第16話

 それからしばらくして、二人は閉じ込められていた部屋から解放された。帰還があまりにも遅いことを危惧した早苗たちが、数多の予想通り応援を寄越してきた。とはいえ烈火たち紅家や響矢が属する赤霧家以外の分家に、武闘派集団と呼べる存在はいない。故に寄こされた応戦は、完璧ともいえるバックアップだ。

 屋敷内のセキュリティやライフラインの一時的な断裂、使用人たちに流れる裏情報など、一時的にパニック状態に陥る屋敷。その隙を狙って二人は一旦屋敷からは脱出した。この混乱に乗じて対象を捕捉しようと提案する烈火だが、数多が全力を持ってそれを制した。

 やっとのことで外に出ると、既に日は沈みかけ夜になろうとしていた。時間のせいもあってか人の姿はなく、来た時同様に基本的には静かであった。屋敷内で騒ぐ声だけが、二人の耳に入ってくる。

「たく……ひどい目に遭った」

「そだね~結局大した情報は得られなかったし、対象もお掃除出来なかったよ~」

 アハハと乾いた笑みを浮かべ、烈火も少しばかりは落胆する。その落胆がどういう意味なのかすぐに理解出来てしまった数多は、烈火の相変わらずさに苦笑する。

「でも個人的には……結構楽しかったよ。数多のこともいっぱい知れたし!」

「……そうか。俺も有意義な時間になったよ」

 来る前はあらゆる不安を抱えていた数多だったが、今は清々しい気分で立っていられる。それも全て、烈火との対話のお陰だった。数多にとってあの対話こそが、今回の任務においての最大の収穫だと胸を張って言えた。

何はともあれ、やるべきことは済んだ。報告をしなければならないが、やっとのことで帰れる。烈火と心を通わせたのはいいが、やはりそちらの意味での安堵は非常に大きかった。早苗たちの迎えを待つ数多の心は、ここ最近の中で一番落ち着いていた。

間もなくして、遠くから見覚えのある車がやってくる。もちろん太一が運転する車だ。だが少しばかり様子がおかしい。具体的には一般的な街中を、法定速度を完全に無視したスピードで突っ走っている。生真面目な太一の運転とは思えず、数多は違和感を覚えた。

 そんな時、車窓から早苗が身を乗り出す。あまりにも危険すぎるが、強張った顔をしている早苗を見て数多からツッコむ気力は失せた。そしてまだ距離があるというのに、街中に響くほどの早苗の絶叫が数多にまで届いた。

「避けなさい、赤宮数多ッ!」

 あまりにも必死な声だった。それも数多に対する評価がそこまで高くない早苗からの、不穏な叫び。一瞬言葉が飲み込めない数多だったが、すぐにその言葉の意味を知ることになる。いつの間にか背後に近づいていた、怪しき存在に気付いた時に。

 気配に気付き、数多はバッと後ろを振り向く。そこには屋敷の中で見た、ローブを羽織る掃除対象らしき怪しい存在がいた。そしてその者の手には、刀のような武器が握られていた。

「なっ……!」

 何故その存在に気付けなかったのか、数多も疑問で仕方なかった。だが相手側は数多たちの反応を見ることなく、既に刀を振り上げていた。真っ当な防衛手段を用いていない数多に防ぐ手立てはない。

 それでも数多には、烈火たち紅の血闘者の助手たる存在の彼には、すべきことがある。

(だとしても、烈火だけは……!)

 背後にいる烈火を横目で見ながら、数多は敢えてその場を動かなかった。不死身にも近い自分のすべきことは、烈火の盾になることだ。無論烈火がその程度で死ぬほど柔ではないことは承知している。それでも烈火が一時的にも戦闘不能になるのを、数多は恐れた。

 それに数多はこの数時間で、烈火という人物への理解を深めた。その結果、烈火が身体を張ってでも守るべき存在であると、認識を改めるほどの信頼を感じ取っている。だから数多は動かなかった、他の誰でもない自分の意志で。

 しかしそう都合よく、数多の思うような展開にはならなかった。他でもない烈火が、数多の手を引いて立ち位置を入れ替えたからだ。詰まるところ、烈火が数多の盾になる、という立ち位置に一瞬で変わってしまった。

「烈火……⁉」

 突然のことに動揺を隠せないが、それでも数多には何も出来ない。不死身であっても身体能力は並みレベルであるため、烈火に敵うことはない。よってこの待ってもない運命を覆すことは、不可能だ。

 その結果、振り下ろされた刀は、綺麗に烈火を斬りつけた。烈火も戦闘慣れしているため、数多を守りつつ急所は避けた。それでも無傷というわけにもいかず、烈火の身体には大きな傷が生まれた。傷口から湯水のように血が噴き出たのは言うまでもない。

「烈火……⁉」

 その光景を目の当たりにし、数多はやっと現状を把握する。ただ現状を把握しただけで、理解までは及ばない。何故烈火が数多のことを守ったのか、他にもやりようはあったはずなのにどうしてその選択をしたのか、考えても頭の回らない数多は完全に思考が停止する。今はただ倒れる烈火を、ただただ眺めることしか出来なかった。

 当然その主犯である怪しい人間も捕まえなくてはならない。既に逃走を図っており、かなり遠くの方まで逃げようしている。しかしこの場にその者を追いかける人間は誰もいない。その誰もが危険な状況に晒された主の安否を危惧していた。

「れ、烈火様‼ しっかりしてください‼」

「お嬢! クソっ……赤宮! 救援を呼べ‼」

 乗り捨てるかのように車から降りた早苗と太一は、真っすぐと烈火の元へと駆け寄った。常に冷静な二人からはその象徴は全く感じられず、酷く動揺していた。それでも応急処置なりとすべきことはしているあたり、もはや本能的ともいえる行動だ。主を守るという想いは、数多とは比べものにならないくらい強いものであるという証拠であった。

 しかし数多の耳には、どんな言葉も届かなかった。早苗の悲痛な叫びも、太一の必死な呼びかけにも、一切反応しない。音が無くなったかのように聴覚が機能しなくなる数多は、ただじっと地面に血を広がらせる烈火の青い顔を眺めることしか出来なかった。

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