第25話

「そんな……酷い! なんでそんなことしたの⁉」

 彼から全ての話を聞いた私。縛られた状態ではあるが怒りを我慢することなどできず、絶叫のような声を出す。怒るのはあまり得意ではないが、いっちゃんの身に起きたことを考えれば自然と頭がカッと熱くなっていった。

 だがわかって欲しい……私とて、親友を傷つけられて落ち着いていられるほど、立派な人間じゃない。感情的になったりもするのだ。

 でもいっちゃんを傷つけた当の本人である彼は、ムカつくくらいヘラヘラと笑っていた。自分でやったことに対して一片の間違いを犯していないような、そんな態度が見て取れる。

「何を言う? あれはれっきとした正当防衛だ。向こうから殴りかかってきたんだ、身を守るのは当然のことだろ?」

「だからって……顔まで傷つけることなんてないでしょ! 過剰防衛だよ!」

「そうかもね。ま、それを誰が証明するんだって話だけど」

 言葉で攻め立てようとも、悪びれる様子は一切なかった。少しでも反省の様子を見せてくれたら話は別だが、こんな態度じゃ私の気は収まらなかった。

 とはいえ、今の私にはどうしようも出来ない。仮に縛られておらず自由な状態だったとしても……彼の奥に控える仲間と思われし屈強な男性たちが彼を守るだろう。そこに飛び込んだとしても、いっちゃんの二の舞にしかならない。

「それに……俺とアイツは、同じ種族ではない。残念なことに、俺は人間の尺度で物事を測れなくてな……」

 加えて彼は、訳の分からないことを主張する。ただ状況が状況なだけに、嘘をついているようには見えなかった。

「……にわかには信じられない。貴方が……人の皮を被った化け物だなんて……」

「化け物、とは失礼な。俺はインキュバス……夢魔族という、れっきとした生物。そう説明したじゃないか。摩耶が気づいていないだけで、この世界にはインキュバスやサキュバスは、少なくない数存在する。それに……」

 彼は悪意を含ませた憎たらしい笑みを私に向ける。

「摩耶に纏わりついていたあの男……夢宮も、俺と同じインキュバスだぞ?」

「っ……!」

 その一言で、私も動揺を隠せなくなる。しかしわかりやすく表情に出すと向こうが喜んでしまうので、私はなんとか表情だけは取り繕った。

 嘘か本当か、こればかりは判断がつかない。でも彼が言うには……遊馬君も人ならざる存在、夢魔族と呼ばれるインキュバスらしい。

 ただこればかりは、私は彼の発言を鵜呑みにすることは出来なかった。インキュバスがどういう存在であるか、知識としてなら知っている。だからこそ、その人物像が遊馬君と一致しているとは到底思えなかった。

 確かに遊馬君も、やや距離が近い部分はある。でもそれだけで割と適切な関係を築いてくれる。それ意外としっかりしていて、とっつきにくいところもなく話しやすい人である。

自分で言うのもどうかと思うけど、私は結構容姿に優れている方だ。それが原因で男の人から視線を集めるのは日常茶飯事、邪な感情を丸出しにして話しかけてくることもある。でも遊馬君がそんな人たちとは違うのは、今まで過ごしてきた時間からもわかる。だからこそとても彼と同じような生物には見えなかった。

「でもまあ……今になってしまえばどうでもいい話だ」

 ただ彼はというと、既に遊馬君のことなど気にしていない。不気味な笑みを浮かべながら、にじり寄るように私の元へと近づいた。

「だ、誰が貴方なんかと……私にその気はない! 離れて!」

「それは出来ない相談ですね、摩耶。これだけ誘っておいて、今さら拒否するのは許されないですよ」

 正気を失っている、そうとしか思えない発言に、私は久方ぶりに引くという感情に芽生えた。私たちとは違う生物であることが、これでもかというくらい伝わってくる。

「私は、誘ってなんかいない!」

「何を今さら……常に周りの男の視線を集めているのも、誘ってるとしか思えなかったのだが?」

「そんなわけないじゃない!」

 酷い言いがかりだ、つい私も声を荒げて反論する。確かにその通りかもしれないが、それも全て周りの人たちが勝手にやっていることだ。私は一切、これっぽっちも関係ない。

 するとここに来て、彼の表情が変わる。とはいえ動揺したとか、そういったのではない。貼りついた憎たらしい笑顔も隠れることはなかった。ただただそのままの表情に、疑惑を含ませたような顔をしていたのだ。

「何を言う? 摩耶もいっぱいフェロモンをまき散らしていたじゃないか?」

「フェロモン? 私、香水なんかつけたこと……」

「……あぁ、なるほど。気づいていないのか。なら教えてあげるよ」

 そういう彼は、真っすぐと私のことを指差す。そしてその衝撃の事実を、私にぶつけた。


「倉橋摩耶……貴方も俺たちと同類なんだよ。貴方はれっきとした、サキュバスだ」


「…………え?」

 何を言っているのか、わからなかった。それどころかその言葉自体、脳から拒絶したくなってくる。その衝撃発言は、私の頭の中をぐちゃぐちゃにするには十分すぎた。

 しかし彼から訂正を告げる言葉はない。ただ淡々と、事実だけを並べていく。

「詳しくは知らない。だが摩耶、君は常に夢魔族が使う催眠魔法……フェロモンで異性を誘惑し、意識を支配下に置く魔法を使っている。俺はインキュバスだからすぐに気づけた、摩耶がサキュバスであることに」

「私が、サキュバス……?」

 改めてそう言われても、私はその事実を受け入れることが出来なかった。これは私に限った話ではない。いきなりあまり親しくもない人から、「お前は人間じゃない、化け物だ」と言われても誰も信じないだろう。私が陥っている状況というのは、そういうものだ。

 だからこそ私は声を荒げてでも抗議する。

「そ、そんなわけない! 私は人間よ! ずっと人として生きてきたもの!」

「ふむ……摩耶がそう主張するのもわかるよ。周りに同族がいなかったからね。でも摩耶は人としては……あまりにも男の気を引かせ過ぎている」

 貼りついた笑顔を崩すことなく、彼は私の特徴に対してそう指摘する。

「確かに摩耶はものすごい美人だ。でもそれだけで、通り過ぎる人全ての視線を釘付けにするのは不可能だ。人の趣向は千差万別だ……だが摩耶がサキュバスで、催眠魔法を使っていたとなれば話は別だ。あれに抗える人間なんて、いないだろうから」

「し、知らないよ! フェロモンも、催眠魔法も、なんにも知らない!」

 たまらず私もきつめの反論をする。初めて聞くような言葉の数々に、苛立ちが募っていく。だが知らないものは知らないのだ、言いがかりのようないちゃもんに怒らずにはいられない。

 しかし怒りを露わにする私を前にしても、彼が怖気づくことはなかった。

「ま、そういうことになるだろうね。催眠魔法を知らないとなると、摩耶は我々の集落での生活を送っていないことになる。あそこでなければ、催眠魔法を使いこなせるようになるのは無難しいだろうね」

「ほらね! 何言ってるかよくわからないけど、私がサキュバスじゃないっていう証明にはなったでしょ!」

「はい、確かに摩耶はサキュバスじゃない……そう、純粋なサキュバスじゃない」

「……は、い……?」

 私の威勢も一旦停止し、食い気味に彼を見つめる。もうこれ以上、私を追い込まないで欲しい。そう声を大にしたいのだが、彼が止まることなく更なる決定的な事実を叩きつける。

「これはあくまで俺の予想でしかないが……摩耶、君は人間と夢魔族のハーフだ」

「ハーフ……?」

 またしても謎のワードに、私の頭はフリーズする。そんな私を置いてけぼりにするかのように、彼は私の正体を暴いていく。

「それならいろいろと説明がつく。見た限り、催眠魔法は使える。だが使いこなせる域には達していない。平時にはフェロモンを抑えることが出来ず、ばら撒くようにフェロモンを発しているからね」

「そ、そんなわけが……!」

「……摩耶の過去のことは、俺は何も知らない。でも心当たりがあるんじゃないか? 摩耶が人間と夢魔族のハーフである心当たりがね。例えばそうだな……出生に不明なところがある、とかね」

「っ!」

 そう言われて、私はつい反応してしまう。図星だったからだ。向こうにもそれが伝わったようで、にやりとした笑みをわかりやすく見せつける。

 確かに私の出生には、謎な部分がある。それはお父さんの存在だ。記憶が芽生え始めた頃から、私にはお父さんの記憶がない。それどころか実物を見たことも、写真越しで顔を確認したこともない。極めつきはお母さんに聞いても、お父さんのことは何も教えてくれなかった。

 まだ精神的にも幼い私に気を使って教えなかった。ずっとそう思っていたのだが……もし夢魔族という存在に、都合よく記憶を改ざんできる魔法なんてものが存在するならば……

(私が、人間と夢魔族とのハーフだというのも、説明がつく……!)

 頭の中では既に完結していた。だが認めたくはなかった。今まで人として生きてきたはずなのに、本当は化け物みたいな存在だったなんて……これまでの人生を呪いたくなってしまいそうだ。

 もちろん、お母さんですら相手の正体について気付いておらず、知らぬままインキュバスとの子を産んだという可能性は十二分にある。だが動揺が全身を支配して、私はそんな当たり前の事実にすら気づけなかった。

 しかし今の私に、自分の存在について追及するだけの時間は残されていなかった。

「まあどうだっていいさ。摩耶が何者であろうと関係ない。むしろ人間の血が混じってくれて助かったよ……純粋な夢魔族ではない摩耶を犯しても、禁忌には触れないからな」

 話は終わり、そう言わんばかりに彼は私のすぐ近くまで近づいた。動きを縛られている私はどうすることも出来ず、ただ唇を噛む。明らかに嫌悪感を露わにした態度を取っているにも関わらず、彼が一歩踏みとどまるなんてことは微塵もなかった。

 そのまま彼の手が、私の頬に触れる。その瞬間、全身を這っていくような寒気に襲われる。優しさの欠片も感じられない、逃がさないように強い力を込める彼の手は、本能的に拒絶反応を引き起こさせる。

今までの人生で数多くの男の人の視線を集めてしまった私であるが、実際に触れられるのはこれで二度目。一度目は遊馬君、そしてこれが二度目だ。だがこれを二度目、とカウントしたくはなかった。この手が遊馬君のものだったら……そんな叶わぬ希望すら抱いてしまうほど、私は心身ともに追い込まれていた。

しかし彼は止まらない。そのまま顔を近づけ、私の視界を彼の顔しか映らないようにする。

「大丈夫だ、何も怖いことはない……すぐに摩耶から求めたくなるよ」

 そんな戯言を口にする彼の身体からは、不思議な香りが漂ってくる。それを吸い込んでしまった瞬間、くらっと意識を乗っ取られそうな感覚に襲われる。頭の中で何かを考えること自体、面倒だと思ってしまうくらいに。

 これが彼の言う、そして私が常日頃から無意識に使っているという催眠魔法なのだろう。しかもその出力は、想像以上のものだ。それこそ頭で拒絶しようとしても、彼のことしか考えられなくなってしまうくらい。

 でもまだ完全に彼のフェロモンに堕ちたわけではない。一握りの理性で踏ん張り、私は彼を睨む。そしてその最中に、この状況における唯一の勝ち筋を絞り出す。催眠魔法で精神を乗っ取られそうになるのなら、こちらも同じように催眠魔法をかけて彼の意識を支配すれば……

「――俺の意識を支配しよう、なんて無駄なこと、考えない方がいいよ」

 だが私がしようとしていることを、彼は間髪入れずに指摘する。不敵に笑うその顔が、全てを見透かしているように見えてしょうがなかった。

「確かに催眠魔法は、夢魔族相手にも通じる。だがそれは、相手が夢魔族として格下な場合の時だけだ。使い方も碌に理解していない摩耶に、俺を支配することなど不可能だ」

「そ、ん……」

 もはや悔しがる声すら出すのも叶わぬことであった。唯一の勝ち筋を潰されたことで、私の心は完璧に折れてしまった。迫られることが嫌で嫌で仕方ないが、身体が言うことを聞いてくれなかった。

 だから私は、諦めた。抵抗する力を放棄し、ただ無為な時間が流れるのを待った。その最中、私の頭の中には一人の顔が思い浮かぶ。真っ先に思い浮かんだその顔は、親友であるいっちゃんではなかった。

(ゆう、ま、くん……)

 どうせ抱かれるのなら、彼が良かった……そんな叶わぬ願いを胸の中に押しとどめた私は、完全に意識を手放そうとする。

 そんな時だった。倉庫の扉が開かれる、けたたましい音が響いたのは。

 即座に彼は私から視線を外し、音の発生源の方を睨みつける。その拍子で彼の魔法から解放されたのか、支配されかけていた私の意識が戻っていく。しかし彼が私の身の心配をする様子はない……どうやら彼にとって、招かれざるお客がやってきたみたいだ。

 ただ彼にとって招かれざる客というのは、私にとっては救世主だ。そしてその救世主の顔を、私はすぐに思い浮かぶ。その姿を確認しようと身体を起こそうとするが、その必要はなくなった……今、誰よりも聞きたいその声が、私の耳へと届いたから。


「――摩耶さんっ‼」


 神からの福音のようなその声で、私の身体から恐怖や不安が全部消え去った。

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