第24話

 黒羽が我が家へ来訪してから、十数分が経過した。

 突如自宅にやってきた黒羽。「まーやが危ない」と大騒ぎするが、今の黒羽を無視することも出来ない。とりあえず家の中に入れ、最低限の応急処置に務める。その最中でも黒羽は、摩耶さんの身に降りかかった災難を的確に伝える。治療を終えた頃には全ての説明が終わっていた。

 説明をしていた時の黒羽の表情は、どうしようもないほど死にそうであった。無理もない、最愛の親友が危険な目に遭っているかもしれないのだ。きっと生きている心地がしないのだろう。

「……ねぇ」

 ショックで顔が俯いている黒羽であったが、アイネはそれを一切気にせず俺に話しかける。元々黒羽という人間に一切興味がないからだとは思うが、彼女にはそれとは別に彼女を放置している理由があった。

「……ユーマ。もしかして、だけど……」

「あぁ、俺も気づいているよ」

 ただアイネが言おうとしていることを、俺も既にわかっていた。きっと黒羽にはわからないことだろう……これに気付けるのは、俺とアイネ、人ならざる者だけだ。

「……関山諒は、インキュバスだ」

 絶対的な自信を持って、俺はそう断言した。アイネも意見は同じなようで、静かに頷いた。

 確信を得たのは黒羽の話からだ。黒羽の話に嘘がなければ、関山は手下を従え命令によって黒羽に暴行を加えたらしい。とはいえ嘘をついているとは思えないので、とりあえず信じる。

 俺たちが疑問に思ったのは、関山が手下を従えているという状況そのものだ。微塵も興味がないから関山に関することは何も知らない……だが、関山に従えたくなるほどの魅力が関山自身にあるとも思えない。お金が絡んでいれば別だが、関山がしたのはれっきとした犯罪だ。そこまで付き合うほど従順な手下が多いわけがない。

 ならどうやって従えているか……それすなわち、人ならざるものの力。つまり俺たちと同じ夢魔族、インキュバスの催眠魔法。そうとしか俺たちは考えられなかった。もし催眠魔法が原因なら、全ての説明がつくからだ。

 しかしそう決め付ける上で、無視できない問題もゼロではない。

「でもインキュバスであるなら、私たちが気づかないはずがないわ。それにアイツの手の甲に聖刻印もないし……」

「あぁ、だからきっと、アイツは俺と同じはぐれなんだよ」

 これもそう説明する他ない。夢魔族の右手に刻まれる聖刻印は、偽装が出来ない仕様となっている。また夢魔族以外の生物からは視認できないため、普通の人からは判別は付かない。だが俺たちなら判別がつく。そして聖刻印がない以上、ヤツも俺と同じはぐれインキュバスということになる。

「はぐれって……はぐれならユーマみたいに、失烙印があるはず……あ」

 とそこでアイネの言葉が止まる。何かに気付いたようで、つい彼女の表情も歪んでしまう。そんな単純なことにも気づけなかった自分を、恥じているのだろう。

「……関山は、はぐれの中でも最底辺の存在――『印なし』だ」

 しかし俺は言葉を引っ込めることなく、関山の正体を言い当てる。アイネからの反論は一切なかった。

 はぐれと呼ばれる、夢魔族の中でも劣等な扱いを受ける存在。しかしはぐれははぐれでも、二種類に分類される。

 一つは俺みたいに、左手に消えない失烙印を刻まれた夢魔族だ。これに該当する夢魔族のほとんどは、根本的な才能のなさが原因だ。習得必須の夢魔族の魔法が使えなかったり、そもそも夢魔族らしい振舞いが出来なかったりと、欠落した才能はそのはぐれによる。

 しかしそれとは別に、『印なし』と呼ばれるはぐれの夢魔族もいる。その言葉通り、聖刻印も失烙印も刻まれていないが、人間界に蔓延る夢魔族のことを指す。しかしこれに該当する夢魔族というのは……俗にいう犯罪者を意味する。夢魔族の禁忌に触れたり、人間界で人間界の罪を犯してしまったりなど、原因は様々だ。

そして例外なく印なしに該当する夢魔族は、正規の夢魔族から逃げるものばかりだ……捕まってしまったらよほどの例外でない限り、処刑が言い渡されるからだ。印がないのも、非合法の手段で逃げてきた結果である。

そして関山の左手には、俺と同じ失烙印がない。ヤツがインキュバスと仮定するならば、必然的に印なしということになる。どんな経緯で印なしになったのか気になるところではあるが、今は後回しだ。

「ヤツが印なしとなれば、俺たちが今まで気づかなかったのも理由がつく。それにヤツはおそらく、俺たちの正体に気付いている」

「でしょうね」

 そう言いながら俺たちは、自らの手の甲に刻まれた印をさすった。夢魔族になら視認できる、聖刻印と失烙印。常に手の甲を隠して生活しているわけでもないので、向こうはすぐに正体に勘づいたことだろう。

「魔法自体も、俺たちの前では意識的に出さなかったのだろう。俺はともかく、アイネにバレると即死刑みたいなものだからな」

「そうね……だとしても、アイツの行動理念がわからないけどね。印なしなら死ぬのが怖いだろうし、ずっと引きこもってそうなイメージだけど」

「それはまあ……インキュバスの性ってヤツなんじゃないの? 俺はわからんけど」

 生まれてから一度も性交の経験がない俺とは違い、関山はきっとバリバリの経験者であり生粋のインキュバスなのだろう。そんなヤツが部屋で引きこもっているなど、不可能だ。インキュバスとしての性を捨てるくらいなら死んだ方がマシ……状況から考えても、そんなクソみたいな信条が読み取れて仕方なかった。

 だからこそはぐれではあるがインキュバスである俺の前に姿を現した。全ては摩耶さんを性的な目でしか見ず、性的に食うためだけに、だ……確かにインキュバスの尺度で考えれば、おかしな話ではない。だがそれを許すほど、俺の覚悟は甘くない。

「……ま、アイツが何者であるかなんて、ユーマにはどうでもいいことでしょ?」

「あぁ、そうだな」

 アイネの言葉も即座に肯定する。それほどまでに、俺の中では当たり前のことだった。

 仮に相手が誰であろうと、関山の正体がなんであろうと、俺のやるべきことは変わらない。攫われた摩耶さんを救出し、今度こそ俺という存在を特別視してもらう。もう二度と、摩耶さんに関して後悔はしない……そう決めたばかりだ。

 アイネも俺の答えをわかっていたようで、さっさと玄関へと向かおうとする。どうやらアイネもついて来てくれるようだ。まあアイネの目的は摩耶さんの救出ではなく、関山の捕縛だろうけど。印なしのインキュバスをみすみす見逃すほど、彼女もグータラしていない。やるときはきちんと仕事をする、素晴らしいサキュバスだ。

「ちょ、ちょっと待って!」

 しかし俺たちの進行に待ったをかける者が一人……というか黒羽以外に誰もいないから、必然的に彼女になる。少し時間も経っているだけあって、多少会話するだけの元気は戻っていた。

「さっきから貴方たち、何言ってるの……? 夢魔族とか印なしとか、訳の分からない単語ばかり並べて……」

 困惑したかのような表情を浮かべながら、黒羽は恐る恐る俺たちに尋ねる。あれだけ腰の引けた黒羽を見るのは初めてだから、妙な新鮮さがあった。

 ただ黒羽の視点から考えれば無理もない。きっと今の黒羽には、俺やアイネ、関山辺りを人の形をした異形の化け物、くらいに見えているのだろう。ただあながち間違いではない。変身魔法を使える時点で、いつでも異形の姿に変えられるし。

 本当ならしっかりと説明したいところ。関山に巻き込まれた時点で、黒羽も関係者だ。しっかり俺たちの素性を伝えるのが誠意ってものだ。ただ今の俺たちにそれだけの時間的余裕はない。

「すまん、黒羽。今は言えない……説明する時間がないからな。一秒でも早く摩耶さんを助けないといけない。お前もそれを望んでいるはずだ」

「そ、そうだ……私も行く……!」

「ダメだ」

 しっかりと俺は黒羽の同行を拒否する。即座に拒否されたことによって、黒羽の顔も少しムッとしたものになる。

「黒羽はまだ理解が足りてないと思うけど、ここから先は普通の人間が足を踏み入れていい領域じゃない」

「そうね、ユーマの言う通りよ。何の準備もなく飛び込んだら……アンタ、食われるだけ食われて、自我を崩壊するだけよ」

「で、でも……私、まーやのことが心配で……」

 アイネも強く黒羽の同行を拒否するが、黒羽が引く様子はない。大事な親友の身が危険に晒されているのだ、黒羽が心配で気が気でないのも無理はない。だが黒羽が来られるといろいろ都合が悪いのも、本当のことだ。

「今の黒羽がいても、できることは何もない。それどころか人質に取られでもしたら、もっと厄介だ。だから自由に身体が動ける俺とアイネで行く。わかってくれ」

「でも、でも……」

「黒羽……残されたお前の役目は無残にボロボロになることじゃない。摩耶さんを安心させることだ」

「……っ!」

 はっと黒羽が顔を上げる。焦りと動揺の含んだ表情が消え去り、表情からも安心感をもたらすものになっていた。

「今の黒羽を見ても、摩耶さんは悲しむだけだ。だからここでしっかり休んでおいて、いざ再会した後に元気な顔で迎えてやれ」

「夢宮……」

「安心してくれ……摩耶さんは連れ戻す、絶対に」

 自信と覚悟を含ませたその宣言を、俺は彼女へとぶつける。黒羽もその言葉で、使命感に駆られた強情な態度が消え去った。

「……わかったわ。正直、まだ全身痛いし、役に立ちそうにないのはわかってた。だから全部、貴方に託すわ。だから絶対に、ぜーったいに! まーやを連れ戻しなさいよ」

「言われるまでもない……この命に代えてでも、連れて帰る」

 言い過ぎレベルの自信を、俺は黒羽に見せつけるように張った。しかしその言葉は比喩表現なんてものではない。俺は二度、摩耶さんに命を救われた身だ。一度目は自害寸前まで追い込まれた時、二度目は全てに絶望した数分前だ。

 だから今度は、俺が摩耶さんを助ける。命を懸けることがあるかどうかはわからないが、そのくらいの気持ちで臨むということは確かだ。

 黒羽もその言葉を聞いて安心したのか、倒れるように横になった。そして数秒もしない内に、女性らしい可愛い寝息を立てる。女性の身でありながら何発も攻撃をもらい、その身体でここまで歩いてきたのだ、疲れで倒れるのは当然のことだ。

「……行くわよ、ユーマ」

「あぁ、わかってる」

 それを確認したアイネに諭される形で、俺たちは家を出る。しっかりと鍵をかけ、黒羽の安全も考慮する。後はどうにかして関山の居場所を割り出し、摩耶さんを救うだけだ。

「よくあの子を説得出来たわね。意地でもついてきそうな勢いだったから、ユーマも手こずると思っていたのに」

「まぁな。でも黒羽も、摩耶さんがどういう姿の黒羽を求めているのか。それが理解出来たら、そう強情に食い掛ってこないよ。摩耶さんのことを第一に考えているのはお互い様だからな、なんとなくわかったよ」

 だからこそ、説得は容易だと考えていた。嫌な表現ではあるが、摩耶さんをダシに使えば黒羽を黙らせられるという絶対的な自信があった。かくいう俺も同じようなことを言われたら、きっぱりと言い返せる自信がないからな。

 俺の意図が通じたようで、アイネも一息をつく。

「まあ、でも……そっちの方が、私たち的には都合がいいけど」

「そうだな。ヤツとかち合えば、催眠魔法の掛け合いは避けられないからな、巻き込まれると面倒だし」

「いや、そうじゃなくて……あれ、もしかしてユーマ、こっちには気づいていないの?」

「……こっち?」

 何やら予想外のセリフが聞こえ、俺はついとぼけたような声を出す。話のかみ合わなさに違和感を覚えるのに、少しばかり時間を要してしまう。決してアイネをからかっているわけではない、本当に彼女が何を言っているのかわからなかったのだ。

「でっきりアタシは……あの子を連れてこなかった理由に、それが含まれているからだと思っていたんだけど。まさに、恋は盲目ってヤツね」

「ま、待ってくれ……マジで何の話だ? 本当に何も見えてこないんだけど……」

 しかしどうやらアイネはわかっているみたいだ。しかも俺もわかっていて当然と思っているようで、それだけ重要なことだということは伝わってくる。故に俺も少しばかり焦りを覚える。

「……ま、もったいぶって悶々とさせる状況でもないし、説明するけどさ。だからね……」

 アイネも状況が状況なだけに、端的にその事実を伝える。歩みを進める足を止めることなく、アイネはその事実を口にした。

「……え⁉」

 正直に言おう。俺はその事実を、容易に受け止めきれなかった。

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