第11話

 数日後。早速数多は一に稽古をつけてもらうことになった。自宅から離れ向かった先は、紅家の屋敷がある田舎町。しかし紅家の屋敷には向かわず、その近くにあるこじんまりとした道場のような場所に二人はいた。

 数多は知らないことであるが、この場所こそが赤宮家としての本当の住まいであった。数多が生まれてから暮らしていた場所はあくまでも別宅であり、そのことを聞かされた数多もさすがに驚きを隠せなかった。

 何はともあれ、稽古をするのは変わらない。久しぶりに着た学校指定のジャージに身を包んだ数多は、道場の中へと足を踏み入れる。一見ただの剣道場にしか見えないが、床にこびりつく生々しい血痕からは目を逸らしていた。

「よし! 稽古を始めようか!」

 そんな数多以上に気合が入っているのは、赤宮家当主の一だ。道場着を身に纏った姿は様になっており、筋肉質な体型も相まって強者の雰囲気をそれとなく放っていた。ここまで元気な姿の一を見るのは数多も初めてであり、若干引き気味であった。

「なんか父さん……やけに元気だな」

「そりゃそうさ! 息子に鍛えて欲しいと言われて、喜ばない父親なんていないからな!」

「それは絶対違う気がするけど……」

 ねじ曲がった父の価値観に数多はため息を隠せない。それでもちゃんと教えてくれることは変わりないはずだからと、数多の方も自然と期待が膨らんでいく。

「まあやることといっても、組手くらいだ。俺たち赤宮の役割は、あくまでも紅家の血闘者のサポートに過ぎない。数多には烈火ちゃんの邪魔にならない程度に、それでいて烈火ちゃんの背中を守れるくらいの強さを身につけなければならない。そのための強さというのを、これから数多に教え込んでいく」

「誰かに勝てるか、というのは二の次でしかないってことか」

「そういうことだ。目先の力を掴みに行くことが近道っていうわけではないからな。特に俺たちの場合ならばなおさらだ」

 一の言葉には数多も納得だった。例えどれだけ鍛えようとも、烈火には勝てない。それは認めざるを得ない事実だ。それでも数多の中に掲げている目標は烈火や響矢を見返すことであり、烈火に勝とうとは最初から考えていない。そんなことでモチベーションを崩されるほど、数多のメンタルは脆くない。

「とりあえず数多にも、これを渡しておこう」

 稽古を始める前に、一は部屋の隅に放置してあったそれを拾うと、無造作に数多へと放り投げる。咄嗟のことで数多は特に確認もせずにそれを受け取った。だが受け取った瞬間、数多はソレの正体に目を丸くさせる。

「これは……刀? にしてはやけに短いな……」

「小太刀っていうヤツだ。裏社会で生きているとはいえ、刀身の長い刀は持ち歩けない。そのための小太刀だ。ナイフじゃ殺しきれない場面が多いから、基本的にはこのサイズ感の武器に慣れてもらう」

 一からそう説明を受けるが、小太刀に限らず武器に手が馴染むイメージが、数多にはこれっぽっちも湧かない。裏社会の現場を経験したとしても、数多の中の日常のイメージはまだ穏やかなものがある。人を殺める武器など、手に余って当然であった。

 それにもう一つ、数多には懸念点があった。小太刀の柄をなぞりながら、数多は目の前の一に疑惑の目を向ける。

「……これ、絶対勝てないだろ。父さんに勝てる未来が全く見えない……」

 弱々しい口調で数多は目に見える事実を口にする。一般人に毛が生えた程度の数多とは違い、一は長年焔の助手を務めるほどの実力者だ。もちろん生き延びるだけの戦闘能力は持っている、今こうして数多の前に立っているのがいい証拠だ。そんな相手に勝つことなど、普通に考えれば無理。数多はそう言いたかった。

 しかしそれを汲み取ったとしても、一の方針は変わらない。それどころか数多にとってにわかに信じがたい言葉を口にする。

「大丈夫だ。数多でも俺にダメージを負わせることは出来るはずだ」

「……ホントか?」

 信じられる要素がどこにもなく、数多の眉を落とした。

「あぁ……だが一つだけ、この組手にルールを設けさせてもらう」

 床に置いてあった自分用の小太刀を肩に担ぎ、屈託のない笑顔を数多に向ける一。しかしその笑顔から吐き出されるそのルールは、数多にとっては理解しがたいものであった。

「相手の攻撃に対し、絶対に躱すな、剣で受け止めるな。この組手において、防御をすることを禁止する」

「はぁ……?」

 一瞬何を言っているのかわからない、そう言いたげに数多は口を大きく開き一を見入ってしまう。だが一の口から冗談の類の言葉を発せられることはなかった。

「い、いや、そんなことしたら……!」

「安心しろ、稽古用に刃は鈍らなものを使っている。出血程度の傷は覚悟の上だが、手足が斬り落とされるほどじゃない。それに俺もさすがに息子の手足を削ぎ落すような真似はしないさ。まあそれでも油断していたら身体に穴が空くだろうけどな」

「そういう問題じゃなくて……!」

 こんな馬鹿げた組手などあってはならない。そんな真っ当な意見を数多は口にしたくなるが、一はそれを許さぬと言わんばかりに説明を続けた。

「いいか、数多。俺たちには烈火ちゃんや焔のような力は備わっていない。血を多く出すこと以外は一般人でしかないことを再認識しろ。所詮は血液タンク……だからこそ、血液タンクから脱するためにも、俺たちはこの体質を最大限利用しなくてはならない」

「あ、あぁ……」

 それは数多にも理解できる。烈火から血液タンクとしか見られない現実をどうにかするのが、現状の数多の第一目標みたいなものだからだ。

「俺たちの体質は、頭を撃ち抜かれない限りはほぼ不死身といってもいい。もちろん常軌を逸した出血をすれば別だが、そんなのは烈火ちゃんたちを除けば、兵器でも使わない限りは不可能だ」

「ま、まさか……半不死身の体質を利用して、防御を一切捨てたノーガード戦法を仕掛けろって言いたいのか?」

「正解だ」

 答えを導き出したとしても、数多はそう安々と現実を受け止められない。その現実を受け入れてしまえば、もう本当に平穏な日常から遠ざかってしまう。そんな予感がしてならなかった。

「捨て身を前提として闘う相手なんて、基本想定しない。だからこそ必ず不意は突けるし、烈火ちゃんたちの穴を埋めることも出来る。もちろんそのためには相手の攻撃による激痛の耐性が必要だ。だから……」

 肩に担いでいた小太刀を構え直し、真っすぐと数多の姿を捉える。既に一から笑顔は消え去っており、静かで冷たい瞳が数多を縛り付ける。まさに獲物を狙う捕食者のように、淀みのない恐ろしい瞳だった。

「――それを今日からつけてもらう」

 対話での説明が終わると、すぐに実践に変わる。まだ浮足状態の数多に向かって、一は一直線に駆け出した。その動きに一切の迷いはなく、数多を斬りかからんと大きく小太刀を振り上げた。

「わ、わぁぁぁぁぁっ‼」

 避けなければ激痛が伴う。昨日の銃撃での激痛を思い出したからか、数多は我を忘れて暴走する。小太刀の切っ先を一に向け、なりふり構わず一と向き合う。理性的に動く一とは違い、数多の動きには理性さの欠片もなかった。

 結果的に小太刀を振り上げていた一の懐に飛び込み、手でがっちりと固定していた小太刀を一の腹に突き刺した。食肉を切断するのとは違う不気味な感触が数多を襲い、一気に血の気が冷める。一の忠告通り突きでの攻撃は有効であり、数多の小太刀は一の腹を綺麗に貫通していた。一の腹部からはそれ相応の出血が伴い、足元には赤い水溜まりを形成していった。

 しかし当の本人は、顔色一つ変えずに数多を見下ろした。数多に刺されることなど、想定通りと言わんばかりに。

「……甘い!」

「なっ……!」

 平然としている一に驚きを隠せない数多をよそに、一も反撃に出る。完全に懐に入りきってしまった数多を、抱きかかえるように片手で固定する。一瞬にして逃げられない状況に追い込み、一はショックで動けない数多の右足を冷静に突き刺した。

「っ⁉」

 刹那、数多の足元に耐え難い痛みが襲う。鈍らな小太刀を使用したとはいえ、数多の足にしっかりと突き刺さり出血を伴わせた。

 しかし一の反撃はそれだけでは終わらない。数多とは違い貫通するほど強く突き刺していない一の小太刀は簡単に抜ける。それと当時に数多の肩を突き飛ばし密着状態から解放する。突然のことに握っていた小太刀の柄を離してしまうが、それが組み手の終となる。バランスを失い反撃にすら移れない数多に向かって、一は綺麗な一太刀を数多に浴びせた。切れ味は大したことなかったが、数多の肩から腰に向かって斜めに大きな傷をつけるくらいは容易だった。

 もちろん絶え間ない出血と激しい痛みに襲われ、数多は戦闘不能状態となる。目の前に相手がいるにも関わらず、数多は膝から崩れ落ち、刻まれた傷痕を強く押えた。

「クソっ……! いてぇよ……⁉」

 もう傷を押さえていないと正気を保っていられない。自分自身でもどうすればいいのかわからず、数多はただ痛みが引く時を待つしかなかった。

 しかしそんな数多の甘えた行動を、一は許さなかった。例え死にそうなくらいもがき苦しんでいようが、彼の態度が変わることはなかった。

「どうした、まだ稽古は始まったばかりだ」

 冷徹に、残酷に、一は息子を叱咤する。その言葉の冷たさは冷水のように、数多の頭から被せられた。

「……俺は言ったはずだ、『全力は尽くすな、死力を尽くせ』と」

 赤宮家の家訓を再び伝えられ、数多はやっと家訓の重みを理解した。死力を尽くさなければ死ぬのは自分の方、数多はそれを己の身をもって体感することとなった。

しかしその深い意味を伝えて終わるほど、稽古は生温いものではなかった。数多に休息の時間なんて与えない、そう言わんばかりに一は腹に刺さったままの数多の小太刀を抜いて、数多に放り投げる。そして自身は腹部からの出血にも構わず、再び小太刀を構えた。

「さぁ……死にたくなければ、死力を尽くせ」

 ただ淡々と、顔色一つ変えずに、一は数多の前に立ち向かう。数多にとって地獄の時間は、まだ始まったばかりであった。

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