第1話

「――きろ。起きろ、数多」

「……んあ?」

 平凡な一軒家の、平凡な一室。ベッドや本棚、勉強机など、一般的な学生の部屋を模倣したかのようなその空間で、ベッドに寝転ぶ少年――赤宮数多は寝ぼけた声を漏らす。朧気な意識のまま身体を起こすと、数多の目の前には見知った人物が立っていた。

「……父さんか。おはよう」

「おはよう、数多」

 キチンと挨拶をする息子に数多の父――赤宮一もそのまま挨拶を返す。今年で45歳を迎える一だが、とても40代とは思えない若々しさは、いつも数多を驚かせている。それでも一の黒髪の中には赤いメッシュが存在しており、若々しさというよりもやんちゃな雰囲気が先行してしまう。数多は常日頃からそう思わずにはいられなかった。

「……珍しいな。父さんが朝から家にいるなんて。仕事の方は休みなのか?」

「今日はちょっとな……ただ数多。俺のことよりも、自分の心配をした方がいいんじゃないか?」

「自分の心配……うわっ⁉」

 不快感が手のひらに伝わり、すぐに数多は自身の身体を確認する。そして数多にとって想像通りの光景が広がっていることに、彼は嫌気が差しつい天を仰いでしまう……己の身体だけに留まらず、ベッドやシーツにまで被害を及ばせた、不気味な血の海と化したベッドを前にして。

「またやっちまったか……」

 おびただしいと呼ぶしかない状況だが、数多の表情に恐怖心はなく取り乱している様子も感じられない。彼から伝わってくる感情は億劫さ、まるで繰り返しやらかした失敗を再びやってしまったかのような、現状とは全く似合わないものだった。

 しかもそれは父である一も同じだった。息子の惨劇を前にしても、顔色一つ変えることなかった。それどころか彼も慣れているのか、近くに置いてあった鞄から献血等で使われる注射器等を取り出していく。

「数多にちょっと話があったのだが……先に血を抜こう。放ってはおけないからな」

「……すまん、父さん」

「気にするな、俺の息子だからな」

 数多と一の親子のやり取りは、よく言えば冷静、悪く言えば事務的なものであった。しかしこのような事態は一度二度の話ではない、百を超えたあたりから数多は数えるのを止めるほど、日常的に繰り返されたイベントでもある。

 慣れた手つきで一は数多の腕に注射針を刺し、数多の体内から血液を抜いていく。身体の熱が冷めていくのを感じながら、数多は自身に根付くこの厄介な体質を深く呪った。


 赤宮数多は、基本的にはどこにでもいる、17歳の男子高校生だ。しかしその呪われたともいえるたった一つの特徴のせいで、数多は一般人としての枠組みから大きく外れた存在として扱われていた。その特徴というのは彼が持つ特異体質――常人の数倍レベルの血液を身体に抱える体質であった。

 父の一曰く、この体質は赤宮家の昔から続く奇病だと、数多は幼い頃から聞かされていた。しかし数多はこの体質に対し、憎悪にも近い感情を抱き、呪いと称している。それも無理はない。平凡極まりない数多が普通の生活を送れない原因が、他でもないこの体質だからだ。

 適応された数多の体質は突発的な異常を起こすことはないが、大量に蓄えられた血液を身体が耐えることができず、血管が切れて体外へと噴出してしまう。定期的に血を抜かなければ、今のように部屋が血の海と化すのが数多にとっての日常となってしまう。

しかもこの事象は一日に数回起こることがあり、気を張っていないと数多の後ろ姿が猟奇的な殺人鬼と化す。故に数多は人気のいない夜に外出することが多くなり、必然的に学校にもまともに行けていない。一が家庭教師を雇ったのもあり義務教育レベルの学力は身についているが、高校にも通えておらず学力は低下の一途を辿っている。

たった一つの特異体質のせいで普通の生活すら送らせてもらえない。それに不満を抱くのは、数多でなくても当たり前のことであった。同じ体質を持っている一は慣れているだけあって、数多の瀉血にも協力してくれるが、一に無駄な時間を取らせていることに常々申し訳ない気持ちを数多は抱かずにはいられない。

もし願うことならば、生まれ変わることができるのならば……特別とは程遠い、平凡な人間に生まれたいと、数多は日々思うのだった。


 しばらく待っていると、数多の瀉血が完了する。瀉血をした一の近くにはその証として、血液パックが何個も積み上げられていた。それだけの血液が抜かれたことに、それでいて自身の体調に一切異常がないことに、数多が疑問を浮かべることは当然ない。

「こんなものか。とりあえずまた送っておかないとな」

「何から何まで手間を取らせて、ごめん」

 自然と謝罪の言葉が出てしまう数多に心配させないと、一はにっこりと笑顔を見せる。

「いいんだって。それにこの血が誰かの役に立ってるのなら、数多だって嬉しいだろ?」

「まぁな。家計の足しになってるんだし、そのくらいは協力するよ」

 一の気遣いの言葉に、数多の表情も柔らかくなる。自身の血液の話で、数多が唯一好意的な感情を見せる瞬間であった。

 体質のせいで知り合いがほぼいない数多と違い、一は顔と人脈が広い。医療関係らしき知り合いもいるみたいで、数多の血もその人によって有効活用されている。初めは抵抗感もあった数多であったが、お金になるということでその抵抗感は既に薄れている。父への迷惑料だと思えば安いと、数多の中でも受け入れていた。

「……そういえば親父、俺になんか話あったんじゃなかったっけ?」

「おぉ、そうだった。瀉血に夢中で忘れてた……忘れてはいけない用事だったんだけどな」

 ふと思い出した数多が一に問いかけると、朗らかな笑顔は一転、表情も引き締まり真剣なものへと変わった。それには数多も目を丸くして驚いた。数多の17年の人生の中でも、一のそのような顔を見るのが初めてだからだ。

 道具を片付ける手を止め、一は真っすぐと数多の目の前を向いた。それだけ真剣な話だということは数多も肌で感じ、つい肩の力が入ってしまう。

「飯を食ったら、連れて行きたい場所があるんだ。だから着いて来てくれ」

「え、いや父さん、今日平日だぞ? これから学校が……」

 突然のことに数多も困惑する。学校にあまり行けていない数多ではあるが、別に学校が嫌いなわけではない。体調が優れている以上、学生である数多は学校に行かなくてはならない。

 しかし一の意志も固かった。普段は息子のことを想い意見を尊重する一も、今日ばかりは表情が険しい。どこか逆らえない雰囲気に数多も息を呑む。

「ダメだ、こればかりは譲れない用事なんだ。学校も休んでもらう、というかもう連絡は済んである」

「ちょっ、何を勝手に……!」

「別に問題はないだろう。そもそも数多だって、どうしても学校に行きたいわけじゃないんだろ? 前にそう言っていたじゃないか」

「……そうだけど。確かにどうでもいいけど、それとこれとは話が違うだろ」

 学校にそこまで執着心のない数多は、もう学校のことでは怒っていない。だが普段は優しい父の勝手な行動は、未熟な数多にとってすんなり受け入れられるものではなかった。

 それでも一が意見を曲げることはなかった。それどころかよほど聞き入れて欲しいのか、息子に向かって深々と頭を下げた。

「頼む……本当に大事な用事なんだ。数多にとっても、大切なことなんだ……」

 深々と懇願する父親の姿に、数多もあっけに取られる。今まで自身の体質のせいで一が頭を下げることもあったが、ここまで必死に頭を下げるのは数多とて初めて見る光景だった。その誠意さもあってか既に数多の中には、父に対する怒りは静まっていた。

「……わかったよ。別に用事を蹴るのが嫌ってわけじゃないし、父さんに従うよ」

「……すまない」

「いいんだよ。父さんには常日頃から世話になってるし、そのくらいは付き合うよ」

 これは正真正銘、数多の本心だ。客観視すれば数多の体質は気味悪がられるものであり、証拠に彼には友人と呼べる存在はいない。しかし一はそんな数多を見捨てることは絶対しなかった。自分自身も同じ体質のせいで苦労したというのもあるが、何よりも父親だから。その誠実さは、数多も常々感じていた。だから怒りを見せながらも、数多の内心では答えは決まっていたのだ。

「それで父さん。そんな必死に頼み込むほどの用事ってなんだよ?」

「あぁ、ちょっとな。詳しい話はあとで話すが……数多に会って欲しい人がいるんだ」

「会って欲しい人……母さん、とかか?」

 父の言葉を聞いて、真っ先に数多の頭に浮かんだのがそれであった。数多や一の体質を嫌ってか、数多は幼い頃から母の存在を知らない。気になって一に聞いたこともあったが、ちゃんとした答えが返ってきたことは一度もなかった。それで数多は勘づいたのだ、自分たちは母親に捨てられたと。

 しかし数多の推察は間違っており、一の首を横に振った。

「いや、違う。会えばわかると思う……とにかく準備をしよう。相手側を待たせるのはあまり良くないからな。朝食の準備は俺がするから、数多は着替えを済ませておきなさい」

「は、はい」

 はっきりした答えを返すことなく、一は用件のみを伝えて部屋の外へと歩いていく。その雰囲気に些か違和感を覚える数多であったが、返事をしてしまった以上異を唱えることもできない。部屋の隅に立てかけてある学生服を手に取りつつ、部屋から出ていく一から意識を逸らした。


 しかしこの時、数多はまだ知らなかった。この瞬間、数多が心の底から望んだ平凡で平穏な日常への希望の道が、綺麗に断たれてしまったことを。

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