第14話

 最初に二人が行ったのは、屋敷周辺の散歩であった。内偵のために忍び込むにしろ、まず侵入経路を確保しなければならない。そのために間近で一度確認する必要があるのだ。それも不審者だと怪しまれることなく、だ。

 よって二人は簡単な策を考え行動に移した。その策というのは、恋人のフリをして周りをうろつくことだ。フリと言わずとも二人は婚約を前提とした関係であるから問題ないのだが、気持ちが全くない数多にとって苦痛でしかない。

 それでも血で血を洗う場面を目にするよりはうんとマシ。そう考え、数多は烈火と手を繋ぎ屋敷の周りを歩いた。恋人のフリというだけあって数多は作り笑いを浮かべるが、内から漏れ出るマイナス感情が抑えられそうになかった。

 それとは裏腹に、烈火は非常に楽しそうに数多と歩いていた。婚約者の数多と一緒にいるから、とかではなく、この先の闘いに胸躍らせているだけ。数多にはそんな風に見えるが、傍から見たら可憐な女の子にしか見えない分、目的としては達成していた。

 だからこそ数多もまだ平常心を保てる状態であった。それこそ数多と腕を組み烈火の姿を、改めて確認するほどには。

(……黙っていれば、本当にいい女なんだけどなぁ……)

 それだけが本当に惜しい、と数多は常々思う。容姿だけで考えれば、烈火はモデルレベルに素晴らしいものを持っている。そのような情勢が婚約者になるのならむせび泣くほどに喜ぶところである。

(……中身が超弩級の劇物でなければ、な)

 そんな皮肉を胸の内だけに仕舞い、数多の意識は屋敷の観察に戻る。

 傍から見れば刑務所のようなに厳重な塀に囲まれた屋敷だが、警備の方はそれ以上だった。正面の門には屈強な警備員が二人ついており、目の前を通るだけでも容赦なく殺気を放つほどであった。その殺気に充てられて本能的に動こうとした烈火を寸前で数多が止めたのは言うまでもない。

 また門を越えた先にも、多くの警備員が警護に当たっていた。軽く目視できるだけでも20人近くはいて、祭りを開いていてもおかしくない雰囲気だった。明らかに異常にして過剰、見れば誰でもわかるその光景に、数多もさすがに引いた。

 ぐるりと屋敷外を一周したところで、二人は公園へと戻る。誰もいないことを確認すると、数多は早速一つの結論を口にする。

「とりあえず正面からは無理そうだな」

 常識的に考えれば当然だ。数多たちが二人に対し、向こうはその10倍以上の人数差がある。いくら二人が異質な存在だとしても、正面突破は現実的ではない。誰だってそう考えると、数多は信じて疑っていない。

「えっ、そうなの?」

 しかし烈火はというと、とても不思議そうにぽかんとした顔をしていた。さすがにこれには数多も顔を引きつらせた。

「そうなのって……当たり前だろ! こっちが二人なのに対し、向こうが何人いると思ってるんだ! 俺は袋叩きにされるし、烈火だって万が一やられるかもしれないだろ?」

「大丈夫だよ~これくらいの現場なら今まで何回も経験してるし、数多だってすっごい丈夫だから! やられることなんて絶対ないよ~」

「それだけじゃない! 仮に突破出来たとしても、騒ぎになるのは必然だ……大ごとになったら内偵どころじゃなくなる! 内偵の言葉の意味、わかっているのか⁉」

 数多にはわからなかった。どうして烈火はこう、単純で脳筋思考をしているのかを。仮にも烈火は裏社会最強の一族を背負うことになる少女だ。それにしてはあまりにも短絡的としか表現できない思考回路は、数多にとっても理解しがたいものであった。

 だがそれこそが間違いだった。裏社会で育った人間に表社会の常識を押し付けることが、何よりの間違いだった。

「大丈夫! なーんにも問題ないよ! 口止めが効かないくらい騒ぎになったら……みーんなお掃除しちゃえばいいんだから!」

 曇りない笑顔だった。そこに一切の不安などなく、どんな窮地でも前向きに考えていけるほどのパワーを持つ素晴らしき笑顔を烈火は浮かべていた。しかしその愛らしい口から放たれる言葉は、別の意味の凄まじいパワーを秘めていた。

「烈火だって、お掃除の対象がいっぱいいた場合の戦術は心得てるし、赤霧のみんなに練習もしてもらった! いっぱい血を使うから今まではそうならないように立ち回ってきたけど……今は数多がいる! やろうと思えばこの街の人たち、みんなお掃除できるんだから!」

 欠点などない、まさに完璧な作戦。そう言いたげな烈火は自信に満ち溢れており、失敗することなんて微塵も考えていない様子だ。

「烈火、お前は……無関係の人まで殺す、というのか……」

「お掃除のためならね。直接悪事に加担していない関係ない人をお掃除するのは心苦しいけど……お掃除のためなら、仕方ないよね!」

 申し訳なさそうに語る烈火の表情に、憂いの感情はない。ただただ純粋に輝いた笑顔そのものであり、間違ったことなど何も言っていないと確信しているものであった。紅烈火という人間の異端さを、数多は改めて目の当たりにした。

 紅としての誇りを忘れているわけじゃない、むしろそれを第一に考えて今まで生きてきたはずだ。だがそれを抜きにしても、烈火の人間性には問題があった。まだ人間としての最低限の理性は残っている、それが唯一安心できる部分であった。

 家業のことになると凶変する加虐的な性格、ぶっ飛んだというに相応しい思考回路、そしてそれらを実現してしまうほどの戦闘能力。数多の目に見える烈火の姿はまさしく狂人、『真紅の狂戦士』の二つ名に恥じないものであった。

 そんな烈火の性根の部分を叩きなそうなど、数多の頭にはなかった。一生治ることのない病気と捉え、諦めるしかない。しかしそれでも数多は、勇気を出して烈火に進言する。他でもない、我が身を守るためにも。

「……ダメだ。ちゃんと侵入口を探す、この方向性を曲げる気はない」

「えーつまんないの」

「なんとでも言え……烈火だけならともかく、俺まで焔さんたちに怒られるのは御免だ。それに騒ぎすぎて対象に逃げられたら、元も子もないだろ」

「あぁーまあ、それを言われると何も言えないよね~」

 紅家としての使命が、最後の最後で烈火を正気に戻した。曇りなき笑顔が影を潜め、口を尖らせてつまらなそうな顔になった。それでも彼女の笑顔の魅力は損なわれない上に、普段の笑顔以上に安心する。今の烈火を見た数多は、そう思わずにはいられなかった。

「しょうがない……数多に従うよ」

「最初からそういう手筈だっただろ……」

 まだほとんど何も始まっていないというのに、途方もない疲労感を覚える数多だった。


 しばし屋敷周辺を探っていると、反対側に裏口らしきものが見つかった。そこには警備員がついておらず、三重にも及ぶ施錠が成されているだけであった。数多たちも扉の存在には気づいていたが、もちろん鍵なんてものはないため完全にスルーしていた。

 しかしそんな大層なものは、数多たちには必要なかった。烈火が得意としている《悪魔の手》を使い、強引に扉を破壊したからだ。もちろん警報など気にすべき観点はあるが、今にも暴れ出しそうな烈火を抑え込むことの方が困難だ。数多にとって、ここが最初の打教典であった。

 周りに気付かれないよう最小限の被害に抑え込んだことで、二人は楽々侵入に成功した。その後は本来の目的通り、掃除対象が身を潜める屋敷内の内偵に取り掛かった。

「なんかここ薄暗いよね~周りが見にくいよ……」

「だな。窓がないせいか、まともに光が入ってこねぇ……不気味だな、この家」

 周りに人気がないことで堂々としゃべる烈火にひやひやしながらも、数多もその部分には同意した。それほどまでに、屋敷の環境は異質なものであった。

 まず窓らしきものは一つもなく、周りの壁は固いコンクリートで覆われていた。そのせいで、どこか息苦しさも感じられる。それでいて電気もまばらにしか通っておらず、屋敷内はどこも薄暗かった。本当にこんなところに人が住んでいるのか、それすら怪しく思えてくるレベルであった。

「赤池がくれた見取り図がなければ、諦めていたところだぞ……」

 スマホの画面を見ながら、数多はしみじみと現状に感謝した。『諜報』を家業としている赤池の事前調査によって、屋敷の見取り図を事前に手渡されていた。それによって内定調査はスムーズに行われており、誰にも見つかることなく7割程度の確認は終わっていた。

 ただ確認が済んでいるだけで、それに見合った成果は得られていなかった。

「でも思い当たるところはだいたい見尽くしたよね?」

「あぁ。でもそのどこにもいなかった。屋敷前の警護を見る感じだと、引きこもっていてもおかしくないんだけどな……」

 烈火と頭を悩ませながら、数多は可能性を考えていく。例え掃除対象の本人がいなくとも、居場所の痕跡自体は調べることは出来る。そう言われて見回ったものの、結果がこれだ。危険な橋を渡っているからこそ、何かしらの情報を得なければならないと、数多は自身を奮い立たせる。

「あと怪しいと思えるのは……ここだけか」

 そんな中でも、まだ一つだけ可能性はある。スマホに映る見取り図のある箇所を指差し、数多はその可能性を口にした。

「基本的に普通の屋敷の間取りに見えるが……この部屋だけはおかしい」

「そだね~明らかに何かある! って言ってるようなものだよね~」

 烈火も同じことを考えているようで、数多に同調した。

 窓がないことなど元々おかしいところがある屋敷だったが、間取り自体は普通であった。各部屋や浴場、寝室など、生活する上で必要な部屋は一通り揃っている。そこだけを見れば普通の屋敷であるが、一つだけその屋敷中でもポツンと離れたところに部屋があるのだ。周りに部屋がなく、長い廊下の先にあることから、その部屋の異質さがよく伝わってくる。

 もちろん罠の可能性も十分考えられる。むしろそう考えていたから捜索を避けていた。

「……行ってみるだけの価値はありそうだな。よし、行くぞ」

「OK!」

 烈火も同意し、二人は慎重な足取りで目的の部屋まで向かった。すると他の部屋とは違い、その部屋の前には二人の警備員が立っていた。まさにそこに何かあると言わんばかりの雰囲気に、二人は確信する。

「見張りがいる……クロだな」

「だね。あんなにわかりやすい見張りなんてあるんだね」

 小声でそれぞれ感想を口にする二人に、思ったほど余裕が損なわれている感じはない。対象がそこにいれば警護がいるのは二人ともわかっており、むしろ警護の存在により安心した節まで見受けられた。

 正直な話、ここまで内偵が済んだらもう十分だと数多は考える。もしここで見張りを無力化するのであれば、部屋の中にいるであろう対象も掃除しなければならない。ここが引くか攻めるかの分岐点であった。

「どうする? お掃除しちゃう?」

 だが引くなんて選択が、戦闘狂の烈火にあるはずがなかった。合理的な内偵を行うためには見張りを始末しなければならない。そんな思考が組み立てられたのか、烈火の顔から好戦的な笑みがこぼれた。

 こうなってしまった以上、数多に彼女を止めることはできない。先ほどはまだ言いくるめられる段階であったが、今は目の前に餌があるような状態だ。その状況でまたお預けなんてしたら被害が及ぶのは数多自身だ。それがわかっているから、数多もある程度妥協するしかない。

「できれば殺しは避けたいところだが……中を確認しないわけにもいかない。烈火、できるだけ騒ぎにならない方向で、奴らを無力化できないか?」

「できるよ~だいぶ物足りなくなるけど」

 若干不満気を隠そうとはしないが、それでも笑顔で了承する烈火。ついにストッパーを外してしまった烈火の視界には、数秒後には死体になるであろう二人の見張りの姿しか写っていなかった。

獲物を狙う鋭い眼光に真っ赤な《血の焔》、官能的ともいえる舌なめずり。瞬間的に人間としての理性を捨て去った烈火は、指を噛んで血を流す。そして勢いよく廊下に飛び出し、見張りの二人の元へと駆けだした。

無論、そんな大胆な行動を取れば、見張りを務めるほどの人間が気づかないわけがない。

「むっ……なにも」

 しかしその内の一人がまともに反応することは出来なかった。何か言葉を発しようとしたその口が、その顔が、一瞬にして消し飛んだからだ。

 その正体は他でもない、烈火の異能の力だ。見張りの元に駆け出したと同時に、床にこぼれる烈火の血液が大きな塊となった。《血龍の咆哮》に比べると弾丸は一つしかなく派手さはないが、その一つの塊はかなり大きい。男性の頭くらいの大きさの血の塊が、見張りを亡き者へと変えたのだった。

「な、なんだ⁉ 何が起きて……⁉」

 当然もう一人の見張りは突然の出来事に動揺を隠せず、腰を抜かして転んでしまう。逃げ出そうにも名状しがたいほどの恐怖が身体を支配し、足が全くといっていいほど動かなかった。

 そんな見張りの悠長さを、烈火が見逃すわけがない。一人の掃除が完了したことで、烈火のエンジンも完全に温まってしまった。

「貴方もすぐに、逝かせてあげる……♪」

 恍惚気味に興奮した笑みを隠そうとしない烈火は、もう一人の見張りの姿を完璧に捕捉。ゆっくりとした動きで再び血の塊を作ると、迷うことなく塊を発射。綺麗に見張りの頭を吹き飛ばし、同じように闇へと葬った。

 終わってみれば数多の注文通り、静かに片づけることに成功した。その代償に二体の亡骸と血の川となった廊下が生まれるわけだが、数多は見て見ぬフリをした。その代わりに数多は、烈火の見たことない力について話題を変えた。

「あれって、《血龍の咆哮》か? それにして自棄にデカい塊だったけど……」

「ううん。アレは《血龍の咆哮》の簡易版の《血龍の吐息》だよ。殲滅力はないけど、確実にお掃除を完遂出来るんだよ! それに血の消費も激しくないから燃費もいいからとっても便利なんだよ!」

「……じゃあ《血龍の咆哮》って、いらなくね?」

「いるよ~あっちの方が綺麗だから! 血と千切れた肉とか!」

「それは綺麗とは言わねぇよ……」

 相変わらず烈火の感性がわからない数多であるが、何はともあれ数多の望む形で制圧に成功した。暴走も十分危惧していたが、烈火も多少は数多の希望に合わせて行動した。そこだけは数多も烈火に感謝するのだった。

 しかし本番はここからだ。二人の見張りに守られた部屋の中に何があるのか、それこそが今回の内偵の大きな意味となる。見張りを始末してしまった以上、もう引き下がれない。

「さて……入るぞ」

「うん」

 緊張した趣で烈火に確認を取った数多は、ゆっくりと守られた扉を開ける。その中はいかにも書斎といった雰囲気の部屋で、至るところに書物が敷き詰められていた。あまり使われていないからかやや埃臭くもあり、数多は鼻を覆った。

 しかしすぐにそうも言っていられなくなる。書斎の奥の方に人の姿があったからだ。ローブを羽織り骨格が隠れているため、どんな人間かまでは判断できない。わかったのはローブの中からはみ出て見えた、薄い色の赤髪だけだ。

 残念ながら今回の掃除対象ではないと、数多は瞬時に察した。赤池からもらった資料では、対象の見た目は中肉中背の、黒髪の男性だ。髪の色の時点でそれが違うのは明らかだ。ただそれでも対象の関係者であることは、状況を見れば誰でも理解できる。

 その証拠にその者は数多たちを視認すると、身を翻し更に奥の方へと逃げた。どうやら隠し扉があったのか、すぐに姿が見えなくなった。

「待て!」

「烈火⁉」

 それを見て烈火も危険を一切考慮せず、その人を追いかけていった。烈火の身勝手な行動に頭を痛めつつも、一人にされると困る数多も彼女の後についていった。

 書斎を抜けると、更に隠し部屋があった。物でごった返していた書斎とは裏腹に、その部屋には物という物が何もない。天井に最低限の灯りがあるだけの、殺風景極まりない部屋であった。赤池の情報にはこの部屋のことは記されていなかったので、数多も一瞬驚かされた。

 そしてその部屋には他に扉がなく、隠し部屋と称すに相応しいところであった。だがしかしその部屋に逃げ込んだはずの人間の姿は、不思議にもどこにもなかった。

「アイツ、一体どこに……」

 まるで手品を見させられた気分になった数多は、すぐに辺りを見渡す。烈火も獲物を逃がさないと、部屋中を走り回るように探し回る。しかしほんの少し、気を緩めた時点で、二人は窮地に追い込まれた。

 部屋の中央にいた二人の背後で、ガタンと音がした。バッと二人が振り向くと、唯一の出入り口の扉がひとりでに閉まった。そしてすぐにピーと甲高い機械音が部屋中を響かせた。

嫌な予感がした数多はすぐに扉の元に向かい、ドアノブに手をかける。しかし思うような感触が訪れることはなく、まるで鉛のようにドアノブは固く動くことはなかった。

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