第9話
会合が終わると、数多と烈火は近くの別室へと移動させられる。主に慣れない環境下に置かれた数多のことを思い、休憩の意を持たせたのだと考える。一と焔はまたしても所用で二人から離れているため、部屋の中は二人きりだ。それでも殺伐とした分家たちが集うあの和室と比べれば、数多にとっても居心地の良さは段違いレベルで改善された。
それもあってか、数多はソファーに背を預け完全にリラックスしていた。
「疲れた……」
「そう? 烈火はもう慣れたよ?」
「あんなもん、一生慣れんわ……」
烈火から投げられた明るい言葉も、疲労からか雑に返してしまう。上手い言い返しが出来るほどの気力が、今の数多には残っていなかった。しかし数多の疲労の原因は、会合の雰囲気というよりも話の内容にあった。
「クソっ、嵌められたな……」
酷な内容を思い出し、思わず頭を抱える数多。つい数時間前まで逃げ出すことを懸念していた悩みが、ほぼほぼ解決不可能にまで追い込まれた。ショックで項垂れてしまうのも仕方ない。
「ん~? どうかしたの?」
「……いや、何でもない」
そんな数多の悩みを、烈火が汲み取り解決に導いてくれるわけがない。のんきにそう聞き返してくる烈火に、数多は期待するのをやめた。
そんな時、数多たちがいる部屋がノックされる。一たちだと思い、二人は特に慌てることはなかった。
「失礼します」
二人から返答がなかったのもあり、来訪者は丁寧な言葉遣いで部屋へと入る。しかしその声の主は一や焔のものではない。来訪者の正体は、先ほどの会合にも出席していた早苗と太一だ。
「あれ? さーちゃんに太一じゃん、どうしたの?」
「いえ、そこの男に用がありまして」
「……俺?」
「えぇそうよ。一応、安否の確認としてね」
相も変わらず表情を変えずに聞いてくる早苗。そこに深い感情はないが、否応にも舐められているような感覚に陥る。そのせいもあり、数多の態度も素っ気ないものとなる。
「随分と緊張でガチガチだったみたいだけど、いかがなものかと思って」
「さすがにどこかでぶっ倒れていたら、目覚めも悪いからな」
「……見てわかるだろ? もうクタクタだ。あんな恐ろしい人たちの視線食らって、無事で済まないよ」
「特に緊張することでもないわよ。焔様に粗相をかけるとか、そんなことをしなければね」
「難しいことを言うな……俺は最近まで一般人だったんだぞ?」
両手を上げお手上げと言わんばかりに数多は感想を口にする。憂鬱な出来事の連続でやさぐれているのもあり、返答も妙に刺々しいものであった。それでもその反応すら見透かしているかのように、二人は珍しく数多を持ち上げるような言葉を投げた。
「それでも、他分家様たちの反応を見たら理解したはずよ。赤宮数多の足元を見ようとする連中なんて、そう多くはないわよ。人間性はともかく、その素質が全てを証明しているわ」
「赤宮はあまり気にしていないかもだが、分家の中でも赤宮はかなり高位の存在だ。本家の助手を務めるのはもちろん、赤宮の血は他の分家の皆さんの役に立っている。血をいただけているだけで、赤宮はその使命を全うしている。それをけなすヤツは絶対的に少ないだろう」
「……確かにそんなようなことを、父さんや焔さんも言っていたな」
昨日の焔たちとのやり取りを数多は思い出す。加えて先の会合でも、焔は分家に対し「数多を出来る限り手助けして欲しい」とまで言っていた。そういう背景もあるから二人の態度も刺々しくないと、数多は納得する。
「そう! だから何も怯える必要はないよ! 数多は数多らしく、堂々としていればいいよ!」
更に数多を肯定するかのように、烈火も数多を励ました。ただし烈火に関しては早苗たちとの思惑とは違う、純粋な想いというものが伝わってくる。烈火に対し良い感情を抱いていない数多でも、それだけは感じ取れた。
周りから励まされ、数多の心も軽くなっていく。しかし完全に心の闇が晴れたわけではない。そう思うだけの根拠が、数多の中にはあった。
「ただそれでも……俺のことを目の仇にしている連中はいる。違うか?」
そう気づけたのは、早苗と太一の言葉にある。数多に厳しい早苗や興味の薄い太一が数多の存在を肯定するような綺麗な言葉だったが、二人ともの言葉に引っ掛かりを数多は覚えた。赤宮の存在を貶す者や足元を見るものが絶対的に少ない。しかし裏返せば、全くいないというわけでもないのだ。
それに気づいてしまったからか、二人の表情がバツの悪そうなものになる。烈火だけは何のことか理解できず、ぽかんと三人の間を視線で右往左往していた。
そんな時だった、再び数多たちのいる部屋をノックする者が現れたのは。
「――失礼する」
誰もが返事をするよりも前に、部屋の扉は開かれた。そして新たな来訪者が、堂々とした態度で入室してきた。
その来訪者というのは、非常に容姿の整った青年だった。スーツを完璧に着こなし、誠実さと真面目さを身体から漂わせ、顔立ちもクールでありながらも笑顔を欠かさない甘いマスクを持つ。容姿だけであれば数多では敵わないほどの逸材だった。烈火よりも色素の薄い赤い髪を除けば、どこかにはいそうな好青年であった。
そんな青年は数多や早苗たちには一切目もくれず、真っすぐと烈火に向かって視線を注いでいた。
「どこに行ったのかと思えばこんなところにいたのか、烈火」
「響矢……」
優しさと甘さを兼ね備えた、媚びのある声を青年はかける。その声色からして烈火に何等かの感情を抱いていることは明白だ。烈火も感覚的に気づいているのか、彼女らしくない曇った声で彼の名を呼ぶ。数多がそれに違和感を覚えたのは言うまでもない。
もちろん数多は、この男のことは何も知らない。ただ見たことはある。というのも先の会合にて参加していた分家の人間の一人だ。当主ではないにしろ会合に参加するほどだから、それなりの立ち位置にいることは、数多でもなんとなくわかった。
しかしそれ以上の情報が全く見えなかった。だから数多は男が烈火に夢中になっている隙をつき、傍観を決め込んでいる早苗たちのところまで移動した。
「なぁ、アイツは誰なんだ? 分家の誰かってことだけはわかるけど……」
「……彼は赤霧響矢。紅家分家が一つ、『指導』の赤霧家の次期当主様よ」
「指導って……また変わった家業だな」
単語だけでは詳細な内容までは掴むことが出来ず、数多の反応も薄いものだ。それでも立場だけで言ったら数多や早苗、太一と同じようなもの。同じ分家として仲間意識のようなものが芽生えてもおかしくはない。
とかすかに思っていた数多だったが、他の二人はそうではない。一瞬顔を見合わせると、二人ともが面倒くさそうな表情を浮かべていた。
「……どうかしたのか? 早苗がそんな渋い顔をするだなんて……」
「えぇ、まあ……出来ることなら、赤霧響矢だけは、赤宮数多と会わせたくなかったわ」
「同感だ。碌な未来しか想像できん……」
そんな不穏な言葉を口にする二人に、数多はつい身構える。まだ言葉を交わしたわけではないが、響矢がそこまで悪そうな人間ではない。そう感じ取っている数多にとって二人の反応は意外としか思えなかった。
だが納得する部分もなくはない。そうとも考える数多は数分前の自分の言葉を思い出す。「俺のことを目の仇にしている連中はいる」。この言葉に何も反応できず、更にはこの二人の感想――数多の中で嫌な予感がしたのは言うまでもない。
その予感はすぐに的中することになる。烈火と言葉を交わしていた響矢が、ふとしたタイミングで数多の方を向く。先ほどまで烈火に向けていた笑顔はすでに影に潜め、鼻につくような威張った表情を全面に表していた。
「貴様……赤宮数多だな」
加えてこの高圧的とも聞こえる、傲慢な物言い。同じ分家の人間であるにも関わらず、明らかに響矢は数多のことを見下していた。数多もやっと二人の懸念がよく理解出来た。そしてもう一つ、数多にはわかったことがあった……コイツとだけは、仲良くなれない、と。
「な、なんだよ……?」
だから数多もやや警戒心を持って響矢と接する。だがその腰の引けた態度が逆効果となり、響矢の傲慢な態度に拍車をかけた。
「最初に一つ言っておこう……俺はお前のことが嫌いだ」
「……はぁ?」
ほぼ初対面の状態で嫌いと言われ、数多もイラっと感情が逆なでされる。それはこっちのセリフだと喧嘩腰の返答をしようとするが、それよりも前に響矢が勝手にしゃべり始める。
「俺はな、烈火のことが好きなんだ。叶うことなら、将来の伴侶としてそばにいて欲しいくらいに」
突然と語り出す、響矢の烈火に対する好意と想い。本人が目の前にいるのに正気かと思う数多であったが、面倒事を避けるかのように早苗がいつの間にか烈火の元に移動し彼女の耳を塞いでいた。
また数多が正気を疑ったのにはもう一つ理由がある。それは烈火に対して好意を抱いていることについてだ。絶対的に付き合いの差はあると言っても、烈火に対し恋愛感情を抱くこと自体に驚きを隠せない。一体どこに烈火の魅力があるというのか、数多の中に無限の疑問が湧いた。
「だから俺は……お前という存在が許せない」
ただそんなことを聞く間もないほど、響矢は敵対の言葉を数多にぶつける。数多が烈火に抱いているような嫌悪感を、響矢は数多に対して向けていた。
「お前は俺のことを何も知らないかもしれないが、俺は知っている。本当は赤宮のことなんてどうでもいいことも、赤宮の次期当主なんかになりたくもないことも、烈火に対して好意なんてものを抱いていないことも」
全て見透かされていた、数多が今抱いている問題点全てを。間違いがないだけに数多は何も言えない。今もなお早苗が烈火の耳を塞いでいることに数多は心の中で感謝する。烈火に対してその想いをぶつけるのは筋違いだからだ。
だがその代償に、響矢は更なる非難を数多にぶつけた。
「そんなお前みたいなヤツは、烈火の隣にいていい人間なんかじゃない。邪魔なんだよ、ものすごくな。だからさっさと身を引いて、どっかいけよ」
絶対的にして単純な侮辱の言葉が、数多に浴びせられる。その言葉を口にした本人も間違ったことは言っていないと言わんばかりに、澄ました表情で数多を見下していた。心が弱い人であれば、何も言えずに項垂れるところだろう。
しかし数多は違う。例え力はなくとも、心を傷つける暴言で行動不能になるほど柔なメンタルを持ち合わせていない。現時点で数多が唯一誇れる部分であった。
「……アンタの言っていることは、何も間違っちゃいない。そうすることが正しいことなのかもしれない。ただな……」
数多の緩いストッパーはすぐに限界を迎えた。右手を強く握り締め、明確な敵を前に感情を爆発させた。
「こんなにこけ下ろされて黙っていられるほど、俺も人間出来ちゃいないんだよ! 初対面だからって、覚悟がないからって……好き勝手言いやがって‼」
明確な怒りを拳に乗せ、数多は響矢に向かって駆け出した。相手の実力は未知数ではあるが、一発殴らないと気が済まない。そう思うほどに、数多の心は荒んでいた。自身の置かれる立場も忘れてしまうほどに。
「……単細胞がすぎる」
しかし響矢は一切慌てなかった。策もなく立ち向かってくる数多を嘲笑うと、一瞬で数多の身体を掴み、大外刈りの要領で足を引っかけた。そのまま数多の身体はバランスを崩し、背中を床に打ちつける。
「なっ……⁉」
紅家の力でも、赤霧家特有の異能でもない、ただの体術。それによって数多は、地に落ちてしまう。見える景色が一瞬で変わり、見上げなければ響矢の姿を見ることもできない。
もちろんこれだけでは終わらない。数多を組み伏せた響矢は、突然右手を咥えてそのまま皮膚を噛み千切る。大胆に噛んだせいで響矢の右手からは一筋の血が垂れてくる、と思ったのが束の間のことであった。
響矢から流れる血は突如として形を変える。時代劇などで見かける刀の姿だ。元々が血液であるため刃の部分から柄まで真っ赤であるが、見た目は完全に刀である。その刀を数多の首筋へと突きつけ、数多の動きを制限する。
「《武装》。赤霧家が得意とする、血液を武器に変える異能だ」
完膚なきまでに数多を組み伏せたことで、響矢はいやらしく露骨に笑う。その目は烈火と同様、赤く濁った《血の焔》が宿っていた。
「赤霧家の家業は『指導』。紅家の血闘者を一人前に指導するためだけに動く、もう一つの血闘者の家系だ。無論、血闘者としての素質は紅家には敵わないが、紅家以外の人間ならこの通り敵にもならない」
その言葉を証明するためか、数多を押さえつける強さが増していく。わざと力を強くしているからか怒りがこみ上げてくる数多であったが、いくらもがいても響矢の押さえつけからは逃げられない。
「それにお前の体質は敵からすれば面倒ではあるが、無敵の性能ではない。ただ単純に持ちうる血液量が多いだけで、貴様も身体から血液が無くなれば普通に死ぬ」
「な、何を……」
「頸動脈は大事な血管だ。そこから血を噴きだせば普通は即死するし、貴様でも戦闘不能に陥る。その頸動脈を何か所も傷つけ、心臓や胃とかにも穴を空ければ、さすがのお前でも死は避けられない」
ハッタリか脅しか、どちらともとれる言葉が響矢の口から放たれる。しかし答えは後者であり、言葉に偽りがないことの証明からか、刀を少し動かし数多の首から微量ながらも出血する。その気になれば出血どころか、数多の頭と胴体がおさらばしてしまう。
力の差、経験の差があまりにも違いすぎる。それを数多は身をもって体感した。
「勘違いするな。お前は素質だけの一般人だ。お前を殺すことなど、造作もない」
響矢のその言葉は、数多によく刺さる。昨日の烈火の仕事においても、数多は血液タンクとしての役割しか果たせなかった。もちろん何のスキルもないから、仕方ないといえばその通りだ。だが数多の頭ではそんな理性的な考えが出来ず、純粋に悔しさが湧き上がってくる。
「やはりお前は、烈火には相応しくな……」
「響矢~ちょっとおいたが過ぎるんじゃないかな?」
数多が何も言ってこないのをいいことに、言いたい放題と詰め寄る響矢。だが響矢の行き過ぎた行動を、いつの間にか二人に接近していた烈火が制する。響矢と違って異能すら使用していないが、それだけでも響矢を黙らせるには十分だ。
「確かに数多は戦闘能力こそないかもだけど、数多の価値はそんなところじゃない。あまり勝手なことを言うのなら、この烈火が許さないよ」
数多の存在を肯定するかのような言葉を烈火はぶつける。その声色は彼女にしては珍しく険しいものであった。本気で数多を必要としていることだけは伝わってくる。しかし響矢によってメンタルが傷つけられた数多は、そんな烈火の言葉に対しても裏を考えるようになる。
(……現状は、それだけしか期待されていないってことか)
腹の底から沸き上がる悔しさが、数多の顔をより歪ませる。しかしそれをぶつける先も見つからず、結局は腹の中で飼い殺すしかなかった。そういう選択肢しか取れないほど、数多には力も立場もなかった。
そんな数多の内心はさておき、烈火からお叱りを受けた響矢はすぐに数多から離れる。《武装》の刀もすぐに消して、腰をしっかりと曲げて烈火に一礼する。
「……失礼しました。以後気をつけます」
さすがに響矢も自分の非を認め、反省の色を見せる。烈火に恋慕している身として、彼女に逆らうという選択肢など微塵もないのだ。それでも数多に対する劣悪な感情が晴れたとは、烈火以外の誰もが思っていなかった。
気まずい雰囲気が流れる中、離れて見守っていた早苗が静かに響矢の元へと近づいていく。その手にはスマホが握られており、どこかと連絡を取り終わった後なのが伺える。
「響矢様、ご当主様から伝言です。「用事があるから先に帰宅しろ」とのことです」
「……わかった。おい、俺を送迎しろ」
「畏まりました」
赤霧家の現当主にそう言われれば、響矢も無視出来ない。早苗の伝言を受け取ると、近くにいた太一に高圧的に命令する。分家の中にも立場の差があるのか、太一もその言動に腹を立てることなく了承した。
用もなくなったことで、響矢は太一を連れて部屋から後にしようとする。しかし部屋から出る直前、吐き捨てるかのようにある言葉をこぼしていった。
「……一様も、はずれを作ってしまったみたいだな」
その瞬間、倒れたままの数多の中で、急激に怒りが込みあがってきた。しかしそれをぶつけるよりも前に、響矢は部屋からいなくなる。追いかけようと思えば追いつくだろうが、たてついたところでまた恥を晒すだけ。それがわかっていた数多の身体は少しも動けなかった。腹に溜まった怒りを消化できず、ただ床に拳を叩きつけた。
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