなく調子が狂ってしまい、視野が狭くなってしまう。故に「ソレ」に気付くのに、時間を要してしまった。

「――キミの最期を彩るには、相応しい演出だと思うよ」

「……っ⁉」

 聞き慣れない声が病室に響く。そのような感覚に襲われるほど周りが見えずにいた烈火は、急いで声の方を向く。すると風を通すために開いていた窓に腰かけるように、その者が悠然と烈火を見つめていた。全身を隠すほどの黒ローブに包まれているため、何者かすら判別がつかない。

ただそれでも、動揺していたとはいえ、烈火がその者の侵入に気づけなかった。それだけで烈火も本能的に警戒心を強める。

「……だれ、貴方は?」

「俺か? 俺が誰かなんて、どうでもいいことじゃないか」

 烈火の問いに対し、はぐらかすように言葉を返す男。気を取り直した烈火を前にしても、その悠然とした態度を改めることはない。むしろ吐き出される言葉からは、余裕のようなものまで感じられる。

「紅烈火……君はここで死ぬのだから」

 その理由は至って簡単、その男が烈火よりも優れていると信じて疑っていないからだ。紅家次期当主にして、『真紅の狂戦士』の異名を持つ最強の血闘者である、紅烈火を前にして。

「……へぇ、言ってくれるじゃん。どこの誰かは知らないけど、そっちも死ぬ覚悟が出来てるってことだよね?」

 これには烈火も、黙っているわけにはいかなかった。烈火の名を知り、紅の息がかかった病院を襲撃するということは、必然的にその内部を知っているということに等しい。すなわち烈火の力も知っていても不思議ではない。

 だからだろうか。烈火が静かに、怒りを覚え始めた。今の烈火の表情からは、絶対に目の前の男を殺すという強い意志が伺える。長い時間暴れられなかったストレスもあり、理性のストッパーはいとも簡単に外れてしまった。

「遠慮はしない……烈火はただ、危険分子を掃除するだけだから」

 カチッと、スイッチが切り替わるように烈火の瞳が赤くなる。それと同時に背中に力を籠め、禍々しい色のした赤黒い第三の手を顕現させた。烈火が使う異能の一つであり、彼女が最も扱いを得意としている《悪魔の手》だ。

 入院しているとはいえ、全快とはいえないとはいえ、力を全く使えないわけではない。数日前に倒れたとは思えない溌溂とした姿で《悪魔の手》を動かし、その手を大きくさせていく。《悪魔の手》の標的は、言うまでもなく男だ。その男の頭を砕くために、烈火の《悪魔の手》は光のような速さで伸びていった。

「それは……聞けない相談だね」

 しかし男はそんな非日常的な力を前にしても、怖気づくことはなかった。むしろ想定通りの展開なのか、かすかに見える口元が笑っていた。そして間もなくして、烈火すら予期しない不思議な事象が発生した。

烈火が操っていた《悪魔の手》が、忽然と霧散したのだ。まるで最初から何も起きていなかったかのように、病室は静寂に包まれた。

「……え?」

 その光景を目の当たりにした瞬間、烈火の頭の中が真っ白になる。あまりのことに表情から余裕が消え、珍しく動揺を隠せないでいた。

「な、なんで? どうして烈火の力が……⁉」

 わけがわからないと、烈火は頭を抱えて嘆いた。ハンマーで殴られたかのような強い衝撃に、烈火は膝から崩れ落ちた。

 烈火の力は多少の代償は伴うものの、それに見合った強大な力を持つ。一般人を殺めるのにはあまりにも大きすぎるが故に、今まで力を使って負けたことはない。無論、無効化にされるなど持っての他だ。

 それなのに今、そのあり得ない現実が目の前に舞い降りた。しかしそれすら予定調和と言わんばかりに、目の前の男は変わらぬ余裕さを見せつけ、烈火を嘲笑う。

「無駄だよ。何度やっても、君の力は俺には届かない。それとも……君にはそれしか芸がないのかな?」

 誰が聞いても露骨に聞こえる挑発。烈火を知っている者なら、誰しもが口にしない危険な言葉を、男は堂々と発する。現在の状況が、烈火の力が上手く発動していないこの状況が、男の態度の大きさを後押しする。

「そんなわけが……!」

 それに反応しない烈火ではなかった。煽られているとわかっていても、烈火は怒りの衝動を抑えきれない。腹の奥底で湧き上がる怒りの炎は、可視化できるくらいに大きく燃え盛った。

 そこからの一手は非常に早かった。《悪魔の手》の顕現によって傷が出来た背中から、大きな血の塊を出現させた。《血龍の吐息》――烈火が使う力の一つで、一撃の重さと確実性に重きを置いた技であった。

 男に悟られるよりも前に、烈火は《血龍の吐息》を発射。目にも止まらぬ速さで男へと向かっていったが、これも不思議なことに空中で弾けるように消えていった。

「クソッ! クソクソッ‼」

 男の憎たらしい笑顔が目に入ったのもあり、烈火の語彙力も消失する。止まらない怒りが後押しとなり、烈火はやけくそ気味に最後の大勝負に出る。烈火が使う最強の殲滅技血龍の咆哮。《血龍の吐息》よりも小さな血塊が大量に出現する。男の背面以外の全方向を血塊で固め、逃げられないように包囲した。こうなってしまったら誰が相手であろうと、普通は死を約束されるものだ……普通であれば。

「本当に……本当に、芸がないよ。紅烈火」

 絶体絶命の状況の最中、男はまだ笑い続けた。例え烈火から不気味な手が現れようと、無数の血塊を出現させようと、余裕で塗り固められた化けの皮は剥がせられない。

 その証拠に、男は変わらぬ態度で烈火の前に立ち続ける。その態度が気に食わないのか、烈火は遠慮なしに《血龍の咆哮》を叩き込む。意志のような固さを持つ血塊が、男を射抜かんとばかりに真っすぐに飛んでいく。

 しかしそれを持ってしても、男の命を刈り取るには至らなかった。男に向かって発射された無数の血塊は、男に着弾する前に全て霧散した。烈火の最大火力を用いても、男に傷一つつけられなかった。

「こ、この……⁉」

 もはや自分の力ではどうしようもならない。そう察した烈火は肉弾戦に持ち込もうとする。烈火とて異能に頼るだけの血闘者ではない。いかなる状況でも相手を組み伏せる術は持ち合わせている。

 しかし一つだけ烈火も失念していることがある。それは異能による血液の激しい消費だ。ただでさえ血液を多く使用する異能を、彼女は惜しみなく使用したのだ。加えて今の烈火は体調も万全ではない。電池切れのように膝から崩れ落ち、ピクリとも動かなくなる。

「このくらいなら……」

 その隙を伺い、男はやっと自発的に烈火に近づいた。力を使い果たし、倒れていることしかできない烈火にだ。そのまま烈火の腕を取り、容易に動かせないよう力強く組み伏せる。女性相手にも容赦しない強い締め付けは、烈火の表情を歪ませる。

「君の体調が万全でないのは好都合だったよ……本調子の君には、絶対に敵わないからね!」

 烈火が抵抗できないのをいいことに、男の態度はより強気なものとなる。声色も調子の乗ったものへと変わっていくが、烈火相手に手を抜くことはない。今も烈火の動きを更に縛るために、彼女の右肩の関節を意図的に外した。

「があぁっ……⁉」

 これには我慢できず、烈火はうめき声を上げる。まだ刃物で斬られた方が、刺された方がどれほど楽だったか。それすら考える余裕もないほどの激痛が彼女の右肩を襲った。男の存在を忘れそうになり、右肩を押さえずにはいられなかった。

 脱臼による激痛で抵抗する意志が消し飛んだ烈火。ただそれすら見抜いた男は、離れても問題ないと立ち上げる。さっきまでの余裕な表情は消え去り、冷酷な表情で烈火を見下す。まるでこれから処分する生ごみを見ているかのような、地を這う冷たさが男の目から発せられる。

「せめてもの恩情だ。一思いに殺してやるよ……!」

 戦闘不能な烈火相手に油断することなく、男は迅速に殺しにかかる。何も持っていない右手を横に上げると、服の袖から刀のようなものがゆっくりと姿を現す。とても服の中に隠し持てる大きさではない刀であったが、烈火はそこに驚かない。彼女が着目したのはその刀の色……普通の刀と感じさせない、赤黒い刀身をした不気味な刀。男の刀に既視感を覚えずにはいられなかった。

「そ、その力は……」

 だがその真実を口にするよりも前に、烈火の身体に限界が訪れ、糸が切れたかのように崩れ落ちる。気を失っているのもあり、烈火に抵抗する力はなくなった。最強の存在である烈火を殺すには、またとない機会だ。

 だから男の中にも、迷いはなかった。袖から姿を出す刀を大きく振り上げ、入念深く狙いを定める。狙いは烈火の心臓。確実に殺すために、男は全力を持って刀を振り下ろそうとし……串刺しにする直前でその手を止めた。遠くから足音のようなものが、男の耳に届いたのだ。

「……ちっ、もう現れたか」

 小声で嘆くが、こればかりはどうしようもない。そう男が割り切った時には、病室の扉は力強く開かれる。気を失っている烈火が、今一番会いたい存在が必死な形相で飛び込んできた。

「――烈火‼」

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