第2話
朝食を済ませ、出かける準備を整えた数多たちは、車に乗って目的地へと向かった。平日の朝方ということもあり、渋滞に捕まることなく車は進んでいく。ストレスを感じることのない車の旅に、数多も余裕を持って周りの景色を眺めていた。
ただ数多は出発してからも、一の口から詳しいことは何も聞けていなかった。どこへ向かうのか、誰と会うのか、それが何の意味があるのか。何の情報もないからか、数多の心中も落ち着かないものとなっていた。
もちろん一にそれとなく探りは入れている。だが一も「行けばわかる」「着いてからのお楽しみ」と、上手く数多の問いから回答を逸らしていく。
(何か、裏がある……)
そう数多の脳裏に仮説が生まれるのも無理はなかった。ただどのような未来が待っているとしても、それから逃れられないのは数多も理解していた。釈然としない気持ちを抱えつつも、ある程度の覚悟は固めていた。
出発から2時間後。長い車の旅も終え、二人は目的地に到着する。車を停め何食わぬ顔で目的地を眺めている一とは違い、数多はその迫力につい圧倒されていた。それほどまでにその場所が、名状しがたいほどの立派な『山』だったからだ。
数多は生まれてきてから、やや都会気味の場所にある今の家にずっと住んでいた。だが今いる場所はそんな都会の喧騒とは一切無縁な田舎だ。周りに家などはなく田んぼ道が永遠と思えるくらいに続き、通行人も片手で数えるばかりしか見かけない。生まれて初めて見る田舎の光景に、数多は逆に感動すら覚えた。
「木々が生い茂る立派な山、数多にはそう見えるかもしれないけど、見た目だけだからな。実際中はそうでもないし、中は中で立派な屋敷がある」
「そうなのか……まるで映画の世界観みたいだな」
「否定はしない。そして本当の目的地はその屋敷にある。行くぞ」
一が躊躇なく歩いていき、数多も少し遅れて一の後ろを着いて行く。
目的地の屋敷へと向かうためには、二人の目の前にある長い石段を登っていかなくてはならない。しかもかなりの長さがあり、若い数多でも登り切った頃には肩で息をするほどに疲弊していた。一はここに来るのにも慣れているのか、顔色一つ変えずに登り切った。
そして登り切った先にあるのは目的地の屋敷。確かにそこは一が言うように立派なものだというのは見ればわかる。人々がイメージする和風の豪邸をそのまま目の前にあるかのような屋敷が、厳つい正門の向こう側から覗かせている。初めて見る豪邸に、数多もつい足がすくんでしまう。
数多が驚いている中、一は門の近くにいる人に声をかける。いかにも門番と称すほどの物々しい恰好をしている人だったが数多の顔を見た瞬間、仰々しく頭を下げつつ門を開けた。
「数多、行くぞ」
「あ、あぁ……」
もはや数多の口から言葉が出ない。一体自分の父は何者なのか、その正体が実の息子であるというのにわからなくなった。
堂々と敷地内へと入った二人は屋敷の玄関へと足を運ぶ。そこは屋敷の入り口というだけあって、正門以上に厳格さのある豪華さが伝わり、それを守る人の数も多く割いているようだ。しかしそこでも一が姿を現すと、全員が深々と頭を下げる。二回目というだけあって数多も驚かなくなったが、内に眠る違和感は拭えずにいた。
「数多。これから父さんは、ここの人に挨拶してくる。その間、ちょっとその辺りで待っていてくれないか?」
「えっ……ここで待つのか、俺一人で?」
一の突然の言葉に、数多も困惑して真偽を疑う。数多とてもう17の青年であり、一人きりが寂しい歳ではない。しかしこのような厳かな場所で一人残され不安がるのは、一般的な生活を送ってきた数多にとっては当然の感情であった。
「大丈夫だ、問題ない。ここにいる人たち全員に、数多の話は伝わっている。庭園を散策する程度なら、誰も数多を咎めはしない」
「……ずっと黙っていたけど、父さんって何者? 随分ここに馴染んでいるようだけど」
「ははっ、ちょっと仕事絡みでな……まあすぐ迎えに行くから、少しの間だけ待っていてくれ」
「……わかったよ」
しつこく引き留めるわけにもいかず、数多は一の頼みを聞き入れた。そのまま一はいろんな人に連れられながら、屋敷の中へと入っていった。
一がいなくなったことで、数多も本格的に一人になる。場所が場所なだけに下手な行動もとりづらく、渋々屋敷に隣接された庭園を散策していく。目を惹くほどの豪華な屋敷があるだけあって、庭園も豪華絢爛と称するに相応しいものだった。
「凄い庭だな。こんなの初めて見るわ……」
これだけで普通にお金が取れるんじゃないかと、数多も脳内でその美しさを褒める。その美しさに見惚れながら、特に何も考えず歩みを進める数多。ふと気が付くと数多は庭園の奥の方まで進んでしまっており、周りにいた屋敷の人たちも誰もいなかった。景色に集中していたのもあり、自分自身がどこにいるかもわからなくなっていた。数多とて庭で迷うほど方向音痴ではないが、庭とは呼べないほどの広さがあるからか無意識に迷子になってしまった。
「しまったな……こんな時に限って人が……」
元に戻る道を聞く人もおらず、数多は自分の愚かさを嘆く。そんな時だった、ふと数多の視界に一人の少女の姿が入ってきたのは。
その少女は庭園の奥底にある大木の上に上り、雲一つない空を見上げていた。見た目から自分と同い年くらいだと推察するが、そんなことどうでもいいと思ってしまうほどの少女の美貌を前に、数多は目を奪われる。
血のように赤く、他の色彩を寄せ付けることのない美しく長い赤髪。それと対を成すかのように一片の穢れのないくらいに白いワンピースを纏う容姿は、視線を吸い寄せられるには十分すぎるほどの魅力を秘めていた。そして極め付きは、そのスタイルとは裏腹に愛らしい少女の顔立ち、その内に潜む一切の疑いのないほどの可憐な笑顔。少女のどこを取ったとしても、その完璧な美しさに非の打ちどころはなかった。数多の短い人生の中でも、彼女以上の美女を見た記憶はこれっぽっちもなかった。
(綺麗だ……)
その美しさに、数多はしばしあっけに取られる。それこそ今の数多の目的や状況すら忘れてしまうほどに見惚れる。長時間彼女を見続けても、飽きることはないと数多は断言できた。
数多の視線が少女へと釘付けになっていたその時、ふと少女も数多の存在に気付いた。宝石のような輝きを放つ彼女の瞳が、茫然と立ち尽くす数多の姿を捉える。すると数多の身が、不思議な感覚に襲われた。
(なんだ、これ……息苦しい)
美女に見つめられて身構えた、などといった生温い感覚ではない。数多の身に眠る防衛本能が、無意識に姿を現したのだ。些細な変化であり、数多もその正体に気付けない。しかし自覚のない恐怖心が、数多の足の裏を地面から離れようとしなかった。
しかし少女の数多に対する興味が消えることはなかった。数多から少しも視線を離すことなく、少女は腰かけていた大木の幹から何の躊躇もなく飛び降りた。
「ちょっ……⁉」
さすがの数多もその光景に度肝を抜かれた。初めて会う少女が木の上から飛び降りたら、危ないと思うのは普通のことだ。しかしその数多の心配は杞憂に終わった。
大木から飛び降りた少女は体操選手のような身のこなしで、綺麗に着地を決めた。それなりの高さから降りたはずなのに、少女の身に異常らしき反応は見られない。数秒の着地硬直から解き放たれると、少女は一目散に数多の元へと駆け寄っていった。
「ねぇ、君! 知らない顔だね? どうしてここにいるの?」
数多の顔の前まで近づいた少女は、矢継ぎ早に質問を飛ばしていく。いきなり間近まで少女が接近したのもあり、数多は当然のことながら困惑する。しかしそれは、数多が少女に対して困惑する大きな原因には成りえなかった。
(この匂い……血か?)
鼻の奥でツンと刺す鉄のような匂い。これこそが数多が少女に対して困惑して一番の理由であった。それが血の匂いであることは、散々嗅ぎ慣れた数多がわからないはずがなかった。
数多は自身の体質のせいもあり、あまり人と接することがない。それすなわち、同世代や年上の女性に対する耐性も持ち合わせていないのと同義だ。しかしそれでも、少女から漂う血の匂いが普通でないことくらいは数多でもわかる。
しかし改めて少女の姿を近くで見ると、その可能性は微妙に捨てきれない。優れた容姿をしている少女であるが、肌の質だけはその限りではなかった。肌荒れを起こしているわけではないが、身体の至るところに手術痕のようなものがいくつもある。それだけで少女がただの美少女ではないという明らかなことであった。
ただ黙っているわけにもいかず、できるだけ血の話題に触れずに数多は少女との対話に臨んでいく。
「あ、あぁ。父親に連れられて来たのだけど、外で待ってろって言われて……気づいたらここまで歩いていたんだ」
「へぇ~そうなんだ」
数多から一切視線を外さず少女は返事をする。あまり興味があるような声色ではないのに一切視線を逸らさない少女に、数多は多少のやりにくさを感じていた。
「そういう貴方は……ここの人なんですか?」
「うん、そうだよ。それがどうかしたの?」
「ちょうどよかったです。実は恥ずかしいことに、迷子になってしまって……屋敷の方まで案内してもらえないでしょうか?」
「うん、いいよ。そのくらいどうってことないし」
少女からの快諾の言葉を聞いて、数多も安堵のため息をつく。数多としても一に無駄な迷惑をかけるのは忍びない。だから誰かに助けてもらってでもなんとかしたかったのだ。
(この人が優しい人で良かった……)
疑うことなくすんなり聞き入れてくれた少女に、数多は心中でお礼を述べる……しかし数多が目の前の少女に対し友好的な態度を取れたのは、これが最初で最後であった。
「でもその前に……先にお代だけは頂いていくね」
「お代ってぇ……⁉」
お代の真相を聞こうとする数多だったが、その必要はなかった。少女が突然、数多に抱き着いたが故に。思わず数多の口からもらしからぬ声が漏れてしまう。
女性に対して耐性が皆無に等しい数多にとって、少女の行動は毒となる。男にはない女性特有の柔らかさと甘い香りからなる身体からの抱擁は、数多から一瞬にして冷静さを消失させる。全身の至るところから感じたこともない熱が混みあがってくるのが、数多自身でも感じ取っていた。
「ちょ、何をして……!」
「大丈夫、何も怖くないよ……君はただ、じっとしていればいい。烈火にされるままになるのが、君の人生の役割なのだから」
動揺する数多をよそに、少女は至って冷静だった。数多の学生服のボタンを外していき、右肩を大きく露出させる。少女と違い傷なんてない数多の綺麗な肩に、少女は思わず舌なめずりをする。刹那的に見せた少女の前歯は、人間のものとは思えないほど鋭利に尖っていた。
その瞬間、数多の中で危険信号が鳴り響いたのだが、既に何もかもが遅かった。
「――いただきます」
「いっ……⁉」
少女は一切躊躇うことなく、一直線に、数多の肩にかぶりついた。猫が噛みつくかのような甘いものではなく、ライオンが獲物を食いちぎるかのように獰猛な噛みつきであった。
瞬間、数多の口から苦悶の叫びが小さく漏れる。それと同時に少女の歯が血管まで達し、数多の肩から大量の血液が溢れ出る。そしてその溢れ出る数多の血液を、少女は一滴たりとも残さぬように吸い取っていく。まるで物語の吸血鬼のようだと、やや散漫となった数多の視界にはそのように見えた。
特異体質のせいもあって、数多は多少出血する程度では死にはしない。一般人にとっての致死量の出血は、数多にとっては一滴の血と変わらない。だから少女に血を吸われたところで、数多が取り乱す要因にはならない。
しかしその行為自体に、数多は不気味さを覚える。見ず知らずの血液を吸うだなんて普通ではない。だからこそ数多は断定することができた。この少女は見た目に騙されてはならない、人ならざる存在であることに。
「――ぷはぁ」
やがて満足したのか、少女は数多の肩から口を離し、唇に付着した血液を舐めとった。再び相まみえた少女の姿は、数秒前に比べて血気が増した。少女の身体から漂う血の匂いも強くなり、どことなく敵うことのない強者の雰囲気すら放っていた。
しかし今の数多にそんなの関係ないことだ。少女の理不尽極まりない行動に、数多とて怒りを覚えないはずがなかった。
「アンタ……いきなり何をして……⁉」
遠慮することなく、数多は自身の感情を思いっきりぶつけた。しかしその元凶である少女は、数多にしたことを悪いと思っていないのか、屈託のない笑顔と共に言葉を連ねていく。
「う~ん、それにしても凄いね。結構吸ったと思うのに、全然なんともないんだ……さすがあの一さんが、『赤宮史上最高の原石』というだけはあるね」
「え、は……父さんのことを知っているのか?」
少女による血の食レポも、少女に対する怒りの感情も、既に数多の中から消えてなくなった。目の前の危険な存在が一のことを知っている、数多にとっても無視出来ない問題だ。血を吸われたことは一旦脇に置き、数多は少女に詰め寄った。
「もちろんだよ~そこそこ顔見知りだしね。何せ一さんは……」
少女とても隠すべきことではないらしく、あっさりと白状しようとする。だがその少女の言葉は唐突に止められた、第三者の介入によって。
「……烈火。こんなところにいたのですか」
「あ! お母さん!」
不意に背後から聞こえてきた女性の声に、目の前の少女は笑顔で反応する。そのまま数多の脇を抜け、背後にいる存在の方へと駆け寄っていった。そんな少女に着いて行く形で、数多も後ろを振り向き、その存在を確認する。
少女に声をかけた女性は少女のお母さん発言からもわかるように、少女をそのまま大人にしたかのような姿をしていた。少女とは違い落ち着きのあるクールな顔立ちや、身体が弱いのか杖を突いているところなど多少の違いはあるが、双子と説明しても十分通じるレベルの若和香しい容姿をしていた。
だがその女性の背後に控える存在を目にした時、数多の興味は完全にそちらに向いた。
「父さん……!」
「よっ、数多。早速烈火と顔を合わせるとは、話が早くて助かるよ」
「いや、何のことだか、俺は何もわかんねぇよ……!」
苦悶の表情を浮かべながら、数多は頭を抱えることになる。押し寄せる怒涛の出来事の数々は、数多の頭では到底処理できるものではなかった。
しかしそんなことは一も重々承知だった。屈託のない笑みを奥に隠し、真剣な表情で
「……そうだな。詳しいことは屋敷で話すが、簡単に説明しよう」
一の瞳が数多の隣に立つ烈火の姿を捉える。数多ですら見たことのない真剣な表情の一に対し、烈火はきょとんと数多と一の顔を交互に見ていた。そんな烈火の様子すら気にする様子もなく、一はその事実を口にした。
「その女の子の名前は、紅烈火ちゃん。由緒正しき『紅』家の次期当主様にして――数多の花嫁、嫁さんとなる人だ」
「は……」
思考、時間、世界、その全てが突如として停止したかのような感覚が数多を襲う。それほどまでに一による爆弾発言は、数多にとって衝撃的で受け入れがたいものであった。しかし10秒、20秒と経った頃にやっと数多も現実を飲み込むことができ……
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっ⁉」
山奥に構える屋敷中に、数多の絶叫が響き渡った。
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