第15話

「クソっ……閉じ込められた!」

 そうとしか考えられなかった。罠の可能性も十分考慮していたというのに安々とその罠に引っ掛かったことに数多は焦りを覚える。罠が仕掛けられているということは、自分たちの存在もバレている。そう考えるだけで、数多はゾッと背筋を凍らせた。

 しかしどちらにせよ、現状すべきことはただ一つ。この部屋からの脱出だ。物理的な手段で突破するしかない故に、数多は扉にタックルを仕掛け無理やりこじ開けようとする。しかしよほど強固に作られているのか、扉はびくともしなかった。

「ダメだ、外のセキュリティとはわけが違う……」

「数多、どいて!」

 苦悶な表情を浮かべる数多を押しのけ、烈火が前に出る。そして背中に力を籠め、烈火が一番得意とする《悪魔の手》を顕現させる。鋭利な指先を持つ手を拳状にしながら、烈火は力いっぱい込めて扉を殴打する。数多がタックルした時よりも大きな衝撃音が部屋中を響かせるが、こじ開けることはおろか扉に傷をつけることすら出来なかった。

「烈火の力でもダメなのか……!」

 これには数多も愕然とする。烈火の脅威を間近で見てきた数多にとって、彼女が力技で出来ないことなどないものだと信じている。そのくらい烈火の力というのは強大かつ危険なものは、誰よりも認識しているつもりだった。だからこそ、中々現実を受け入れることが出来ないのだ。

 そしてそれは烈火も同じだ。一発殴ってダメだったくらいで諦めるほど、烈火の心は柔ではない。二回、三回と殴り続け、そのたびに自らの血を扉に付着させていく。しかし数分間烈火が殴り続けても現状を変えられず、扉をこじ開けることは叶わなかった。

 誰もが絶望し、時を待つ選択をするほどの圧倒的な窮地。数多も既に半分諦めて、別ルートでの脱出方法を模索する。しかし烈火は強固な扉を前にして、諦める様子はなかった。自らの力を誰よりも信じているからこそ、その現実を容易には受け止められなかった。

「でも手ごたえがないわけじゃない! 《悪魔の手》で殴りまくればいつかは……!」

「止めとけ! 扉の強度もわからないのに、むやみに力を使うな! いくら烈火でもガス欠が先にくるかもだぞ!」

「でも数多がいる! 血の補給ならいくらでも……!」

「その最中に襲撃でもされたらどうする⁉ 烈火はともかく、俺は無事じゃ済まねぇんだぞ⁉」

 暴走気味の思考の烈火を、数多は肩を掴んで制する。力の余波があるのか烈火の身体からは反発力が生まれ、数多を押し返そうとする。しかし数多もここだけは折れる気はない。何よりも我が身の安全を確保するためにも。

 少し時間が空いたことで、烈火も少しずつ冷静さを取り戻していく。それでも焦りまでを完全に抑えることは出来なかった。

「じゃあ、どうするの……?」

「……さすがに戻りが遅かったら、早苗たちも異変に気付くだろう。何が何でも応援を寄越すはずだ。それまでしばらく待とう。対象に逃げられたのは、運が悪かったと思えばいい」

 焦りを外に追いやり、冷静に、保身のために、数多は停滞の選択を提示する。気持ちを落ち着かせようとする数多だが、嫌いな相手に頼み込む必死な表情までは抑えられなかった。それほど数多の心にも余裕はなかった。

 その想いが通じたのか、烈火も気持ちを落ち着かせ数多に同意した。

「……わかった。しばらく待つよ」

「そうしてくれると助かる」

 その回答に数多は今世紀一の安堵を覚える。緊張からも解き放たれ、身体にどっと疲れがたまった数多はその場に座り込んだ。烈火も数多に倣う形で、数多の背後に座り込む。

「……って何してるんだ?」

 すると数多は、烈火に向かって素っ頓狂な声を出す。背後に座った烈火がそのまま数多の身体にもたれかかったからだ。烈火の身体の感触がダイレクトに伝わり、数多は別の意味で緊張が走る。しかし烈火の行動の意図は、別のところにあった。

「《悪魔の手》を使ってちょっと血が減ったからね。数多から補充しようかと」

「……勝手にしろ」

 そんな気がした、少しでも別の可能性を考えたのがバカみたいと数多は後悔する。だが烈火の力を万全なものにする必要があるため、数多は抵抗するのを止めた。

 容易に許可が下りたからか、烈火は陽気な気分で数多の肩を露わにさせ、優しく噛みついて血を吸っていった。前回の時よりも失った血の量は少なく、烈火ががっついて吸血することもなく、数多の身体への負担も少なかった。

 そんな数多の方にも徐々に気持ちの余裕が出てきて、じっくりと吸血する烈火の姿を視界に収める。黙っていれば口説きたくなるほどの美少女、数多は常日頃からそう思っている。それでも致命的ともいえる人間性や、時折数多を蔑ろにする姿勢など、数多にとって悪い印象しかない。美しいものには毒がある、という言葉を数多は今一度共感したのだった。

 そんな時、烈火が数多の視線に気付き視線がかち合った。曇りなき純粋な瞳が数多を真っすぐ捉え、微動だにせず離そうともしない。そんな烈火の雰囲気に違和感を覚えるのは、数多には当然のことであった。

「な、なんだよ……」

 恐る恐るといった様子で烈火に尋ねる数多。烈火の言動には気をつけなければならないという認識が、彼を脊髄反射的に強張らせる。だが烈火はそんな数多の様子を見ても、態度を変えることはなかった。

「……ねぇ数多。ずっと思っていたんだけどさ」

 ただ何気なく、疑問を口にする子どものように、純粋無垢に烈火は言葉にした。

「数多って、烈火のこと嫌いでしょ?」

「っ……⁉」

 あまりにもストレートすぎる、烈火の純粋な問い。しかしながらその破壊力は、数多の想像の遥か上を行く。故に数多も背筋が凍るような感覚に襲われる。烈火がどのような気持ちで撮異を投げたのか、それは本人しかわからない。

だが聞き手の数多は別だ。その強烈な質問は返す言葉によっては地獄と化す。そんな単純なことはわかっていただけに、数多も慎重に言葉を選んでいく。

「そ、そんなことは……」

「いやいや、見てたらわかるから。仕事柄ね、他人のマイナス感情にはちょっと敏感なの。それに数多は気にして隠している風だけど、結構わかりやすいよ」

 あっという間に退路も断たれ、数多の表情は固まった。慌てて表情を取り繕うにも時すでに遅し。全てを見通しているかのような烈火の瞳が、数多の動揺を完璧に読み取ってしまった。

 だから数多は諦めた。嘘を嘘で塗り固めるのは悪手であり、烈火相手には自殺行為にも等しい。だからこそ数多なりに覚悟を決め、言葉を選びながらも、初めて烈火の前で本音を吐いた。

「……まあ、当たりだ。俺は烈火のことは苦手だよ」

 ぶつぶつとしか返答できない自分自身に、数多は嫌気が差す。烈火のいないところでは堂々と言葉に出来る自分の姿が、忌まわしく感じた。

 だが仕方のない部分もある。さすがの数多も真正面にいる相手に向かって、嫌いと言える度胸はなかった。仕返しが怖い、というのもあるが、自身の未熟さから烈火に守られることが多く、まだ出会って間もないが数多は烈火に守られてばかりだ。形や過程はどうであれ、守ってくれた相手をそこまで非難することは、数多の性格的には難しかった。

 それに数多には、烈火を嫌いになるにはまだ理由が足りな過ぎる。例えどれだけ酷い目に遭わされようとも、烈火のことを本気で嫌いになるほど、数多は彼女のことを知らないからだ。

「でもこれは仕方ないことだと思う。俺と烈火は、まだ出会ったばかりと言っていい。圧倒的に対話が足りていない……俺たちは互いのことを、知らなさすぎる」

 故に数多は烈火に歩み寄った。現状、やることがないからというのもある。しかし遅かれ早かれ、数多はこの選択を下していた。結果はどうであれ、関係性を変えていくために必要なことであった。

「だから少し……俺と話をしないか? 別に話題とかは何でもいいんだ。俺は烈火のことが苦手だけど、それが正しい認識なのか確かめさせてくれ」

 恐怖心を完全に拭うことは出来ない。それでも数多は前に進んだ。進まなければ、烈火のことを知らなければ、彼女に着いて行くどころか置いて行かれてしまう。それだけは嫌だと、心の中で強く叫ぶ。必然的に数多の表情も引き締まっていく

 そんな数多に惹かれてか、はたまた単純に暇だったからか、烈火は数多の提案に笑顔で応える。心なしか烈火の機嫌はすこぶる良かった。

「うん、いいよ! 烈火も数多のこと全然知らないし、もっと知っていきたいな! どうせ今は何もできないし、ちょうどいいと思う!」

 その返事が聞けて、数多も心の底からホッとする。ここで烈火が応じなければ、数多は何もかもを諦めていたところだ。つい安堵の表情もこぼれてしまう。

「じゃあまず数多から! 何でも聞いていいよ!」

「え、俺からか……」

 しかしこの返しには数多も動揺してしまう。自分で提案しておきながら、聞きたいことがすぐ出なかったからだ。だがニコニコの顔で問いを待つ烈火に、数多も番を譲ることも、ごまかすこともできない。

 故に数多は、頭が空な状態で烈火に問いかける。自然と口からこぼれたその問いこそが、数多が心の底から聞きたかった問いであろう。

「烈火って……辛くないのか? 紅家に居続けることに」

 言葉にしたら何でもない、陳腐な問い。しかしそれこそが、数多が気になる烈火の謎である。未だ彼女の外側しか知らないが故に、何よりも烈火の内側を知りたかったのだ。

「俺は最近入ったばかりの新参者で、少し前までは裏社会のことなんて何も知らなかった。でも烈火は……生まれた時から紅の運命を背負われ、そのために全ての時間を使い潰してきた。そんな自分の運命を呪ったことはないのか?」

 神妙な表情ながらも、数多は烈火相手に深く切り込む。「呪い」なんて大げさな単語を用いた数多であったが、本人は全く大げさだとは思っていない。

 他でもない数多ですら、今の自分の運命を呪っているのだ。数多以上にその酷な時間を送ってきた烈火がどう思っているのか、常人の想像力では計り知れないものであった。

 だから数多は知りたいのだ。幼い頃より世の枠組みから逸脱した存在となった烈火の感情、想い、その他諸々全てを。

「ううん、全然辛くないよ!」

 屈託のない輝かしい笑顔で烈火は答えた。嘘をついているわけでもなく、下手に誤魔化したわけでもない。烈火の態度は最初から最後まで変わらない。数多に対しては純粋に、心から思っていることを口にしているのだ。

「烈火にとっては、あの世界こそが表の世界なんだ! 小さい頃からお母さんの言うことは何でも信じたし、お母さんのためになりたいって子どもの頃から頑張ってきた。烈火にとっては、これこそが普通の日常なんだよ!」

「に、日常……」

「うん! もちろん世間一般的には、ダメなことはわかってる。でもね、仕方ないの。紅家の家業が、楽しくて仕方ないから! 仕事だってわかっていても、悪人を殺める瞬間が、これ以上になく楽しいって思えるの! 胸がドキドキするし、身体も沸騰するくらい熱くなっちゃう! 烈火にとって紅の家業は、天職以外の何物でもないの!」

 宝石のような瞳をキラキラと輝かせながら、烈火は饒舌に語る。戦場で暴れている時と同様、自身の価値観を伝える烈火は非常に楽しそうであった。そこだけ切り取れば魅力的な女性に見えなくないが、もちろん数多は恐怖で震えた。烈火が嘘をつかないことは、数多が唯一烈火絡みで信じられることだからだ。

「それにね……烈火たちがやっていることは、誰かがやらないといけないくらい、必要なことなの」

 しかし唐突に続く烈火の言葉は、その想いのベクトルを不意に変えた。浮かべる笑顔も狂気的なものから棘が取れ、烈火には似合わない女性らしい柔らかさが生まれた。

「この世界には、殺さなくちゃいけなくても殺せない人がわんさかいる。そういう倫理観の凝り固まった、腐った世界。だから必要なことなの……この世界に居座る悪い腫瘍を、適切に、素早く掃除しなくてはならない。そのために紅家は、必要だからこそ廃業することなく存在している」

 その声色はまさに真剣そのもの。加えてその言葉は、やっとのことで姿を現した、烈火の深層心理そのものに近い。そう確信した数多は、前のめりになりながらも耳を傾けた。

「そしてこの代は、その役目を烈火が担う。そこに疑問を抱く必要はない……だって烈火は、紅の一人娘だから」

 固めた覚悟の分厚さが違いすぎる。烈火の感情、言葉、そして想い。全てを耳にした数多はそれを痛感し、返す言葉が見つからなかった。現実が嫌で逃げようとしていた数多とは180度異なり、例え逃げられたとしてもその選択をしない烈火の決意は、数多の目からしても称賛に値するものだった。

 それだけじゃない。数多は初めて、烈火と自分に対する共通点を見出した。それはお互いが、たった一人の肉親のために行動しているということだ。異質なる存在の自分たちを見捨てることなく育ててくれた親の期待に応えたい。その精神がお互い根底から根付いているのだ。同じ境遇、同じ信念を持っていることに、数多の心は少しだけ温かくなった。

 語るだけ語った烈火も機嫌が良くなり、ニコニコと笑顔を浮かべる。その笑顔を崩さぬまま、烈火は数多に問いかけた。

「それじゃあ次は、烈火が数多に聞く番かな?」

 ビクッと数多の身体が震え身構えてしまう。今まで烈火が数多に対して、何か聞いてくることなんてなかった。だから数多も何を聞いてくるのか一切予測できず、緊張した様子で烈火の言葉を待つ。

「聞くまでもなかったけど、数多は烈火のことが嫌い。加えて言うなら赤宮の使命も、烈火との婚姻関係も、正直乗り気じゃない。そうだよね?」

「あぁ、全部当たりだよ。見透かされているというのは、気分がいいものじゃないな」

 今さら嘘をつく必要もないので、自嘲しながらそう答えた。一の存在がなければ、数多は最初からこの使命から逃げていた。逃げ腰だからではない、命が惜しい、痛いのが嫌だからだ。それは人間として、真っ当な意見に過ぎなかった。

 だからこそ烈火は疑問に感じた。まだ「こちら側」に来ていない数多の行動理念を。

「それなのになんで、まだこっち側にいるの? そんなに嫌なら、逃げたっていいはずなのに……それであの一さんがどうこう言うこともないでしょ?」

「……そうだな。父さんなら、そう言ってくれるだろうな」

 返事をしながら、数多は一の顔を思い出す。一とて、無理強いしてまで数多をこちら側に引きずりたいわけではない。数多の一言で、自身の価値ある未来が保証される。烈火に限らず、誰だってそう口にする。しかしそうではないと、数多は心の中で叫んだ。

 数多が自身の気持ちを烈火に打ち明けるのは、これが初めてだ。身近な人に言うのと本人に言うのとでは、まるで緊張感が違う。しかし数多が恐れることはない、その必要もない。腹を割って話しているというのに、腹の探り合いなど無粋でしかないからだ。

 烈火に感化された形で、数多も覚悟が固まった。心からの想いを語るのに、余計な感情は必要ない。そんな覚悟が感じられる締まった表情を数多は浮かべていた。

「逃げるのだって、立派な一つの手だ。他のことならともかく、この血で血を洗う地獄を抜け出すことに、誰も非難しないだろうな」

 誰もが命を惜しいと思うから。続きかけたその言葉を、数多は喉の奥で止めた。それを烈火に、この世の誰よりも命を懸けて生きている烈火に向けるべき言葉ではない。

 その代わりに数多も言葉にした。質問の問いを、こちら側に身を置くその訳を。

「俺はただ悔しいだけだよ。烈火や響矢に負けて、そのまま負け犬みたいに姿を消すのがな」

 その言葉を口にするのは、一に言ったのを含めて二回目だ。考える余地もないほどの、単純明快な理由。烈火が「楽しい」と言うのなら、数多は「悔しい」と言う。まるで子どもの対話のような幼稚な内容だが、それ故に全てを読み取れる。

 そして数多ですら気づかない、もう一つの共通点がここで浮き出る。それは自身の腹の中を語る時、非常に饒舌となりテンションが上がることだ。

「使命? 烈火との婚約? もちろん気にならないわけじゃない。でも負けた悔しさに比べれば、そんなのはゴミに等しい……響矢に組み伏せられたのが悔しい、烈火の使い勝手のいい道具になっていることが悔しい! 何もかもが、死にたくなるくらい悔しすぎる‼」

 立っていれば地団駄を踏みたくなるほどに、数多は眠る感情を爆発する。語ると同時に思い出したのだ、短期間で味わったいくつもの屈辱な瞬間を。忘れたくても忘れられないビックイベントは、確かに数多の心に刻まれたのだ。

「だから俺は烈火たちを見返すために、ひと泡吹かせるために、少しでも強くあろうと努力する。だから俺は逃げずにこちら側に居続ける……簡単な理由だろ?」

 一区切りついたところで、数多は一息入れる。数多としても本音を言えた。後はその想いを、烈火がどう解釈するのか。それだけが気がかりだった。

 そんな数多の単純かつ熱のある答えを聞いた烈火は、考え事をしているのか少し表情が固くなる。しかしすぐにいつもの調子を取り戻し、烈火節を炸裂させた。

「やっぱり……数多って数多だね!」

「な、なんだ……貶してるのか?」

「ううん、全然違うよ! むしろ烈火は嬉しいよ!」

「う、嬉しい……?」

 烈火が何を言っているのかわからず、数多は柄にもなく困惑する。

「やっぱり男の子はそのくらいガツガツ食らいつかないと! そういう諦めの悪いド根性、烈火好きだよ!」

「……褒めてるんだよな?」

「もちろんだよ!」

 にわかに信じられないところではあるが、数多は烈火の言葉を素直に受け止める。その言葉を煽るような意味で口にする頭はないと、数多も理解しているからだ。

「それに比べてね~周りの男の子たちは情けない限りだよね~」

 そんな時、烈火が何気なくそのようなボヤキをこぼした。他人のことを評価する彼女の姿は珍しいからか、数多も不思議と興味が惹かれる。

「そうか? 少なくとも俺が見てきたヤツらは、俺なんかよりも優秀だろ?」

「ん~そういう問題じゃあないんだよね~」

 裏世界に入ってから出会った人の顔を思い浮かべる数多を、烈火は茶化しながら一蹴した。冗談交じりの軽い口調だが、どことなく言葉には強い意志が感じ取れる。

「例えば太一。真面目で義理固い性格で、何でも理性的に行動するのは凄いと思うよ。仲間として見るなら文句ないけど、一人の男性としてはね~烈火の好みじゃないよね~」

「好みとかあったのか……」

 そこに驚きを感じる数多だが、烈火の言葉自体に違和感は覚えなかった。主従関係としては申し分ない間柄だが、烈火と太一の間で一線を踏み越える未来を、数多とて想像できなかった。

 だがそんな太一のこと以上に、「その者」のことを語る烈火の口調は暗くなる。

「でもそれ以上に……響矢はちょっとだけ、苦手かな。あ、これ言っちゃダメだからね?」

「言わねぇよ、別に俺もアイツと仲いいわけじゃないし。ただそれにしてもな……」

 そうツッコむ数多の脳裏には、嫌いな存在の一人である響矢の顔が浮かぶ。彼は数多に対してはぞんざいな扱いをするが、烈火に対しては恋慕しているのもあり非常に丁寧だ。だからこそ烈火の評価が非常に気になるところであった。

「それでもちょっと意外だよ。烈火に苦手とかあるんだな」

「まぁね。響矢とは付き合いが長いの。烈火が血闘者として一人前になる前は、よく練習台になってもらったりね」

「れ、練習台、ね……」

 数多は初めて響矢に同情する。力の制御がままならない烈火の練習台など、地獄以外の何物でもない。早くから烈火に出会わなくてよかったと、数多は心の底から安堵した。

 それほどまでに長く、一般的にも深い間柄だというのに、烈火の響矢に対する評価は微妙なものであった。

「それでも響矢は苦手だったよ。響矢はなんていうか……何考えているかわからないんだよね。いつも体のいい笑顔は浮かべるけど、その向こう側が何も見えてこないっていうか。とにかくお話していても面白くないよ~」

「よ、容赦ねぇ……」

「あと家の用事か何かは知らないけどたま~に姿がないんだよね。必要な時にいてくれないと、烈火は困っちゃうよ~」

「お前は鬼か……」

 さすがの数多もドン引いてしまう。ただ烈火は素直で嘘をつかず、常に本気で言葉を連ねる少女だ。だからこそ響矢に対する所感は正直なものであったが、本人がいたら卒倒しそうな内容のオンパレードだ。少なくとも数多はそう感じ、少しばかり響矢に同情する。

 しかし数多も烈火が言わんとしていることは理解出来た。響矢が数多に対して向ける感情は、びっくりするほど本音をぶつけているものだ。それに比べたら烈火への接し方は、姫に使う騎士そのものともいえる。だがそのギャップこそが、不信感を作りだすには十分なものであった。

(可哀そうだな、アイツ……)

 数多は思う。烈火の様子的に、響矢が大幅な変化を遂げなければ烈火が振り向くことは限りなく少ない。加えて数多という婚約者がいるからなおさらだ。

「それに比べて数多は凄くいいよ! 顔に出やすいからわかりやすいし!」

「これ褒められてないよな? そうだよな⁉」

 ただその渦中にいる本人は、響矢のことなど微塵も心配していなかった。それどころか目の前にいる数多に対しストレートすぎる感想を口にするほどの余裕がある。数多も烈火の言葉を無視できず、すぐに彼女に食い掛る。そのせいで響矢のことなど、すぐに頭から消え去った。

 こんな調子で、二人は様々なことについて語り合い、互いの理解を深めていった。苦手と思っていた烈火のことが少しずつわかっていき、数多も彼女への評価を改める。それは烈火も同じことで、数多と語る口調は明るいものとなっていった。

 意図しないアクシデントで時間を食わされた二人であったが、本人たちはそれなりに実りのある時間を送ったのだった。

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