第10話

 その後、用事を済ませた一と共に屋敷から出た数多は、一が運転する車で自宅へと帰っていく。あれほど望んでいた帰宅の時だというのに、数多の表情は暗いものであった。ただつまらなそうな表情のまま、運転する一に見えないように外の景色を眺めていた。

 しかし数多の気の逸らしは無駄でしかない。運転に集中している一は、顔を見ることなく数多に声をかける。

「……早苗ちゃんから聞いたぞ。いろいろあったみたいだな」

 その瞬間、数多の肩が震える。数多自身が不機嫌になっている原因を見抜かれ、ほんの少しだけ動揺が表に出てしまう。それを一は雰囲気だけで感じ取った。

「まあなんだ……あまり気にしなくてもいいぞ? 最初から何でも出来る人間なんて基本いない。響矢君……赤霧家の次期当主は血闘者としての経験も修練に積んだ時間も長い。分家としての位もなんだかんだで一番上だから、自尊心とかも高くなる。昨日からこの世界に足を踏み入れた数多が負けることは、恥ずかしいことなんかじゃない」

 父として、現当主として数多を励ます一。それでも数多の覇気が戻ることはない。これには一も言葉選びに苦労した。

「だからその、元気だせ。数多のしょげた姿なんて……」

「なぁ、父さん……頼みがあるんだ」

 すると一の言葉を遮るように、数多はぼそりと呟く。たまたま車が止まったタイミングだったので、一は数多の顔を見る。落ち込んでいたと思っていた数多の瞳は、どこか芯が通っているようにも見えた。

「俺に稽古をつけてくれないか……強くなりたいんだ」

「それはまた……急だな」

 数多の口からこのような言葉が飛んでくるとは思っていなかった。普通の生活に戻りたい節があった息子の言葉に、父として疑問を抱かないわけがなかった。

「一応、訳を聞いてもいいか? あれほど赤宮の使命に後ろ向きだった数多が、そこまで心境が変わったんだからな」

「そんな難しい話じゃないよ……俺は単純にムカついているんだ」

 沸々と怒りがこみ上げた数多の口調が力強くなり、右手を強く握り締める。

「別に心境が変わったとか、そんなんじゃない。確かに赤宮の使命とか、烈火のこととか、はっきり言ってどうでもいい。ただ一個人として、この感情が抑えられないだけだ」

 たったそれだけ。それだけの、俗にいう「しょうもない理由」から数多は激怒する。

「響矢にバカにされたのもムカついたし、簡単に打ち負かされたことも、烈火に血液タンクとしか思われていないことも、何もかもが悔しかった。力がないことは認める……だからこそ見返したいって気持ちが芽生えるのは、男としては自然なことだと思うんだ。それに……」

 一度言葉を止めると、数多は運転中の一を見る。そして数多が怒りを隠せていない大きな理由を告白した。

「響矢は父さんのこともバカにした。それが一番許せなかったんだ」

 数多の脳裏に思い出されるのは、響矢の去り際の言葉。一への侮辱ともいえる言葉を、数多は無視できなかった。百歩譲って自分への侮辱はよくても、父に対する侮辱だけは聞き逃せなかった。

 それを聞いた一も、堅くなっていた表情を柔らかくする。親想いな部分に感化されたのはもちろんだが、それ以上に短絡的な考えを持たずに前を向いてくれたことが、一にとっては何よりも嬉しいものであった。

「……なるほど。数多の気持ちはよくわかった。自棄を起こしたわけではなさそうで、俺は安心したよ」

「父さん……」

「もちろん構わないぞ。俺は赤宮家の現当主で、数多を次期当主として置きたい身だ。赤宮家としての闘い方や技を教えることに、拒む理由なんてないさ。ただこれだけは忘れないでくれ」

 すぐに一の顔つきが赤宮家当主のものとなり、険しい表情で前を見つめる。

「『全力を尽くすな、死力を尽くせ』――赤宮家の家訓みたいなものだ。生半可な気持ちで挑むことだけは、他の誰でもない俺が許さない。いいな?」

「あぁ……望むところだ」

 それが一の本気というのであれば、数多も受け入れるのは当然のことだ。父のこともあるが、それと同じくらい自分のためにも強くなりたいと本気で思っているが故に。例えこの選択で大きく道を踏み外そうが、数多の中に悔いはない。そのくらいの覚悟がなければ、数多の中に残る悔しさは一生晴れることはない。

 だから数多の表情も自然と堅苦しいものになる。会合の時のような緊張はどこにもなく、憂いを捨てた覚悟の上の表情であった。

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