第11話

 俺や摩耶さんが通う聖白高校には、土曜学習というものが存在する。この辺りでは中堅レベルの進学校として名が通っているのもあって、それなりに勉学に力を入れている。その一環として、定期的に土曜も登校しなければならないのだ。多少なりとも、他校より力を入れていることを示したいのだろうか。

 だがそんなことどうでもいい、俺にとってはマジでどうでもいい。そんなことよりも放課後のことで頭がいっぱいだった。この午前中の補習が終わった後は、摩耶さんとの例の約束がある。それ以外のことなんてどうでもいいと思うのは当然のことだ。

「あーやば、腹痛くなってきた……」

 だから俺も登校中にも関わらず、緊張による腹痛が酷い。胃がきゅっと締まるような感じがして、どうにも本調子が出そうにない。しかしこんなところ摩耶さんに見られるわけにもいかないので、表面上は平静を装うのに徹する。

 もちろん楽しみであることは間違いない。打算とかそういうのを加味しなければ、きっと楽しい時間を過ごせるのだろう。だが加味した瞬間、どうしようもない緊張が押し寄せてくる。

「ま……なるようになるしかないんだけどさ」

 だからこそ、俺は吹っ切れることにした。好かれるのも嫌われるのも、俺のムーブ次第だ。緊張していたら予想外の変なことすらしでかすのも考えられる。故に今は、無駄な緊張を外に追い出すことに注力すべきだ。

 気合を身体に叩き込んだ俺は、昇降口について靴を替える。あとはそのまま教室に向かうだけ、それがいつもの動きだ。しかし今日は違う、面倒なイベントが発生してしまった。

「やぁ、夢宮遊馬君」

 横の方から俺を呼ぶ声がした。しかしその声の主は、摩耶さんでもアイネでも黒羽でもない。そもそもの話、女性ではなく男性の低い声だ。まともな男友達がいない俺に話しかけるヤツなど、ほぼ皆無に等しい。だからその呼びかけに対しても、俺は警戒心を張り巡らせる。さっきまでの腹痛も一瞬で治った。

 俺に話しかけてきたのは見た目からしてチャラそうな、いかにも遊び人のような男だ。ドがつくほどの金髪だが生え際が黒くなっているところに雑さを感じたり、本心が見えないへらへらした笑顔だったりと、顔面偏差値はかなり高い部類ではあるが、潔癖感の欠片も感じられない。そんなヤツだった。

 しかし俺はコイツのことを何も知らない。名前を知っている辺り、向こうは俺のことを知っていそうではあるが、俺には検討もつかない。正直これっぽっちも興味はないのだが、無視も出来ないので仕方なく対話を試みる。

「……誰だっけ?」

「なっ……忘れたとは言わせないぞ! あの日……入学式の日にお前が邪魔しなければ、摩耶は俺のものになっていたのに……!」

「あー……思い出した」

 おぼろげな記憶が徐々に蘇っていく。確かに言われてみれば、入学式の日に摩耶さんにナンパを仕掛けていた、頭のおかしい男子生徒と同じヤツだった。その後のイベントが鮮明に記憶していたから、それ以前の記憶がごっそり抜けていたわ。まあ、とはいえ……

「んで、名前なんて言うんだっけ?」

「このっ、知らないのかよ⁉」

「いや知らんし、わざわざ調べることでもないだろ?」

 ほぼほぼ初対面の相手に名前を聞いただけだというのに……なんでここまで気が立っているのか全くわからん。きっと俺にはわからない、特殊な感性をしているのだろう。

 俺の対応に怒りを露わにしていた男子生徒だったが、すぐに怒りを鎮めると憎たらしい目つきで俺を睨みつけた。

「……4組の関山諒だ。よく覚えておけ」

「はいはい……んで、用件はなに? どうせ挨拶だけじゃないんだろ?」

「ふん……その態度は気に食わないが、まあ許してやろう。俺は寛大な男だからな」

 どこがだよ、とツッコミを入れようとしたが、話がややこしくなりそうなので黙っておこう。

「お前のクラスにいる美少女、倉橋摩耶。もちろん知っているよな? 知らないはずないよな、いつも楽しそうにおしゃべりしているわけだし、頭にもこびりついていることだろ?」

「……なにが言いたい?」

「身を引けよ、あれは俺の女だ」

 一切言葉を取り繕うことなく、関山は自信ありげに言い放つ。その不遜たる態度からは、まるで自分の言っていることが何も間違っていない、全て正しいとでも言いたげな風にも見える。客観視すれば頭がおかしいと思うが、その時の俺にそこまで考える余裕はなかった。

 摩耶さんから身を引け、これ自体はどうでもいい。そんなことは絶対にないからだ。だがその後の言葉が、はらわたが煮えくり返るくらい気に食わなかった。あれは俺の女……どうにも嫌なひっかかりを覚えて仕方なかった。

「……俺の女、だと?」

 だから俺もヤツに合わせて言葉を吐く。俺が興味を示したと勘違いしたのか、関山はニヤニヤとした笑みを俺へとむき出しにする。

「あぁ……あれは今まで見てきた女の中で、一番とも言える美貌だ。素晴らしい、まさかあのような女がこの学校にいるとは思わなかった……だから食わずにいられない、男なら同然そう思うだろ?」

「……っ!」

 予想通りの言葉が聞こえただけに、内に秘めていた怒りが一瞬爆発する。ただし即座に怒りを鎮め、格下感は出ないように努めた。自分でもよく堪えたとは思う。

うっすら予想はしていたが、なんてクソ野郎だ。コイツ、女性を食い物としか見ていない。内面なんてどうでもいい、優れた容姿さえ持っていればそれでいい。ヤツの全身から漂う雰囲気からは、そう読み取れても仕方ない。

 しかもその対象が俺の愛しの摩耶さんなのだ。他の女性だとしても一言申したいくらいだ、ここで黙っているほど、俺はヘタレではない。

「……アンタみたいな男に、摩耶さんが構うわけがないだろ?」

「はッ、そんなの関係ねえ。一回抱けば済む話だ。それで全ての女は俺という王に落ちるんだ。例外はねえ」

 一切ひよることなく、関山は言い放つ。そこまで自信を持って宣言するのだ、よほどベッドの上では無敵なのだろう。向こうは知らないかもしれないが、対峙しているこの俺はその道のプロだというのに……まあ落ちこぼれだけど。

 だが今はそれどころではない。俺も負けん気の雰囲気をにじみ出し、関山へ言葉をぶつける。

「摩耶さんが誰とくっつこうが、摩耶さんの自由だ。だがアンタだけはダメだ。アンタが摩耶さんに手を出すというのなら、俺は全力を持って彼女を守る、それだけだ」

「ひゅぅ~言ってくれるねぇ。その気概がいつまで持つか見物だな」

 互いが互いに引く様子は全くなく、俺たちは敵意に満ちた視線を交差させる。しかし忘れてはならないのが、今俺たちが朝っぱらの昇降口にいるということだ。登校してきた生徒が何事かとこちらへ視線を向けてくる。何せ顔の良い二人の言い争いだ、気にならないはずがない。

 その事態を向こうも気づいたようで、俺との距離を取った。

「じゃあな。次会う時は、お前にとっておきを見せてやるよ。楽しみにしてな」

 自信に満ちたセリフと不気味な笑いを吐きながら、関山は校舎の方へと消えていった。喧騒の片割れがいなくなったことで、周りに漂っていた重苦しい空気も弛緩し生徒たちもさっさと教室へ向かって行った。俺も俺で、やっと肩の力を抜くことが出来た。面倒なヤツに絡まれると肩ひじが張って辛くなるな……

「また面倒なのに絡まれてるわね、ユーマ」

「あ、アイネ」

 とこのタイミングで、アイネが登校してくる。夜更かししていたのか、かなり眠そうで目をこすらせている。ただそれだけの動作だというのに、妙ないかがわしさを感じるのはさすがである。具体的にはむき出しの胸が……いや、これ以上は止めよう。

 そのアイネはというと、教室へ向かう関山の後ろ姿を眺める。ただそれを見つめる表情が、彼女にしては珍しくムッとしたものであった。

「……関山諒ね。アンタも面倒なのに目をつけられて可哀そうね」

「アイネ、知っているのか?」

「えぇ、まあ……アタシ3組だし。合同授業とかでちょくちょく一緒になることがあるのよね」

「あぁ、なるほど。でも珍しいな、アイネが人の名前を覚えてるなんて」

「まあね。一回ヤらせろって言われたことあるし」

 表情を一切変えることなく、アイネはそう口にする。彼女の口からそのような言葉は常日頃から聞いているのもあって、もう驚かなくなった。しかしそのアイネの物言いに、俺は妙なひっかかりを覚える。

「なんかまるで、その誘いを拒否したみたいな言い方だな」

「そりゃそうよ。その通り、拒否したわ。関山とはヤっていないわよ」

「え、そうなのか?」

 正直意外過ぎる。だってアイネは生粋のサキュバスであり、男相手に股を開くのには躊躇がない。いくら相手が関山とはいえ、精気を食らうことが出来るなら普通にヤる。アイネはそういうヤツだと、俺は認識していた。

 しかしどうやらその認識は間違っていたようだ。アイネにはアイネだけの、代えられないプライドというものがあるらしい。

「アイツの物言いにムカついたのよ。なんかこう……俺とセックスできることが素晴らしいことだとか、感謝しろだとか……とにかく偉そうなのよね。ベッドの上でアタシに勝てるわけないのに」

「おっしゃる通りでございます」

 いくら関山がベッドの上の闘いが得意だとしても、それは人間相手の話だ。相手の精気を根こそぎ喰らいつくすサキュバス、それも頭のてっぺんからつま先まで性的なことしか考えていないアイネ相手なら話は別だ。実際にその光景を見たわけではないが、そう思わせてしまうだけの説得力が彼女にはあった。

「だから拒否ってやったのよ。うるさかったけど催眠魔法で眠らせて記憶も消してやったわ。もうアタシのことなんて覚えてないんじゃない? アタシもアイツのことなんて頭の片隅にも残したくないのよ。生理的にも受け付けないし」

 と刺々しい言葉を無遠慮に吐くアイネ。表情が全く変わっていない辺り、マジでそう思っている。それはそれで末恐ろしいものだ。アイネにここまで言わせるのも大したものだ。

 とはいえわかったこともある。関山が美人ならとりあえず肉体関係を迫ること、自身のルックスとベッド上での技術にものすごい自信を持っていること、それを鼻にかけて偉そうになっていること……列挙しているだけでも頭が痛くなってきそうだ。とりあえずとんでもないほどのクソ野郎ってことだけは十分に理解した。

 それに周りとの人間関係にマジで興味のないアイネですら、ヤツに対しては距離を取るほどのクソっぷりだ。それ以外の人から見たら、もっと見え方は違うだろう。もちろん悪い方向でだ。

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