第5話
しかし迷い森と称するくらいに森が深く、日光すら差し込まないほど生い茂っているせいで全体的に暗いため、烈火の捜索は難航を極めていた。
「クソっ! 後で絶対文句言ってやる!」
周りに誰もいないのもあり、数多から発せられる恨み言は森の中によく響いた。そんな中でも烈火を探すために森の中を駆け回るのだが、一向に見つかる気配はなかった。挙句の果てにはどこかすら知らない森に入ったのもあり、数多はまた自分の場所を見失うのだった。
「……また迷った」
朝も含めて本日二度目の迷子に、数多は膝から崩れ落ちて項垂れる。今まで迷子の自覚がなかっただけに、数多のショックはそれなりに大きなものであった。
それでも立ち止まるわけにもいかず、歩みを進める数多。するとやっとのことで森を抜け、開けた場所に出る。そこには森の中に隠れたとある屋敷の姿があった。紅家の屋敷に比べると規模はかなり劣るが、それでも普通ではない豪華さがあり別荘のような雰囲気を感じる。
もちろん屋敷の存在など知る余地もない数多は、目の前に現れた建物にしばし目を奪われる。そのせいもあって、数多の視界は少しの間だけ狭まってしまった。
「そこの君! ここで何をしている⁉」
数多の鼓膜が、何者かの怒号によって強く響いた。人がいるとは思わず、数多は飛び上がるかのように声のする方を振り向いた。
屋敷の門から数多の方へと、一人の男が歩み寄る。スーツを身に纏い、清潔感のある好青年といった雰囲気の若い男だ。無論、数多よりも一回り年上なのは明白。加え屋敷の家主っぽい人間であるため、数多の態度も腰が低いものとなった。
「すいません……知り合いが森の中に入ってしまって、追いかけていたらここまで来て……」
申し訳なさそうに数多は事情を話す。ここで変に誤魔化しても意味がないことくらい、数多もわかっていた。
「そういうことだったのか……いや、疑って済まなかった。ここ最近は物騒でね……」
そんな数多の正直な態度に、青年も頭を下げて謝罪する。元々悪者として吊り上げる気はなかったか、青年の態度は非常に穏やかなものであった。咎められると思っていた数多も、青年の対応でやっと肩の荷を下ろせた。
「ちなみに君の言う知り合いというのは、多分ここには来ていないよ。予定にない来客が来た場合は、必ず私に知らせるようになっている。今日は君が初めてだから、別を探した方がいい」
「そうですか……いろいろすいません」
「いいんだ、気にすることはない。間違いの一つや二つ、誰にでもあるのだから」
これこそが大人の対応だと、数多は感動すら覚えた。今まで理不尽な目に遭わされてきたのもあり、爽やかな顔で笑う青年の姿が、数多には聖人が何かに見えたのだった。
何はともあれ答えは青年が口にした通りで、ここには用もない。鉢合う可能性も考慮したが、これ以上迷惑をかけるわけにもいかない。自分がすべき選択を再確認し終え、数多は行動に移そうとする。
「それでは自分はこれで……」
「――あ、数多! ここにいたんだ~」
そんな時だった、第三者の声が割り込んだのは。聞き覚えもある、少しばかり憎たらしくも聞こえるその声に、数多は慌てて反応した。
「烈火! お前どこ行ってたんだよ⁉ いきなり飛び出して、探したぞ!」
「いや~ごめんごめん。烈火も意外と迷っちゃってさ」
アハハ~と悪気を感じさせない笑みを浮かべる烈火。人の苦労すら一切汲み取ろうとしない烈火の態度に、数多は怒りを通り越してため息が出た。
「どうやらお知り合いには会えたみたいだね」
青年も数多の目的が果たされたことを、手放しに喜ぶ。迷惑をかけたのもあり、数多は控えめ気味に会釈をした。これで本当にこの場に用がなくなり、後は帰るだけとなる。
だがその中で意外な反応を見せるものが一人いた。烈火は初対面であるはずの青年の姿をじっくり確認するかのように凝視する。しくしすぐ何かに気付いたのか、彼女の表情に笑みが戻った。
「……なーんだ! 数多が先に見つけてくれていたんだ」
「……はい?」
「助かったよ~ここから探すのは、ちょっと面倒だーって思ってたし」
何か目的を達成されたかのようで、烈火はテンションが見るまでもなく上がる。だが何も知らない数多は話についていくことが出来なかった。
「烈火、何言ってるんだ……? てかこの人知ってるのか?」
「うん! てか数多も聞いてるものかと思ってたけど、どうやら違うみたいだね」
それに気づいた烈火は数多のためにと、あっけなくその情報を暴露する。青年の姿から、一切目を離すことなく。
「この人はね、政治家の桐生海斗だよ。若くして政治家になりながらも、その輝かしい実績とルックスの良さで女性人気の高い、今一番注目されている政治家なの!」
「そうなのか……」
政治について微塵も詳しくない数多だが、烈火の言葉に初めて納得がいった。会ったばかりではあるが、青年――海斗の人間性からしてもあり得てしまう。少なくとも今の数多には十分信じるに値するものであった。
青年も自らの事を褒められたからか、ニコニコと笑顔を崩すことはなかった。
「……表向きは、ね」
ただ蛇足気味に付け加えられた意味深な言葉に、場は一瞬にして凍り付く。数多はもちろん、海斗の笑顔も不自然なまでに固まった。
「選挙で当選したのも国会議員の父親のコネをフルに使い、投票を不正に操作して得た結果に過ぎない、張りぼてに過ぎない存在なの! 仕事の方も実は大半を部下に押し付けて自分は高みの見物を決め込んでいる、無能中の無能! それなのにのうのうと国民の前に姿を現しているなんて、烈火にはできないよ~」
滝のように烈火は裏の顔を暴露していく。しかも語っている時の烈火の表情もニッコニコな笑顔を浮かべ、声色も気持ち悪いくらい不気味に明るくなる。それに数多はそこはかとなく恐怖感を抱くが、今はそれどころではなかった。
「烈火、まさか……!」
「うん。出かけるってのは嘘。本当はお仕事のために出かけたの」
お仕事。烈火のいうお仕事というのは、他でもない紅家の家業のこと。つまり『掃除』……桐生海斗をこの世から消そうとしていた。
「昨日ね、桐生海馬っていう国会議員を殺したの。横領や軽犯罪のもみ消しを常習的に行っているゴミクズでね、性根が腐っていたから殺すのは簡単だったよ~」
昨日誰かを殺した、そのことを数多は知らなかった。誰かを殺した手で、烈火は数多を触った。その事実を思い出し、中途半端な覚悟しか締められなかった数多の恐怖心は加速的に煽られた。しかし数多の中の恐怖心は青天井に上昇し続ける。
「でもそれだけで終わらないのが、紅家の『掃除』の家業。国会の癌とも呼べる桐生海馬を始末しても、その血を引いた人間がのうのうと生きている。だから桐生海馬に関わる全ての人間を根絶やしにする。そうして悪しき風潮を消し去るのが、烈火たち紅の使命なの」
「根絶やしにって……もしかして、もう……!」
「うん、烈火が手を下したわけじゃないけど、分家の人たちにお願いしてね。もう9割くらいはこの世にいないと思うよ」
9割という数字がどれほどの規模感なのか、数多にはわからない。それでもたったの一日で、この世界から少なくない数の人がいなくなっていると考えると、ゾッとしてしまうのは普通の感性だ。まだ数多に、紅の感性を理解するのは早すぎる。
そして最後に数多から視線を外すと、烈火は視界の隅には収めていた海斗の姿をしっかりと捉える。大きな瞳で海斗を捉える烈火は、さながら肉食動物のように鋭いものであった。
「そして今、目の前にいるのは桐生海馬の一人息子、桐生海斗。最も排除すべき存在でありながら、危機を察知したのか別働部隊の手から逃れた曲者。だから烈火が直接手を下すことになった……これが貴方の前に現れたわけだよ、理解できた?」
問いただすかのように言葉にする烈火。その言葉の節々に危険を孕みながらも、烈火の余裕な態度が崩れることはない。それほどまでに自身の力に自信を持っている証拠でもあった。
そんな烈火の話を黙って聞いていた海斗は、俯いていた顔をゆっくりと上げ、烈火たちを再度視界に収める。その表情に先ほどまでの優しさは感じられない。仮面でも被っていたかのように、笑顔の向こうには獰猛的な怒りが映し出されていた。
「……親父を殺したのは、お前か?」
声色も変わり、脅すかのように海斗は問い直す。その迫力は近寄りがたい雰囲気すらあるが、それを一番に受けている烈火は、もちろん撥ね退けるかのように立ち向かった。
「そだね。君のお父さんを直接始末したのは、烈火で間違いないよ。最期の瞬間まで、醜いものだったよ」
もはや喧嘩を売っているかのような、烈火の挑発的な返答。本心としか思えない烈火のはっきりとした物言いは、海斗の怒りを買うには十分すぎた。
「……そうかそうか。で、次は俺の番、と?」
「そだね~でも安心して! すぐにお父さんの逝かせてあげるから! きっと地獄だろうし!」
両手を大きく広げて笑う烈火。セリフとあまりにもマッチしていない彼女の態度に、数多は頭が痛くなりそうだった。
烈火にロックオンされたことで、立場的に後がなくなった海斗。しかしそれは、海斗の覚悟を締めなおすきっかけになってしまった。
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