第18話
雑貨屋から離れた俺たちは、雑貨屋の入り口がギリ見えるくらい離れたところにあるベンチで休憩することにした。どちらにせよ、あの店で摩耶さんたちが出てくるまでやることがないのだ。だから待つことしか俺たちには出来なかった。
「……結局摩耶さんが何を買いたかったのか、わからず仕舞いだったな」
やや沈黙気味な空気が流れていたので、俺はふとそんな話題を振った。さすがに変身魔法に関する話題を振る度胸が俺にはなかった。サキュバスとしてのプライドがあるアイネにそんなこと聞いたら、機嫌を損ねてしまいそうだからな。
「そうね……でもなんとなくならわかったわよ」
「え、マジか?」
しかしアイネから返ってきた回答に驚きを隠せない。どうせアイネのことだから、興味なんて微塵もないと思っていたくらいだ。少しでも思考のリソースを割いてくれたことは、俺にとっては驚くべきことであった。
「本当なんとなくだけどね……あの子、プレゼントを探してたんじゃない?」
「プレゼント……プレゼントか」
俺は繰り返し、その答えを口にする。アイネの口から聞く単語としては意外なものだが、改めて考えると結構的を射ている。
「プレゼントを探していたとなれば、それなりに広範囲の店を回っていたとしてもおかしくはないわ。中々購入に踏み入らないのも、まあわからなくないことよ」
「確かにそうだな……いや、でも」
そこで一旦区切った俺は、アイネの意見を一部否定する。
「摩耶さんにそこまでの経済的な余裕があるとは思えない。自分のために使うお金はあっても、他人に使うお金はないだろ。そんな余裕があるなら少しでも家にお金を置いておく……摩耶さんはそういう人だ」
「そういえばそうだったわね」
「だからプレゼントという線は……」
「自腹を切ってでもプレゼントをあげたい、そういう相手なんじゃないの?」
間髪入れずに突っ込むアイネの言葉に、俺の言葉は遮られる。しかしながらその推察は、あながち間違いとも言い難いものであった。
「ユーマが口酸っぱく言う、『大切な人』相手なら、そのくらいのことはしそうだけどね……アタシには全くわからないけど」
「そ、その大切な相手というのは……」
「それは知らない。けど男なら普通に考えてユーマでしょうね。まあこの場合、相手が同性である可能性もあるから、隣にいるあの子かもしれないし、なんとも言えないわね」
「確かに……」
プレゼント、となるとその相手の範囲は多岐にわたる。それこそ摩耶さんほどにもなると、関わってきた人など数えきれない。優しさを振りまき過ぎて、その範囲を絞り切れない。顔が広く誰にでも優しいのはとても素晴らしいことだが、こと恋愛に関してはやや面倒臭さが付随する。
「せめてそのプレゼントの中身がわかれば、もう少し何かわかったかもしれないのに……」
「心当たりはないの?」
「正直ない。昔は俺も結構しんどい生活をしていたからな、そんな余裕はなかったな」
そんなものわかるようなら苦労しない。長らく味方のいない苦しい生活を送っていたからな。それにもう少し恋愛を知っていれば、こんな事態にも陥っていないだろうし。
「そういうアイネはどうなんだ? アイネなら男性との親交もそれなりあるだろうし」
「アタシも全然詳しくないわ。性交はいっぱいしてきたけど、親交とか深めたことないし。それにお金はいっぱい持ってるから、欲しいものは自分で手に入れるわよ」
「え、その歳で、なんで金持ってるんだよ?」
「パパ活」
「聞くんじゃなかった……」
少しでも期待した俺がバカだった。
よくよく考えても、アイネがプレゼントのことを熟知しているはずがなかった。サキュバスの手に掛かれば、大抵のものは手に入る。お金はもちろんのこと、多種多様な貢物まで。そもそもプレゼントという概念そのものが、夢魔族にはないに等しい。あるとすれば、極上ともいえる性体験くらいだ。
「……まあ何はともあれ、アタシたちがプレゼントのことを考察しても、無駄ってことよ。面倒だし、直接聞いた方が早いわよ……ほら、ちょうど出てきたみたいだし」
「あ、ホントだ」
アイネが視線だけを動かすと、その先にはお店から出てきた二人の姿があった。距離があるから話し声は聞こえないが、なんだか楽しそうな雰囲気が漂っていた。そしてそんな摩耶さんの手には、そのお店の袋らしきものが握られていた。
「何か買ったみたいね。さっそく聞いてこよ」
「いや、さすがに直接聞くのは……って、あぁ、店員さんか」
「そうよ。さすがにあれほどの美人を、すぐ忘れるなんてないでしょ」
そう言いながらアイネは入れ違いになる形で雑貨屋の中に入る。俺が行ってもしょうがないので、店の外で待ちながら摩耶さんたちを観察することにした。いきなり前の客の買った商品を聞くなど、確実に怪しまれそうだがそこは夢魔族だ。会話したことすら忘れてしまうだろう。
数分もしない内にアイネは戻ってきた。
「聞いてきたわよ、男の店員だったからフェロモンを使うまでもなかったわ」
「お、おう……」
これだから男は……まあ俺も同じことを摩耶さんにされたら、自制が効くとは思えないけど。
「どうやら買ったのはエプロンみたいよ」
「エプロン……何でまた?」
「さぁ? でも間違いなく言えるのは、ユーマへのプレゼントではないってことね」
「そ、そうだな……」
わかってはいたけど、そこまでストレートに言うか普通……まあ言うか、アイネなら。
ただエプロンというプレゼントのチョイスは、確実に俺にあててではない。そもそも俺が料理をしないことは、摩耶さんも知っているはずだ。そんな俺にエプロンを渡してもしょうがないことくらいはわかるはずだ。
「プレゼント、という考え自体間違っているかもね。ただ単純に、自分が使うものを買い直した、と考える方が自然かも。料理普通にするんでしょ、あの子?」
「あ、あぁ。家庭環境的に、そうしないといけないっていうのもあるけど……」
「ならなおさらでしょ、あれはプレゼントじゃない。よかったわね、変な気苦労が増えなくて」
素直に俺は頷く。確かに摩耶さんが俺以外の男に対して、プレゼントを渡す可能性が潰えたのは嬉しいことだ。だがそれ以上に、自分でなかったことへの期待の喪失感がデカすぎる。少しでも期待してしまったのが、良くなかったのかもしれない。
「ならさっさと尾行を続けるわよ……って、あの二人どこにいるの?」
「え……あ」
アイネに指摘されて、俺も慌てて辺りを見渡す。しかし見渡しても二人の姿はどこにもなかった。アイネとの会話に集中していたのからか、とにかく見逃してしまった。
「たく、何やってるのよ」
「す、すまん、つい……」
「とにかくさっさと探すわよ。おそらくそこまで遠くへは行っていないだろうし、あの容姿なら多少は目立つわ」
完全に主導権を握られてしまい、俺も頭が上がらない。それでも呆れて帰ることなく、最後まで付き合ってくれる辺り、アイネも面倒見のいいところはある。まあ他の人にはしているかどうかは知らないけど、あくまで同族だから構ってもらってるところは無きにしも非ずだ。
まあそれはさておき、今は摩耶さんだ。アイネの言う通り、再度探すことはそこまで難しいことではない。目を離していたのも1分ないくらいだし、すぐに見つかるものだと思っていた。
「いたわ、あそこよ」
アイネが指差す方向には、摩耶さんの姿があった。大きな通りから逸れて隅っこの方にいたものの、さすがに見逃すはずがない。周りにいる人たちも飛び切りの美人を前に視線を吸い寄せられていた。
しかし一つだけ、先ほどまでとは違うところがある。
「あれ……黒羽の姿がないな?」
そう、彼女の隣にはボディガードとも呼べる黒羽の姿がないのだ。つまり今、摩耶さんは一人だけで突っ立っているのだ。
「トイレにでも行ってるんじゃない? それか用事が済んだから、もう解散したとか」
「いや、それはないな。あの黒羽が摩耶さんから目を離すとは思えない」
アイネの疑問を俺は真正面から否定する。これだけは断言できる、この命を懸けてもいい。
黒羽ほど、摩耶さんのことを大事にしている人はいない。俺も心の底から摩耶さんのことを大切に想っているが、黒羽のそれは情を逸している。例えるなら国宝を扱うかのような、それほどまで大事にしている。
そんな黒羽が、こんな人が多くいる場所で摩耶さんを一人にするとは思えない。トイレに行くとしても摩耶さんを連れて行くだろうし、こんなところで解散なんてしたりしない。きっちり摩耶さんの自宅まで送り届ける姿すら、容易に想像できるほどだ。
なら何故、摩耶さんが一人になっているのか。どのような状況下でなら、黒羽をこの場から退出させて一人に出来るのか。考えに考えた結果……一つの結論に辿り付く。
「摩耶さん自身に、頼まれた……?」
ふと、その考えが脳裏に過る。ポッと湧いて出たようなものであるが、もはやそれ以外に考えられないほど信憑性のある可能性であった。
「いくら黒羽でも、摩耶さんの頼みは断れない……何か一人になりたい用事があるとするならば、この状況も可能性としては考えられる」
「……そんなことがありえるの? その人のことよく知らないけどさ」
「俺も思ってもみなかった……でも現にそうなっているから、それ以外の可能性なんて……」
俺もどういうことか、理解が追いつかない。やけくそ気味に返事するほど冷静さを失ってしまう。しかし俺の言葉が最後まで言い切ることはなかった……目の前に広がる、地獄のような光景を網膜に焼き付けてしまったが故に。
「……ぇ」
その呟きは、すでに言葉にすらならない。それほどまでのショックを引き起こす出来事……その中心にはもちろん摩耶さんの姿がある。
俺の視線の先にいる摩耶さん。その姿をふと視界に捉えた時、その隣には別の人間の存在があった。ただそれは黒羽ではなく、彼女と付き合いのある学友でもなく、そして当然ながら俺でもない。しかしソイツが誰なのかだけは知っていた。
「なんで、関山のクソ野郎が、摩耶さんの前に……」
衝撃的だった。目の前に映る光景が、それこそ夢魔族の催眠魔法で見せる幻覚だと思ってしまうくらいだ。出来ることなら今すぐ両目の眼球を取り出して綺麗に洗い流したいところではあるが、それも叶わぬことだ。俺の思考回路は、完全にキャパオーバーしてしまった。
摩耶さんのすぐ近くにいるのは、関山諒。摩耶さんのことを狙う恋敵……いや、恋敵ではない。ヤツの腐った性根からも、恋敵と認めたくはなかった。
そして黒羽はもちろんのこと、生粋のサキュバスであるアイネも、誰に対しても優しい摩耶さんですら、ヤツの存在を良きものとは認めない。それほどまでに嫌われた存在……それが今、摩耶さんの目の前にいたのだ。
偶然、たまたま会った、と片付けられたらどれほど楽だったことか。あの関山に限ってその線は全く予想できない。女を我が物にするためなら、どんな卑劣な手段とて容易に使うことだろう。
「ねぇ、あれって……」
さすがのアイネも笑い飛ばすこともせず、神妙な表情で摩耶さんたちを眺めていた。しかし俺はもうその光景を直視できなかった。
あの光景がどういう意図で成り立っているか、実際聞いてみないと、見てみないとわからない。それは紛れもないことだ。しかし俺からすれば、もう結末などどうでもよかった。
摩耶さんは言った、今度の休みに黒羽と遊びに行くと。確かにそれは本当だ……しかしその本当の目的は、関山に会うため――そういう線も考えられなくもない。無論、摩耶さんに限ってそんなことあるはずがない。ファミレスで黒羽に言った関山への嫌悪感が、偽りだとは到底思えない。
しかし俺の頭脳は、もはや複雑怪奇となったこの展開を読み取り、正確に推察することが出来ない。否、拒み始めている。考えても無駄なことだ。たった二つの事実が、俺の脳内で幾度なくこだまする。
一つ、人間は嘘をつく生き物だということ。摩耶さんと接しすぎたせいで、そんな簡単な事実を見逃していた。
もう一つ……摩耶さんも嘘をつく。そして間接的にではあるが、俺に嘘をついた。被害妄想だと思われるのも無理はない。たったそれだけで、俺の冷静な判断力は失った。
「……帰る」
「え……?」
珍しくアイネが驚いた表情を見せる。それは本当なら見ごたえのあるものだが、今の俺に楽しめるほどの余裕はない。ただ単純に、抜け殻同然の状態へと堕ちてしまった。
「もういいんだ……そっとしておいてやろう」
「でも……あれ、絶対おかしいって……!」
「摩耶さんにも摩耶さんの事情がある……俺が口を出す領分じゃない」
アイネが引き留めようとするも、俺はそれを無視し出入り口へと向かう。例え強引に引き留めようとも、強引にこちらも引き剥がしてこの場を離れる。他人を気にする余裕など、俺にはなかった。
冷静になって考えれば、確かにおかしい光景だ。偶然と考える以外ないほどの、奇天烈な光景でしかなかった。しかし偶然以外の可能性がゼロかと言われたら、それはノーとも言える。
例えば……摩耶さんはお金に困っている。それこそバイト代を全て家計につぎ込むくらいに。そんな彼女に、多額の金額と身体の等価交換を求められたら……果たして摩耶さんは拒むだろうか。その可能性を1%でも考えた時点で、俺はもう何もかもが嫌になってしまった。
周りの雑音全てが煩わしく聞こえてくる。そこまで追い詰められた俺は、逃げるためにどこまでも走った。結局俺は何も出来ないヘタレだ、そう自分に言い聞かせているかのような自身の本能は、忌まわしさ以外の何物も感じなかった。
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