第7話

 地獄のような夢だった、そう思えたらどれだけ幸せだったことか。まどろみの意識の中でそんな言葉が脳裏に過った数多は、見知らぬ場所で目を覚ます。視界には真っ白な天井が見え、自身の身体は真っ白なベッドに横たわっていた。数多の身体を纏う気怠さが酷く、身体に力を入れるのが億劫となっていた。

「お。目を覚ましたか、数多」

「……父さん」

 ふと横を向くと、一が数多を眺めていた。息子がベッドで横たわっているというのに、一は特に心配などせず活気な笑顔を浮かべていた。その後ろでは早苗が興味のない瞳で数多を眺めていた。

 一に心配させまいと、数多は身体を起こして一との会話に応対する。

「……ここは、病院か?」

「あぁ。紅家の分家が一つ、『医術』の赤星が運営している病院だ。何も心配することはない。それより体調の方は大丈夫か?」

 一に心配され、数多は自身の身体をまじまじと眺める。未だ気怠さが身体に残っているが、動けないほどではない。少し休めば歩くことも容易だった。そこまで元気になっている数多はふと、脳裏に残る光景を思い起こす。思い出すことすら避けたいほどの、地獄のような出来事を。

「……そうか。俺、烈火に血を吸われて……」

「あぁ、そうだ。烈火ちゃんに血を丸ごと抜かれて、丸一日寝ていたんだ。生まれて初めての貧血の気分はどうだった?」

「覚えてないって……マジで限界ギリギリまで吸いやがったんだから、あのバカは」

 時間が経つに連れ、数多の脳裏に当時の記憶が鮮明に思い出されていく。母親である焔の姿がないのをいいことに、数多の口調が素で悪くなる。一の後ろに控える早苗の顔が険しくなるが、早苗のご機嫌取りをするほど数多に余裕はない。

「それにしても、俺よく生きてたよな。いくら早く血が戻るとはいえ、一時はすっからかんまで吸われたっていうのに」

「これがあったからよ」

 そう横から割り込んできたのは早苗だ。その手には注射器が握られており、中には血のような赤黒い液体が入っていた。

「これは血液増強剤。紅家に伝わる秘薬で、使えば10分間は血が絶えることなく生成される、いわばドーピング剤ね。昨日の赤宮数多みたいに失血状態でも、今みたいにすぐに回復するわ。まあ効果が切れると30分くらい血が作られなくなるから、常人なら死ぬけど」

「ちょっ、なんてもの使って……」

「問題ないわよ。赤宮の特異体質なら十分耐えられる代物よ。今何事もなく生きているのが、いい証拠ね」

 小馬鹿に笑うこともなく、早苗は事実だけを口にする。思うところが全くなかったわけではないが、それでも自身の体調の良さを鑑みれば、数多は文句を言える立場ではない。血液増強剤がなければまだ夢の世界にいた、と思えば沸き上がる怒りも自然と収まった。

「それより……どうだ、初めての仕事は?」

 再び一が会話に入り、数多にそのようなことを聞く。しかしそれを聞かれた瞬間、数多の表情が酷く歪んだ。体調も回復しつつある現状の中、記憶の方もほぼ完璧に思い出していた。故に数多は、不機嫌さを隠さずに事実を口にする。

「……別に。俺は何もしてないし。烈火が勝手に暴れたら勝手に終わってた」

 そう説明する他なかった。実際数多は最後に烈火に血を吸われたこと以外、何もしていないと言ってもいい。それに対し仕事の感想を聞かれても、返事の言葉が見つからなかった。

 しかしそれを聞いていた早苗は、表情は変わらずとも珍しく真っ当な評価を下す。

「そんなこともないわよ……赤宮数多も見ていたと思うけど、烈火様は全力を出すとすぐ倒れるの。別段貧弱体質ではないけど、昔から出力制御が苦手なの。だからいつもは最低限の手数で仕留めるだろうけど、昨日はだいぶ張り切ったみたいね」

 早苗の告白に半信半疑になる数多だったが、すぐに納得がいった。考えなしのバカではあるが、命知らずのバカではない。そんな人間を焔とて次期当主にはしない。数多もそのくらいは理解していた。

「赤宮数多。貴方が烈火様のことをどう思おうが、烈火が貴方を必要としていることは不変の事実よ。悔しいことにね」

 故に早苗も数多に対して真っ当な感想を口にする。確かに何もしていないが、何も出来なかったわけではない。存在そのものが烈火の役に立ったと、早苗は伝えたかったのだ。命の危機は避けられないがそれも名誉あることだと、烈火至上主義者の早苗は信じて疑わない。

 だが数多にとって、早苗の感想やら評価やらなど、全てどうでもいいことだった。あの場で自分が何をしたのか、正直数多にとっては何の成果にもならない。それ以上に数多は烈火に対して思うところがある、一言では収まりきらないほどの特大な感情が、数多の心中に秘めていた。

 だから数多は我慢ならなかった。例え早苗や一が全てを見透かしていたとしても、それを口にせずにはいられなかった。

「それでも、だとしても……俺は烈火が嫌いだ」

 静かに怒りを言葉に乗せて、数多は思いを言葉にしていく。

「勝手にどっかいくわ、勝手にトラブルに飛び込むわ。んで説明もなかったし、平然と俺を都合のいいように利用しやがったし……烈火のことを好きになる要素なんて、どこにもねぇよ」

「貴方……烈火様は、紅家の次期当主で……」

「わかってるさ。烈火がそれ相応の立場の人間だということも、それを背負うだけの力を持っていることも。全てを力でねじ伏せているだけかもしれないど、それが許される人間だよ、烈火は。それは認めざるを得ない」

 早苗の怒りを跳ね除けて、数多は語り続ける。他の全ての人間の言い分が正しかろうと、自分の言葉が誰にも信じてもらえなくても、数多の口は止まることを知らない。言葉にしないと気がどうかしてしまう、そんな雰囲気すら今の数多からは感じ取れる。

「……頭ではわかってる。でも俺の心が無理なんだ、烈火に好意を抱くことそのものが。もちろん女性としてではなく、一人の人間としてだ」

 正真正銘、数多の本音だった。まだ一日という短い時間であったが、烈火という人間性は嫌というほど知ってしまった。大切な存在である一から託された使命から、目を逸らしたくなるほどに。だからこそ容赦なくそのような言葉を残せる。

「もちろん、烈火に敵わないことは理解している。嫌いなのはホントだけど、逆らおうなんてバカな真似は起こさないから安心してくれ……俺だって、命が惜しいからな」

 それでも、数多には力がなかった。理不尽な現実を目の当たりにしても、そこから逃げ出す術はない。烈火に気に入られ、目をつけられた以上、この非情な現実からは逃れられない。八方塞がりの現状に、数多はベッドのシーツを強く握り締めた。

 本音を吐いてしまう数多を見て、病室にいる二人はしばし無言が続いた。早苗は何か言いたげな顔をしていたが、敢えて何も言わなかった。今の数多にどんな言葉をかけても無駄なことはわかっていたから。そして一もしばし数多の様子を眺め、重い口を開いた。

「……ま、その辺りは、一度本人や焔とも話せばいい。はっきりと物を言う二人だ、何かしらの結論は絶対出るはずだ。俺も多少は口添えしてやる」

「あ、あぁ……」

 返ってきた言葉は父としての言葉ではなく、赤宮家当主としての言葉であった。それでも自分を想って口にしているとわかっているだけに、数多は静かに返事をする。少なくとも一だけは味方でいてくれるとわかり、数多の心にも少しだけ余裕が出来た。

 それすらも見透かしているのか、一は時計を確認しながら言葉をかける。

「体調が戻ったところ悪いが、すぐに出るぞ。早苗ちゃん、準備とか手配とかは任せるよ」

「かしこまりました」

 一がそう声をかけると、早苗の表情から感情が消える。一瞬にて『給仕』の赤崎の頭に切り替わった証拠だ。赤宮家現当主にして紅家現当主の助手を務める一の言葉に一切疑問を抱くことなく、深々と一礼をした後に病室から出ていった。とても同世代の立ち振る舞いではないと、覇気のない数多から見ても感心するレベルだった。

「なあ父さん。またどこかに出かけるのか?」

「あぁ。でも今回は数多にも出てもらう。何せ数多が主役みたいなものだからな」

「……何のことだ?」

とはいえすぐに、数多は一に問いかける。またしても知らない事実の答えを知るために。何も知らない苦痛をもう味わいたくないがために。だから一ももったいぶることなく即答した。

「これから数か月単位で行われる、紅一族の会合があるんだ。紅家はもちろん、全ての分家も出席義務がある大事な会合だ」

 そんな大事なものがあるのか、でも自分が主役とは何事だ? そう疑問に抱く数多を、一は一切目を逸らさずに答えた。

「そこで数多、お前のことを紹介するんだ、分家の人間全員の前でな。数多の存在を今までひた隠しにする必要も、なくなったからな」

 数多の悩みのタネがまた一つ増えた瞬間だった。無意識に頭を抱え、病院に響き渡るほどの驚き声を上げたのは、言うまでもない。

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